【1話】00
【プロローグ】
―その日、世界は黙した。
忘れられた戒め、因果から逸れた宿命。
人々が与えられた長き歳月の中で、世の理から目を背け招いた、結果だった。
日本の人口の約九割は、何も知らぬまま、“神環ノ節”
―来たるべき日の厄災に立ち向かう術すら持たなかった。
かつて沢山の人々が行き交っていたはずのその街に、人の気配は全く無い。
空は鈍色の雲が低く垂れこめ、雨が静かに降り続いていた。
折れた電柱、歪んだ信号機。剥き出しの鉄骨。
地面には瓦礫が散乱し、割れたアスファルトの亀裂からは黒煙が立ち昇っていた。
ただ一つ、崩れ落ちずに残った高架下の暗がりに、
四人の影が佇んでいた。
「皆……まだ行けそうか?」
沈黙を破るように、一人の少年が声を発した。
全身はすでにびしょ濡れで、雨粒が首筋を伝って流れ落ちていく。
少年はそんな雨の冷たさも気にしない様子で、ただ真っすぐ前を見つめながら、他の三人に尋ねた。
その問いに、真っ先に返したのは少女だった。
濡れた前髪を左右に分けながら、小さく息を吐いた。
「うん、大丈夫。まだ…いける」
静かに答える声に雨音が淡く重なっていく。
足元には、焦げたコンクリートの欠片が転がり、腕には擦り傷と泥がついている。
変わり果てた街を見つめるその瞳には、虚しさが感じられた。
彼女の言葉に続いたのは、威圧感のある低い声だった。
「……さっさと終わらせるぞ」
隣で壁にもたれかかっていたガタイのいい黒髪の青年が、ゆっくりと身を起こす。
四人の中でも異様な気配を放つその男。
雨に濡れた前髪の隙間から覗く金色の瞳は、まるで獲物を狙う獣のような鋭い眼光。
少し遅れて、最後の一人が口を開いた。
「オレもまだ全然余裕やけん、大丈夫よ?
つーか、逃げたくても…逃げ場も無かしなぁ」
銀髪に茶と水色のエンドカラーを差した髪に、カラーレンズのサングラスをかけた青年は、飄々とした笑みを浮かべていた。
雨に濡れることさえ気にしていない様子で、濡れたアスファルトに片足を立てかけ、気怠げに腰を預ける。
彼は肩に担いだスナイパーライフルのボルトを軽く引き、内部を確認する。
カシャリ、という金属音が雨音の中に小さく響いた。
彼は視線を正面に向けた。
少し遠くに蠢く“謎”の存在を見据えると、表情が少しだけ曇る。
巨大な異形。
蛇の骨格、獣の四肢、木のような触手と羽虫の翅。
ギョロギョロと動く無数の眼が、湿った空気の中を泳いでいる。
無数の目が雨に濡れながらギョロギョロと動き、四方を見渡し、地を這うようにして進んでいた。
少年が、静かに拳を握る。
「……なら、決まりだな」
「誕刻印解放――啓紋!!」
少年がそう叫ぶと、
彼の右手の甲に浮かび上がったのは、光を放つ紋様。複雑で精緻な模様が青白く輝いていた。
彼はフゥーっと息を吐いた。
両側の口角から、ふわりと立ち昇るように青緑色の煙が漏れ出ると、呼吸と意志に反応するかのように、揺らめきながら形を変える。
見た目は炎の様だが、光と風と水が混ざり合ったかのようで、雨が降り注ぐ中でも消えること無く、異質な存在感を放っていた。
少年の身体を風が包み込む。濡れた服が翻り、背後で三つ編みに結ばれた髪が宙に舞った。
地面に叩きつける雨は、一瞬だけ弾かれ、彼を中心に小さな無風の領域が生まれる。
―徐々に全身の感覚が研ぎ澄まされていく。
ゆっくり目を開くと、その瞳には、七彩の光が煌めいていた。
「向こうが来る前に、こっちから仕掛ける──!」
雨に濡れた前髪をかき上げながら、黒髪の青年は言った。
「おう。派手に暴れてこいよ、翔真」
そう言われた少年は、ふっと笑い――地を蹴った。
一直線に、敵へ向かって駆け出す。
雨水が跳ね上がり、ひび割れたアスファルトが砕け
地上に立ちこめていた靄が裂けるように押し流される。
少年が向かうと同時に、敵も察知したかのように動き始める。
巨大な頭部が持ち上がり、無数の目の焦点が一斉に少年に向く。
碧翠色の霊炎が尾を引くように彼の周りに漂っていた。
三人はその後ろ姿を見守りながらも、各々戦闘体勢へと入る。
黒髪の青年は、全身を駆け巡る血流が逆流するかのような熱を帯び、黒く禍々しい紋様がさらに濃く肌に浮かび上がっていく。
その身から立ち上る瘴気のようなオーラに、大気がわずかに震えた。
彼は視線を後ろにいた少女の方へと向ける。
金色に妖しく光るその眼からは、すでに“人間らしさ”が消えかけていた。
「……正直いうと限界は近い。アイツを倒すまで、俺が正気を保てるかどうかは、お前にかかってる。頼むぞ、熾埜。」
彼女はまっすぐ彼の目を見て、答えた。
「任せて!絶対に、暴走させないから」
その声には、柔らかさの中に芯の強さがあった。
少女はそっと目を閉じると、胸元で両手を重ねる。
長い睫毛が雨粒を受け止め、静かに震える。
瞳を閉じ、胸元で手を重ねると、宙に淡い光の輪が浮かび上がった。
「縁祷─黒埼 煌希に繋げる」
そう唱えると、柔らかな光の糸が二人の間に結ばれる。
「すまねぇ、助かる」
黒髪の青年が少女に礼を言うと、横から割り込むように銀髪の青年が話しかけてくる。
「おっとぉ、お二人さん、そう気負わんでよかよ?
煌希が暴走したら、その時は俺が脳天ぶち抜いたるけん。心配せんでええ」
肩にスナイパーライフルを担ぎながら、銀髪の青年は悪戯っぽく笑って見せた。
その言葉に、黒髪の青年はちらりと銀髪の青年の方を睨み、眉間に皺を寄せる。
「……チッ、ほんと口が減らねぇな、テメェは」
忌々しげに吐き捨てながら、指の骨を鳴らすように拳を握り込む。
「ふふっ」
二人の方を見ながら、彼女は小さく微笑を浮かべて言った。
「そんなこと言いつつも……もし本当にそうなったら、真っ先に助けに行こうとするのは宰くんだよね」
「うわ、見抜かれとるやん……さすが熾埜ちゃん。俺のことお見通しやね〜」
「オメーにだけは殺られたくねぇし、助けられたくもねぇっての」
「あー出た出た……!いつものツンデレ発動~」
黒髪の青年はそのまま無言で銀髪の青年に背を向け、前方の怪物へと視線を移す。
そんな反応を楽しむかのように、スナイパーライフルを肩に乗せたまま笑いながら銀髪の青年が言った。
「ハイハイ、じゃあ頼みまっせ、ボス」
その呼びかけに、黒髪の青年は鼻を鳴らすように笑うと、
力強く踏み込み、前方に聳える崩れかけたビルの屋上へと飛んで行った。
―この先、彼らを待つものが一体何なのか。
まだ誰も、知る由もなかった。
――――
―遡る事、一年前の入学式初日。
制服に袖を通し、真新しいローファーの感触を確かめながら、翔真は自転車のペダルを踏み出した。
見慣れた街並みが、どこか違って見える。
(今日から高校生か……)
口には出さなかったが、胸の奥が少しだけざわついていた。
真っ直ぐ続く下り坂を降りながら、ふと顔を上げて空を見上げる。
まだ少し霞がかった青空。雲がゆっくりと流れていた。
(……天気いいな)
吹き抜ける風が、妙に心地よく感じられた。
理由もなく、思わず口元がゆるむ。
(春って、こんなに気持ちよかったっけ?)
ペダルをこぐ足に、自然と力が入っていた。
少しだけ―新しい高校生活が楽しみだと思えてきた。自転車のスピードを落とさず走り抜ける。
やがて、視界に入ってきたのは、大きな校門。
真新しい制服に身を包んだ生徒たちが大勢集まり、学校の前には、緊張と期待が入り混じった空気が漂っていた。
門の横には「舞ノ濱高等学校 入学式」と書かれた立て看板。
記念写真を撮る親子連れや、スマホを掲げる生徒たちの姿があちこちにあった。
そんな中、翔真は大勢の人を避けながら坂道を力強く自転車で進む。
舞ノ濱高校は緩やかな坂道の先にあり、空が近く感じられた。
校舎は木と石が組み合わさった、和洋中の要素が混ざる独特な造りで、どこか伝統と格式を感じさせる。
翔真は舞ノ濱高校とは反対側に視線を向けた。
坂を上りきった先、横断歩道を挟んだ向かい側には、もう一つ、別の校舎がそびえている。
―私立・神来社学園
石造りの高い塀に囲まれたその学園は、舞ノ浜高校とは対照的に、ガラス張りのエントランスや、広い花壇、野外エスカレーターが隣接しており、普通の私立高校とはとても思えない最新鋭の学園である。
門の前に立つ生徒たちも、どこか大人びて見える。
(見た目からして差がすごいよな……)
何かと比べられがちな二校だが、親睦の為、運動会や文化祭などの行事は合同で行われる。
(別に気にするつもりはないけどな。)
そう思いながら、見ていると神来社の生徒がこちらに視線を投げてきたのを感じて、翔真はふっと視線を横に逸らした。
坂を登りきって校内に入ると、翔真は自転車を駐輪場に止めた。
辺りは新入生徒達で賑わっていた。
正門の前にはクラス分けの紙が張り出されている。
翔真は人だかりをかき分け、その紙に目をやった。
1-A 龍禧 翔真
そのすぐ隣には、各クラスの教室の場所を示した校舎案内の紙が貼られていた。
翔真は1-A組の教室の場所を確認する。
「1-A……三階の端っこかよ、めんどくせ〜」
そうボヤくと、気乗りしなさそうな様子で下駄箱へ向かい、上履きに履き替える。
正面の階段を見上げ、重たい足取りで三階へと上がっていく。
廊下の突き当たりにある教室に入ると、すでに数人の生徒が談笑していた。
翔真は教室の後ろの方、自分の名前が書かれた席を見つける。
席に着くと、カバンを置いてそのまま椅子に腰を下ろした、その時。
――ピロン♪
席に着いた瞬間ポケットにしまってたスマホから小さく音が鳴る。
(……?……んだよ、咲凪か)
翔真には双子の妹である龍禧 咲凪がいる。
通知画面を開くと、咲凪からのメッセージが表示される。
「翔真、教室着いた? 私は1-Bだったよ!三階、眺め最高〜!」
(…咲凪は隣のクラスかよ。ま、同じクラスじゃないだけマシだな)
翔真はスマホの画面を軽くタップし、素早く返信を入力する。
「今着いた。俺はA組。一番端だし、三階とか購買遠くて最悪。」
すぐに既読がつき、また咲凪からの返事が返ってくる。
「A組なら隣じゃん!食べ物の事ばっかり〜。眺めいいなとか、そういう感想は出てこないの?」
(ったく、咲凪は何にも分かってないんだよなー)
翔真はスマホを少し睨むように見つめ返信する。
「俺は、舞高の惣菜パンが美味いって聞いたから入ったんだよ」
軽くため息をついてスマホをポケットにしまうと、
後ろから聴き覚えのある声がした。
「よっ、翔真!!」
肩をバンッと叩かれ、振り返ると見慣れた顔が二つ。
元気そうにニヤニヤしながら笑っている弐四片 瑛祐と
その隣にはにこっと微笑む須藤 橙理が立っていた。
二人は翔真の小学生からの幼馴染であり、親友。
「お前にしては来るの遅かったな!クラス分け見て、全員1-Aって分かった瞬間から、オレずっとテンション上がりっぱなし!」
そう言うと、瑛祐が嬉しそうに肩を組んでくる。
少し顔をしかめながらも、翔真は肩を預け返した。
「……相変わらず朝からうるせぇな。でもまあ、同じクラスでよかったわ」
いつもの調子で淡々と返す。
その態度を見て、瑛祐は翔真の肩を軽くポンポンと叩いてくる。
「つれねぇなぁ〜。せっかく同じクラスになったんだし、もっとテンション上げようぜ? 今日から楽しい高校生活の始まりなんだしよ!」
橙理は、じゃれ合う二人を眺めながら微笑む。
「ほんと、瑛祐はいつも元気だよね。でも……俺も嬉しいよ。三人一緒のクラスで、ちょっと安心した」
瑛祐は両手を後ろに組み、軽く背伸びをして言った。
「ま、オレがいれば、退屈はしないだろ?」
翔真は肩をすくめて、苦笑いしながら言う。
「……相変わらず、調子いいなー」
橙理はニコニコしながら、軽く翔真の肩を肘で突いてきた。
「そーいや咲凪は、どこのクラスだったの?」
翔真は少し気の抜けた声で返す。
「あぁー咲凪ね。さっき連絡きた。1-Bだったらしい」
瑛祐はニヤニヤしながら、翔真の顔を覗き込んできた。
「へ〜もう連絡来たんだ。相変わらず仲良いよな、お前ら。」
翔真は眉間にしわを寄せ、少しうっとうしそうに言う。
「別に、普通だろ?」
そうして三人で話していると、始業のチャイムが鳴った。
それを合図に談笑していた生徒たちは、自分の席へ戻っていく。
やがて、教室の扉が「ガラッ」と音を立てて開き、担任の教師が姿を現す。
入ってきたのは、タイトなパンツスーツに身を包んだ女性教師だった。
癖のある茶髪を後ろで束ね、眼鏡を掛けていた。
先ほどまで賑やかだった教室は、瞬く間に静まり返った。
名前順で一番先頭の生徒が、担任から号令を命じられる。
「起立、気を付け、礼!着席!」
「はい、新入生徒のみんな、宜しく。私が今日からこのクラスの担任になった荒木朋実です。」
女教師は、簡潔に自己紹介を終えると軽く会釈した。
「新しい高校生活が始まり、緊張してる子もいると思うけど……落ち着いていきましょう。これから一年、よろしくね」
声には穏やかさと淡々とした調子が混ざっていた。
笑顔は一応浮かべているものの、どこか冷たさを感じる。
「では、まず始めに出席確認をします。番号順に名前を呼ぶので、返事をしてください。」
生徒の名前が一人ずつ読み上げられていく。
「はいっ!」と張りのある声を出す生徒もいれば、緊張で声が少し裏返る者もいる。
少ししてから、翔真の名前が呼ばれた。
「龍禧 翔真くん」
「……はい」
一拍遅れて返事をした翔真に、荒木が目を向けた。
彼女の手元の名簿がわずかに止まり一瞬だけ、視線が鋭く細められた。
翔真はその視線に気づき、わずかに眉をひそめたが、すぐに何事もなかったかのように視線を逸らした。
再び名簿に視線を戻し、淡々と出席を続ける荒木。
隣の席では、瑛祐がすっかりくつろぎモードになり、椅子に浅く腰掛けていた。
少し離れた席にいる橙理の方に視線を向けると、きちんと背筋を伸ばし、落ち着いた表情をして座っていた。
ホームルームがひと通り終わると、荒木が手元の資料を確認しながら口を開いた。
「では、このあと体育館で入学式があります。静かに廊下に並び、移動の準備をしてください。」
教室の中に椅子が引かれる音や、話し声が響く。
生徒たちは、廊下に出ると、担任の指示に従って列を作っていく。
翔真も立ち上がると、軽く伸びをしてから列の最後尾に加わった。
窓の外では、春風に揺れる桜の木から花びらが舞っていた。
校舎の外に広がる校庭には、新生活を歓迎するかのように、陽射しがやわらかく降り注いでいる。
翔真は、背中に垂れた後ろ髪に手を伸ばす。
三つ編みに結ばれた髪を一度ほどき、指先で素早く編み直していく。
慣れた手つきで、ヘアゴムを締め直すと、前髪をかき上げるように整えた。
(――さて。今日から“新たな生活のスタート”だな)
列が動き出し、廊下に並んでいた生徒達は静かに体育館へと向かった。
⸻入学式終了後。
教室に戻り、短いホームルームを終えると、翔真は荷物をまとめて教室を後にした。
下駄箱で靴を取り出していると、背後から大きな声が聞こえてきた。
「おーい翔真!一人で帰んのかよ!ちょっと寄り道しようぜ!」
声の方を振り返ると、翔真を追いかけるように瑛祐と橙理が走ってきていた。
翔真は靴を履きながら返事をした。
「……寄り道って、どうせあそこだろ」
瑛祐は得意げにニッと笑い、指をピンと立てて言った。
「正解〜!クロノスタジアム!んで終わった後KIRAのバーガー食おうぜ!」
橙理は息を整えながら翔真の隣に並ぶと、やさしく問いかけた。
「翔真も一緒行かない?」
「いやいや!三人同じクラスになった記念なんだから、翔真、お前に拒否権はない!強制連行な!」
そう言うと同時に、瑛祐は勢いよく翔真の肩をガシッと掴んだ。
「うおっ、強ぇなオイ……!お前、腕力だけは無駄に成長してんだよな」
「だろ〜?鍛えてますから!上腕二頭筋!」
翔真にそう言われると、瑛祐はちょっと大袈裟に両腕を曲げてマッスルポーズを披露する。
「瑛祐って、いつも強引だよね〜ほんと脳筋バカ」
その様子を見た橙理は、苦笑しながら言う。
「んだよー橙理!人聞き悪いわ!これはリーダーシップってやつ!強引とは違ぇの!」
瑛祐は肩をすくめ、口を尖らせながら言った。
「はいはい、自己評価だけは一丁前〜」
「ハイハイ、これ以上文句は受付けませーん!これは友情を深める為の強制イベントでーす!」
翔真は、隣で騒いでいる二人の様子を横目に見ながら、笑って答えた。
「……わーったよ。どうせ空手部は明日からだしな。今日は瑛祐に付き合ってやるよ」
翔真の返事を聞いた途端、瑛祐は「よっしゃー!」と両手を突き上げて喜び、橙理も嬉しそうに目を細めた。
二人ともテンションが一気に上がり、顔を見合わせる。
(何だかんだで、こうして二人と一緒にいると楽しいんだよな。)
気づけば、少しだけ笑っていた。
瑛祐に「おい、なにニヤついてんだよ」と言われると翔真は少し照れくさそうに「……なんでもない」と言って空を見上げた。
―三人で並んで歩く帰り道。
坂道をくだりながら、瑛祐がまた何か話しはじめる。
翔真はそれを適当に聞き流しつつ、ぼーっとしながら歩いていた。
外の歩道も制服姿の学生達や、入学式を見に来た父兄で賑わっていた。
行き交う人混みの中、ふと翔真は足を止めた。
突然、誰かにじっと見られているような視線を感じる。
顔を動かして横に視線を向けた。
視線の先には、ベンチに座っているスーツ姿の男性が、スマホを見ていた。
その隣では、女子高生たちが大声で笑っていて、誰かがこちらに視線を向けていた様子はない。
でも、確かに強い視線を感じた気がした。
「おーい、翔真ー!なに突っ立ってんだよー」
瑛祐の声が辺りに響く。橙理も振り返り、翔真の方を見た。
(……気のせい、だよな)
翔真は何も言わず、二人の元へ歩き出した。
国道沿いまで来ると、三人は信号待ちで足を止めた。
信号が青に変わると、瑛祐と橙理が先に横断歩道を渡りはじめる。
翔真は少し遅れて、その後を追うように歩き出した。
その時、背後から来た自転車が突然ベルをチリンと鳴らした。
翔真の心臓が一瞬跳ねる。
普段なら気にも留めないような些細な出来事なのに。
今日は、なぜか神経に触った。
靴底のアスファルトを踏む音だけが妙に響く。
またしても、交差点の向こうから強い視線を感じる。
だが、視線を向けた先には誰もいない。
(……錯覚か?)
翔真は自分の感覚に違和感を覚えながらも、横断歩道を渡りきた二人の後を追うように、足を速めた。
―舞ノ濱高校、通学路の途中にある給水塔の上。
誰もいないはずのその場所に、一人のある人物が佇んでいた。
黒いロングコートに黒のハットを深く被っている。
顔は仮面で覆われ、表情は一切読み取れない。
地上を歩く一人の少年――翔真を、静かに見つめていた。
「……なぁ。早く呼びかけて、龍禧 翔真」
ロングコートの裾が風に揺れている。
次の瞬間、謎の人物は音もなくその場から消えていた。
その存在に、誰も気づくことはなかった。