始まり
平安の世
まだ妖が多く存在していたこの時代に大変名の知れた偉大な巫女がいた。
「お下がり下さい。あの者は妖に憑かれております。」
「巫女様!どうか…どうか息子をお助け下さい!」
富豪の息子の様子が狂いおかしくなったと使いの者がこの巫女を訪れてきたのはつい先程の話。
巫女はあらゆる準備をし万全の体制で富豪の家に向かったが、目の前にいたのは人としての魂の原型がなくなりつつある青年だった。
巫女自身払えるか分からないほどの強い相手。少しだけ震えている手をキュッと握り、巫女は男に言った。
「先に言っておきます。ご子息はもう手遅れかと」
「そんな!?大金を払うんだぞ、なんとしても助けろ!!」
「魂が…もう人でなくなりつつある。憑いてるのはとても強い悪鬼です。被害を広げたくなければ、次男を連れてお逃げ下さい。」
「そんなっ大切な跡取りなのにか!?」
「今回は私でも払えるか分かりません。もし、私が日の半ばを過ぎても戻らぬようならコレをこの家の西の隅にお刺しなさい。」
そう言って富豪の男に渡したのは札の貼られた杭だった。
巫女の真剣な顔にグッと顔を歪めてまだ幼い次男を連れ去っていく。
その姿を最後まで見届けて巫女は悪鬼に語りかけた。
「さて。どうしたら出ていきます?」
「出ていかぬ。我はこの家の者の仕打ちによって生まれた怨念よ。末代まで祟り一族を絶たせる」
「はぁ。とんでもなく恨みを買っていますね。ですが息子はよく出来た人格者と聞いてますよ。」
「知らぬ知らぬ!!あの男に取り憑いてもつまらぬ…もっと苦しめばよい!!」
「…そう、ですか。ならば息子は返していただきましょう。恨みならばあの男に向ければよい。」
それからすぐだ。けたたましい悲鳴と激しい光が富豪の家から漏れ出て野次馬も集まってきたのは。
不穏な空気がブワッと通り抜けてカラスも逃げ出した屋敷の前では富豪の男がゴクリと固唾を呑み成り行きを見守っている。
するとフラフラの足取りで酷く痩せこけた青年が中から出てくるのが見えた。
男はすぐにその青年の肩を抱き、歓喜に溢れた声を出しては軽やかに屋敷から距離を取った。
「おぉ息子よ!よくぞ無事に戻った!!」
「ちち…うえ…」
「あの巫女め、よくも諦めろなどとふざけた事を言ったものだ!!まぁよい、息子さえ帰ってくればあのような気味の悪い女子なんぞ用済みよ!!」
ペッと屋敷に向かって唾を吐き悪態をつく姿に集まった野次馬から非難の囁きが流れる。
助けられた青年はホロホロと涙を流し、父の持つ杭を掴んで覚束無い足取りで西の隅へと向かっていった。
「な、なにをするんだ?」
「巫女様が…私を助ける代わりに身代わりになると…」
「は?」
「この屋敷ごと…私に取り憑いた悪鬼と巫女様を封印します。」
「なにを言う!?ならば我々はどこに住めばよいと言うんじゃ!!あの巫女め、息子を誑かしおって笞刑では済まさぬぞ!?」
「父上!!今回私に取り憑いた悪鬼は父上の仕打ちによって生まれた怨念の塊にございます!!…もう、止めましょう。もう我々をお助け下さる巫女様もおりません。」
「ぐっ」
「あれほどのお力を持った僧侶もおりませぬ!!私は生まれ変わってもこのご恩は忘れません…」
大粒の涙を流し倒れながらも必死に杭を打とうとする姿に野次馬までもが涙を流し皆で杭に手を伸ばす。
そのまま男の怒鳴り声を無視して全員で差し込めば青白い光が五芒星に輝き”ありがとう”と声を残して屋敷は一瞬で廃れた。
男は愕然と座り込み口をパクパクとさせている。
青年は深く深く頭を下げ手を合わし感謝の言葉を紡いだ。
「私は忘れませぬ。何度生まれ変わろうとも決して…」
それから富豪の家はみるみる衰退していき時代が変わる頃にはもう、当時の面影を残さなかった。