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メタモルファルは寄り添う  作者: 甲斐 雫
第1章 犬型メタモルファルは未成犬
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9 柱状節理が作る大地

 翌朝10時、エルオリーセがアルバを伴ってホテルに行くと、三吾から聞いていたらしいマークとゲンがロビーで待っていた。

「初めまして、マーキュリー・コルムです。マークと呼んでください。三吾とゲンから話は聞いています。色々とアドバイスいただけるとありがたいです」

 礼儀正しくにこやかに右手を差し出すマークだが、エルオリーセはまた少し躊躇してから、それでも笑顔でそれに応えた。

「こちらこそ、よろしくお願いします。エルオリーセ・ハイドランジアです」


 マークの態度は洗練された紳士そのもので、ゲンは少しホッとしていた。

 朝食の席で三吾がエルオリーセの話をした時、彼の態度をゲンは少し不可解に感じたのだ。

「・・・女性の教授か・・・しかも、生物系・・・」

 彼が女性蔑視の男だとは思えないし、女性が苦手だと聞いたことは無い。確かに未だ独身ではあるが、それは三吾も同じなのだ。

 けれど今の挨拶の様子を見て、ゲンは自分の気の回し過ぎなのだろうと思った。


「昨晩のクサフグやテトロドトキシンの話は、三吾から聞きました。情報をありがとうございます。色々と対策は必要だと思っています。それで今日は、ある場所にご同行願えないでしょうか。『沈黙の入り江』というところなのですが、ご存じですか?」


『沈黙の入り江』とはニオブ島の西側にある小さな入り江だ。

 周囲を断崖に囲まれているが、下に降りて行ける細い道がある。そこを辿って降りれば、僅かばかりの磯と洞窟が1つあって、その中に古い社があった。


「知っています。昔からある場所ですから。ご案内できると思いますが・・・そこに行く目的は何でしょう?」

 エルオリーセの雰囲気や話し方には、いわゆる女らしさはあまり無い。フィールドワークを主としている学者らしい明快さと、穏やかな知性が感じられる。

 マークはそんな性別を超えた彼女の魅力に気づいたようだった。

「とても珍しく素晴らしい眺めだと聞きましてね、一度自分の眼で見たいと思ったんですよ。ただ、綺麗な魚などもいたそうですが、近頃は見なくなったとも聞いたので、その辺りも確認したいと思うんです」

 観光スポットになるのではないかと思っていることは明白だったが、エルオリーセは軽く肯いて持っていた荷物を差し出した。


「では、ご案内しますね。これは滞在先の農園で採れた西瓜ですが、美味しいのでよろしければどうぞ」

 マイト小父が手土産代わりにと持たせてくれた物だったが、昨晩ご馳走になったエルオリーセは、素晴らしく美味しいと感じたのだ。

「ほう、西瓜ですか。食べたことは無いが、果物は好きなので嬉しいですね。どうやって食べるのがいいのだろう?」

 如才なく謝辞を述べるマークは、人懐こい笑みを浮かべた。

「冷やした方が美味しいので、厨房をお借り出来ればやっておきます。入り江から帰って来たころには、美味しくなっていると思いますから」

「ああ、すみません。お手数までかけてしまって。ホテルの方は、今日から美容関係のスタッフが来て準備を始めていますが、厨房の方は明日からがメインになるので今日は空いている筈です」

 マークの言葉を受けて、エルオリーセは教えて貰った厨房に向かった。


 清潔で立派な厨房には様々な貯蔵用の棚や調理器具が並んでいたが、エルオリーセはその片隅にある水場に向かう。常に綺麗な水が流れ出している樋の下に西瓜を置き、近くにあった布巾を被せた。こうしておけば、チョロチョロと流れる落ちる水が、布巾を濡らし続けて西瓜を冷やすだろう。



 マークとゲンそして三吾を連れて、エルオリーセとアルバは『沈黙の入り江』に向かった。

 ホテルから西に向かい、10分ほど歩き更に穏やかな傾斜の坂道を上る。細い道はあまり人通りも無いらしく、どこか荒れた印象があったが道を間違えるほどではなかった。

「結構歩きにくいな・・・」

 マークは眉を顰めて呟いた。

 周囲は細くしなやかな葉を持つ植物が茂り、白っぽい岩が点在している。見通しは良く、風が吹き抜けると気持ちは良いが、やけに曲がりくねった小道が気に障る程だ。

 ここを観光スポットにするならば、先ず道の整備をしなければならないだろうとマークは考えた。


 やがて一行は『沈黙の入り江』を見下ろす西の外れに着く。

「下へ降りる場所が、ここになります」

 案内するエルオリーセの言葉を聞きながら、彼女の後をついて急な坂を下った。


 左程大きくない入り江は、周囲を切り立った断崖に囲まれている。

「こりゃ、何だか凄い風景だな。こんな断崖は見たことが無いぜ」

 狭く急な細い坂を下りながら、ゲンが足を止めて呟いた。

 断崖を作る岩は、白っぽい柱がスラリと並んでいるように見える。まるで誰かが彫ったかのように、柱の太さは皆同じくらいで、それらがぎっちりと隙間なくそびえ立っていた。

「柱状節理といいます。今までずっと歩いてきた道の下も、それで出来ているんですよ」

 先頭に立って進むアルバの後ろをついて歩きながら説明するエルオリーセの声が、入り江の断崖に微かに響いて聞こえた。

「ここが『沈黙の入り江』と言われているのは、下に古い社があったからでもあります。今はご神体も社も集落の近くに移されていますが、ここを降りる時から黙って歩くのが習わしだったようです。あ、足元に注意して下さいね」


 入り江と外洋を繋ぐ部分は狭く、波は殆ど入ってこない。けれど地形上、入り江の深さは相当にあり、浅瀬が全く無いのだ。海で泳ぐ経験が無かったり、服を着たまま落ちたりすればかなり危険だ。


 入り江に降りると、僅かばかりの磯があり奥に洞穴の入り口が見えた。

「あそこが社の跡です。中は数メートル程度の奥行きで、大人が立って歩けるだけの広さがあります」

 入ってみたいと言う男たちに、あまり大人数では狭い事と危険は無いと判断したエルオリーセは、彼らを行かせることにした。


 洞穴の中はひんやりとしてどこか荘厳な雰囲気も漂っていたが、内部には何もなかった。けれど彼らは、ちょっとした冒険気分を味わって充分楽しんだようだ。

 内部の壁などを確認するマークとゲンを残し、彼らほどの興味は無い三吾は先に洞穴を出てくる。

 けれどそこに、エルオリーセの姿は無かった。


(えっ?・・・どこに)

 アルバだけが、磯の先端の岩の上で伏せて待っている。

 傍らには、彼女が持っていた荷物が置いてあった。

(海に入ったのか?落ちたのか?)

 アルバが落ち着いて待っているから後者は無いだろうとは思うが、それでも不安になった三吾は駆け寄って行った。



(確かに、魚は殆どいませんね・・・)

 エルオリーセは、彼らが洞穴に入ると直ぐに海に入った。

 海で泳ぐことも潜ることも、着衣水泳にも慣れている。入る前に海水を少し舐め、その味に違和感を覚えていた。

 海の中の岩の様子を確認しながら潜ったまま移動した彼女は、そこにもある柱状節理の岩に何か所か、かなりの量の真水が噴き出している割れ目があることを見つけた。

(これが原因でしょう)

 息が続く限り調べ、エルオリーセは最初に潜った場所に戻ると浮上を開始した。



(潜っているんだろうか・・・長くないか?)

 海面に突き出した岩の先端で、三吾は膝をついて海の中を見つめる。綺麗に済んだ海水だが、流石に底の方までは見通せない。

 身体をギリギリまで伸ばしていた三吾の目の前に、エルオリーセの髪の色が見て取れた。

 次の瞬間、ザバッと音を立てて彼女の頭が海面から飛び出した。


「プハッ・・・ぅわぁ!」

 浮かび上がった瞬間、エルオリーセの目の前、至近距離に三吾の顔があった。


 バシャッ、ザバザバ・・・

 驚いて仰け反った彼女は、再び海の中に沈みかける。

「あっ!ごめんっ!」

 三吾は大慌てで彼女の手を掴み、何とか岩の上に引っ張り上げた。


「ゲホッ・・・ゴホ・・・ッ」

 流石に海水を飲んでしまったエルオリーセは、岩の上で咳き込んでしまう。

「驚かせてごめん。大丈夫?」

「・・・・っ・・・は、はい」

「なかなか浮かんでこないから、心配になってしまって・・・」

 申し訳なさそうな表情を浮かべる三吾に、息を整えたエルオリーセは嬉しそうな笑顔で答えた。

「心配させてしまってごめんなさい。でも、ありがとう」


眼は充血して真っ赤だし、鼻も赤くして海水が零れている。

けれど三吾は、そんな顔が可愛いと思った。

濡れて身体に張り付いた服は、ほっそりした体形が露わになっているが、海から上がったばかりの人魚のように魅惑的だとさえ思う。

つい浮かんでしまったそんな思いを振り払うように頭を強く振ると、三吾は彼女に手を貸して立たせるのだった。



 帰る道々、エルオリーセはびしょ濡れのまま話始めた。

「マークさん、少し前にこの島で地震がありましたか?」

「あ、ああ。数か月前だったかな。それでホテル建設が一時中断したことがあった。報告は貰ったが、村の方にも大きな被害は無かったそうだ」

「多分、そのせいだと思います」


 柱状節理を形成する岩の一部が、その地震でずれたり破壊されたりしたのだろう。地上からは見ることが出来ない場所で。


「入り江の中の海水は、塩分濃度が低くなっていました。潜って確認したら、かなりの量の真水が噴出していたので、魚たちはそれを嫌って別の場所に移動したのでしょう」

『沈黙の入り江』に直接流入する川は無い。それが地震のせいで地形が変わり、海水が汽水になってしまったので、今までいた魚たちの姿が見えなくなったのだと彼女は説明した。


「そうか、そうなるともう綺麗な魚を見ることは出来ないわけだ・・・」

 残念そうなマークは、名残惜し気に『沈黙の入り江』を振り返った。

「ああ、でもやはりここの景色は素晴らしいな。西側だから、夕陽が沈む様子も見事じゃないかと思うぞ。入り江は難しいかもしれないが、遊歩道を作って見晴台でも・・・」

 マークは立ちどまって辺りを見回す。少し先に行ってしまった友人たちを気にも留めず、眺めが良さそうな場所を探して彼は草原に入って行った。


「うわぁっ!」

 大きな悲鳴にエルオリーセたちは振り返ったが、マークの姿は消え失せていた。


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