【21話】乖離
──翌朝。通学路にて。
燦斗は制服のネクタイをゆるめ、気だるげな表情でトボトボと歩いていた。今日も、学校にギリギリ間に合うかどうかのペースだ。
(……んー完全に寝不足だわ。ネムい、、、)
坂道の途中で大きなあくびをしながら伸びをしていると、背後から軽快な声が飛んできた。
「よっ!燦斗、相変わらずギリギリ登校だなーお前も」
肩を掴まれて振り返ると、坊主頭に日焼けした少年――長谷部 聡悟がニカッと笑って立っていた。
「……うーっす、ハセボー。今日も輝いてんね」
燦斗が片手を上げてぼそりと返すと、聡悟がちょっと驚いたように目を見開いた。
「お、なになに?珍しく俺のこと褒めてんの?」
「ん?アタマが輝いてんねって意味」
「1ミリも褒めてなかったわ!!期待して損した!!」
ふたりのやり取りにかぶさるように、後ろから聞き覚えのある女子の声が届く。
「おっ!うるさいバカども発見〜!おっはよ〜!」
クルクルと鞄を回しながら駆けてきたのは、與那嶺 未来だった。
「おはざーっす、ミクシー。相変わらず朝から元気だなオマエ」
燦斗が手を振ると、未来は笑顔でピースを返してくる。
「当たり前でしょー、私が元気なくなったら地球の回転も止まるんだから!」
「なにそのスケールのデカイ話」
「逆に未来が元気にスピンしすぎて地軸ズレてるかもしんないよ?」
「そのせいでオレ、昨日眠れなかったんか……」
燦斗がぼやくと、聡悟がきょとんとした顔で口を挟んだ。
「…はぁ?どういう事?全然話についていけないんだけど……」
未来はジト目で聡悟を見ながら、さらっと言い放つ。
「そりゃそうでしょ。ハセボーは、ウチらの会話についてこれるような頭してないもんね?」
「おい、どういう意味だよ!」
聡悟がムキになって言い返すと、燦斗がすかさず追い打ちをかけた。
「ほら、頭がツルッとしてるからじゃない?」
「おい、うるせーわ!ツルッとしてねーし!朝から全力で俺の頭いじってくんな!」
三人の騒がしいやり取りが続く中、校舎の前に差しかかると、前方から無言で歩いてくる少女の姿が目に入った。
ほんのり赤いアイシャドウにシルバーのカラコン、黒いチョーカーにスマホを持ったその風貌は、叶野 澪蘭だった。
未来が手を振って声をかける。
「れいらー!おっはよー!」
澪蘭は顔をぱっと綻ばせると、小走りで未来に駆け寄ってきた。
「未来ちゃん、おはよ。今日も会えて嬉しいっ!」
「私もうれしーよー!」
未来の腕に抱きついたまま、澪蘭が視線を燦斗の方へ向ける。
「燦斗くん、おはよ!昨日クラスタに載せてた写メ、凄く良かった!」
「おはざーっす!レラ。おー見てくれたんだ!サンキュー!」
「うん。昨日の夜、ちょっと情緒バグってたんだけど、、、燦斗くんの顔見たら、安心して元気でた!ありがと。」
「お、おー?……まー元気出たならよかったわ!」
少し照れくさそうに返す燦斗をよそに、澪蘭は聡悟の方を見て小さく首をかしげた。
「……ねぇ、ハセボーくん今日も…」
「澪蘭、その先は言わなくていい!俺はもう察した!」
慌てて遮る聡悟を、澪蘭はきょとんとしたまま見つめていた。
その瞬間、後方から勢いよく誰かが走ってきた。
「おはようっ!!今日の俺は、一味違うぜェ……!!」
謎のポーズを決めて現れたのは、燦斗の中学からの幼なじみ伊佐木 悠。
悠の登場に、聡悟がやや呆れたように眉をしかめた。
「おはよう、悠!……ったく、お前は朝っぱらから騒がしいな」
燦斗は軽く笑いながら、悠の様子を眺める。
「お、イッサー、おはござ!で、今週は何になりきってんの?」
待ってましたとばかりに、悠が胸を張って応じた。
「サント!いい事を聞いてくれた!今週の俺は……漆黒の追跡者─†悠†」
聡悟が顔をしかめる。
「またヘンテコな設定持ち出してきたな……」
その視線を受けて、悠は聡悟を見て驚いたように指をさした。
「この眩き光はなんだ……!これは……ただの坊主ではないッ!ハセボー、まさかお前は……」
「はい!はい!お前も俺の事ディスるのね!もういい加減聞き飽きたわ!!」
両手を上げて叫ぶ聡悟に皆、笑いを堪えきれなかった。
その直後、悠が突然前へ出て、空を見上げながら両腕を広げた。なぜか恍惚とした表情だ。
「……風よ、俺の声を天まで轟かせてくれ!」
燦斗が少し呆れたように呟く。
「ナニナニ?急にどうしちゃったの?」
未来の目がキラキラと輝く。
「お!!なんか、スイッチ入った!!」
悠は静かに片手を胸に、もう片方を天に掲げるように伸ばすと、大きく息を吸い込み――突如歌い出した。
「♪さァ喰らい尽くせ!本能のまま 穿て 偽りの天を裂け!」
それを聞いた未来が、嬉々として乗っかる。
「♪この掌で虚構を断罪いてみせる!」
さらに燦斗までもが、自然と口ずさんでいた。
「♪ 運命の鎖を今黒焰が燃やし尽くし 真実を暴く刻」
少し控えめに、だが確かに澪蘭の声も重なる。
「♪この世界 朽ち果てて 君と共に居ることさえ叶わないのなら」
そして四人は、自然と同じフレーズを繰り返し始めた。
「♪ 光に堕ちて 闇を喰らう Break me now!」
その声は次第に大きくなり、周囲の生徒たちの注目を集めていた。
「え、なにあの人たち…」「やば、めっちゃ歌ってる……」
ざわつく声が広がっていくのを感じ取った聡悟は、顔を赤らめながら焦ったように声をあげた。
「おいお前ら!!待て、待て!それ兄貴のバンドの新曲だろ!?ここで大合唱するのやめてくんない!?マジで恥ずいから!今すぐ歌うのやめろ!!」
だが、悠はまるで聴こえていないかのように、さらに熱を帯びた声で歌い上げた。
「♪偽りの神が支配するこの楽園で、オレは救世主になってやる――」
そして最後に、斜めに脚を構えて背を反らし、片手を空高く突き上げる。
「……これが俺の鎮魂歌だ」
それを見た聡悟は、悔しそうに唸った。
「…なんか妙にキマってんのが一番腹立つんだけど!!」
「わかる!!なんか映えてた!今の!」と、未来が同意する。
悠はしたり顔で頷いた。
「当然だ。ViewTube見ながら三日前から練習してたからな」
燦斗が思わず突っ込む。
「練習してたのかよ……」
未来は顔をしかめながら、しかしどこか楽しそうに言った。
「イッサー無駄な努力してんね……」
悠はふと澪蘭の方へ顔を向ける。
「で、レイラちゃん。今の俺の歌声、録ってた?」
だが、澪蘭はそっと目を逸らし、首を横に振った。
「うわァァァァァ!!絶対今のキマってたのにぃぃぃぃ!!」
悠の絶叫が校門前に響いた――そのときだった。
「おい、そこのお前らァァ!!朝っぱらから何騒いどんじゃァァァ!!」
不意に飛んできた怒声に、五人の背中が凍りつく。
声の方へ目を向けると、そこには鬼の形相をした生活指導の教員、上居先生(通称:カミセン)が腕を組んで立っていた。
「一体今何時だと思っている!!遅刻ギリッギリの時間に登校してきて、朝からどんちゃん騒ぎって、どういう事だコラァ!!!」
「すみませんでしたああああ!!!!」
全員が一斉に声を合わせ、その場から反転してダッシュした。
上居先生はさらに目を吊り上げ、怒鳴り声を飛ばす。
「おいコラ!!逃げんなァァァ!!お前ら全員、後で生活指導室に来いッッ!!!」
先生の怒声が校庭に響く中、五人は振り返ることなく校舎へと駆け込み、靴箱まで一目散に走った。
聡悟が靴を脱ぎながら、隣の悠に怒鳴った。
「おい悠!!お前のせいで俺ら全員、生活指導室行きになっただろーが!!」
悠は悪びれもせず肩をすくめる。
「なんで俺だけが悪者扱い!?みんな歌ってたし、ノッてたじゃん!!」
未来が手を振って否定する。
「いや違うのよ、イッサーの最後の叫びが問題なのよ!!」
燦斗もため息混じりに言葉を重ねた。
「お前が最後、今のキマってたのにいいいいいい!!とかデケェ声で叫ぶからカミセンに怒られたの!」
小さな声で、澪蘭がぽつりと呟いた。
「皆に見られちゃった……恥ずかしい」
悠は目を見開き、両手を天に向かって広げる。
「いやいやいや、運悪くあんな所にいるカミセンが悪いだろ!」
「そもそも朝からお前みたいに、校門前でデカい声で歌ったり叫ぶ奴なんて普通いねーの!!」
聡悟がツッコミながら、燦斗も呆れたように頷いた。
「そーいうコト」
悠は肩を落とし、苦々しく唸った。
「くっ……全員黒歴史を共有した仲間だと思っていたのに俺だけ処刑台かよ…!!」
五人は靴を履き替えながら、階段を駆け上がっていく。
「……さァて、どう言い訳すっかなー」
燦斗がぼやくと、澪蘭がくすっと笑って言った。
「新学期早々、生徒指導なんて、私達なかなか悪い子だね…ふふ」
未来が両手を頭に乗せてうめいた。
「あー!あとで怒られると思うと朝から憂鬱ー!」
悠は自信満々の口調で言い返す。
「大丈夫だ、俺らは何も悪くない。きっとカミセンは許してくださる」
聡悟がすかさず突っ込んだ。
「その喋り方、マジでムカつくからやめろ!!」
教室の前にたどり着いた五人は、息を切らしながら立ち止まった。
「……っ、あっぶね……!」
燦斗が呟くのと同時に、聡悟が勢いよく教室後方のドアを開けた。
ガラガラ――ドォンッ。
派手な音が響いた瞬間、教室の空気が一瞬だけ張り詰め、生徒たちが一斉に振り向いた。
担任が出席簿を抱えながら呆れた顔で言う。
「…また君たち五人は……チャイムが鳴る間際の時間に到着か。ほら、さっさと席につきなさい」
悠が右手を高く掲げて叫んだ。
「っしゃあセーフッ!!」
「なんとかなったぁ……」
未来も安堵のため息を漏らしながら席についた。
椅子を引く音が教室内にガガガと響く。
燦斗も席に腰を下ろし、鞄を机に置くと、ふぅっと息を吐いた。
(……今日もダルい一日になりそうだな)
チャイムが鳴る。教室内のざわつきが少しだけ収まり、担任が出席簿を開いた。
「みんな、おはよう。全員揃ってるな。ホームルーム、始めるぞー」
「おはようございます」
生徒たちからは、どこか気の抜けた挨拶が返ってきた。眠そうに目をこする者、真剣な眼差しで先生を見つめる者、手遊びをしながら上の空の者――。それぞれのペースで、この日常を過ごしている。
出席確認が始まり、名前が読み上げられる。
「伊佐木」
「はぁぁいィィィィ!!」
悠が裏声で返事をすると、教室のあちこちからクスクスと笑いが漏れた。
「伊佐木くんってほんと変わってるよねー」
「アイツ絶対、目立ちたくてウケ狙ってるじゃん…。」
「アレでサッカー部の特待なのウケるよな」
ヒソヒソと交わされる声に、燦斗は顔をしかめることもなく、ただ窓の外をぼんやりと見つめていた。
(……兄貴、今日は珍しく俺が家出る時、起きてなかったな)
脳裏に、昨夜のことが蘇る。喧嘩なんて、今まで何度もあったはずなのに――昨日は何かが違った。
いつもはどちらかが黙り込み、しばらく経ってから自然に口をきくようになる。その繰り返しだった。
だが昨日の兄貴の表情や雰囲気は、妙に引っかかる。
(別に……そんな大げさに考えることでもねーのに)
無理にそう言い聞かせるようにペンを取ったが、黒板の板書を書こうとした手が止まる。教師の声はまるで雑音のように頭に入ってこなかった。
(……クソ、思い出したせいで朝からまた気分悪ィ)
天井を仰いだ瞬間、蛍光灯のまぶしい光が瞳に刺さる。
(モデルの仕事終わったあと……なんか甘いモノでも買って帰るか)
そんな風に頭を切り替えようとした、まさにその時だった。
ブーブーブー……
ジャケットのポケットがわずかに震える。スマホが通知を受け取ったのだ。
(……ん?)
教師にバレないよう、慎重にスマホを取り出して画面を確認する。
そこには、見覚えのある不可解なメッセージが再び表示されていた。
(…………また?)
一体、誰が何のために。何日か前にも同じようなメッセージが届いていたが、今回は確信に近い感覚があった。
数秒後には、まるで何事もなかったかのように画面が真っ暗になり、メッセージは跡形もなく消える。
(……最初はバグかと思った。でも、二回も続けて同じって……)
燦斗はスマホをポケットに戻すと、あくびをひとつして、もう一度教科書のページに目を落とした。
だが、活字が頭の中に入ってこない。ここ数日のイレギュラーな出来事が、胸の奥でずっと引っかかっていた。
日常は変わらないはずなのに、どこかがズレている。
(……みんなと同じ世界にいるはずなのに)
ひとりだけ、どこか違う場所にいるような感覚。浮いているわけではない。ただ、現実世界そのものが――自分自身と“乖離”していってるような。
燦斗は机に肘をつき、うっすらと霞む視界で、窓の外を再び見つめた。




