ガラスの反抗期
私の反抗期は早かった。幼稚園年中さんにして、尾崎豊の卒業の歌詞を彷彿とさせるような荒れかたをしていた。
その日も私はむしゃくしゃしており、祖母の対応を執拗に感じ、怒りをぶつけていた。幼稚園児が大人相手に口げんかをすれば敵わないのが定石だが、祖母もかなり声を荒げていた記憶があるので、なかなかの勝負だったのだろう。
私は祖母を振り払おうと風呂場に逃げた。祖母が入ってこないように、脱衣洗面の空間を仕切るための、薄いくもりガラスが張られた木戸を閉めた。
「こっちくんな!」
私は一人になりたかったのだろう。追ってきた祖母に怒鳴った。祖母はいい加減にしなさい、おばあちゃんも悪かったから、と言って引き戸を力尽くで開けようとする。必死に抵抗して引き戸をおさえるが、大人の力には敵わない。
ある程度して祖母が引き戸から少し離れると、私は「あっちいけ!」と叫び、渾身の力をこめて薄いガラスにパンチした。たかが幼稚園児のパンチだが、くもりガラスはパーンと派手な音を立てて砕け散り、大量のガラス片が宙を舞った。
私はもちろん割るつもりでパンチしたので、予想通りに割れたガラスに爽快感すら覚えていた。ああ、すっきりした! と怒りが治まったことで、「ちょっとやりすぎちゃったかな」と反省する余裕すらあった。
しかし祖母は絶叫した。ガラスが割れたことに対してではない。ガラスが割れて間もなく、祖母はガラス片をものともせずに引き戸を開け、私の無事を確認しようとした。そして、右手からだくだくと流れ落ちる血を見て叫んだのである。
駆けつけた祖父はほうきでガラスを退かし、私を玄関に運び、祖母と二人がかりで止血にかかった。みるみる赤くなっていくタオル。車を回す祖父、泣いている祖母。
私は申し訳なくなり、「あー……んーと、ごめんね」と謝ったが、祖父母はそれどころではなかっただろう。
痛みはさほどなく、大量の出血も普段から1時間も止まらない鼻血を頻出させている身としては「べつに」という感じであった。幼さもあったし、この時は高揚感のほうが勝り、アドレナリンが出ていたのかもしれない。
町の開業医に運び込まれた私は、傷口に残ったガラス片を取り除いてもらった。後から思えば恐ろしいことに、ガラスが刺さったままの傷口を圧迫されていたのだ。それは血も止まらなくて道理である。
刺さったものを抜けば当然血が出るのだが、その状態で「うちじゃ縫えない」と言われ、祖父母は急ぎ大きな病院に向かった。せめてガラスを抜いてから圧迫止血をする、という段取りだったのかもしれないが、ちょっと無責任にも聞こえる。
整形外科の病院に到着すると、椅子に座らされ、周りを医師と看護師が囲んだ。経緯を説明するも喋ることもおぼつかない祖母に代わり、私は「むかついてガラスにパンチしちゃったんだあ」とのんびり答えた記憶がある。
医師は看護師に麻酔を用意させ、「これから、手のここだけ、指のとこだけ痛いのわからなくなるからね」と言い、祖父母にも「子供だから局所麻酔で」といったようなことを説明した。局所麻酔という言葉はあくまでも、今になってからの想像上の補完である。
想像以上に巨大なシリンジに充ちた黄色い液体を見せられたが、私は注射針が刺さるところもじっと見るタイプの子供だったので泣きもしなかった。
ここからが、後でわかる恐い話のスタートだ。
麻酔が看護師によって注入されると、私は意識を失った。ほんの瞬きをするような一瞬で、誰かが肩をとんとん叩き、呼びかけられて目を覚ました。私が目を開けると安堵の空気が流れたように思う。
「寝ちゃったね。終わったよ」
医師はのんびり言い、私の小指をさした。どうなったかな、と見ると、傷口は約七針ほどV字の針で縫い閉じてあった。その見た目があまりにも毛虫だったので、私は初めて「きもちわるい。これやだ」と泣いた。
看護師が手際よく包帯をグルグル巻きにすると、包帯の特別感に加えて、「もしかして(影絵の)イヌができる!?」という期待から興奮気味になった。
恐らく術後の入浴やら何やら祖父母とともに説明を受けたはずだが、すでに他人事になっていた私は何も覚えていない。
そして家に帰ってくると、祖父母はガラス片と血痕の掃除にかかり、ほどなくしてきれいになった家に父が帰宅した。
私は手を隠して父に駆け寄り、開口一番に言った。
「みてー! イヌができるよ!」
もちろん何も知らない父は度肝を抜かれたらしい。同じことを帰宅した母にもしたが、当然泣かれてしまった。
翌日も元気に登園し、皆に「イヌができる!」と見せびらかしてまわった。影絵のイヌができることが誇らしく嬉しかったことをよく覚えているが、正直、それどころじゃないだろうと突っこみを入れたい。
ではここで、後でわかる恐い話のおさらいをしよう。
お気づきかと思うが、麻酔の話である。まず量が多い。医師の説明では指だけ感覚が無くなるはずが、思いきり二の腕に打たれたし、私は意識を失っている。子供だから暴れるとまずい、という理由で全身麻酔に切り替えたのかもしれないが、全身麻酔はリスクが高すぎる選択だ。大量の出血や大きな傷や、でかい注射針にも動じない子供に対して、その判断は必要だったのか疑問だ。
さらに、麻酔を打ったのは看護師である。おそらく専門職ではない。ちょっと眠くなるよ、と声をかけられた記憶はないが、「どこに打てばよいか」と医師に尋ねていた記憶は残っている。希望的観測をすれば、局所なのか全身なのかを尋ねていただけで、さらには若い看護師の姿をした麻酔科医だったのかもしれないが。
ここまででおわかり頂けたと思うが、相当な病院であるし、当時の噂は相当なものであった。いわゆる、「入ったらもう出てこられない病院」である。
母は最終的にどこに運ばれたのかを祖父母から聞き、気が動転していた。「一歩間違えばこの子が死んでいた」と声を荒げていたのを覚えている。
重ね々ね、麻酔の件もしかりである。
あれから三十年経った今も、指にはがっつりと縫い跡の傷が残っている。これは明らかに縫合痕だと素人でもわかる、海外で日数を数える時のような形で残っている。
技術の新旧もあるだろうから今と比べるのは酷かもしれないが、それにしても毛虫縫合すら相当な下手っぴと言って良いだろう。
皮膚がひきつれてくっついたため、縫い目を境にぽこっと盛り上がっている部分が確認できる。そして触ると縫合痕の凹凸がくっきりと感じられる。
顔や手の甲などの目立つ場所ではなかったことが少しの救いだろう。




