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【17話】壊帰

男が地の底に封じられた後も、翔真は、その場に立ち尽くしていた。

 

風が止み、辺り一面静寂に包まれた。


彼の右手にはまだ淡い紋様が残っていた。足元には、巨大な空洞がぽっかりと開いている。



「……翔真ー?」


咲凪が近づきながら呼びかけても彼は反応しなかった。


その横顔――

光の残る瞳は、どこか遠くを見つめていた。


まるで今ここに意識がないような――そんな空虚さだった。

 

(……アイツが言ってたこと、ほとんど意味わかんなかったけど……)

(やっぱり、今ここに立ってるのは……“翔真”じゃないのかも)


咲凪はさらに彼に近づき、顔を覗き込もうとした。


その瞬間――


翔真は全身の力が抜けたかのように倒れかける。

彼の足元のコンクリートがずるりと崩れ、地面に空いた“空洞”へと身体が傾いた。


(マズイ、落ちる――!!)


「翔真――っ!!」


咄嗟に咲凪が手を伸ばす。落ちそうになる間一髪の所で翔真の腕を掴んだ。

同時に、翔真の右手に浮かんでいた紋様が消えていくのが見えた。


咲凪の身体が翔真に引き寄せられ、バランスを崩しかけながらも、彼女は全身の力を込めて、翔真の身体を引き留める。

「ちょ……!重……っ!このままだと、私も一緒に落ちる!!……ううう……!」


「剣道で鍛えた腕力、舐めんなー――っ!」


数秒の攻防の末、咲凪は翔真の身体を強く引っ張り、地面に引き戻すと、彼はそのまま地面に膝をつき倒れた。


「……はぁ……なんとかなった…!!」


咲凪がそばにしゃがみ込み、そっと肩に手をかける。

 

「翔真、大丈夫……!?」


微かな息が漏れた。


しばらくして――

翔真は、ゆっくりと目を開けた。


「……咲凪……?」


その声は、さっきまでの冷たい声とは違った。

咲凪は安堵と困惑が混じったような表情で、微笑んだ。


「良かった……!いつもの翔真だ…」


翔真の手が、ぐっと地面を掴んだ。

その指先はわずかに震え、力が入らない様子だった。

 

「……熱い、息が……っ……できない……」


ぼそりと、途切れそうな声が喉奥から漏れる。

咲凪ははっとして、すぐに背中を支えるように腕を回す。


翔真の肌は火照っていた。

額には汗が浮かび、呼吸も浅い。

咲凪の指先に、微かに震える鼓動が伝わる。


咲凪は慌てて制服のポケットからスマホを取り出した。


「救急車と警察、呼ぶね。ちょっと待ってて……!!」


通話を繋ぎながら、もう片方の手で翔真の背を支えた。

咲凪はスマホを耳に当てながら、慌てた様子で応答する。


「意識はあります!でも……熱がひどくて、呼吸がしづらそうで……!」


電話の向こうの声に、はい、はいと返事をしながら咲凪はもう片方の手で翔真の手をしっかり握っていた。


会話の途中で、翔真は再び意識がなくなり、力が抜けて身体が崩れた。


「ちょ、翔真……!」


咲凪は慌てて肩を引き寄せ、彼の頭を胸元に抱きしめた。


翔真の呼吸は少しずつ落ち着いてきているようだったが、力はほとんど入っていない。


(早く来て……救急車……)


遠くで鳴るパトカーのサイレンの音が、少しずつ大きくなる。


(こんなときに、あたしは何もできない――)


焦りと苛立ちの混ざった何とも言えない感情が胸の奥に湧き上がる。

ただ、今できることは一つしかない。


咲凪は翔真の手を包み込み、そっと額を彼の肩に預けた。


「……バカ。こんなになるまで、どうして……」


震える声で、そう呟いた。


翔真の手はまだ熱かった。

手に伝わってくるその体温は、意識を失っていても、翔真が生きているという証になった。


――ふと、涙が溢れてきた。


泣くのを止めようとしても、どうしても涙が止まらなかった。

視界がぼやけ、喉が熱くなる。


鼻の奥がツンとして、息すらうまくできなかった。

「……生きてて、よかった……」


そう呟くと、喉の奥がきゅっと締めつけられて、嗚咽がこぼれた。


咲凪は涙を拭わず、翔真の手を握ったまま、そっと顔を伏せた。


遠くから、赤い回転灯の光がじわりとにじむように近づいてくるのが見えた。

 

やがてサイレンの音とともに、複数のパトカーが現場周辺に滑り込むように集結した。


タイヤがアスファルトを擦る音と同時に、バンッと鋭い音を立ててドアが次々と開く。


ドアが勢いよく開かれ、制服姿の警官たちが次々に飛び出してくる。


手元の懐中電灯を左右に振りながら、緊張した面持ちで此方へと向かって来た。


懐中電灯のライトが一斉に周囲を照らす中――



「……誰かいるぞ!」


警官の一人が照らした先に、しゃがみ込んだ咲凪と抱えられ横になってる翔真の姿を捉える。


「学生!?……大丈夫か⁉︎」


先頭の警官が駆け寄りながら叫んだ。


複数の足音がこちらに駆け寄ってくる中――

そのうちの一人が、何かに気づいて足を止めた。


「……おい、これ……なんだ……?」


別の警官の懐中電灯が地面を照らす。


照らされたその先には、コンクリートの地面が大きく割れ、陥没し空洞が空いていた。


数名の警官が近づいて、空洞の周囲を囲みながら懐中電灯を中へ向ける。

内部は暗く、奥が見えない。


「この崩落、ただの事故じゃない……!」


「後方にバリケードを設置、周囲規制線張るぞ!」


緊迫した声が飛び交う中――最初に咲凪達を見つけた警官が、彼女のそばに来て膝をつき問いかけた。


「君たち、大丈夫か!?」


咲凪は顔を上げ、揺れる声で答える。


「私は大丈夫です……でも兄が熱があって、意識も失ってて……。さっき救急車を、呼びました…………!」


警官はすぐに無線を手に取り、短く指示を飛ばす。


「救急搬送優先だ。現場、保護状態で待機!」


「了解。二次災害の可能性もある、周囲の安全を確認しろ!」


背後では別の警官たちが周囲を警戒しながら動き出していく。


その間も咲凪に声をかけた警官は、じっと翔真の様子を見つめていた。

額に手をかざしながら低く呟いた。


「此処で一体何が起きたんだ……」


その声には、驚きと不安、戸惑いが滲んでいた。


咲凪は答えられず、ただ黙ってうつむいたまま、翔真の手を握っていた。


「……後で、いいから落ち着いたら詳しく話を聴かせてもらえるかい?」


警官にそう言われると、咲凪は黙って頷いた。


―ピーポーピーポー……


遠くから、救急車のサイレンが聞こえてくる。


その音は確実に近づいて来ているはずなのに、咲凪の中では時間が止まったようだった。

一秒が、一分にも、一時間にも遅く感じられる。

 

早く……早く来て―


胸の奥で、焦りと不安がじわじわと広がっていく。

翔真の顔色は、先程よりも少し青白く見えた。

 

やがて救急車が視界の隅に現れ、ヘッドライトが静かに路地を照らした。


警官の一人が大きく手を振り合図した。

救急車は咲凪達の近くに停車すると、後部ドアが勢いよく開いた。

二人の救急隊員が担架を手に、素早く駆け寄ってくる。


隊員が手早く翔真の呼吸と脈を確認しながら指示を飛ばす。


「体温、高め。発汗あり……反応は無し」

 

「JCS Ⅲ確認、重度意識障害。搬送準備急いで!」

 

ストレッチャーが展開され、咲凪が少し身体を退けると、翔真が慎重に担架へと移された。


その場で一連の様子を見守っていると、横から救急隊員が咲凪に話しかけてきた。


「付き添い出来ますか?」


「……はい。一緒に行きます」


隊員は軽く頷くと、咲凪の肩に手を添えながら救急車の車内へ誘導する。


その背後で、もう一人の隊員が現場にいた警官の元に駆け寄り、手短に情報を交換していた。


「傷病者は男子高校生、意識レベルJCSⅢ。原因は不明ですが、数カ所の外傷有り。熱と呼吸異常を確認しました。」


「了解した。現場に不自然な陥没箇所あり。詳細は不明、此方は継続して調査に入る。搬送後、連絡を頼む」


「了解、搬送先は市立第二病院。後ほど報告を入れます」


警官はちらりと咲凪の方を見て、静かに言った。


「彼女の保護も頼む。落ち着いたら事情を聴く」


救急隊員は一礼し、そのまま車両へと戻っていった。


すぐに後部ドアが閉まり、救急車は赤色灯を瞬かせながら動き出す。

サイレンの音が再び夜の街に響き渡った。


咲凪は車内の片隅で、手を重ねたまま、翔真の顔をそっと見つめていた。



――――

 

 

─数時間後。深夜零時過ぎ。


静まり返った現場に、回転灯を消した一台のパトカーが現れた。

ヘッドライトが、誰もいない現場の一角を照らした。

辺りには車も人も居ない。


パトカーはゆっくりと規制線の近くまで進み、ひっそりと停車した。


ギィィ……バタン


静寂の中でドアの開閉音だけが、大きく響く。

 

降りてきたのは、五十代前後の男警官。

スーツはだらしなく羽織られ、シャツのボタンは第2ボタンまで開けっぱなし。ネクタイもゆるく垂れ、まるで公務中とは思えない風貌だった。


懐中電灯を片手に持ち、もう片手には黒い鞄を手にしていた。調子良さげに口笛を吹きながら、ゆっくりと歩き規制線を跨いで、事故現場に侵入する。


陥没した空洞の縁に立ち、無言で下を覗き込む。


暗く、深く、何も見えないはずのその底を、まるで“何か”を確かめるかのようにじっと見つめ続ける。


男の口元がわずかに緩み―鼻で小さく笑った。


「……ふぅん。こりゃあ随分、派手にやられたもんだなァ。」


その声には、驚きや焦りといった感情は一切なかった。


彼はスーツのポケットからタバコの箱を取り出し、新しい一本を指に挟むと、口元へ咥える。

シュッ、と言う音と共に、ライターで咥えたタバコに火をつけると、フゥーっと長く煙を吐き出す。

 

「で……コレを片付けたのは、ガキんちょか。」


空洞を見下ろしながら、独り言のように呟いた。

 

その視線の先、黒く焼け焦げた地面の縁には、わずかに焦げたような爪痕のようなものが残っていた。

男はそれを一瞥し、口角をわずかに上げる。


「まぁ予期せぬ事故だが……なんとかなるだろ」


気だるげにそう言うと、男はしゃがみ込み、ゆっくりと地面に手をついた。

男の指先から、黒い“線”のようなものが地面を這い、じわじわと空洞の奥へと染み込んでいく。


地面の下―封じられた空間の奥底に眠っていたのは

異形と化し、沈められた“男”の亡骸。


男が手の指を軽く曲げると、黒い線が脈を打つように震え、異形の男の亡骸の方へと収束していく。


「上の連中は、回収って言い方が好きだが……」


男はボヤきながら感情のない目でそれを見つめ、ゆっくりと手をかざす。


すると、線が生き物のように亡骸に巻き付き、ぬるりと絡みついた。


「……俺からすれば、“処理”なんだよなぁ。」

 

そう言い指先を軽くひねると、心臓の辺りから黒い塊のようなものが摘出される。

塊は徐々に圧縮され、呻き声のような音を上げながら静かに、男の掌に収まるサイズへと凝縮された。


「……何度見ても気持ち悪ぃなこりゃ。」

 

どろり、と黒い液体が滲み出す。

異形の男の亡骸から引き上げたのは、形を失った“黒い臓腑”のようなもの。

 

男は何も言わず、地面に置いてあった黒い鞄のジッパーを開け、中から取り出したのは――

不透明な黒いケース。


男は迷いも戸惑いもなく、臓腑の塊を手に取りケースの中に詰め込んだ。


カチリ、と音がして、ロックがかかる。


「ご苦労だったな、“愚者”。」

 

そう言うと、指先でタバコの吸殻を軽く弾いた。


パチ、と小さな音を立てて吸殻が宙を舞い、

そのまま穴の中の闇へと吸い込まれていった。


男は踵を返し、何も言わずにパトカーへと歩いていく。


ドアを開けて運転席に乗り込み、軽く鼻歌を口ずさみながらエンジンをかける。


車内にノイズ混じりのラジオが流れ出す。


『……今夜未明、時環市十景町付近で局地的な停電と信号機の異常が確認され……原因は現在も不明……』


 

男は少し眉を上げ、ラジオをBGM代わりにしながらゆっくりとアクセルを踏み込んだ。

 

少し進むとルームミラーに目をやる。

視線の先には―

規制線に囲まれた黒く焼け焦げた地面と、空洞が映っている。


数秒、その光景をじっと見つめた。


「……帰ったらビールでも飲むかぁ〜」


男は間延びした声でそう呟くと視線を前方に戻した。


やがて、男の運転するパトカーは交差点で左に曲がり、赤いテールランプだけを残して闇の中へと消えていった。



[ 第一章  龍禧翔真 編 完 ]

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