2階の住人
Tさんは大学に通うため、近場でアパートを契約した。
そんなに古くないしドアホンつき。
家賃も予算内で1LDKと条件はよかった。
つい先日あいたばかりで、Tさんは運が良かったと喜んでいた。
入学式をひかえたTさんは引っ越しを終え、1週間前には入居した。
部屋は1階で両隣はもちろん、すぐ上の部屋にも入居者がいて、Tさんはあいさつに回った。
両隣は若い親子で、上は若い男性がひとりで住んでいた。
その夜は蒸し暑く、Tさんは寝つけなかった。
その時。
バターン!
ビリビリビリ…
ドアを勢いよく閉めた音だった。
音と振動がつたわってきて寝室のふすまがビリビリ震えた。
Tさんは乱暴な人がいたもんだとびっくりした。
災難なことに、毎晩それが続いた。
入学式の2日前、騒音でたたき起こされ続けたTさんは、文句を言ってやろうとスマホ片手に待っていた。
音は夜中の2時頃聞こえてくる。
階段がわの、部屋の壁にスマホを立てかけ、録音をはじめた。
Tさんも耳を澄ませていると、男の声が聞こえてきた。
壁はそんなに厚くないので、声はハッキリしていた。
「けっ、なんでえ、ちくしょうっ ふざけやがって……なめてんじゃねえ、えっ、ちくしょうっ」
ダン! ダン! ダン! ガタン!
男はずっと文句を言いながら、底を抜くくらい乱暴に階段を上がっていく。
ダン! ダン! ダン! ガタン!
ダン! ダン!
ガチャ
ドアが開く音、そして……
バーン! バターン!
気がつかなかったが、ドアを短いあいだに2度も、乱暴に閉めていた。
Tさんは録音をおえて眠り、翌日、大家に連絡した。
さっそくスマホの録音を聞かせたが……変だ。
おかしいなあ。
サー…プツ、ブツブツ…サー…
何にも音が入っていないのだ。
でも、男がドアをしめたあたりで、部屋の中の壁やふすまが震えるビリビリッ! という音はしっかり入っていた。
「あんなに大声でわめいてたのに」
不思議がるTさんに、大家はため息をついた。
「良かったら別の棟の部屋へ引っ越しませんか」
同じアパートでも、部屋の引っ越しをすすめられるのは珍しいことだ。
不審におもったTさんは、その夜、ドアホンをつけて待っていた。
深夜2時……男の声がしはじめた。
「けっ、なんでえ、ちくしょうっ」
また同じセリフだ。
酔っぱらっているんだろうか。
2階の若い男かと思ったが、声の主は中年の男という感じがした。
Tさんは戦慄した。
ドアホンの映す玄関ポーチの映像が乱れはじめ、階段がわの画面だけ砂嵐になった。
声も不鮮明になった。
Tさんは思いきってドアを開けた!
「ちくしょうっ」
ダン! ダン!
ガチャ…
静かだった。
外に出てみるとなんにも聞こえなかった。
Tさんは背中におぞけが走って、台所から塩を持ってきて玄関に巻いて、布団をかぶった。
もちろん、眠れなかった。
入学式には何とか出席した帰り、新しい友人の面々とカフェに入り、連絡先を交換した。
「みんなどこ住んでんの?」
自然とその話になった。
「俺は地元なんだ」
「俺は駅前」
「よく部屋がとれたな!」
Tさんはボソボソと「◯◯ストアのとこのアパート」と言った。
二人はへえ、便利じゃん! と言った。
しかし、地元の出身だという一人は顔をしかめた。
帰り道、地元民の友人がTさんを追いかけてきた。
「あのさ、大丈夫かよあそこ」
「え…うん…ちょっとおかしいことはあった」
疲れきっていたので正直に答えると、友人は気の毒そうな顔をした。
「すぐ引っ越しな。あそこ人が死んでる」
「えっ」
友人によると、数年前、新聞にも載った事件らしい。
居酒屋のバイトをしていた女子大生が、店で客と口論になった。
まったくのとばっちりらしいが、客の中年オヤジは女子大生を待ち伏せてアパートまで尾行した。
女子大生は2階の部屋まで逃げ切ったが、オヤジはドアに体をはさんで部屋に押し入ろうとした。
パニックになった女子大生はオヤジを思いきりドアにはさみ、オヤジがうめいて体をひっこめたので、間髪いれずにドアをしめた!
バキャッ!
そんな音がしたかもしれない。
女子大生は、オヤジの首をドアではさみ、骨を折って殺してしまった。
裁判では正当防衛が認められた。
話をきいてゾッとしたTさんは、さっそくその日のうちに荷物をまとめ、夕方には地元の友人の家へ泊まらせてもらう話がついた。
引っ越しのあいさつに回ったが、両隣はずいぶん急ですねえ、と言ったくらい。
たぶん事件のことは知らないんだろう。
大家も不動産屋も、評判が落ちるから事件のことは隠していたんだろう。
引っ越すことにして落ちついたTさんは、最後に2階へあいさつに行った。
「あれ、今度は早かったな」
Tさんは思いきって聞いた。
「あの、夜中に何も聞こえませんか」
「やっぱりね、なんか出てんだね…いや、俺はそういうの感じないからさ、何も聞こえないけど」
「えっ 事件があったのは」
男はまわりをキョロキョロたしかめて、ここじゃなんだから、とTさんを部屋に入れた。
麦茶が出された。
「そう、この部屋だよ。玄関はフレームから何から総取っ替えしてるし、家賃がちょっとだけ安く済んでる。事故物件だしなあ」
Tさんは疑問がわいてきた。
「あのう、こんなこと聞かれても困ると思うんですけど…僕も霊感とかないです。なのに、どうして僕だけ? 両隣も夜中の音は聞こえてないみたいで」
「ああ、部屋のせいじゃない?」
「部屋の?」
「あの事件、ホントにかわいそうでさー。死んだ男とケンカ騒ぎした女子大生、いま君が住んでる部屋を借りてたらしいよ。男は同じ時間にちょうど帰って来た、この部屋の女の子と女子大生を見間違えて、襲ったわけ。勘違いで殺人犯になってしまった女子大生! とかいって、けっこうニュースでも取り上げてたんだよね 」
「ええっ」
「まあ、君みたいに他県から大学に来てるコはまず知らないでしょうね」
それでみんな出ていったんですか、と尋ねると、男は首をふった。
「最初の1週間は騒音で、俺も何度か呼び出されたりしてたよ。でも1週間経つと、今度はドアを叩きはじめて、部屋に入ってくるって」
Tさんが何か言いたげにしていると、男は説明した。
「君の前の人が調べるだけ調べて、慰謝料とって出てったんだけど、そん時聞いたんだ。死んだ男、警察が来たときはかろうじて生きててさ、違う、この女じゃないってうわごと言ってて。救急車に乗せられるとき、騒ぎを聞いて出てきた1階の女子大生を見て、あいつー、あいつー、って指さしたとか何だとか」
Tさんは震え上がって、次の日には少し遠いアパートを契約して、友人たちに手伝ってもらって三日後には引っ越した。
大家は違約金をとらなかったかわりに、あんまり口外しないでほしいと念をおしてきた。
Tさんは早く忘れたかったので、言われなくても、この話を言いふらすつもりはなかった。
四年後、Tさんは卒業式前にアパートをひきはらった。
ちょうど◯◯ストア前の道を通りかかったので、おそるおそる、例のアパートを確認した。
2階の部屋のカーテンは変わっていなかったが、1階のあの部屋は、まだカーテンがかかっていなかった。




