【5話】発出
―翌日。舞ノ濱高校1-E教室。
入学から三日目。
教室では既に、グループが出来上がっていた。
しかし熾埜は相変わらず、同じクラス内に親しい友達ができずにいた。
熾埜は教室に入り、カバンを机の上に置いて席に座った。まだ授業が始まるには少し時間があり、周りの生徒たちは友達と話しながら準備をしていたり、スマホをしながらホームルームが始まるまでの時間を潰している。
教室のドアが開き、赤茶の髪を軽く結んだ女子生徒が入ってきた。彼女はすぐに熾埜の席に向かって歩いてきた。
「ねぇ、アンブラルーシス好きなんだ?」
熾埜は少し驚いた様子で顔を上げた。
そこに立っていたのは、まだ話したことのないクラスメイト──嘉神 美緒。
どこか不良っぽさを感じさせるその立ち姿は、教室の中でもひときわ目を引く。
無愛想というわけではないが、どこか男っぽくてズバズバものを言いそうな雰囲気があり、
熾埜とはまるで正反対──おとなしくて空気を読みがちな彼女からすれば、まるで別世界の人間のようだった。
「え?あ、うん、好き……です」
美緒はニッと片方だけ口角を上げると、熾埜のカバンについたキャラを指差した。
「だよなだよな!カバンにMahwooつけてたからそうかなって! ──MAHIRO推し?」
「うん、MAHIRO推しで……」
そう言いながらも、急に距離を詰めてきた美緒に少し戸惑う熾埜。だが、美緒は気にした様子もなく、むしろ嬉しそうに言った。
「マジか、MAHIRO推しいいね〜!うちはYUDAI推し!つか、クラスにルーランいると思ってなかったわ。やっと見つけたって感じ」
「私も嬉しい!嘉神さんはYUDAI推しなんだね!」
「もうバリバリ好きよー!現場も追ってるし、グッズとか新曲も即チェック。」
美緒が嬉しそうに言うと、熾埜の目がぱっと輝いた。
「え!すごい!現場も行ってるんだ!」
目を丸くして感心する熾埜に、美緒は表情をゆるめて言った。
「てか呼び方。美緒でいいから。さん付けとかやめて、なんか照れるし」
「あ、うん…!じゃあ美緒ちゃん?で」
少し戸惑いながらも、勇気を出して呼び方を変える熾埜。
「はは、なんだよその“ちゃん”の間!まぁそれでいいや」
美緒が笑いながら軽く肩をすくめると、熾埜は少し頬を赤らめながら答える。
「なんか、まだちょっと慣れなくて恥ずかしい」
「慣れる慣れる!てかさ、もっとラフでいいって。今のままだと話しづれーし」
「ふふっ…、もう少しラフに話せるように頑張るね」
お互いに小さく笑みをこぼしあった、ちょうどそのとき──教室のスピーカーからチャイムの音が鳴り響いた。
キーンコーンカーンコーン……
「っと、チャイムか。じゃ、またあとでな。休み時間あったら話そーぜ」
気軽にそう言って手をひらひらさせながら、自分の席へと戻っていく美緒。
そう言って美緒は軽く手をひらひらさせながら、自分の席へと戻っていった。
ほんの数分の会話だったけれど、熾埜の胸の奥にはじんわりと暖かい何かが残っていた。
こんなふうに自然に話せる相手が、同じ教室にいる。
──それだけで、今朝の景色が少しだけ明るく見える。
彼女は静かに深呼吸をして、前を向いた。
(アンルシ好きでよかった…)
心の中で嬉しさが込み上げた。
今日という一日が、昨日までと少しだけ違う気がした。
――――
――一限目後の休み時間、1-B教室
「ねー、だれか消しゴム落とした?机の下に転がってきたんだけど」
そう言いながら、咲凪は教室の真ん中あたりでしゃがみ込み、小さな消しゴムを拾い上げた。
「それ、俺のかも!青いやつ!」と手を挙げたのは、咲凪の斜め後ろの席の男子。
「お!良かった持ち主見つかって」
そう言うと咲凪は消しゴムの持ち主である男子の所まで寄っていって消しゴムを返した。
「いや〜流石学級委員長、気が利くわ、サンキュー」
「咲凪〜あたしのペン見なかった?水色のやつ、まじで行方不明なんだけど」
と声をかけてきたのは、咲凪の友達である森 杏菜。
「杏菜またモノ無くしたん?毎日なにかしら探してるじゃん。てかそれ、ポケットの内側に刺さってるやつ違うの?」
「……ほんとだ!まじ咲凪神だわ〜」
「ほんと、ババアじゃないんだからしっかりしてよ〜」と、咲凪が小さく笑う。
咲凪が振り向いたそのタイミングで、近くにいた別の女子がふと立ち止まり、目を輝かせて声をかけてきた。
「咲凪ちゃん、そのカーデかわいい!」
「え、ありがとー!やっぱ似合ってる?舞高の制服割と可愛いから好きなんだよねー」
「うんうん!咲凪ちゃん美人さんだからなんでも似合うよ」
その様子を見ていた別の男子がぼそっと呟く。
「龍禧さんってさうるさいけど気が利くよな」
「うるさいって言ったな今〜?」
即座に咲凪が反応し、軽く背中をペチンと叩く。
「イタッ、褒めたつもりだったのに!」
「そーゆーのはちゃんと“癒し”とか言っとけ、語彙力足んないぞ、男子!」
そんなやり取りに、周囲はまた笑いに包まれ、和やかな雰囲気が教室に広がっていく。
気づけば、咲凪のまわりには自然と人が集まっていた。
まだ新学期が始まって数日だというのに、咲凪はもうクラスの中心にいる。
ちょっとだけ口は悪いが、誰よりも周囲に気を配り、彼女が教室にいるだけで、空気がふわっと明るくなるようなクラスのムードメーカー的存在になっていた。
――――
――昼休み。舞ノ浜高校中庭・自販機前にて
翔真が自販機の前で「べーリィメロンサワー」のボタンを押す。
ゴトンと落ちたジュースを手に取った瞬間、表示が「売切」に変わる。
「……お、最後の1本か。ラッキー」
その直後——
「うわ、マジで?!メロンサワー売り切れじゃん……」
翔真が振り向くと、そこにやってきたのはなんと昨日の帰り道で見かけたあの黒埼燦斗。
自販機をのぞき込んで、ため息をつく。
「昨日はぶどうサワー売り切れだったんだよな。今日はメロンサワー飲みたかったのにサ。俺、タイミング悪すぎ?」
翔真は少し困ったように、手にしたべーリィメロンサワーを見せる。
「……悪い。メロンサワーこれで終わりだった」
燦斗はチラッと翔真の方を見ると、軽く目を細めて笑った。
「ハハハ!いやいや、別に謝んなくていーのに。!運が君に巡ってきただけでしょ」
「……?」
「また明日買いに来ればいーだけだしな」
その口ぶりに悪意はなく、あれだけ欲しそうにしてたのに、どこか他人事のように淡々としている。
「明日は飲みたいの買えるといいな!」
そう言って翔真が去ろうとした時、燦斗が話しかけてきた。
「てか、キミさ龍禧翔真くんでしょ?」
「そうだよ。てか、俺の事知ってんだ」
「知ってるも何も。たしか…去年の県大会、団体戦で決勝までいってたでしょ? 十景中空手部だったけ。動画で見たことある」
思いもよらぬことを燦斗が口にしたので、翔真は少し驚いた。
(あの試合をまさか、観てたとは)
「へーよく知ってんね!黒埼くん空手とか興味あるんだ」
「まーね。あんま俺、人にキョーミ無いんだけどサ。とくに“目立つ奴”だけは覚えてる」
「なんだそれ、どーいう意味?」
翔真は燦斗の言葉に少し警戒しながら問いかけると
その時、購買の方から声が聞こえた。
「おーい!燦斗、早くしないと購買のパン、売り切れるぞー!」
燦斗は急にくるりと背を向けそのまま振り返らず、片手をひらひらと振りながら言った。
「さあ?気になるならまた話そうぜ。じゃーね、マッシー」
「ま、まっしー?何それ俺の事?」
戸惑う翔真を背に、何事もなかったかのようにスタスタと去っていく燦斗。
気がつけば周りの生徒たちも何事かと気にするようにちらちらと此方を見ていた。
去っていく燦斗の後ろ姿を見ていると、周りの人だかりから瑛祐が飛び出してきた。
「翔真、焼きそばパン2個買ってきたぞ!柔道部みてーな奴に押し潰されそうになったけど、なんとか頑張って手に入れてきた!!」
「お、さすが瑛祐!サンキュー!これ食べたかったんだよ」
「よし!さっさと戻って食おーぜ!」
ふたりは袋を片手に軽快な足取りで購買前に集まっていた他の生徒たちをすり抜けながら、階段を駆け上がった。
教室に戻った翔真は、机に座ると自分の目の前にあるジュースを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……変な奴だったな。でも皆が言うほど悪そうな奴にはみえなかった。」
そう言うと、袋から焼きそばパンを取り出し、一口頬張った。口の中にソースの香ばしさとパンの甘みが広がる。
「……うまっ。やっぱ購買の焼きそばパン、間違いねぇな、ハマりそうだわ。」
翔真はパンを美味しそうに食べながら、窓の外の景色に目を向ける。
教室の窓からは坂の下に広がる街と、その向こうに淡く光る海が見えていた。
青く霞んだ水平線の上を、ゆっくりと船が通り過ぎていく。
(――購買遠いけど、たしかに3階からの景色は眺めがいいし悪くねーかもな)
窓から吹き込む風が、カーテンの裾をやさしく揺らす。
教室のざわめきも、瑛祐が近くでストローをズズズっとすする音さえも何故か心地よく感じた。
――――
――同刻。時環市郊外にある地下深く隠された場所。
終戦直後に閉ざされたはずの防空壕のさらにその先。
人気のないはずの通路を、歩く人物がいた。
――カツ、カツ、カツ……カツ。
やがて、その足音は鋼鉄で出来た扉の前でぴたりと止まった。
謎の人物は手慣れた様子で、己の掌をかざす。
内蔵された認証装置が認証完了すると、重々しい音と共に扉がゆっくりと開いた。
扉の奥には、薄暗い通路が続いていた。
天井と足元には複数の管が這っており、どこかの機械と繋がっていた。
さらに奥に進むと、コンクリートで造られた無機質な空間に、低く唸るような機械音が反響していた。
鉄と薬品が混じり合ったような、独特な匂いが漂っている。
その最奥――
闇の中から、ゆっくりと円形の台座が浮かび上がる。
その周囲には、六本の柱が結界のように静かにそびえ立ち、中央には一基の“菅”が厳かに鎮座していた。
菅の底部から泡立つような気泡が立ちのぼると、液体の中央から黒く脈動する臓腑が、ゆっくりと上昇し、姿を現す。
その直後、機械音声のアナウンスが響き渡る。
「識別コードLUX-03、対象物SYN-Δ1。抽出フェーズに移行します。」
突如、カシャン……という音とともに、菅の内部に格納されていた金属アームがゆっくりと展開する。
蜘蛛の脚を連想させるようなアームの先端が、黒い臓腑の輪郭を正確に捉え、慎重に掴み上げた。
菅の下部から、わずかな振動とともに排出機構が作動し、内部を満たしていた液体が、底部の隙間からゆっくりと吸い出されていく。
液体が全て排出されると、ガラス面が左右にスライドし、
ゆっくりと開く。冷気と共に、紫がかった蒸気が中から漏れ出した。
その光景を静かに見ていた謎の人物は、無言のまま一歩踏み出す。
黒手袋をはめた手で、アームが掴んでいた臓腑をそっと受け取る。
触れた瞬間――臓腑がビクリ、と震えた。
そして、表面から淡い紫光がじんわりと滲み出す。
謎の人物は、その様子に一切動じることなく、用意されていた特殊ケースを開く。
黒い臓腑は、謎の人物によってゆっくりと、丁重にケース内に納められた。
ケースが閉じられると、カチャリと密閉のロック音が
する。
謎の人物は無言のまま、慎重にケースの取手を握る。
重さを感じさせぬ静かな動作で、それを持ち上げると、わずかに肩を傾けた。
そして通路の奥、赤く点滅する非常灯の下、再び靴音をたてながら、暗闇の中へと姿を消した――。