表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/31

【23話】逢間

生ぬるい風が路地裏を抜け、砂埃が静かに舞い上がる。


煌希は敵の動きを探りながら、地面に伸びた影に視線を落とす。


対する狐面の男は、微動だにせずその場に立ち尽くしていた。

 

「……どうした?急に止まってんじゃねぇよ」


煌希は唇の端を吊り上げ、拳をゆるく握り直す。


金髪の男は片手で血を拭いながら、ゼェゼェと息を荒げていた。

ボロボロになりながらも、その口元にはまだ笑みが浮かんでいる。

 

「ハァッ……ハァ……フン、”番外の黒咬”の名は伊達じゃねぇってか」


「俺をそこらの“(ザコ)”と一緒にすんな」

「チッ……調子こいてんじゃねぇぞ、黒埼……!!」


金髪の男が喰い気味に鉄パイプを振り抜く。


「ブッ殺してやるッ!!」


ガッ――!!


煌希は身を捻り、ギリギリで鉄パイプを躱す。

掠めた時の風圧が髪を揺らし、鉄パイプはそのまま電柱に当たってゴンッと鈍い音が響いた。

 

「オラァッ!」


煌希が一歩詰め、空いたボディにストレートをぶち込む。

 

「ぐッ……!」

 

男の体が沈んだ瞬間、脚を突き上げ、そのまま顔面を思いきり蹴り飛ばす。

 

「ぐがぁッ……!!!」

「吠えてりゃ俺に勝てると思ったのか?」


低く吐き捨てると同時に、顎にアッパーを叩き込む。


拳が骨にめり込み、男の顔が跳ね上がる。

手に持ってた鉄パイプが宙を舞い、音を立てて地面に転がった。


その音に反応し、狐面の男とやり合っていた喉元に傷のある男が振り向く。


そして――、煌希めがけて突進してきた。 

 

「黒埼てめぇッ!!」


煌希は壁を蹴って跳ね、突進してくる男の攻撃をギリギリでかわす。


真横に飛ぶように体を抜けさせ、男の足が止まったその瞬間。


煌希は地面に着地すると同時に踏み込み、すかさず相手の首元に腕を回し込んで、背後から勢いよく拳を叩き込んだ。

ドンッ!


拳が背中にめり込む。


衝撃で男の体がよろめき、壁際まで押し出された。

激突しそうになる寸前、咄嗟に両手を突き出し、なんとか踏みとどまる。


息を荒げたまま振り返り、こちらを鋭く睨みつけた。

 

「………お前のパンチ、重てぇのは認めてやるよ」


男が肩を揺らしながらニヤリと笑う。


「俺はこの程度じゃ落ちねぇんだわ」


「……ああ、そうかよ。だったら――」


煌希はゆっくりと構えを取り、首を左右に捻りながら手の関節を鳴らした。

 

「とことん付き合ってやるよ、最後までな」

感情なんてとっくに捨てた。


相手が動かなくなるまで容赦なく叩き潰す――

それが煌希の喧嘩だった。


ストレート、アッパー、蹴り――呼吸と同じリズムで、止まらずに入れる。


一発目で削り、二発目で折り、三発目で沈める。

 

「うぐッ……!!」


反動で吹き飛び、壁に叩きつけられた男が膝をつく。

そこへ狐面の男が忍び寄る。

 

「……挟むつもりか、舐めてんじゃねぇぞ」


喉元に傷のある男が呟いたのと同時に、狐面の男が先に動いた。


しかしタイミングを計ったかのように、狐面の男の拳を捻り返すように受け止めると、肘を叩き込む。

ゴッ――!


狐面の身体がわずかにたじろぐ。


「さっきから邪魔なんだよなァ、お前さんはよッ!」

 

眼鏡をかけた男が割り込むように横から飛び出してきた。

所持していたドスの代わりに、拾った鉄パイプでなりふり構わず襲いかかってくる。


ガンッ!!

 

狐面がバックステップで距離を取ると同時に、男は振り返り、喉元に傷のある男に向かって叫ぶ。


「岩元さん…遊びはそろそろ終いだ。コイツを先に殺るぞ」


眼鏡の男の呼びかけに応じるように、喉元に傷のある男――岩元が立ち上がる。


二人は狐面の男を中央に挟むように動き、左右から同時に仕掛けようとした――その時。

「…おいおい、俺の存在、忘れてねぇよなぁ?」


鋭い声と共に、煌希の脚が喉元に傷のある男の側頭部に深くめり込む。

 

―ガッ!!


「っ!!…あ゛っ……」


鈍い音が響き、岩元はアスファルトに崩れ落ちた。

鉄パイプを手にした男がその様子に動揺し、思わず動きを止める。


その隙を狙って、狐面の男は背後に回り込む。

 

無言で眼鏡をかけた男の肘を取り、後ろへ引きずり倒す。

地面に叩きつけ、すかさずパイプを蹴り飛ばすと、仮面越しに冷たく見下ろす。


煌希は腕を組んで壁にもたれかかり、静かに岩元を見下ろしていた。


「さっきまでの威勢はどうした?“その程度じゃ落ちねぇ”んじゃなかったのか?」

 

「……お前のその態度、どうにも癪に障んなァ!!」

 

荒い息を吐きながら、岩元が再び立ち上がる。

顔からは血が流れ、その拳は強く握られ、震えていた。


「おい、何ぼさっとしてんだ越智!!さっさと殺れ」


岩元はそう叫ぶと最後の力を振り絞って走り出す――が、その体はふらついていた。


煌希は僅かに前のめりの体勢になると、拳を構える。


ドガッ!!


煌希の拳が鳩尾に突き刺さる。

その鋭くも重たい一撃に、岩元の目は見開かれ、喉の奥から声にもならない音が漏れた。


越智は地面を這いながら、立ち上がろうとするが――

狐面の男が、上から足で押さえつけ、動きを封じる。


「……ははは、一体何なんだよ。アンタも化け物か?」


笑い混じりにそう呟く越智に、狐面の男は一言も発さない。


冷ややかに見下ろしたまま、脚を上げると、ガッガッと、越智の後頭部を容赦なく踏みつけた。


その衝撃で、越智の掛けていたメガネのレンズが割れた。

砕けたガラス片が地面に散り、割れた隙間から虚ろな目が覗く。

 

「っが、ぁ……っ、やめ……ろッ……」


最後に靴を強く押し当て、地面にねじ込むように踏みにじる。

頭とアスファルトがぶつかる鈍い音が、路地に響き渡る。


煌希は、その様子を無言のまま見つめていた。


仮面の奥、男の表情は見えない。

だが、その背中には何か得体の知れない“冷たさ”があった。

(……何処のどいつか知らねぇが……まともじゃねぇな)


越智はうつ伏せのままひれ伏し、額には血が流れ、割れたメガネがズレて、頬に引っかかっている。

 

倒れ伏した三人の男達からは、もう呻き声すら聞こえない。

埃っぽい空気の中で、血と鉄の匂いだけが残っていた。


煌希は小さく息を吐きながら、ゆっくりと膝を折る。

冷えきったその目に、感情の色は一切宿っていない。


「……誰に言われて動いてんのかは知らねぇけどな」

 

目線を下に向けたまま、言葉を切らずに続ける。


「俺を殺る気なら、テメェの足でここまで降りてこい――とでも言っとけ」 


煌希は立ち上がると三人を一瞥し、狐面の男の方を見やる。

男は何も言わず、拾ったドスをクルリと回し、懐にしまった。


そして仮面の奥から煌希の方を一瞬だけ見ると、

すぐに背を向けて歩き出し、路地の奥へと去っていった。

 

その後ろ姿をしばらく無言で見つめる。


仮面の奥――。一体どんな顔をしていたのか。

そして……アイツは一体、何者なのか。


狐面の男の背中が完全に角を曲がって見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。


煌希はポケットに手を入れると、スマホを取り出した。

画面に目を落とすと、時刻はすでに十八時を過ぎていた。


スマホをポケットにしまい、溜息をつくと、背を向け路地を後にした。

 

やがて、煌希の足音が遠ざかると、辺りは静寂に包まれる。


その静けさの中、伏せたままの越智の肩が、小さく震えていた。


笑っているのか、呻いているのか――。

割れたメガネの奥、片方だけ残ったレンズ越しに覗いた目が、静かに揺れていた。



 

――――

 

 

 

――夕暮れ時の舞ノ濱高校、校門前。


金網越しの空は、淡い朱に染まり始めていた。

吹奏楽部の活動を終えた美緒が、楽器ケースを背負って駆け寄ってくる。


「ごめーん熾埜、待った?」


「ううん。私も今来たとこだから大丈夫!」


門の脇に立っていた熾埜が、スマホから顔を上げて小さく微笑む。


「美緒ちゃん、今日もフルート?」


「うん。下パートでちょっと迷っててさ、先輩に付き合ってもらってたら遅くなっちゃった」

そんな会話を交わしながら、校門を出る。


制服姿の生徒たちがまばらに下校していく中、二人はゆっくりと坂を下り、停留所へと向かう。


バスに乗り込むと、熾埜は窓の外の景色を眺めながら、美緒とのおしゃべりが続いた。


「……で、熾埜はクレープ、何味にするかもう決めてる?」


「うーん、それがまだ迷ってるんだよね。期間限定のやつも気になってる!」


「わかる〜!うちも限定のヤツ気になってて!」


揺れる車内で穏やかな時間が流れていく。


(……美緒ちゃんと友達になれて、ほんとに良かったな)


心の中でそっとそう思いながら、楽しそうに話す彼女の横顔を、嬉しそうに見つめていた。

 

やがてバスが観栄町商店街の前に到着すると二人は降車する。


商店街前の交差点。

街は仕事帰りの人や学生たちで少しずつ賑わい始め、辺りには飲食店から美味しそうな匂いが漂っていた。


「そういえば熾埜は待ってる間、何してたの?」


「下の図書館に行ってたよ」


「図書館?!えー!どんな本読むの?」


バスを降りた熾埜と美緒は、会話を交わしながら並んで信号が青に変わるのを待っていた――その時。

 

ブゥゥン……と、耳に低く響く独特なエンジン音が交差点に響き渡る。

普通のバイクとは明らかに違う、重く、鋭い音。


その音につられるように、美緒は思わず顔を横に向けた。


視線の先――

交差点の手前で、一台の黒いバイクが停まっていた。

 

黒いフルフェイスのヘルメットに、黒のライダースジャケット。

全身黒づくめで見た目の派手さはないのに、何故か存在感があった。


「えっ!あれ……」 

美緒が小さく声を漏らす。


しばらくそのバイクを見つめ、何かに気づくと、大きな声を出して言った。


「やっぱ、煌希くんじゃね!?」


突然のその声に、隣にいた熾埜は少し驚く。


「え、誰?……美緒ちゃんの知り合い?」


「うん、うちの兄ちゃんの後輩でさ。昔よく家に遊びきてたんだよね。バイクのエンジン音が独特だし、多分そうだと思う!」

「そうなんだ!美緒ちゃん、知り合い多そうだね!」

 

そう言いながら、熾埜も信号の向こうに停まる黒いバイクへと視線を向けた。


バイクに乗ったその人は、初めて見かけたはずなのに、なぜか懐かしいような、不思議な感覚が残った。


(…なんだろ、あの人。見覚えがあるような……?)

 

熾埜は何故そう思ったのか、自分でもわからなかった。

その姿をぼんやりと見つめていると、隣から声がした。

 

「ヤバ……いつ見てもカッコいいな……」


ぽつりと漏らした美緒の呟きに熾埜は思わず笑った。


「……ふふ」


「え、ちょ、もしかして今の聞こえてた……?!」


「いや〜何も。なんか言ったの?」

「ううん、何でもない〜」


熾埜は、少し照れながら焦る美緒の様子に気づき、そっと微笑んだ。ちょうどその時、信号が青に変わった。

 

「ほら、熾埜、早く行こ!クレープが待ってる!」


「あっ、うん!」


二人が歩き出すのとほぼ同時に、

煌希は軽く前傾になり、アクセルを一気にひねる。

重低音のエンジン音が交差点に響き渡る。

 

黒い影が風を裂くように走り出し、視界の端を一瞬で抜けていく。


顔は見えなくとも、その背中から滲む異様な気配が、熾埜の胸に強く残った。



 

――――

 

 


――夕暮れが終わりを告げ、街は夜の帳に包まれはじめていた。


長屋の軒下、わずかに開いた障子から差し込む橙の残光が、畳の縁をかすかに照らしている。

 

黄 黎唯は窓際に腰を下ろし、煙管をくゆらせていた。

煙がゆっくりと立ちのぼり、やがて風に乗って虚空へと消えていく。

彼の鋭い眼差しは、空のどこか一点を見つめていた。


その傍ら――


燭台の灯が揺らめく室内、燁羅はひとり卓に向かっていた。

 

卓上に置かれているのは、黒地に金の縁が施された羅盤(風水羅経盤)。


その隣には、深紅の布が丁寧に敷かれ、その上に小ぶりな札が並べられていた。


彼女は、細い指先でそれを一枚ずつ、丁寧に並べていく。

文様が刻まれた札が扇状に広がると――

その中の一枚に、燁羅の指先が止まった。


「……地風升(ちふうしょう)。そして……坎為水(かんいすい)


唇の端に、ふっと笑みを浮かべながら、燁羅が小さく呟いた。


「今宵は――凶、ね」


煙管を傾けたまま、窓の外を眺めていた黄が、その言葉に反応し、振り向いた。


「……坎為水、か。陰の極み。冗談にしては出来すぎてる」


燁羅は笑みを崩さず、羅盤をくるりと回した。


回転する盤面の針が静かに震え、金の縁取りが仄かな光を反射する。


「昇の兆しも、深き水に呑まれるようでは意味は無い……ねえ、黎唯?」

卓に視線を落としたまま、燁羅は囁くように言った。


窓際では、黄がゆるやかに煙を吐き出す。

その視線は低く垂れ込めた雲の奥に向けられていた。


「……沒錯。(間違いないな)」

 

煙の尾がゆらりと揺れた。

やがて羅盤の針がピタリと静止する。


羅盤の針先が示す方角――その先に、何者かの意志のようなものが感じられた。

誰かが仕掛け、誰かが応じる。


「気をつけて。水の気は、表面では穏やかでも……底では渦を巻いてる」


黄は答えを返さず、ただ煙管の先を指で叩いた。

パラパラと舞い落ちる灰。


吐き出した煙は、天井の木枠に向かってまっすぐ昇っていく。


「……面白くなってきたな」


その言葉とは裏腹に、彼の声音には冷たさが滲んでいた。

 

燁羅は、ふと窓の外に目をやる。遠く、街の灯が瞬き始めていた。


―夜は、まだ始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ