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みな誰かの裏切り者  作者: 森谷賢俊
第二章 『記憶の幻肢』
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第七話『教祖さま』


「ダイチ、アオゾラ。ごめん、ちょっと遅れた」

「ううん、大丈夫だよ。それより騎士団の方は大丈夫だった? 無理に手を貸してくれなくても全然いいからね」


 詩人も夜空を眺めるのをやめて眠りにつく頃、俺たちは村の入り口で合流した。なるべく音を立てないよう軽装で外に出たが、春先の山の風はそんな事情など考慮してくれない。


「それじゃあ行こうか。二人とも、足元に気を付けて、僕たちを見失わないようにね」


 狼が描かれた看板を横目に見ながら歩き出す。ひとまず今は目の前のことに集中しよう。

 件の遺跡へは、本流から外れた河川を辿って山を下るらしい。つい癖で描きたくなるほどに冴えた月明りが夜の世界を深い藍色に浮かび上がらせる。ダイチとアオゾラのぶら下げた鏡が時おりそれを反射して煌めく。


 今回はラリスを連れて来ていないため、アサヒに手を引いてもらう形で山道を進んでいく。確かな存在を感じられるその熱が冷えた身体に心地好い。やはり、先ほどの出来事は全て悪い夢だったのかもしれない。そう思うと気分も楽になった。


「異言爺のせいで、なんかちょっと怖くなってきたよ……さっきのお化けとか出ないよね?」

「わ、私、幽霊とか苦手だからそういうのはちょっと……」


 俺を掴む手にぎゅっと力が込められた。正直、俺もあの老人には怖い思いをさせられたので元気付けられる自信がない。それを紛らわせるようにこちらも強く握り返す。

 十五分ほどが経過した。木々の数が減り、視界が開けると砂礫が扇の形に広がった傾斜面に出た。所々朽ちてしまった石の造形物が無数に並んでいる。月明かりが鮮明に降り注ぎ、それらを墓標のように照らす。できるだけ目に入れないように通り過ぎ、少しだけ下ったところに、ひと際大きな岩が佇んでいた。


「ここが入り口だ」


 熊の巣を彷彿とさせる洞穴が岩影に溶け込んでいる。ここからは俺たちの出番だ。いかにも怪しそうな空気が漂う中、ゆっくりと、慎重に入っていく。月の目の届かない暗闇だ。

 ダイチから松明を受け取り、俺はアサヒと横並びになって杖を前に伸ばす。


 トン、トン。

 柔らかい土の感触だ。

 道は緩やかな坂となっており、少しずつ高度が下がっていく。


 コン、カーン……。

 杖先が石に当たった音だ。反響から推定される空洞の広さは想像を上回っている。ここは宗教施設だという話だったが、勇者信仰にこういったものはなかったはずだ。


「……ダイチ」

「うん。どうやら腕が近いみたいだ。痛みが……くっ、急に激しくなってきた」

「分かった。ここからは特に用心して動こう」


 言ってはみたものの、何に用心すればいいのか自分でも判然としない。何かの罠があるのか、野生動物がいるのか、はたまた噂に聞く人狼……魔界の魔物でも潜んでいるのか。朽ち果てた遺跡となってはどれもあり得ない話ではない。

 考えてみれば、こうやって人間の手の行き届いていない場所に足を踏み入れた経験などなかった。最も安全な王都で生涯を過ごし、任務で他の土地へ赴いた際にも、人のいる村や騎士団の調査が済んだ領域内で全てが完結していた。


 自分の目と足で、一歩ずつ暗闇のなかを進んでいくのは未知の恐怖を感じさせた。

 みんなと相談して分かれ道を曲がり、印を付け、方角を確認し、倒壊して塞がった道を引き返し、杖を鳴らしながらより奥の方を目指した。所々にあった祭壇の残骸や教典の切れ端らしきものなどが、やはり宗教施設だということを再認識させる。


 どれだけ経ったのか。時間の感覚が薄れ、どの方角を向いているのかも曖昧になってきた。未確認の分かれ道も数え切れないほどだ。これ以上はもう、と言うタイミングを誰もが見計らっていた時に、それは出てきた。


「……石像だ」


 立派な勇者像が立っていた。肩から先が欠けていたり外套がほとんど崩れていたりと年季を感じさせる風貌だが、他でもない俺が見間違えることはない。


「でも、なんでこんなところに」


 純粋な疑念を口にしたアサヒに、俺も心の中で同意した。

 勇者像を造るにあたって、地下に置いてはいけないという規律は存在しない。しかし、勇者信仰およびその礎となる王族や騎士団では太陽が神聖視される。時計を象った旗印も、儀式の際に太陽光を特殊な形で活用するのもそれが理由だ。窓付きの屋内ならともかく、一切日の当たらない場所に設置するというのは、立地以前の問題となる。

 また、造形に関しても疑問がある。救世の勇者は初代国王の予言によって語り継がれてきた存在だ。魔王を打ち倒す者としての言及だけが残り、外見の描写は皆無だった。


 要するに、月次(つきなみ)アキラという青年が勇者になるということは、祭礼の剣を握るまで俺自身や両親ですら知り得なかった。では個人が特定される前の時代の画家や彫刻家たちが勇者をどう造形してきたかというと、顔貌や身体的特徴をぼかし、各々の理想像を空想したのだ。事実、王都に限定しても、造られた年代によって細部の差異はかなり分かりやすい。

 それは最近の勇者像も同様だ。俺に寄せようとしている雰囲気は感じ取れるが、既存の作風に影響を受けたか、どことなく製作者の趣味が反映されている節がある。ただし、その点において目の前の勇者像は、月次アキラという人間を正確に写し取っていた。


「うぐっ……!」

「い、いたいよぉぉ…………っ」

「っ、ダイチ⁉ アオゾラ!」

「大丈夫⁉」


 石像に意識を集中し過ぎていた。崩れ落ちるうめき声を聞き、慌てて走り寄る。二人とも、存在しない方の腕を強く握り潰す勢いで押さえつけていた。ダイチは膝を突いて蹲り、アオゾラはジタバタと転げ回る。低く高い悲鳴が空しく鳴り響く。


「これ以上は危険だ! アサヒ、二人をつれて——」


 ——地上に戻ろう。そう言いかけた時だった。

 ダイチを担ぐために、折れた柱の上に立てかけた松明がそれを照らした。来た道を示すための跡を、まだここには刻んでいないはずの印を、ひび割れと勘違いしないようにわざわざ選んだキツネの絵を。

 息が詰まって思わず松明を放り投げた。石像の奥、開けた空間が淡く照らし出される。

 ぶわっと生温い風が吹き抜ける錯覚があった。


「ぁ……」


 ひどく、懐かしい感慨に全身が浸る。

 自分でも知らなかった故郷、風の運ぶ匂い、家具の配置、寝る時に見える天井の模様、従う信者たち、血の臭い、教祖さまと叫ぶ声、合唱、賛歌、断末魔。それらの温度。

 拾い上げた炎のゆらぎのなかに、いつかの光景がありありと立ち現れる。照らされた箇所だけが昔を思い出し、再現しようと胎動する。俺が歩けばいつかの光景は推移する。薄暗さも寒さも感じない。郷愁に駆られて歩いていると、突き当たりにぶつかった。


 大きな両開きの扉だ。

 その持ち手を、二つの片腕がそれぞれ掴んだままぶら下がっている。伸び切って半端な長さで折れた爪をそれでも手に食い込ませ、血が滴り、浮き出た筋に沿って流れ落ちる。繋がるはずの肩を失った先端部位を扉に何度も打ち付ける。


 この腕は、過去の断片ではない。現実の物体だ。身体がないのだから、その場でどれだけ力を込めても扉は開かない。道理の分からない児戯を眺めているような気分だった。

 自分だったら簡単に開けることができるのに、と一つの場面を頭のなかで想像した。すると、頭に思い描いた光景と全く同じ動きで扉が開いた。


「アキラっ! 何を見てるの⁉ しっかりして……戻ってきて!」


 足を踏み出すが早いか、後ろから誰かが抱きついてきた。額に記憶に新しい手の温もりと、心地良い香りがふわりと鼻腔をくすぐった。


「…………、……ぁ? ……——が、ぁっ⁉」


 その感覚を自覚した途端、頭をとんでもない激痛が襲った。バチバチと火花が迸る。思考する回路が焼き切れる。熱と電流に脳みそをぐちゃぐちゃにされている。


「はぁ…………、はぁっ……はっ……! あ、あさひ……うぐっ⁉」

「大丈夫。私はここにいるから。大丈夫」


 頭を、顔を、肩を、胸を、腹を、腰を、足を、ユ——アサヒの温もりがくまなく包む。凍てついた脳の一部がさーっと溶けていき、視界を澄んだ光が染め上げる。そこで初めて、直前までの灯火がいかに暗かったかに気付いた。どうしてあれを明るいと思えるのか。懐かしいなどと思えたのか。

 目を覚ましてようやく違和感が浮き彫りになる。それは白昼夢の感覚によく似ていた。


「……は、はっ……ああ、うん。ありがとう……落ち着いて、きた、たぶん」


 明瞭な五感で意識を掴み、呼吸を刻む。規則正しい鼓動と息の音が時間を想起させる。

 扉は先の見えない暗闇を湛えて大口を開けている。どこからともなく風が吹き、吸い寄せられそうになる。アサヒから杖を受け取って立ち上がった。後ろから抱き締められた勢いで松明は扉の向こう側に落ちている。至って普通の炎だ。もう幻覚は浮かび上がらない。


 ただ、そこに踏み入る足があった。


「ダイチ! 腕は大丈夫か⁉」

「……ありがとう、アキラ。アサヒ」


 ぺたり、ぺたり。片腕が蛇のように這い寄り、松明を掴む。形からして右腕だ。ダイチはそれを左手で受け取り、鈍い動きで持ち上げた。

 中の見えない暗闇にその姿が浮かび上がる。目元が窪み、唇はひび割れ、すっかり痩せこけた姿だった。生気が感じられない。


「君たちのおかげで辿り着けたよ。僕たちとこの場所だけじゃ、足りなかったから」


 彼の隣にアオゾラが並び、青白い顔色が妖しく照らし出される。だらりと下がった右手は、左腕の手首を掴んでいる。


「どういう、ことだ? その腕は……」

「これはね、お供えだよ」アオゾラが左腕を胸の高さに掲げる。「パパとママはわたしたちを百代(はくたい)さまに捧げようとしたんだ。でも儀式が不完全だったんだろうね。当時赤ん坊だったわたしたちは、両手を合わせて祈る術を知らなかったから」


 自虐、ではなく過去の愚かさを悔やむ声でそう言い放った。


「百代さまって……なに? 二人は妙な宗教について知ってたの? なんで腕が勝手に動くの? なんで二人とも平然としてるの? なんか、今の二人……ちょっと怖いよ」

「妙なんかじゃないよ。わたしたちは幼い頃からずっとずっと百代さまを崇めてきたもん」

「じゃあ、この遺跡に来たのは……」

「パパとママがやり遂げれなかった儀式を引き継ぐこと。アキラが記憶の鍵を持ってて助かった。本当にありがとう」


 アオゾラがはにかむ。そして振り返った暗闇のなかに何かを見る。色や形を持ったものではない。極めて概念的で形容しようのない何かが部屋の中に在った。

 アサヒはわなわなと唇を震わせる。


「私たちを利用したってこと? …………嘘を、ついてたの?」

「嘘じゃないよ? 両親の死んだわけを知りたいのも、何があったかを知りたいのも本当。さっきようやく答えが分かったの。だからありがとう。ここからはわたしたちでやるよ」


 祝福によれば、その感情は本物だ。穏やかに静まり返った情動の波が寄せる。二人の波は打ち合わず、時計の歯車のように噛み合って調和している。


「そんなの駄目だ! 危険すぎる! 今度は腕だけで済まないかもしれない!」

「……なんでそんなこと言うの? わたしたちの、たいせつな神様なのに」

「人を捧げる信仰なんて聞いたことないよ! そもそも王国には勇者信仰しかないはずだ! 産まれてすぐに生贄として捧げられて、家族と腕を失ったのに、なんで……二人だって、勇者を……俺を信じて遠征を支援したり、興味を持ってくれたんじゃないのかよ」

「えっ、違うよ? アキラのことは信じてるけど、別に信仰の対象じゃない。友人としてだよ。勇者はすごいしかっこいい。魔王を倒せば平和になる。それを応援する気持ちと、別の神を信じる気持ちは矛盾しないでしょ? ……勇者を信仰してるなんて、そんなこと一言も言ってない」


 足元が音を立てて崩れていく。縁上麓で築き上げた友情は、信頼は、俺が勝手に思い込んだものに過ぎなかった。自らの意志で神に身を捧げるのを見ているだけなど、こんな関係を友人とは呼べない。


「アキラ。どうやら僕たちは最初から最後まですれ違いをしてたみたいだね。前提の認識が違ったっていうか……言葉足らず、だったのかな。ごめんよ。僕たちは外の世界をあまり知らないから」


 それは隔絶の言葉だった。分かり合うには致命的な段階を過ぎてしまった。謝罪を受け入れるには理解が及ばなかった。外の世界なんて、知る気もない二人には。

 対話に到るための距離が果てしなく遠い。俺がどれだけ手を伸ばしても、彼らの手はすでに神を拝むために塞がれている。


「——虚ろい記の奥の憶に(あら)れます百代の神よ——」

「——磐座の層々(そうぞう)にて、我らにもたれかかり給え——」


 ダイチは左手を、アオゾラは右手を互いに向け合い、一つの合掌を行う。


「まて……っ、ああ、クソっ!」


 強引にでも止めるべきだと思って踏み出した足が二つの腕に捕まれた。身体を持たない腕だ、振り切るのは難しくない。しかし一歩遅れた。情動の波が二人を覆い隠し、ここではないどこかへと攫っていった。感覚の視野が真っ暗になる。


「な、なに? どうして立ち止まったの?」


 変化は一瞬の出来事だった。


「来ちゃ駄目だアサヒ! こいつはもう——」


 ——黒く塗り潰された顔が至近距離に迫っていた。表情は見えない。見なければ、と眉をひそめるのと同時にその油断を後悔した。


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