水溜りの少女の怪
猛暑もいつの間にか終盤戦にさしかかっているようで、「残暑」という言葉が出始めました。
長引いた梅雨もあけて、台風や夕立以外にはあまり雨が降りません。
そこで、あえて雨の話を。
水溜りの少女の怪
その日は夕立でした。ですが、雷は遠く、雨もぱらぱらとそんなに強くありません。
小学五年生のカズキちゃんは、買ってもらったばかりの傘をさして、友だちと一緒に下校するところでした。
ふと、カズキは、横断歩道の向こう側に立っている女の子に気がつきました。白いブラウスに赤いスカートの、カズキと同い年くらいの女の子です。雨だというのに傘をさしておらず、髪の毛はびっしょり濡れていました。
その子はしばらく立っていましたが、カズキと目が合うと、急に走っていってしまいました。
不思議におもったカズキは、友だちと別れ、女の子を追いかけました。女の子はその先の四つ角のところに立っていましたが、カズキを見るなり、また逃げるように走っていってしまいます。
カズキはとうとう女の子を見失いましたが、また次の横断歩道のところで、女の子の後姿が見えました。あわてて追いかけようとしたカズキは、トラックの前に飛び出してしまいました。誰かが怒鳴っている声がしました。それでも、カズキは女の子を追いかけるのをあきらめませんでした。
そのうち、カズキはあまり人気のないところへ来ました。女の子を見失ってきょろきょろしていると、自分が、買ったばかりの大切な傘を持っていないことに気がつきました。
「どこで落としちゃったんだろう」
カズキは悲しくなってきて、女の子のことはあきらめて、もう帰ろうかと思いました。
すると、また女の子の後姿を見つけました。女の子は桑の道へ入っていきます。両脇に桑が並んでいる、畑の中の一本道でした。
カズキは、とうとう女の子に追いつきました。
女の子は、髪の毛の先から、服の袖から、スカートのすそから、ぼたぼたと水をしたたらせていました。
「こんにちは。ねえ、びしょぬれで寒くないの」
カズキが声をかけると、女の子は振り返り、首を横に振りました。
「ううん、これがあるから、もう平気」
見ると、女の子はさっきなくしたカズキの傘をさしています。
「それ、わたしのよ。返して」
カズキが手を伸ばすと、女の子は一歩後ずさりしました。
「返して!」
カズキは女の子の腕をつかまえて、ぐいっと思いきり引っ張りました。傘を奪い返そうとしたのです。女の子は小さな声で「いや」といいましたが、カズキは力任せに腕を引っ張り続けました。
女の子は、カズキを両手で突き飛ばしました。
カズキは後ろ向きに水溜りのなかに倒れました。ほんの小さな水溜りのはずなのに、カズキの体は水の中へどんどんと沈んでいきました。
がぼがぼと空気を吐き、水を飲みながら、カズキは叫びました。
『返してよ!』
次の日、カズキを探しに来た家族や友だちは、桑畑にカズキが入っていったという話を、近所のおばあさんから聞きました。
「カズキちゃんは、お友だちと一緒だったよ」
カズキのお母さんとカズキの友だちとは首をかしげました。カズキと友だちは、下校のときにわかれたきりだったからです。
桑畑に行ってみると、そこには誰の姿もなく、ひとつだけ小さな水溜りが残っていました。水溜りには何か浮いていました。ハンカチです。見覚えのあるハンカチをお母さんが手に取ると、裏に、「五年三組 I田 カズキ」と書いてあります。
あとでわかったことですが、あの桑畑の道では数十年前、ぬかるみに足をとられた女の子が、水溜りでおぼれ死んだことがあるそうです。その子は、買ってもらったばかりの大事な傘を風に飛ばされて、必死に探していたのだとか。