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メタモルファルは寄り添う  作者: 甲斐 雫
第1章 犬型メタモルファルは未成犬
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8 夜のデートが魚の産卵観察

 サマリ農園の中に入ると、初老の男性が立派な角を持った黒い牛に荷車をつけているところだった。

「マイトおじさん!」

 エルオリーセが声を掛けると、男性は日に焼けた顔をこちらに向けた。

「エル!なんだ、早かったな。今ちょうどカルに荷車つけて迎えにいくところだったんだが」

「いいの、歩いてきたかったんだから。あ~~、この子カルって言うのね。まだ若そうだわ」

「ああ、一昨年買ったんだ。前にいたストロンが、老衰であの世に逝っちまったんでなぁ」

「覚えてる、ストロン・・・そっか、もういい年だったものね」

「ああ、裏に墓があるから・・・って、あちらさんは?」

 マイト小父は、農園の入り口で所在なく立ち尽くす三吾にようやく気付いた。


 見晴らしの良い農園の庭で、三吾とエルオリーセは手作りのテーブルセットに向かい合って座る。

 思いがけず、しかも半月ぶりに会えた嬉しさもあって、照れくさいような、けれど隠せない笑みが零れた。

 そこにマイト小父の妻であるネリが、ビールと干した小魚を運んでくる。

「どうぞ、ゆっくりして行ってね。この場所は眺めもいいから。エルちゃんがいた頃とはずいぶん変わったかもしれないけど、懐かしいところもあると思うわ」

 いかにも農婦らしい雰囲気のネリは、素朴な優しさが溢れる笑顔で話す。彼女のエルオリーセに対する愛情が窺えた。そして2人に気を遣って直ぐにその場を離れるネリにお礼を言うと、エルオリーセは先ほどの話の続きを始める。


「ホテル建設についてだけど、この島にとってはメリットも大きいの。衛兵の増員や設備の整った病院の建設も決まってるようだし。ホテルを建てる時も地元の人を雇ったりしてくれたし、新しく飲食店や土産物屋を始めると言う人もいるの。でも、心配する人もいて・・・私もその1人かな」

 三吾は頷きながら、彼女の話を真剣に聞いていた。

 薬学関係以外で、これほど真剣に相手の話を聞いたことは今まで無かったような気もするが、何故か自然とそう言う態度になっている。

「1つは自然破壊かな。何だかニオブ島らしさが無くなるような気がして。もう1つは、この島には危険な場所や危ない生物もいるので、それが心配・・・」

「うん、それはよく解る」

 三吾は腕を組んで、少し考えた。

「もし良かったら、明日ホテルに来てくれないか。マークを紹介しようと思う」

 ニオブ島の生態について、専門家でもある彼女の意見や情報は、彼にとっても有益だろう。

 三吾の言葉に、エルオリーセは軽く肯いた。


「ところで、ええと・・・」

 そう言えば、彼女を気軽に呼ぶ名前がまだ決まっていない三吾だ。

 学院のポタシム教授は、ハイディと呼んでいた。

 サマリ夫婦は、エルと呼んでいる。

(・・・オリーと呼ぶのは誰なんだろう?)

 三吾はふとそんな事を考えたが、今は聞きたい事の方が大事だと言葉を続けた。


「エルオリーセは、ここにあと何日滞在するつもりなんだい?」

「一晩だけ泊まって、明日は帰るつもりだったんだけど・・・」

 彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「三吾はレーエフにいると思っていたから、次の実習が始まるまではそっちで過ごそうかなって」

 三吾は自分の頬が染まりそうな気がして、紛らわそうと視線を泳がせる。

「採集協力が出来るんじゃないかな、って」

 けれど続いた彼女の言葉に、やっぱりそっちかと少しばかり落胆する。

 そんな彼の様子を見て取って、エルオリーセは綺麗な笑顔で告げた。

「楽しいから、一緒に採集に行きたいと思ってたの。でも、三吾がまだこっちにいるのなら、私も暫くここに泊まらせてもらおうと思う。役に立てそうな事もありそうだし」


 そんな2人の足元で、アルバは口をいっぱいに開けて大きな欠伸をする。そして、どこにでもお供しますよと言わんばかりに太い尻尾でバッサバッサと地面を掃いた。


 ところで、と気持ちを切り替えるように三吾が話題を変えた。

「ひと月くらい前に、この島で殺人事件があったんだが、知ってる?」

「え?知らなかったけど」

 三吾は要領よく事件の事を説明すると、エルオリーセに問いかける。

「フグ毒による毒殺だそうだが、テトロドトキシンは致死量も少ない猛毒だ」

「・・・テトロドトキシンは、フグ以外の海洋生物でも持っているものはいるけど、ニオブ島近海に生息しているのはクサフグぐらいだと思う。ただ島のこちら側、集落のある辺りの海ではあまり見かけないわ。でも・・・」

 エルオリーセはそこで空を見て、何かを思い出したようにニッコリと笑った。


「今晩、面白いものを見に行きませんか?」



 暗闇に近い細い道を、三吾はエルオリーセに手を引かれて歩いていた。

 アルバも当然ついてきているが、かなり先に立って歩き警戒をしている。

 灯りと言えば、彼女が持つ小さなランタンだけで月の光さえ無い。彼女は安全な場所を選んで進んでいるのだろうが、周囲の森や繁みからは夜行性の鳥やカエルの声だけが聞こえてくる。

 現実感が無い空間で、三吾は不思議な気持ちになっていた。

 世界に2人だけ、のような感覚は、どこか安心して満ち足りたものだ。


「もう直ぐ着きます」

 エルオリーセの声にハッと現実に戻った三吾が辺りを見回すと、そこは小さな浜辺だった。


 小さなランタンと星明りだけの明るさだったが、それでも地形くらいは解る。

 周囲を森で囲まれた小さな砂浜は、人の世界と切り離されたように幻想的な風景だった。


 エルオリーセは手に持ったランタンを消すと、三吾の手を引いて砂浜の傍にある岩に静かに歩いた。

 そして2人は、そこに腰を下ろして待つ。

 彼女に言われた通り、動かず声を出さずにいたが、三吾は彼女の手をずっと離さずにいた。


 どれほどの時間が流れたのだろう。

 黒い海は満潮を迎え、波打ち際が迫る。

 星明りに薄っすらと見える波の先端が、白い泡を立てて打ち寄せた。

 黒い服に飾られたレースのような波の中に、沢山の生き物が蠢くように集まってくる。

 やがて白い泡は量を増し、その中で無数の魚が身体を光らせ、暴れるように動いていた。

 生臭い空気が漂ってきたが、それさえも不快には感じない。


「クサフグの産卵です」

 エルオリーセが囁いた。

 それは生物の命の饗宴だったのかもしれない。

 初めて見る光景に、三吾は不思議と荘厳な気持ちになるのを感じた。



 帰り道で、来た時と同じように彼の手を引きながら彼女が説明した。

「さっき行った浜は、島の集落と離れていて漁場でもないの。クサフグはそっちの方に生息しているから、生活の中では馴染みが無いけど、島の中では知ってる人は知ってると思う」

 そこにテトロドトキシンを持つクサフグが居ると言う事を。

「今日は満潮だから、クサフグは波打ち際に集う。メスは産卵してオスは精子を掛ける。そんな風にクサフグは繁殖するの」

 珍しい光景だけど、クサフグ自体は危険な魚だから、と彼女は言う。

「テトロドトキシン目当てでここに来たり、ただの観光客が見物に来るのは色々と良くないんじゃないかな・・・」


 彼女は、島にいる危険な生物とそれが集まる場所を教えたかったのだろう。

 そして、例の毒殺に使われたフグ毒が、ここを知っていれば容易に入手できるという事も。


「ありがとう、色々と参考になった。それとは別に、幻想的で珍しい素敵な光景も見れたから、楽しかったよ」

 夜中のデートがクサフグの産卵見学、と言うのはあまりロマンチックではないような気もするが、それでもずっと彼女と手を繋いでいられた事が嬉しい三吾だ。

 出来るだけ長い時間そうしていたかった彼は、エルオリーセを農園まで送って来る。気を利かせたらしいアルバが、途中から先に帰ってしまったからでもあったのだが。


「それなら、良かったです。それじゃ、明日の10時頃、ホテルに行きますね」

 農園の前まで来ると、エルオリーセはそう言って手を離し、くるりと背を向けて走って行った。

 名残惜しい気持ちは両方にあったが、それ以上踏み込む勇気はどちらにも無かったのだろう。


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