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みな誰かの裏切り者  作者: 森谷賢俊
いつかへのプロローグ
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第十六話『手を差し伸べる者』


「アキラ、しっかりして!」


 アサヒが焦燥を湛えた顔で叫んでいる。声は鼓膜を揺るがし、しかし頭の中を素通りして反対の耳から抜けていく。

 手の震えが止まらない。息が詰まる。瞳孔は意思に反して動き回り、焦点がぼやける。太腿を思い切り叩いても痛みが残るだけだ。


「ワウワウ! ワフッ! クゥ~ン……」


 ラリスの寂しげな鳴き声も聞こえる。ペロペロと顔を舐められる感触が、今は遠い。撫でようとする手は思い通りに動かず、手首を押さえて引っ込めた。

 無数の視線が突き刺さる。遠征前の儀式よりもずっと多い期待と関心が全身を押し潰そうとしていた。重圧に視野が狭まり、小刻みに明滅する。


 自分が情けなく感じるのは初めてではない。絶望的な無力感も、それを紛らわせるために他の誰かに怒りの矛先を転嫁したこともある。それでもやってみれば案外上手くいくのだと、そう言い聞かせて奮い立たせてきた。今回もきっと最悪なことにはならない。大丈夫だ。アサヒにぎゅっと握られた手の温もりが心を落ち着かせる。

 俺は月次(つきなみ)アキラ。魔王討伐を成し遂げた勇者の一人だ。大勢が見守る中で結婚式の祝辞を述べることくらい、難なくこなしてみせる。

 勢いよく立ち上がり、俺は演壇の前に進み出た。


「うぐっ……やっぱ無理。やばい、緊張し過ぎて吐きそう。誰か助けて……」

『呼んだか?』


 音も無く、俺の形をした影が——とうに振り払ったと思っていた幻が——肩を組んで語り掛けて来た。


「うわっ、お前こんな時にも出て来るのかよ! ……あっ」


 人々の表情が揃って困惑に染まる。「勇者様……?」と眉をひそめるサオリさんの顔。

 俺の頭の中は真っ白になり、目の前が真っ暗になった。




 魔王討伐のための遠征から帰還しておよそ半年ほどが経過した。みんなで話し合った結果、勇者信仰の真相や魔王の結末などは国民たちに正直に公開することになった。

 大きな反発が押し寄せることを覚悟していたが、意外にもそれは杞憂に済んだ。すでに王都では一度人狼の噂が流れたことや、そもそもの不安の元凶たる魔王の危機が消え去ったことが幸いしたのだろう。王国全体はお祭り騒ぎに包まれ、あちこちで祝砲の音が鳴り響いた。

 嘘だと知っても生活に染み付いた癖はなかなか消えないものらしい。町中を歩いているとたちまち「勇者様!」と呼ぶ声が聞こえ、老若男女、あらゆる人々に花束やらお菓子やらを貰い、大荷物を抱えて王城に帰ることが増えた。


 正直なところ、それよりも衝撃的だったのはトモヒト国王の退位だ。俺の記憶を不用心に覗いたことで精神的な損傷を負っていた彼は、遠征後間もなくして自ら王の座を離れた。単純に精神が疲弊したのか、はたまた勇者信仰の正体を知っていながら増長させたことに対する批判の声を恐れたのかは分からない。今はどこかの山に籠ってひっそりと隠居しているという。


 空席となった玉座にはハルが腰を下ろした。元より先代国王の息子として正当に継承権を有していた人物だ。彼は成人すると共に冠を頭に戴き、王国の統治者となった。


 騎士団は偉大な役目を終えた後、新たな指針を発表した。魔王や災害に遭った地域を復興させたり、魔法に関するより広義の価値基準をもとに特別な職を斡旋したりしている。人々の生活に寄り添って雑多な問題を解決し、以前よりも身近な存在として居場所を得た。

 さらにもう一つ、騎士団には重要な任務がある。それは八十七夜(やそあまりななつ)の再開発だ。古来、呪いの地として忌避されてきた魔界だが、その原因は最古の記録よりも前の時代から堆積した記憶や感情にあるかもしれないと、月次アキラが発言したのがきっかけだ。彼なりの罪滅ぼしのつもりなのか、時の支配者として培った記憶の魔法を用いて解決したいと自ら志願した。彼の主導のもと、騎士団は時長などを通じて企業や地域団体と提携を結び、日々浄化活動を行っている。


 処遇に困っていた彼の居場所が出来たことは素直に嬉しい。だが推察するに、彼はおそらく王都の両親や騎士団の仲間たちに合わせる顔がないのだ。何か世間的に良い功績でも残さないと、自分がしでかしたことに対する罪悪感が拭い切れないと考えているのだろう。彼が本心から家族や仲間たちと向き合うにはまだ時間が必要そうだ。


 先代国王千住(いにしえ)アスカと騎士団長月見里(やまなし)シュウスイの墓は、王家の伝統を断ち切った二人の意思を尊重して王城ではなく俺の家の庭に立てた。なんでも、俺を育てた方の両親は千住アスカと魔法の研究仲間という間柄だったらしい。両親は二人の最期に涙を流しつつも、俺に「ありがとう」と告げ、小さく頑丈な墓石に名前を刻んだ。簡易的な屋根の下で二人は安らかに眠っている。この前帰った時に見たところ、手記は勇者像の隣に立てかけてあった。


 そして今、アマネ団長とヒロミさんの婚儀が、王城に隣接した教会で執り行われている。本来ならば王国や勇者信仰などに直結しない儀礼は他の場所でやることが決まっているらしく、今回は例外中の例外だという。それもそのはず、婚姻を結ぶ人物は騎士団の団長と副団長だ。魔王の脅威がなくなったこともあり、騎士団に対する民衆の熱烈な支持は以前の比にならないほど高まっている。ちなみに、前回の事例は国王と騎士団長という今以上の組み合わせだ。


 ともあれ、そんな記念すべき式の祝辞の一人として、切っても切れない関係の俺が抜擢されるのも当然の流れだ。期待とは異なる色の感情を乗せた人々の視線に曝され、恥を曝したのが数十分前の出来事。重圧から解き放たれ、俺はぐったりと円卓の上に項垂れていた。アサヒの指が頬をつつく。


「こーら、行儀悪いぞ。私の勇者の評判が落ちちゃう」

「すでに最底辺まで吹っ切ったんだし、これ以上落ちるところもないよね」

「ワウッ!」


 会場には騎士団の仲間はもちろんのこと、多くの貴族や著名人たちが集っていた。歓談と食事の場において、彼らの会話は言葉以上の意味を持つ。無暗に突っ込んでは火傷を負いかねない。信仰問題の次は権力関係のいざこざなど、心底勘弁してほしいものだ。


「起立! 気を付け! 赤き心を灯せ!」

「赤き心を灯せ! ……ってあれ、団長?」


 突如降り注いだ号令を知覚した瞬間、身体が反射的に動いて敬礼の姿勢を取ってしまった。今は任務中でもなんでもないのだ。強張った身体を解き、声を掛けてきた人物の方に振り返る。


 目もあやな純白の衣を纏ったアマネ団長は、普段見慣れた騎士団の制服とはまるで違う雰囲気を醸し出していた。主役にしてはやや控えめにも思える化粧はしかし、きりりとした目元を際立たせ、その顔ばせに幸せの色を振りまかせている。そして左手の薬指には安っぽい質感の指輪が嵌められていた。

 隣で腕を組むヒロミさんもまた、いつにも増して爽やかで瀟洒な見目形だった。本当に同じ騎士として汗と泥を顔に塗ってきたのか疑わしいほど、整った面差しは自身に満ち溢れ、屈託のない笑顔を見せている。


「まったく、しっかりしなさい。気が抜けてるわよ」

「今まで頑張ってきたんだ、ちょっとくらい気を抜いてもいいだろう。……まあ、時と場所は弁えるべきだが。それじゃ」


 背が高い分、どんな場所でも目立つ人だ。すでに機会を窺う周囲の視線が集まりつつある。それを感じ取ったヒロミさんはアマネ団長の腕を引いて颯爽と去って行く。貴族のしがらみから逃れるために騎士を志して想い人と結婚までしたヒロミさんだが、どうやら運命は彼を手放す気がないみたいだ。


「二人とも、素敵だなぁ……」


 小さく呟くアサヒの声にわずかな機微を感じ、そちらを見ようとした時、意識が視界の隅に映った影をふと捉えた。


「ん? なんか、飛んでる……?」


 それは小さな点だった。目が良ければもう少し形が見えたのかもしれないが、生憎とこの距離ではまだ判然としない。ただ、それは徐々に近付いて来ていた。接近するにつれて音も風に乗って飛来する。


「おい! みんな、空を見ろ!」

「何かしら、あれ」

「怪鳥だ! 巨大な怪鳥が飛んで来るぞ!」


 式場は瞬く間に騒ぎ立ち、好奇の目が空を射抜いた。それは次第に大きく迫って来る。凄まじい速度だ。蜂の羽ばたきを何十倍にも増幅させたような騒音だけが先行して押し寄せたかと思うと、それは空気を切り裂きながら頭上を過ぎ去っていった。目も開けていられないほどの暴風が吹き付ける。叫び声すら掻き消す嵐の中で、俺はかすかに燃える臭いを掬い取った。


 それは一気に高度を落とし、黒い尾を引いて教会の向こう側に消える。直後、爆発音が轟いた。

 悲鳴が連鎖し、混乱が加速する。人々は身を竦めて先ほどの光景を理解しようとしていた。しかし誰も成し得ない。


 流れ星が落ちた。そうとしか思えない状況で、俺はざわめきを胸に感じながら走り出した。即座にアサヒも付いて来る。落下地点はおよそ魔女の庭の辺りだ。幸い、人の往来は皆無に等しい。

 いつかのように雑木林を駆け抜ける。思っていたよりすぐ近くだ。立ち上る黒煙を目印に、息を切らして近付いていく。


 いくつもの木をなぎ倒して、赤い怪鳥が横たわっていた。水を大量に含んだ魔女特製の木々の密集地だ。一帯を漂う焦げ臭さに反して炎はほとんど消えている。

 怪鳥は、光沢のある翼のようなものを持っていた。いや、翼というには平らで羽毛もない。強いていえば甲殻類の甲羅に近い材質だ。それに顔らしき部分も見当たらず、そもそも生物の気配を感じない。アサヒと目配せし、二人で用心しながら接近すると、硬い物音が聞こえた。怪鳥の背中から小さな人影が這い出て来る。


 世界は変革を迎え、新たな時代に突入した。多くのものが消え去ったがそれよりも多くのものを得ることができたと思っている。経験と成長だ。王国は一歩先へと踏み出した。

 そんななかで、俺は一つの可能性を考えていた。王国は、最初の月次アキラによって何度も同じ時代を繰り返していた。しかしそれは人と地の記憶からなる錯覚に過ぎず、実際には時は流れていた。そうして移ろった歳月は数百の四季を数える。いくつもの地層が積み重なり、覆い被さるほどの時間だ。王国は数百年間にわたって停滞していたのだ。


 もしも仮に、この大陸の外にも文明が存在し、そこでは何一つ滞りなく時代が推移して技術も発展していたとするなら——踏破が不可能とされた大海原を越えて、未来の人類が俺たちを先に見つけるかもしれない。

 それは未知の種だ。魔界という癌を抱えた俺たちはまだ、この小さな大陸すらもまともに制覇することができていない。海の向こうからやってきた誰かが、必ずしも文明の先駆者として施しの手を差し伸べてくれるとは限らないのだ。


 考え過ぎだろうか。ただの杞憂に終わるかもしれない。それでも、俺は心に決めた。

 神、魔王、人類の歴史、自分自身……相手が誰だろうと、俺のやることは変わらない。


「大丈夫ですか⁉ 俺の言葉、分かりますか?」


 煙の中を掻き分けて人影が呻き声を上げる。苦しそうに咳を吐き、光を求めて手を伸ばす。

 俺は、屈み込んで手を差し伸べた。


 相手は戸惑ったように周囲を見渡し、やがて俺の手をじっと凝視する。一見したところ、相手は若い女性で、俺たちと同じ身体構造を持った人間だ。いきなり襲い掛かってくるような不逞の輩でもなければ、知性の通じない獣でもないように見える。

 彼女は何やらよく分からない言葉を一言だけ発した後、手袋を外した。綺麗な手が露わになる。


 たなごころが、二つ、重なった。


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