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或る旅人の手記より

〈凍れる城1〉

 或る旅人の手記が残っている。彼の古い手帳によると、旅人はその身に起こった恐ろしい事件を次のように語っている。


 私は北欧の国境沿いを歩いていた。どの旅人もするように、私も分厚いマントを胸のところで握りしめ、つばの広い帽子が吹雪で飛ばないよう、目深に被ったうえに紐で結わえて、何重にも布を巻いたブーツの底で雪を踏み固めて歩いた。雪の底は時々氷になっていたし、もしかすると冷たい湖や川の上かもしれなかったので、足元のわずかな感覚だけを頼りに、充分に注意して歩かねばならなかった。視界は吹雪で真っ白になり、寒さで頭もまわらない。

 私は順序どおり、次の目印への短い距離を進んだが、かなり時間がかかった。予想以上の吹雪のせいだ。夜になればますます吹雪くかもしれないし、運良く晴れたところで、この寒さでは野宿もできない。

 私は途方に暮れて、せめて吹雪を凌げる場所はないか、雪原に目を凝らした。私の視力はヤギ飼いをしていたときに鍛えられ、どんなに暗く小さな星でも言い当てることができたが、吹き荒ぶ雪の中に何かを見出すことは容易ではなかった。

 運よく、私の視界の端に巨大な影が映った。私は思わず心の中で神の名を叫ぶと、気力を振り絞ってその影に向かっていった。

 私は巨大な門前に立った。かなり古い城だ。レンガは美しい青紫の、ちょうどスミレかキキョウのような色で染まっていたが、殆どが色あせて、またくすんでしまっていた。しかも、あちこちで崩落し、いかにこの城が手つかずで長年放っておかれたかを物語っていた。

 私はなんとか中へ入れる方法を探した。もちろんノッカーなど何の役にも立たない。中に人はいないようだった。巨大な門扉はすっかり凍りついていた。私は剣を抜いて氷を削り、体全体をつかって扉を押し開こうとしたが、びくともしない。壁と同じくらい分厚い木製の門扉は、どうやら、内側から柱ほどの閂がかけられているようだった。私はこれも無駄足だったとうなだれ、別の入り口を探してさ迷い歩いた。手はかじかみ、足は重く、吐く息すら凍ってしまいそうだった。冷たい扉に手をかけて、何度も押し引きしていたので、疲労もかなりたまっていた。

 私は窓という窓、壁一面を見渡し、どこかに欠けたところはないか、潜りこめそうな穴が開いていないか、神に懇願しながら探し続けた。その時、不意に風が吹き上げ、私は流されるままに塔を見上げた。

 おお、神よ!

 塔の二階の窓が開け放たれており、ぼろぼろのカーテンがはためいている。私は嬉々として、屋根へ続くレンガの取っ手に足をかけた。こういう上るための小さな取っ掛かりは、屋根の雪下ろしを召使にさせるために、この辺の城では当たり前に見られるものだった――だから、私はあの窓から中へ入るために、屋根に上ることが造作もないことだというのも知っていた――。

 一階の屋根に上がると、あまりに風が強いからか、所々凍ってはいるが、雪はあまり残っていなかった。私は慎重に、瓦の隙間などに手をかけ、足を挟み、ついに目的の窓の下に立った。窓は張り出しで、壁は反るように私の前に立ちはだかった。このねずみ返しを上るには、窓枠に思い切って飛びつくしかない。少しでも足を滑らせたり、風にあおられたりしたならば、神よ。私は真っ逆さまに転げ落ち、あわよくば雪の上、運が悪ければ固い地面にしたたか身体を打ちつけることになるだろう。手はかじかんで、もう凍傷になりかけていたし、足も元気よく伸び上がってくれるとは思えない。それでも野垂れ死にするよりはましと、私は意を決して窓枠に手をのばし、一気に跳びあがった。足元で瓦が何枚か下に転がっていくのを感じた。私の手はしっかりと窓枠を掴み、続いて肘を引き上げて窓枠に乗せ、片足を乗っけることに成功した。

 私は細かいことに気づく性格だったので、そういえば荷物はちゃんと背負っているか、確かめてから身を乗り出した。頑丈な窓枠に祝福あれ、私はそのまま部屋の中に転がり込んだ。私が着地したのは、一瞬外の雪を思わせたが、柔らかな純白のベッドの上だった。あまりにも不釣合いな、そして不自然な光景だ。我が目を疑った。外へ引っぱられて、めちゃくちゃにバタついているカーテンは、穴だらけでいまにも引きちぎれそうだった。それに城の外壁は確かにあちこち崩れていたし、屋根の上も同じような光景だったことを、私は鮮明に思い出せる。ここは存在すら忘れられた古い城であることは、誰が見ても明らかなのだ。それなのに調度品はどれも新しげで、ベッドも整えられたばかりのようだった。

 私は選択を迫られた。用心深く剣を抱えこんだまま、この城の中を隅々まで調べるか、それとも窓からぶら下がって崩れている屋根に下り、この城を去るか。どちらか選ばねばならなかった。しかし疲れ果てた私は、恐ろしい誘惑の力を持った睡魔に屈するしかなく、そのまま寝入ってしまった。

 次に目を開けた時には、窓は閉まっていた。果たして自分で閉めたのだろうか。雪の降りは多少弱まっている。朝だ。私はこの不自然な城で一夜を明かしていた。起き上がって横を見れば、私の身につけていた分厚い装束の数々が、丁寧にたたんで椅子の上に置かれていた。荷物は小さなテーブルの上に、濡れたブーツは、いつの間にか火の入った暖炉のそばに干されていた。明らかに覚えがなかった。これは私のしたことではない。朝、誰かが入ってきて、すべての支度を済ませたのに違いなかった。もしこの廃屋同然の城に誰かが暮らしているとするなら、果たして何者だろうか。

 私は訝しい思いを抑えられず、マントをはおり、剣を懐に隠して、部屋の朽ちかけた戸に手をかけた。

 飢えと乾きも手伝って、私はおよそ食卓のあるだろう階下へと、凍りついた階段をゆっくり下りていった。階段は入り組み、湿気た洞穴のように、暗がりの中をどこまでも下っていく。やっと光が差した時、私は一階の大広間に立っていた。これは昨日、開けることのできなかった門扉の内側の光景だとわかった。昨日は確かにかたく閉ざされていた窓は開け放たれ、ぶり返した吹雪がそのまま、窓から反対側の窓へ吹き抜けていく。床は輝くほどに凍りつき、私は慎重に歩かねばならなかった。

 広間の中央に来たところで、私は何者かの気配を感じた。背筋が凍るような思いがした。吹雪はぴたりと止み、静寂がその空間を支配した。神に祈りつつ振り向くと、私が下りてきたのとは別の階段から、一人の男が現れた。遠くからでも微笑んでいることがわかった。男はそのまま、私が苦労して歩いていた床を、滑るように優雅に歩いてきた。私は指一本動かすことができずにいた。足は床に凍りつき、体も同じように凍ってしまったのかもしれない。

 私はとにかく、その男と目を合わせていられなかった。視線を動かせば、それまで気づかなかったことも不思議だが、壁際には所狭しと骨が転がっていた。神よ、あなたもついに私を見捨てたもうか。それは紛いもなく人の骨であった。いよいよ男の方を見られない私の前に、男は立った。すぐそこにいることは、視界の端に映る、生気のない青白い肌でわかる。あまりの恐怖に、私は、ついにその正体を見極めてやろうと、男の方を見据えたのだった。

 それは見るからに人の姿であり、同時に、人ではなかった。男の眼は不思議な色に怪しく輝き、肌は透き通るように青白かった。長く病に臥せっていた者のように貧弱で、細いつくりをした体だが、上背は私と同じくらいあった。男としっかりと眼が合った。

 それきり、私は意識と呼ばれているものを手放した。

 数日も経っただろうか。私は水滴のしたたる、陰気な地下牢で目を覚ました。唯一差し込む光は、レンガの隙間から漏れてくる松明の光らしい。

 おお、神よ。どうやら私はもうすぐあなたの御腕に。哀れな魂を救いたまえ。男が牢を開けた。そしてこちらへ近づいてきた。男は


 ――インクは鋭いひっかき傷のように下へのびている。旅人はここで、手帳を城主に奪われたのであろう。その後、旅人がどうなったのか、知る術はない。

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