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【22話】灯志

西日が斜めに射し込み、石畳の上に長い影を落としていた。


薄紅に染まりはじめた空の下、長く伸びた自分の影を、煌希はぼんやりと見下ろす。


一年前から毎月、この道を歩くのが当たり前になっていた。


石段を登りきった先、視界がひらける。

斜面に寄り添うように建つ古寺と、その背後に静かに広がる墓地。

 

煌希の叔父である黒埼 燈司の墓は、山間部の途中にある。


階段を登るだけでも少し息が上がるが、その分、眺めはいい。

墓のある場所からは、街並みから海までを一望できる。

街の喧騒が、かすかに耳に届く。


墓地の入り口近くには、一本の桜の木が立ち、散った花びらが石畳の上を静かに舞っている。


山間に佇む本堂の裏手――その墓地の一角。


煌希は、奥まった場所にある一基の墓の前に、そっとしゃがみ込んでいた。

 

新しめの墓石。黒く磨かれた御影石には、戒名とともに「黒埼 燈司」の名前が刻まれている。


「……また来たぞ、オヤジ」


帝央にもらった花束を、静かに花立てに差し込む。


火をつけた線香から、白い煙がゆらりと立ちのぼり、風に乗ってゆるやかに流れていく。


線香の煙を見つめながら、煌希はしばらく何も言わなかった。

言葉にならない想いを押し殺すように、唇をわずかに噛む。

 

「彪人が……死んだ…………」


「久々に集まって、四人で駄弁ろうぜ――なんて言ってたクセによ……。

いきなり前日に連絡送ってきやがったと思ったら、

駐車場の隅で……バイクだけ残して……

あんな姿で見つかるとか、マジ意味わかんねぇだろ……。」

 

拳を握ったまま、指が白くなった。喉の奥で、言葉が止まる。

 

「…誰に殺られたのかも、わからない。

防犯カメラも、辺りには無いし目撃者もなし。

しかも殺られ方が普通じゃねぇ……ふざけた話だろ」

 

強い風が吹き抜け線香の煙が、強く揺れた。

墓石を見つめたまま、煌希は小さく息を吐くと、話を続けた。


 

「なんていうか……俺は、どうしても納得いかねぇんだよ。彪人のこと。

何があったのか、誰に殺されたのか――自分の目で確かめるまではな」

 


そう言い終えた途端、辺りの空気が張りつめたように静まり返った。

街の喧騒も遠のき、風の音と己の鼓動だけが、やけに鮮明に聴こえる。

 

そんな静けさの中、ふと、ある場面が脳裏に甦る。


胸に残る微かなざわめきに重なるように、響いてきたのは――弟の鋭い言葉だった。


「ほんと、兄貴ヅラすんのも大概にしろよ。いつまで“兄貴”ぶってんの?」


「お前が兄貴とか、ほんと最悪だわ」


思い出した言葉が胸に引っかかったまま、煌希はゆっくりと顔を上げ、墓に向かって語りかけた。


「……燦斗とも、またやり合った。……“お前が兄貴だなんて最悪だ”とか言いやがってさ、アイツも結構言うようになったよな」


煌希は少し笑いながら言った。だが、その笑みはすぐに消える。

視線を落とし、地面をぼんやりと見つめ呟いた。

「まあ……間違っちゃいねぇけどな」


そう言うと煌希は、墓石から視線を外した。


「……燦斗には、人並みの人生を歩んでほしいって思ってる。よくある、ごく普通の生活を――何も背負うことなく、送ってくれれば、それでいい。」


陽がさらに傾き、墓前の影が長く伸びる。境内の桜がひとひら、煌希の足元に落ちた。

 

「だから、もう少しだけ面倒を見てやる事にしてる。高校までは俺が見て、そっから先は……アイツ自身が決めればいい。」

 

小さく息をついたあと、煌希は目を伏せた。そのまま視線を動かさず、問いかける。

 

「――それで、いいよな?」


もちろん、返事なんてある訳がない。


それでも何故か今日の静けさは、一際重く感じられた。

煌希は視線を墓石に戻し、少し苦笑いを浮かべながら口を開いた。

 

「オヤジなら……なんて言うか、わかんねぇけどよ。

“兄貴なら、最後まで面倒見てやれ”とか言いそうだよな。

それとも……“お前ひとりであんま背負いすぎんな”って、笑って言ったか?」

 

そう言うと肩をすくめて笑った。

だが、その瞳はぼんやりと、どこか遠くを見つめていた。


線香の火はすでに半分ほど燃え、灰が落ちていた。

指先で線香立ての縁を軽く払い、ゆっくり立ち上がる

 

「次は………マシな報告できるといいんだけどな」


煌希は墓前に向かって軽く頭を下げた。


叔父への報告を終えると墓を後にして、寺の門をくぐると下に続く長い階段を降っていく。

 

街の音が、徐々に戻ってくる。

その音が、少し遠く感じられるのは、昨日までの出来事がまだ現実味を帯びていないからかもしれない。


煌希はポケットから煙草を取り出し、火をつける。

細く煙を吐き出しながら、ゆっくりと歩き出した。

 

街並みの影が徐々に濃くなり、灯りのつきはじめたビルの窓が遠くに瞬いていた。



 

――――

 

 

―十字路に差し掛かったときだった。


 

背後から微かに靴音が響き、何かの気配を感じ足を止める。

 

周囲は古いブロック塀と三階建て程の古い雑居ビルに囲まれていて、昼間なのに薄暗く、車も人もあまり通らない。


ゆっくりと振り返る。古びたブロック塀の狭間、


その暗がりの奥に――三つの人影が見えた。

 

沈み始める太陽を背に、逆光の中こちらに向かってくる。


煌希は身じろぎもせず、まっすぐにその姿を見据えた。


金髪の男が、鉄パイプを肩に担いだまま、一歩前へ踏み出す。

口元に薄笑いを浮かべ、ゆっくりと口を開いた。

 

「フン、ずいぶん呑気に散歩してんな…黒埼さんよォー。」


金髪の男の一言に、煌希は一瞬だけ目を細めた。

そして低く吐き捨てるように呟いた。

 

「……なんだ、テメェら」


金髪の男は煌希の態度を見ると、鉄パイプを肩から振り下ろすようにして地面に叩きつけた。


ガンッ!という鈍い音が路地に響く。


「“なんだ、テメェら”だぁ? はっ、笑わせんなよ。

昨日、どこの誰に喧嘩売ったか、もう忘れたんかコラァ!!」

足をズカズカと踏み鳴らしながら前に出る


そしてもう一人、その背後からゆっくりと歩み出てきた男がいた。


その男の首筋には、喉元から斜めに裂けたような、鋭く(えぐ)れた痕があった。


「よォ……また会ったな、黒埼。」


煌希の目がわずかに細まる。


(――コイツら、昨日襲ってきた奴らか…?) 


彪人に呼び出され、橋の上をバイクで走ってた時。

後ろから迫ってきた黒いセダンの後部座席から、挑発するように顔を出してきた――あの時の男が、目の前にいた。

 

「……ああ、見覚えあんぜ、テメェのその、イキった面。」

 

煌希はわずかに顎を上げると、手にしていた煙草を指先で弾いた。

吸いかけの煙草が地面に落ち、アスファルトの上でジュっと音を立てる。

そのまま片足を出すと、靴底でねじ込むように火を消した。

 

「で? また俺を殺りに来た……ってワケか?」

 

後ろに立つ、黒髪で眼鏡をかけた男が肩を揺らして嗤った。

 

「おいおい、随分と余裕そうだなー。ダチが死んだばっかなのによ」


その言葉に、煌希の眉が僅かに動いた。

 

「……あ?」

 

ギラついた目で眼鏡の男を睨みつける。


「――てめぇ……今なんつった?」


その声は低く、殺気が滲んでいた。

足を一歩、前に踏み出す。アスファルトを削るような勢いで、靴底が音を立てた。

眼鏡の男は、ふっと笑い、面白がるように肩をすくめる。


「ビンゴ。図星だったか? あのダチの死体、ぐちゃぐちゃだったもんなァ…」

 

すかさず、金髪の男が煽るように言い放つ。

鉄パイプを足先で転がすように蹴り出した。カラン、と乾いた金属音が鳴る。


――場の空気が、さらに張り詰める。


真ん中に立っていた男が、首を鳴らすようにゆっくりと横へ傾けた。

喉元に走る傷痕が、陽の光を受けて不気味に浮かび上がる。


「やめとけ、中野。コイツ、怒らせると面倒だぞ」


声は落ち着いていたが、口元には笑みが浮かんでいた。


眼鏡の男が嘲笑いながら言う。


「フフ、見せてもらおうか、黒咬の本気ってヤツを」

眼鏡の男がゆっくりと、内ポケットから取り出したドスを抜く。


その刃先が、陽の光を受けて冷たく光った。

 

「……上等だ、三下のクズ共が」


煌希は一歩も動かず、黙ったまま三人を睨んでいた。

眉間に皺が寄り、内に秘めた苛立ちを滲ませる。


街の雑音も、遠くの風も、全部かき消される。

 

「こっちは三人だぜ。どっからでもかかってきな……ってな」


そう言うと、拳を軽くぶつけ合う。その目は笑っていなかった。

 

対する煌希は、眉ひとつ動かさずに鼻で笑った。

 

「――かかってこいよ。俺の前でイキったツケ、きっちり払わせてやっからよ」


拳を胸の前で握り込み、もう片方の手で包み込むようにして指の関節を鳴らした。


足元をゆっくりと開き、重心を落とす。

 

金髪の男がニヤリと唇を吊り上げる。

鉄パイプを肩に担ぎ直し、一歩前へ踏み出す。


次の瞬間、叫び声を上げながら、勢いよくパイプを振りかぶって襲いかかってきた。

 

「オラァッ!!」


煌希は即座に後方へ下がり、鉄パイプをギリギリでかわす。

地面が鈍く鳴き、砕けたアスファルトの破片が飛び散る。


「チッ、やっぱ動きは速ぇな……!」


金髪の男がそう吐き捨てた直後――

煌希の拳が顎に深くめり込み、男の顔が大きく仰け反った。

 

「どこ見てんだオラ!!」

間髪入れず、煌希は金髪の男の胸を蹴り飛ばし、後ろの壁に叩きつける。


その直後、煌希の背後から次の一撃が――


「相変わらず威勢だけはいいなァ!!」


喉元に傷のある男が、横から飛び込むように拳を振り抜いた。


煌希は咄嗟に身を翻して避けるが、男の拳が脇腹をかすめ、痛烈な衝撃が走る。


「…………うッ!!」


その隙を突き、眼鏡の刃が煌希の胸元を狙ってくる。

ギリギリで躱すも、服が裂け、肩に赤い線が走る。


煌希はすぐに距離を取って態勢を整えるが、相手は連携を崩さず、取り囲むようにして容赦なく迫ってくる。

 

(チッ…コイツら、面倒くせぇな……)


考える暇もなく、次の一撃が迫る。


金髪の男が鉄パイプを横殴りに振り抜いてくる。


煌希は咄嗟に上体を反らし、ギリギリでかわす。

風を切る音が耳元をかすめ、頬に冷たい汗がつたう。


煌希は重心を低く落とす。地面を蹴り、懐に潜り込むように踏み込んだ。


「……テメェが先だ」


低く呟いたその声と同時に、右拳を腰の位置まで引き絞り――

全体重を乗せた渾身のストレートを、金髪の男の鳩尾(みぞおち)へ叩き込んだ。


ドゴッ――ッ!


鈍い音と共に金髪の男の身体がのけ反り、目を見開いたまま息を詰まらせる。


煌希は構わず左肘を振り上げ、男の顎に追撃の一撃。

鉄パイプが手から離れ、地面にカランと音を立てて転がった。

 

喉元に傷のある男が唸り声を上げながら、脇に立つ小さな店の看板を両手で持ち上げた。

 

次の瞬間、金属と木でできた重みのある看板を、躊躇なく、煌希めがけて振り下ろしてきた。

 

「おらよッ!!」


煌希は即座に反応し、横へと転がるように身を逸らして間一髪で避ける。


ドガァァァァンッ――!

 

看板がアスファルトを抉るように叩きつけられ、火花が散る。金属の軋む音と共に、砕けた破片が四方に飛び散り、衝撃音が路地に響き渡った。

 

煌希は避けた勢いでバランスを崩し、左肩から地面に倒れ込む。

咄嗟に手をつくも、先ほど刃で裂かれた肩口に鋭い痛みが走る。

「……ッ!!」


「ったく…ゴリラか、テメェは!!」


煌希が体勢を立て直す暇もなく、背後から眼鏡の男が襲いかかろうとしていた。


ドスの切っ先が、煌希の背中を狙って振り下ろされる。


「これで終いだ、黒埼!!」

 

背後から走る殺気――煌希の全身が強張る。


咄嗟に肩をすくめるも、足が動かない。

 


(……まずい、避けきれねぇ――!!!)


  

息を呑んだその瞬間――


ガシッ。

 

「……!?」


突如、謎の人物が背後から割って入り、無言のまま眼鏡の男の腕を掴み止めた。

 

「……誰だぁテメェは………邪魔すんじゃねぇ!!」


眼鏡の男は顔だけ振り向き、怒鳴った。


しかし、謎の男は一言も発さず、無言のまま

関節ごと逆方向へねじ込むように、腕をひねり上げた。

 

「ぐっ……!」


眼鏡の男の顔が苦痛に歪む。

 

その隙を突いて、眼鏡の男へ鋭い横蹴りを叩き込む。

手にしていたドスが宙を舞い、男は低いうめき声をあげながら、よろめく。

謎の男は地面に落ちたドスを拾い上げた。

煌希は立ち上がると、少し横に逸れてから振り返り仮面の男の方を見る。


顔は見えない。黒いパーカーにフードを被り、変わった柄の狐面をつけている。


(…………誰だ?……コイツ)


混乱と驚愕が交錯する中――


狐面の男は、煌希の方を見ることなく、まっすぐ前を向いていた。

その視線は、喉元に傷のある男を鋭く見据えていた。

 

「……ハッ、ちょうどいい」


煌希はゆっくりと立ち上がり、肩口を軽く払う。

顎を上げ、相手を見下ろすようにして笑った。

 

「さっさと片付けるか――。」


足元を力強く踏み鳴らし、一歩前に出る。

隣では、狐面の男が静かに立ち尽くしている。


金髪の男が、よろよろと壁を背にして立ち上がる。

口元から血を流しながらも、鉄パイプを拾い上げ、肩に担ぐ。


吹き抜ける風が埃を舞い上げ、二人の影が路地の奥へと伸びる。

 

再び――戦いの幕が、上がろうとしていた。

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