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みな誰かの裏切り者  作者: 森谷賢俊
第二章 『記憶の幻肢』
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第五話『伝説に聞く勇者』


 出立を見送る人々の激励を背に、俺たちは王都を離れた。天気は昨日に続く快晴で風も心地好い。魔王の存在など性質の悪い虚構なのではないかと疑いたくなるほどに、平穏な空気が肌を撫で付ける。

 遠雷のようなお祭り騒ぎで麻痺した耳が落ち着いてきた頃、俺たちは縦隊を成して山の中を歩いていた。山とはいっても遠征用に舗装された道だ。規則正しく響く足音が、陽の光をたっぷりと含んだ新緑の間を潜り抜ける。木々の向こうへ視線を向けると、そこだけ異様に雲の位置が低く落ち込んだ場所が見える。


「そろそろ休憩にしましょう」


 団長の一言に後列から安堵の声が上がった。みな、慣れない激励の嵐と決戦への緊張で、どこか疲労が空振りしたような顔だ。そんな彼らも荷を下ろすと、緑豊かな自然の景色に目を見開く。せせらぎは固まった足腰に活気を与え、手に自ずと水筒を持たせる。


「全員注目! 我々はここで昼食をとる。水は沸騰させてから飲むこと。独断行動をとらないこと。再出発は一時間後。各分隊は決められた通りに準備を整えておきなさい。以上! 赤き心を灯せ!」

「「「赤き心を灯せ‼」」」


 よく通る号令にそれぞれが動き出す。役割と手順は肉体に染み付いているため、誰が何をするか話し合う必要もなく、自然のなかに淡々と局地的な秩序が敷かれる。

 遠征に出た騎士団の内訳は、以下のようになっている。


 全体的な作戦の指揮をする団長と副団長の二名。

 指揮を中継し、適宜、団員たちをまとめる分隊長が四名。

 その他雑用、基本的な戦力として数えられる団員が各分隊に八名ずつ。

 以上、合計三十八名。そして特別補助役としての盲導犬が一匹。


 いくつかの指定の村に滞在してその都度物資を補充することと、ユナという第二分隊長の祝福の使用を計画に組み込んでいるので、直接携帯する物の量は割と少ない方だ。しかし全体を通して使用できる量には限りがある。決して潤沢なわけではない。

 三十八名という人数をおよそ三週間にわたって動かし続け、その果てに魔王との戦いが控えていると考えると、やはり心許ないというのが正直なところだ。欲を言えば、合間に荷物を運ぶための馬車や節約をせずとも足りるだけの物資提供が望ましかった。国王との対話が真に必要だったのは、ハルよりも俺の方だったかもしれない。


 無論、それ以外の部分では譲歩する余地などない。この遠征のために何度も長期的な移動任務をこなし、極限環境での対応や戦闘訓練を欠かさなかった。団員同士の連帯感も素晴らしい。ただ、本番の負担はそれらの比ではない。文字通りに数百年の重みが肩に圧し掛かっている。歴史の主役になるということは、安全地帯で妄想している時が最も気楽なものだ。

 俺はややぎこちない顔をした団員たちの間を抜け、隊列の先頭へと向かう。


「報告します! こちら第一分隊、総員八名、健康状態に問題なし。以上です」

「報告します! こちら第二分隊、総員八名、健康状態に問題なし。以上です」

「うわっ! びっくりした……」

「ふふん。普段だったら足音で気付くのに、油断してたでしょ」


 いつの間にか背後にアサヒが付いて来ていた。いつもよりかなり控えめな、自然環境と溶け合って区別もつかないほどに透明感のある香りだ。驚いたが、相変わらずの態度に少し安心する。


「まあ、ひとまずは順調ね。昨日はどうなることかと思ったけれど」


 現在の進行状況について話していると、団長がすっと視線を移した。第三分隊長の寿ナオキと第四分隊長の花筺(はながたみ)ユナだ。同様に問題なしとの報告をする。そして最後に、昼食の準備を仕切っていた副団長のヒロミさんがやって来る。


「みんな、準備できたよ。ご飯の時間だ」


 緊張や疲れを感じさせない騎士然とした顔に、見ている方も思わず顔の筋肉を引き締める。部外者の目が無いといっても、騎士の風格はこうした場面で試されるのだ。こればかりは弁明の余地もない。アサヒの言う通りだ。

 昼食は干し肉とパンだった。両親が振る舞ってくれた夕食には遠く及ばないが、というよりは旅立ち前の晩餐が異常に豪華だっただけで、こちらの方が馴染み深い食事ともいえる。鍛えた顎の力が試される。


 ——と、普段だったらそうなるところだが、勇者の名をほしいままにする俺は、昨日の残りのシチューを少し持って来ている。景色を見るふりをしながらみんなに背を向けて座り、懐からそれを取り出した。

 ちぎったパンでシチューを掬うようにして持ち上げ、垂れ落ちる前に口から突っ込む。いくつもの野菜が溶け込んだ味わい深さと、食べ応えのある食感。血流が脈打つ。細胞が騒ぎ立てる。特殊な状況下における感情のスパイスもあってか、それは想像を遥かに超える境地に俺を運んでいた。


「アキラ?」


 俺を呼ぶ声と爽やかな香りがした。その瞬間に直感する。昨日も見た光景だ。だが立ち位置が違う。

 刃を、突き付けられている。今度は俺が。


「やっぱり、普段だったら足音で気付くのに。……ね、してたでしょ? 油断」

「私も言ったはずよね? 独断行動をとらないことって」

「アキラ、すまない。私は二人を止めようとしたんだが、口が言うことを聞かなくて……なんたって口は言う側だからね」


 三つの影が手元に差し込んでくる。がつがつと鼻息を荒くして餌を貪る音から、ラリスもとうに買収されたことが察せられる。

 さて、アサヒ、団長、ヒロミさんという騎士団の上位陣を前に、俺に出来ることは少ない。全てが決定的に遅いことは明らかだった。こういう時に言い訳は逆効果だということを俺は経験則から知っている。今における最善の選択は、最悪を引き寄せないことだ。


「ここは一つ、穏便に対話を……話し合いをしましょう」俺は振り返って先手を、「……ちょっと! か、乾パンを投げるのはよしてください! 保存食の在庫と俺の命が危ない!」


 首筋にあてがわれた刃をすっかり失念していた。そもそも選択肢などなかったのだ。

 俺はおとなしくシチューを差し出し、団欒の場を提供する。騒ぎに駆け付けた団員たちの熱量は凄まじく、昼食は瞬く間に消え去った。騎士団の士気向上に貢献したと考えよう。


 想定より早く食べ終わったせいで、片付けをしても再出発の時間まで余裕ができた。木の実を採ったり水辺で顔を洗ったりと、各々が自由に行動する。そんな中、アサヒは当たり前のようにコーヒー器具を一式取り出してせっせと準備を始めていた。粉状に挽いたコーヒー豆を細長い鍋に入れ、水を注ぐ。そしてじっくりと沸騰させる。手順自体は簡単だが、分量と火加減を調節する彼女の目力は獲物を捕らえる時のそれと同等だ。


 俺は絵の道具を取り出して軽くスケッチをする。さすがに昨日のように大きく色鮮やかな絵は描けないが、大まかな景色を写し取るには十分だ。

 いつの間にか出来上がったコーヒーカップに口を付けながら、アサヒは何も言わずにそれを眺めている。俺も彼女の前でなら人の目を気にせずに絵を描くことができる。シチューの件は残念だが、こういう時間が確保できたのは悪くない。


「わー! いい香り!」


 馥郁たる食後の雰囲気が辺りに漂う。香りに引き寄せられた団長とユナが混ざれば、立派な女子会の完成だ。しかも何の因果か、昼食の事件を語っていたかと思いきや、三人の口はコーヒーと共に極々(ごくごく)自然な流れで俺に関する話題に移ろい始める。


「まあまあ、元気出しなさいな。私がコーヒーでも淹れてあげるからさ」


 俺の居場所が、嗅覚と聴覚から消えていく。ここは去るべきだと瞬時に悟った。


「俺、別にコーヒー好きじゃない……」

「でも昨日は一緒に飲んでくれたじゃん」

「一息つく時ならいいけど、今の俺は心中穏やかじゃないので……」

「まあまあ、そんなこと言わずにさ!」

「ぐえ……」


 腕を引っ張られた拍子に持っていたノートが落ちた。アサヒがそれを拾い、中身をパラパラと見る。


「あっ、太陽の絵! なになに、私が恋しかった? 呼んでくれればいつでも描かせてあげるのに」

「いや、ごめん、それ太陽じゃなくて虹の絵なんだ……でもなんで丸に描いたんだっけ。うーん、思い出せない……すごく幼い頃のものだから」

「ちぇー。ちょっとがっかり」


 横から顔を出したユナが絵を見て首を傾げる。


「そういえば、アサヒ先輩の名前ってそのまま太陽の意味なんですか?」

「んー? 名前? えっとね……確か、私がお母さんのお腹から産まれた時が朝方だったらしいんだよね」

「なるほど……じゃあもし夕方に産まれてたら、ユウヒ先輩になってたんでしょうか」

「かもね。あ、でも別に適当に付けたわけじゃないよ。私がどこに行っても、朝起きて空さえ見れば私のことを思い出せるからって。まるでこうして騎士団に入るの、分かってたみたいじゃない?」

「へ~不思議ですね! なんかちょっとほっこりしました!」

「そういうユナはどうなの? 可愛くて個性的な響きだけど……あっ、ごめん」

「あ、謝らないでください! あたしは大丈夫ですよ! 親の顔は覚えてないですが、この名前だけは唯一覚えてたので気に入ってるんです……騎士団の皆さんにも、よくしてもらって。あたしは幸せ者です」


 アサヒと団長がユナの頭をよしよしと撫でる。彼女たちの意識が互いに集中し始めた頃を見計らい、俺はその場を脱した。素早く視界が遮られる岩陰を探してうろうろする。少し行ったところに、黒々とした岩肌を煌めかせる川の流れがあった。

 その端に、何やら小さな祭壇を見つける。積み上げた石に草を絡め、門の形に固定した簡易的なものだ。ただ、肝心の神像や供え物が見当たらない。雨などで流されてしまったか、野生動物に持っていかれたのだろうか。


 それからは滝の水を剣で斬ろうとするヒロミさんと実りのない会話を交わし、やがて一緒に集合場所に戻った。団員たちと諸々の確認作業を終えてから再出発する。

 大きな背嚢の重さを肩に感じる。背負った期待に比べれば軽いものだが、何事も積み重ねが重要だ。これから山を登り続け、日が沈むまでに指定の小屋に辿り着かなければならない。さらには決戦を控えているため、できるだけ体力の消耗を抑える必要がある。それ以外にも歩きながら考えるべき点はいくつもある。それこそ地道にだ。


「それでは出発する!」


 団長の号令に俺は気を引き締めた。首に下げたおまもりは、まだ軽い。




 翌日の昼過ぎになって、騎士団は縁上麓(えんじょうろく)という村に足を踏み入れた。最初に滞在する予定の補給地点だ。狼にバツ印をつけた看板が入り口に目立つ形で立てられている。

 麓という名前のせいで油断していたが、実際は段々と連なった山脈の中腹だった。低空を這う雲が来た道を覆い隠し、まるでここが麓であるかのように錯覚させる。雲海を突き破って反り返っていることから、ここ一帯は鳥距(ちょうきょ)山脈と呼ばれている。


 村の標高はさして高くないはずだが、都市から隔絶された空気と雲の地平を望む静謐な景観が脳を揺らす。何人かが頭痛や吐き気を催し、不気味なものを感じて胸や腕をさすっていた。かくいう俺も、喉の奥に何かが引っかかっているような、あるいはこみ上げて来ているような違和感があった。それを水と一緒に呑み込む。

 木でできた簡素な入り口の前で整列していると、村の中から二人の男女が出てきて恭しくお辞儀をした。


「「縁上麓へようこそ。わたしたちは村長の代わりに案内役を務めさせていただきます」」男の方が先に頭を下げ「ダイチ」、女の方が続けて名乗る。「アオゾラと申します」


 まだ顔に幼げな雰囲気を残した二人は、声と動作を揃えて村の中へと俺たちを促す。糸で繋がっているかのように調和のとれた動き、空の青さを同じ度合いで反射する瞳、全てが二人を一つの存在として捉えている。双子なのだろう。

 団長が前に進み出て騎士の敬礼を見せた。一拍ののち、三十七の足音と腕を振る音が重なる。


「我らはラビオ騎士団。魔王討伐の遠征に参った」


 二人が首肯する。そうして先導するために身を翻した折に、奇妙なものが見えた。いや、正確には見えるはずのものが見えなかったというべきだ。肩から肘、そして上腹部までを覆った丸い貫頭衣の下には腕がなかった。

 ダイチさんは右腕を、アオゾラさんは左腕をそれぞれ風に吹かせている。単純に身体の一部を欠損したというだけなら王都でも稀に見ることができる。しかし、それが双子で腕を一本ずつとなれば、なにか痛々しいものを連想せざるにはいられない。苗字を名乗らなかった理由もまた、そういった背景が関係しているのかもしれない。


「ワオン」


 足元のラリスが鼻を押し付ける。感情が顔に出ていたようだ。すぐに気を引き締め、歩き出す。憐憫は健全な対話の架け橋にならない。同情は救済を呼び寄せてはくれない。

 ただ、人々の内情と想いだけを心の隅に留め置き、自らに問いかける。それが正義感の正しい使い方だと俺は思っている。


「それでは、さっそくですが騎士団の方々には検査を受けていただきます。わたしたちの村の規則ですので、なにとぞご容赦ください」

「ああ。話は聞いている。みな、一列ずつ前進しろ」

「「「はっ」」」


 この村にはしきたりがある。外部の者が立ち入る際には必ず行わなければならず、当然ながら救世の勇者だとしても免れない伝統的な手続きだ。

 手順は以下の通りだ。ダイチさんとアオゾラさんが入り口の左右に立って互いを向き合う。その手には半月の形をした鏡が掲げられており、俺たちは入る前に二つの鏡を交互に覗き込むというものだ。


 これは人狼を判別するための儀式だ。数百年も前の時代、それは死したはずの人と寸分違わぬ姿と言葉を以て村に溶け込み、一晩の間に三十二の無辜なる村人、そして四十八の羊を食い殺したのだという。被害の数や潜伏していた仲間の有無など、資料によって事の仔細が異なるが大筋は共通している。この儀式は、過去の惨劇を繰り返さないための防衛儀礼だ。


 まず代表者として団長が挑む。特に異常もなく、すぐに通過してこちらを振り返った。副団長のヒロミさんは全体を挟む形で最後尾に位置している。

 俺は二歩ほど前に出る。団長と同じように、体ごと右の鏡を向いてから左の鏡を向く。ぼやけた自分の顔が映っていた。ダイチさんとアオゾラさんの二人も、互いの鏡越しに俺の顔を確認したはずだ。もしも人狼だったらそこに本性の姿が現れるらしい。


 大仰に聞こえるかもしれないが、さして複雑でもない単純作業だ。これで一定の信用を得ることができると考えればむしろ好都合ともいえる。第一分隊の全員が無事に通過し、列を組み直す。

 次は二分隊の番だ。分隊長のアサヒが鏡を覗き込む。

 その瞬間、全身の毛がぞわりと逆立ち、静電気で引き抜かれたかのような怖気が襲った。


「ぁ……っ⁉」


 体の痛みとも不調とも違う気味の悪い感覚だ。強いていえば極限状態で本能や直感を発揮する時のそれに近いが、状況からはどれも当てはまらない。

 俺の目には、ただ立ち竦むアサヒの姿が見えるだけだ。


「……まさか」


 否応なしに気付く。俺自身に何かが起きたのではない。今、彼女に対して祝福が発動していたのだと。怖気の正体は、アサヒの情動を感じ取ったものだった。


「ご、ごめんなさい。ちょっと立ちくらみが……」


 俺はすぐさま駆け寄り、よろけるアサヒの肩を支えた。明らかに顔色が悪い。動悸も激しい。怯えたように鏡を見つめる彼女につられて俺も視線を動かす。

 見るなと頭の中で警鐘が鳴り響く。良くない予感が意識を塗り潰そうとしてきたが、考えている暇はなかった。鏡のなかを、覗き込む。


「……え?」

「どうかしましたか?」


 首筋に這い寄る違和感と裏腹に、鏡面には見慣れた顔が映っていた。鏡を持った二人も取り乱すことなく平然としている。

 気のせいだったのか。いや、祝福が発動したのは紛れもない事実だ。アサヒは鏡を見たと同時に何か強い感情を発露した。ただ、その理由が分からない。単なる緊張ということで片付けられるものではない気がする。それとも考えすぎだろうか?


「大丈夫ですか? 検査の方は問題ないので、体調が優れないようでしたら先に休憩してください」

「はい……そうします。……ありがとう、アキラ」

「う、うん……」


 肩を支えたまま、アサヒを近くの木陰に座らせる。ハンカチで額や首元の汗を拭き、水を飲ませて数分が経つと、顔色はかなり良くなっていた。


「アサヒ。辛かったら言いなさい。宿の手配は済ませてあるから」

「ありがとうございます、アマ姉。でも大丈夫です。心配かけてすみません」


 団員たちの検査が全て終わり、村への入場が正式に許可されたところで再整列する。アサヒも列に加わって進み始める。

 村を歩いていると、ちらちらと、珍しいものを見るような好奇の視線が四方から向けられた。一定の距離を保って見守られるのは、王都のお祭り騒ぎの後だとなおさら新鮮に感じる。それを敏感に察知したのか、ダイチさんが村人たちに向かって手を挙げる。そしてすぐに振り返った。首にかけた鏡が揺れる。


「ご不快な思いをさせてしまっていたら、お詫び申し上げます。お恥ずかしながら、この村は長い間孤立していたので外の人間自体に慣れていないのです。もちろん事前に皆さま方の来訪の連絡を頂き、準備もしておりましたが……どうかご理解のほどをお願いいたします」


 淀みなく繰り出される彼の言葉は謙遜の色が強く、聞いている方がなんだか申し訳ない気持ちになってくる。俺たちは国を護る騎士団として毅然たる態度を取らなければならない。こういった役回りは、正直、苦手だ。


「いや、こちらこそすまない。これだけの大人数が武器を携えてぞろぞろと村を闊歩しているんだ。知っていても気になるはずだろう」


 その点でいえば、ヒロミさんはとても頼もしい人だ。嫌味のない声音と感性から発せられる独特の距離感がその立ち位置を濁す。彼の前で身を引き過ぎると卑屈さが浮き彫りになり、かといって強引に詰め寄るには口実が通らない。

 おっと。ある意味では、性質が悪い気がしてきた。


「ところで、お二人は彼らと違ってずいぶん慣れているようだ。もしかして外の町に行った経験が?」


 ダイチさんが笑いかけ、それを受けたアオゾラさんが答える。


「いえ、わたしたちは生まれてこのかた、縁上麓を離れたことなどありません。ですが以前より、王都の方々が説明やら準備やらで何度も訪問なさって、わたしたちがその都度案内をしていたので多少は慣れました」

「では、騎士団以外の人間は?」

「滅多に訪れませんね。比較的に王都と距離が近いとはいえ、しきたりもありますし、このような山奥に来る人など登山家か変わり者くらいです」

「なるほど。風情があって素敵な町並みなのにもったいない。まあ、こちらとしては大げさに騒がれるより全然いいんだ。身近な王都の住人でさえあの騒ぎようだし……伝承で知っているだけの人だったら、勇者という肩書に、なにかとてつもなく偉大なものを見出してもおかしくないと思っていたんだ」

「それは……そうですね。きおくにあてられたせいかもしれません」

「えっ?」


 思わず疑問符が口をついて出た。

 額に、ふわりと産毛の立つ感覚を覚える。何と言ったのか上手く聞き取れなかったため、祝福で読み取ろうとしたのだ。しかしそれは半端なところで途切れてしまう。二人の気配を乱す、混沌とした意志が横から入り込んできたからだ。


「おォ! なんだァ、お客さんじゃァねェか! おいおい、ダイチィアオゾラァ! か、客が来たんならなよォ、さっさと言えよなァ! 世話の、うっぷ……せあのかァるやつだぜェ、ったくよォ……ひっく!」

「村長……今日は騎士団の方々がいらっしゃると前々から伝えていたではないですか! 昨日の夜、そして今日の朝にも重ね重ね言いましたよね⁉ うぐ、酒臭い……」

「申し訳ありません、皆さま! しばしお待ちを」


 見るまでもなく猛烈に酒気を帯びた中年男性の乱入に、場がたちまち騒がしくなる。騎士団の団員たちがざわめき、あのヒロミさんも呆気にとられた顔をしていた。

 ダイチさんとアオゾラさんの二人がすぐさま彼を近くの小屋に連れて行ったかと思うと、何やら言い合う声が聞こえる。ややあって乾いた打撃音と大きな水の音が反響した。

 数秒後、全身から水を垂らしながら目をぱっちりと見開いた村長とやらの姿が現れる。


「ああ、どうも……? あー、えーっと……んあ、だからそのー……え、誰だあんたら」

「村長! 騎士団の方々ですよ! 勇者さま御一行です!」

「あっ! ああ、あー! あれね! はいはい、あーなるほど! これはどうも、ご無沙汰ご無沙汰」

「騎士団の方々と事前に連絡を取っていたのはわたしたちなので、村長は完全に初対面ですよ。まず自己紹介からしてください」

「えー……村長が村長ってこと以外になんか言うことあるか? んーと、じゃあ……あっ、こいつら、迷惑かけてないです? ガキのころから変なもんばっか覚えて、まあ、まだガキなんですけど」

「はぁ。……ダイチ」

「うん、分かってる」


 アオゾラさんの目配せにダイチさんが反応し、「ちょっとちょっとー?」と虚ろな目で喚く村長の肩を担いで場を離れていく。そんな寸劇を前に、俺たちは黙って見ているほかなかった。酒の臭いと騒ぎが去った後になってアオゾラさんが長いため息を吐く。


「重ねてお詫び申し上げます。こうした形で会わせるつもりではなかったのですが……」

「今のが……縁上麓の村長さん?」

「はい。誠に恥ずかしながら、あの飲んだくれがそうです。申し訳ございません」


 こめかみを押さえて深く項垂れるアオゾラさんは、先ほどまでの礼儀をきつく着込んだ姿とは異なる色をしている。祝福が感知する感情も比較的に単調で分かりやすいものだ。

 移動を再開し、数分後に着いた場所は見上げるほどの屋舎だった。


「ここが、村全体の食料や衣類などを保管しておく倉庫です。皆さまへの補給物資も、仕切りで探しやすいようになっています。ちなみにワインですが、さらに奥へ行けば醸造所があるので、ご希望でしたらお申し付けください」

「……ほう」


 その時、冷静を保っていた団長の耳がぴくりと揺らいだ。遠征で通ることになる道程の詳細は最初から調べた上で把握している。ただ、任務に対する使命と規律遵守の心が、この村がワインの名産地だということを失念させていたのだろう。

 彼女は酒飲みだ。村長さんの後だとやや印象が悪いかもしれないが。

 ヒロミさんが団員たちの方を振り向き、注目を集めるように手を叩いた。


「よし。じゃあここらで役割を分担しようか。分隊長以外のみんなは私と一緒に物資の確認と運搬、ユナは祝福の調整を頼む。明日の朝に出発できるよう準備しておこう」ちらと横目に団長を見る。「それでワインの方は……」

「わたしが行こう。ナオキ、来い」

「えっ、は……はい!」


 おそらくは自身を制御してもらうために選ばれたナオキ分隊長が、団長に腕を掴まれる。どのみち俺とアサヒは未成年だし、あの二人なら問題ないだろう。


「アキラ、アサヒ。村長さんとの打ち合わせは任せたよ。なに、すでに話は済んでいるから軽く挨拶するだけで構わないさ……もし無理そうだったら、私を呼んでくれ」

「はい」

「了解です」


 一通りの役割が決まり、各々が持ち場へと向かう。団長とナオキ分隊長を醸造所に案内した後、最後に残った三人でさてどうしたものかと立ち止まった。村長が回復するまではまだ時間が必要だろう。


「では、酒場で一杯なんてどうです? お話でもしましょう」

「え、アオゾラさんって大人だったんですか⁉ ごめんなさい、てっきり同年代かと……」

「あはは、冗談ですよ。まだ大人じゃないし、お酒は飲まないです。幸いなことに、反面教師が近くにいたもんで……言葉、楽にしていいですか?」


 慌てるアサヒに、アオゾラさんが舌を覗かせて笑う。

 緊張が解け、同年代の三人で行動することになったからだろうか。それまでの堅苦しい雰囲気がぱっと霧散したような、柔らかい口調が俺たちを先導する。アサヒの方も、見たところ明るく振る舞っている。特に無理をしている様子はない。


「いいで……うん、いいよ」

「ありがとう! ところで、二人の名前は?」

「私はアサヒ。こっちが——」

「——アキラだ。よろしく」

「よろしく。二人ともいい名前だね! 実は、ずっと話してみたかったんだ! 伝説に聞く勇者さんのこと! 神様の啓示を受けたって本当? いいな~!」


 ぐいっと身を寄せるアオゾラの目には好奇の光が宿っている。なるほど、彼女も例に漏れず世間を騒がせている存在に興味津々らしい。案内人としてではなく、年頃の少女として村の外の出来事には気になるところが多いのだろう。


「黒い眼鏡なんてあるんだぁ。髪も長くてかっこいいし、なんか普通の人じゃないって感じ!」

「別に、アキラは普通の子だよ。もうかけてるのに眼鏡を探すし、いつも寝ぐせあるし」

「髪はいつもアサヒが切ったり結んだりしてくれるからね。たまにリボンとか付けるせいで笑われることもあるけど」

「へぇ。すっごく仲がいいんだね! 二人は幼馴染とか?」

「うん。幼い頃から騎士団の同期だったの。他の人たちはみんな年上だったから、自然と一緒にいることが多くてね」


 今になって思い返せば、あの頃から大して変わったこともない気がする。九歳だった。当時の俺とアサヒは、最年少で騎士団に入団した天才少年少女として持て囃されていた。良くも悪くも特別扱いされていた俺たちは友情以外の人間関係を知らず、大人たちの世界に馴染めないまま、互いに居場所を求めた。

 ある日、アサヒが祭礼の剣を見せてくれた。こっそり持ち出してきたらしい。王国で勇者の伝説を知らない人はいない。揃って赤らんだ顔を見交わした。俺は好奇心と緊張で脈打つ鼓動を聞きながらそれを握った。


 そして、勇者の才覚が認められた。

 浪漫と憧れの舞台は思っていたよりも近くにあった。神話が現実に成り下がり、理想が模範とされた。当の俺はどこか夢見心地で、自分が中心になって目まぐるしく動く世界に自分だけが取り残されていた。誰も俺を見ていなかった。彼らが見ていたのは、勇者の器だ。だから俺もそれを見ることにした。勇者とは何たるかを体現する幻が、眼前に現れた。アサヒはごめんとひたすらに泣いて謝っていた。

 謝る必要なんてないのに。そんなに泣かれては困る。これからも二人でいよう。稽古をしよう。特別同士、普通にいよう。そう思っていた。


 しかしある日のこと、彼女は突然狂乱してナイフを——……


「……あれ、今、何考えてたんだっけ」

「アキラ?」


 アオゾラに顔を覗かれて、自分が少しの間放心していたことに気付いた。

 なんだろう。何か変なことを考えていた気がする。考えている最中はわずかな疑いもなくそれが本当だと信じていたが、すぐに我に返って違和感を覚え、頭の中で否定した次の瞬間にはもう思い出せなかった。


 こういったことは稀にある。そうして浮上しかけた感情の余波だけが頭に残留するのだ。

 アサヒは白昼夢ではないかと言っていた。言われてみれば、それはどこか夢の感覚に似ているし、俺は五分の仮眠でも必ず夢を見る。もしかしたら寝不足なのかもしれない。


「まあとにかく、勇者といっても大したことはないんだ。普通の人間だよ」

「真っ赤な龍に変身して空を燃やし尽くすとかは?」

「うーん、龍なんて絵本でしか見たことないな」

「じゃああらゆる魔法を自由自在に使えたり?」

「そんな子どもの妄想みたいな……待って。それって、本当に勇者の伝説なのか?」

「あっ、これダイチが昔日記に描いてたやつかも! ごめん! 今のは忘れて!」


 アオゾラが慌てて手を振る。ここに本人がいなかったことは幸いかもしれない。聞かなかったことにしよう。

 左右にあった木々の並びが途切れ、足音が、土を押し込む柔らかいものから砂礫を均す硬いものに変わる。視野が一気に開けた。解放感と湿気を帯びた風に吹かれる。

 山頂を源とした河川は斜面に沿って緩やかに降りていき、もう随分と下に見える雲の向こうへ姿を隠している。不思議な組み合わせの景色だ。

 遠く、上流の方で羊が群れをなしている。話によると、この村には羊の牧場もあるらしい。ただし俺たちは特に用がないため、横目に見ながら橋を渡る。


「ねえ、今度は二人のこと聞かせてよ。やっぱり双子?」


 先を歩くアオゾラに、アサヒが一歩近寄る。だがアオゾラの返事は「うーん」と鈍い。


「たぶん、そう……かな?」

「あれ、具体的には分からないってこと?」

「うん。わたしたちね、生まれた時からパパとママがいないの。赤ちゃんの頃、近くの遺跡で泣いてたのを村長が見つけて拾ってきたらしいんだ。でもダイチはまだまだ子どもだから、もしかしたらわたしの方がお姉ちゃんかも!」


 アサヒの顔が途端に曇る。いつかの記憶と微かに重なる。


「そんな……ごめん」

「ううん、謝らなくていいよ。もともと話そうと思ってたし、わたしたちは一人じゃなかったから。わたしにはダイチが、ダイチにはわたしがいた。村長も本物の親みたいに可愛がってくれた。酒臭いのだけは苦手だけど。それに、さ」斜めに振り返り、彼女は貫頭衣を指でつまんでたくし上げる。「……腕も、やっぱり気になるよね?」


 俺はそれを悟らせないよう気を付けていたつもりだが、どうやら彼女にはお見通しらしい。ビシッと指差しまでされてはお手上げだ。


「特にアキラ! 気を遣ってるのかもしれないけど……普通の人なら無意識に目が行くもんだよ。それが親しみなのか悪意なのかは関係なくね。何年も一緒に過ごした村の住人たちとか、親みたいな村長ですらそうなんだから。無関心っていうのはむしろ目立つの」


 そういえば、特別な人は特別扱いするのが礼儀で、それが相手にとっては普通のことなのだと、父が言っていた。

 アオゾラは微笑する。言い淀んでいるというより、タイミングを見計らっている時の面持ちに近い。丁度、彼女の言っていた酒場らしき建物が通りの端に見えた。


「別に隠したいわけじゃないけどさ、この話は後でしようよ。個人的に……ううん、わたしとダイチの二人で、勇者さんに頼みたいことがあるの」

「頼み? 俺にできることだったら……明日の朝までなら大丈夫かな」

「ありがとう! もちろん、遠征の予定を遅らせたりはしないよ! 探し物なんだけど、夜の散歩くらいの感覚で、ちょろっとね」


 無数の雑踏と飛び交う声が酒場の中から聞こえてくる。酔った人のそれではない。


「さてと、それじゃあ酒場に到着! 今夜は宴会だよ! 出せるものは少ないけど、わたしたちのために戦ってくれる勇者さんへのささやかな応援ってことで、ね!」


 元気いっぱいの言葉と共に、彼女の右手が扉を押し開ける。


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