【24話】美影
―四日の夕方四時過ぎ。
スタジオのメイクルーム。
天井の白いライトが照らす中、燦斗は鏡の前のハイチェアに腰掛け、視線を落としてスマホをいじっていた。
その隣、鏡の前に座っているのは、神来社学園に通うモデル仲間の赤坂 凜々愛。
ぱっちりとした目元にライトが反射し、その瞳は輝いて見えた。
マスカラをまつ毛につけながら、時折ちらちらと燦斗に視線を送っていた。
「……てかさ、今日の燦斗、ちょいテンション低くない?」
燦斗は目を瞬かせ、手元のスマホから顔を上げる。
「え、マジ?そう見える?」
「見える見える。いつもならさ、オレ、今日もカッコイイな〜とか言いながらニヤニヤしてんじゃん、モデル魂どーした?」
彼女の冗談めいた軽口に、燦斗は小さく笑いながら髪をかき上げた。
「今日はちょっと寝不足気味でさ。そのせいかもな」
そう言って視線を手元に戻すと、再びスマホをいじり始めた。
「……まーた兄貴にでも連絡してんの?」
「いや?違うけど」
「ふーん。いつも『飯いらん』とか『遅くなる』とか、めっちゃマメに連絡してるじゃん?」
そう言いながら、毛先を指でつまみつつ、チラッと彼の横顔を盗み見る。
燦斗は何も言わず、伏し目がちにスマホをいじっていた。
その様子を見て、凜々愛は唇をとがらせながら言った。
「……って、無視かいっ」
燦斗はスマホから視線を上げることなく、ぼそりと返した。
「……親いねーから、代わりに連絡してるだけ。」
その声は淡々としていたが、どこか冷たさを感じた。
「へぇ~~~?」
凜々愛はわざとらしく語尾を伸ばして言う。
だが、その視線は、鏡越しに映る燦斗の表情をじっと探るように見つめている。
(……絶対なんかある。このテンション低さ、兄貴関係でしょ。)
いつもの調子を装って燦斗に話しかける。
「……ちょい気になってたんだけど。煌希くんってどんな人?ウチ、見たことないからさ」
そう言われると、少しだけ間を置いた後、彼は素っ気なく答えた。
「……おっかねー奴」
燦斗は、鏡越しにちらりと凜々愛の方を見た。
その眼差しに、何か引っかかるものを感じたが、凜々愛は気づかないフリをして話を続けた。
「えー、マジで?見た目が?それとも中身?」
「両方」
今度は即答だった。
燦斗は椅子の背にもたれながら、スマホを無造作にポーチへ突っ込んだ。
「口悪くて、短気で喧嘩っ早い。んで、プライド高いから誰にも本音は見せない。ま、そんなとこ」
「……へぇ〜そうなんだぁ〜。」
(感情見せない無口系……でも喧嘩っ早いって……え、ギャップありすぎじゃん……!!)
一切輝きのない虚ろな目でぼーっとしている燦斗とは対照的に、凜々愛は興奮してるのが顔に出ないよう必死に抑えていた。
「でもさぁー、燦斗はその兄ちゃんに、ちゃんと連絡とかしてるわけじゃん?嫌いってワケじゃないんでしょ?」
凜々愛は無邪気なふりをして、さらに踏み込む。
だが、返ってきた言葉は、やけに冷たかった。
「……別に。嫌いでも好きでもねぇよ」
ぶっきらぼうに答えると、燦斗はそれ以上は話す気がないとでも言うように、彼女から視線を逸らした。
凜々愛が言葉を探して口を開きかけた、その時――
スタジオの奥から、ヒールの音と華やかな香水の香りが漂ってくる。
「なになに、二人でコソコソ話しちゃって〜!!」
軽やかな声が、背後から聞こえてきた。
現れたのは、二人のメイクを担当するスタイリスト
―浅霞 珠利(通称:ジュリ姐)だった。
颯爽と入ってきた珠利は、足を止めてふたりの顔をきょろきょろと見比べた。
「ねぇちょっと、凛々愛ちゃん? 顔赤いけど……もしかして…恋バナでもしてたの〜?!」
「ち、違うし!!!」
凜々愛が照れながら返事すると、珠利は「冗談よォ〜」と笑いながら答え、燦斗のほうへ顔を向ける。
「で、燦斗ちゃん……アナタ、夜更かしでもした?」
燦斗は少しだけ目を見開き、視線を逸らすと小さく呟いた。
「……バレた?」
珠利は目を細めてニヤリと笑うと、わざとらしく指を振って言う。
「フフ、アタシが見逃すワケないでしょ?目の下の色ムラと涙袋のハリ、あとまぶたの沈み具合を見れば……寝不足なの、バレバレよ〜!!」
燦斗は肩をすくめ、片眉を僅かに上げて笑った。
「さっすがー。まぁ、ジュリ姐がなんとかしてくれるっしょ?メイクの魔法ってやつ」
笑いながら言う燦斗の表情を見て、珠利はさっきまでとは違う真剣な眼差しで、顔を覗き込み問いかけた。
「……燦斗ちゃん。最近なにか悩み事、あるんじゃないの?」
燦斗は後ろで手を組んだまま、口元を緩め、軽く鼻で笑った。
「えーナニ、そう見えんの?なら勘違い。ジュリ姐、気にしすぎ」
珠利は、ほんの少し間を置いた後、すぐに笑みを戻して片手をひらひらと振った。
「まぁいいわ!メイクで誤魔化してあげる。撮影はいつでも映える完璧な顔で挑まないとね~?せっかくのイケメンが台無しよ!!」
そう言うと珠利は迷いなく、メイクボックスからピーチカラーの下地を取り出した。
慣れた手つきで目の下の部分にのせると、パフを使って優しく叩き込む。
燦斗は何も言わず、ただ静かに、鏡に映る自分と目を合わせる。
凜々愛は何気ない素振りでアイロンを巻きつつも、燦斗の横顔に視線を送っていた。
(……やっぱなんか隠してるっしょ。ウチの勘、わりと当たるし。ほんと男子って分かりやすくて……)
そんなことを考えながら、よそ見していた凜々愛は、気が逸れていたのか、手元のヘアアイロンを少しずらしてしまった。
「っ!――あっつ!!」
ヘアアイロンの高熱で火傷した指先を押さえながら、声を上げた。
その声を聞いた別のスタッフが、慌てて冷たいタオルを持ってきて、凜々愛に差し出した。
「ありがとうございます〜!」と少し苦笑いを浮かべながら、タオルを受け取ると、じんわり熱を持った指先にそっとタオルを当てた。
その様子を見た珠利は、目を丸くし、燦斗にファンデーションを塗っていた手を思わず止める。
「ちょっと…!!凜々愛ちゃん、大丈夫なの!? ほら、しっかりタオルあてて…ちゃんと冷やしなさいよ?」
心配そうに覗き込みながら、そっとタオルを押さえる凛々愛の手に目をやる。
「やっべ〜、ちょっと火傷したかも……イケメン観察してる場合じゃなかったわ~」
照れ笑いする凜々愛を横目に、燦斗は小さく吹き出した。
「ふっ……バカでしょ、マジで」
凜々愛は少し拗ねたようにして、燦斗に言い返す。
「なにそれ、心配ゼロとかエグくない?燦斗の人間性、絶対バグってるよね?!情緒迷子になりそ〜」
しかし、そんな彼女からは痛たがってる様子や焦りは全く感じられなかった。
(……ま、こんなのすぐ治るし?ウチにとっちゃ、ちょっと熱かったかなぁ?くらい)
指先を僅かに動かし、タオルをそっと離す。
少し得意げな顔で、二人に指先をひらりと見せる。
「ほらほら、もう平気〜!ちょっと焦ったけど、全然分からないでしょ?」
珠利が小さくため息をつきながら、凜々愛の指先に目をやる。
「はァ………治ったのならよかったけど…見てるこっちは心臓ヒヤヒヤしたわよォ〜?」
凜々愛は笑いながら指を引っ込めると、「ご心配おかけしました〜」と軽く珠利の方に向かってお辞儀をした。
そんな二人の様子を静かに見ていた燦斗は、一瞬だけ表情を和らげた。
鏡越しに映る自分の顔に視線を戻すと、そっとまぶたを閉じ、ひとつ息をつく。
珠利はデスクに置いていたパフを手に取り直し、燦斗の顔にそっと当てて、ファンデーションを丁寧にのせていく。
燦斗は閉じていた目をゆっくりと開いた。
先程まで虚ろだった瞳には、ほんの少し光が宿っていた。
白いライトが降り注ぐメイクルームには、静けさと、撮影前の緊張感が漂っていた。
――――
――同刻。
繁華街の外れにある小さなお店「Lián Rouge」のバックヤード。
照明の届かない壁際には段ボールが積まれている。
端に置かれたルームフレグランスからは、ほんのりとウッドシダーの香りが漂っていた。
そんな中、宰は入荷されたばかりの洋服にタグを付けていた。
「……はぁ〜、眠たか。俺、こういう単調な作業が一番苦手かもな…。」
誰もいない空間の中、退屈そうに欠伸をすると、ふっと気の抜けた表情を浮かべた。
扉の向こうからは、ジャズのBGMとスタッフの笑い声が聞こえる。
それがかえって、この空間の静けさを際立たせていた。
穏やかな香りと静けさが混ざり合い、宰の瞼はますます重たくなる。
背もたれに体を預けたまま、意識が徐々に遠のいていく。
睡魔に襲われ眠りかけていたその時――
沈黙を破るかのように、聞き慣れた通知音がバックヤードに鳴り響く。
宰はサッとポケットからスマホを取り出すと、内容を確認する。
『アイツらが追ってた男と接触した。詳しい話は後で』
返信を読み終えると、宰は目を細めた。しかし返信することなく無言のままポケットにスマホをしまう。
そして何事も無かったかのように、作業を続ける。
指先の動きは、さっきまでの気だるさは微塵も感じられなかった。
――――
――曇天の下、空気はやけに湿っぽく、辺りはまだ夕方だというのに薄暗かった。
人気のない廃ビルのコンクリートの壁面の前に一人佇む人物がいた。
白と黒を基調とした軍帽とコート、あちこちに散りばめられた銀の装飾とアクセサリー。
彼の姿は、この風景に不釣り合いで、どこか異質だった。
銀髪を斜めに流したその青年は、黒い手袋をはめ直し、ゆっくりとスプレー缶のキャップを外す。
右手には黒、左手には紅のスプレー。
目を細め、コンクリートの壁に向かって軽く息を吐くと、静かに塗料を吹きつけ始めた。
まず中央に描かれたのは、逆さ十字。
その鋭く尖ったラインの真ん中には、大きな瞳。
まるでジッと見られているような、不気味さを放っていた。
背後には、黒鴉の羽を大きく広げたようなシルエットが重ねられていく。周りには複雑な歯車の円環が連なり、やがて壁面いっぱいに広がったアートは異様な雰囲気を放っていた。
彼は一歩下がって、出来上がった作品を見上げると、口元を歪めて小さく呟く。
「……神は視ている。」
――――
―繁華街から外れた細い路地裏。
コンクリートの壁面には沢山の広告が貼られていた。所々、剥がれた跡が残り、ポスターはどれも風雨に晒されて色褪せている。
軍帽を目深にかぶった青年が、折りたたまれた何十枚ものポスターを抱え、雑居ビルの谷間を静かに歩いていた。
青年は足元に転がる空き缶を踏み越えながら、壁際で立ち止まる。
無言のまま壁に貼られた破れかけの広告に手を伸ばし、指先で端をつまむと、ビリリと音を立てて引き剥がした。
手にしたポスターを一枚手に取り、慎重に角を合わせ壁に貼り付ける。
貼り出されたポスターには、意味深なスローガンが印字されていた。
「Beauty lies in uniformity.」――(美とは、均一にある。)
「This city sees with one eye. And we are that eye.」
――(この街は一つの目で見ている。そしてその目が、我らだ。)
「Break the mask. Embrace the eye.」
──(仮面を壊せ。瞳を抱け。)
青年はポスターを何枚か貼り終えると、その場から数歩後ろに下がり、静かに片膝をついて祈るような姿勢をとる。
「この街でも同志が増えれば……きっとあの方も、お喜びになるだろう」
――――
―薄暗く、街灯もまばらな裏通り。
丈の長い軍服を着た長身の人物が、肩に黒いスピーカーを担いで歩いている。
そのスピーカーからは、金属音と祈祷のような女声の混ざった音楽が流れていた。
電子の歪みと、異国語で囁く謎の声。
不協和音のようで、なぜか耳を惹きつけて離さない旋律。
通行人たちは足を速め、誰もが遠巻きに避けていく。
だが、男は気にする様子もなく、軍帽のつばを指で軽く持ち上げ、首を少しだけ傾けて笑う。
「聞け──これは啓示だ。」
――――
―その様子を暗室のような空間で、一人の人物が見つめていた。
無数のモニターには、街中の監視カメラやドローンで撮影された映像が映し出されている。
壁面に描かれたアート、各地に貼られるポスター、音楽を流す男の歩み。
すべてが鮮明に、映し出されていた。
モニターの光が、その人物の顔を妖しく照らす中、背後の扉が開き、足音が一つ近づく。
「……失礼致します。報告に来ました、アスバ様」
現れたのは、同じく白と黒の軍服を身にまとった部下の一人だった。
彼は深く頭を下げると、目線だけを上げて静かに告げる。
「真なる神となりうる存在が、この街に現れました。」
その「アスバ様」と呼ばれた人物は、振り返ることなく真っ直ぐモニターを見つめたまま、わずかに口角を上げ、うっすらと笑みを浮かべていた。




