72 南から来た招かれざる客
エルオリーセは、アルバと三吾にここで待つように言うと、石組の仕切りを跨ぎ越して葡萄畑の中に入った。獣罠に関する知識もある彼女は、それらを避けて少し歩き回り、直ぐにしゃがみ込む。
そしてしばらく素手で土を掘っていた彼女は、何かを掌の上に乗せて戻って来た。
「やっぱりコレですね。葡萄の木を丸坊主にした犯人は」
エルオリーセの掌いっぱいに丸まっているそれは、大きな芋虫だった。
海老茶色の身体に小さな黄色い点がある幼虫は、かなり気持ちが悪い色をしている。
「ヨトウモスという蛾の幼虫です。昼間は土の中で寝ていますけど、夜になると出てきて葉を食べるんですよ。畑のあちこちに巣穴があるので、かなりの数のヨトウモスがいますね」
(・・・うっ)
三吾は思わず息を詰めた。丸くなっている幼虫は、身体を伸ばしたら15㎝にはなるだろう。
(こんなのがウジャウジャいるのか・・・)
「夜行性で、本来はもっと南に生息する種類です。これでも終齢幼虫では無いので、最終的には20cmくらいの大きさになります。大食漢なのでこのままにしておくと、どれだけのブドウ畑が丸坊主になるやら」
「ヒッ・・・・」
ブドウ畑の主バジルは、真っ青になった。
「こ、こんな芋虫は初めて見る・・・どっから来たんだ・・・」
エルオリーセは、近くに見える船着き場を指し示した。
「多分、あそこ・・・南からの輸送船で運ばれて来た荷物の中に、ヨトウモスの蛹が紛れ込んでいたのではないかと思います」
蛾や蝶の蛹は、気温の変化に強い。かなりの低温でも生きていられるし、食物を摂取する必要も無い。しかもヨトウモスの成虫である蛾は、孵化後すぐに交尾して産卵する習性があるのだ。
「去年の秋から今年の春までの間に、蛹が幾つかこの土地に運ばれてしまって、孵化して交尾し産卵してしまった。卵が孵化して、運よく食性に近い植物、つまり食べられる葉が近くにあった。それがブドウだったんですね」
荷物に虫の卵や蛹が紛れ込んで、運ばれた地で孵化することは多いが、そこで幼虫が育つ可能性は低い。食物が無かったり、他の動物や虫に襲われるからだ。けれどヨトウモスの幼虫は、かなり大きい上に夜間しか行動しない。天敵に襲われることが、そもそも少ないと言える。
蛾にとっては運が良く、葡萄にとっては運が悪かったという事だ。
「幼虫は脱皮しながら大きくなって、食べる量も多くなるので、この状態で畑1区画食べつくすのは簡単でしょう。今のうちに、何とかしないと」
元々生息している南の地では、土を掘って幼虫などを食べるアナグマやイタチの仲間が多い。しかもヨトウモスの幼虫が食べる植物も、成長が早いので木が丸坊主になることも滅多にないのだ。
エルオリーセの説明に、バジルは跳び上がった。
「手伝いを呼んでくる!夜になる前に、コイツらを駆除しねぇとっ!」
それから日が暮れるまで、バジルと手伝いの男たち、そしてエルオリーセはヨトウモスの幼虫の駆除に勤しんだ。アルバもその嗅覚を使って、せっせと穴掘りをしていた。
三吾は離れた場所で、戦線離脱を告げて見守っている。元々虫の類は、あまり得意ではない。
子供の頃はトンボやカブトムシなど、虫捕りで遊んだこともあったが、いつの間にか『出来れば触りたくない』と思うようになった。
しかも今回のヨトウモスの幼虫ときたら、大きいわ多いわで、バケツの中で蠢いている様子を見ると鳥肌が立つ。
エルオリーセもそんな彼の様子を解っていて、先に帰ってもいいと言ったのだが、帰り道が心配な三吾は作業が終わるのを待っているのだ。
やがて陽が落ちる頃には、幼虫はバケツ5杯分にもなる。
「これで大体駆除できたかな?」
腰を伸ばしてトントンと叩くバジルの言葉に、エルオリーセは苦笑した。
「そうですね、でもまだ残りが居ると思うので、暗くなっても見回った方がいいと思います。獲り残しがいると、また来年も被害が出ますから」
そして暗くなると、範囲を広げて幼虫を探し回る。次の葡萄畑に移動しようと石組の仕切りを這いあがる幼虫は、アルバが見つけ次第前脚で押さえて人を呼んだ。まだ被害が見つかっていない畑も、幼虫が立てる咀嚼音を頼りに1匹ずつ捕獲していった。
そして夜も開ける頃、ようやく駆除作業は完了する。
「多分これで大丈夫だと思いますが、秋になったら成虫を見つけ次第駆除するようにしてください。ヨトウモスの成虫は、ハンカチくらい大きいので解りやすいと思います」
広げたハンカチくらい大きい蛾。
確かに解りやすいが、そのくらい大きいと撃ち落として駆除することも出来そうだ。飛び道具で。
(・・・ゾッとするな)
三吾は、今後、ヨトウモスの幼虫も成虫も見ないで過ごしたいと本気で思った。
後始末は自分たちで出来るから、とバジルたちはエルオリーセに向かって何度も頭を下げた。お礼の言葉を背中に受けて、2人と1匹は先に町に戻る。
「ところで、後始末ってどうするんだろう?」
肩を並べて歩きながら、三吾が問いかけた。
「頭を捩じれば簡単に死ぬので、後は焼くとか土に埋めるとかでしょうね。水分が多いから、焼かない方がいいってアドバイスはしたけど」
燃えにくいし、表皮が固いのでポンポン爆ぜるし、臭いも酷い。
そんな彼女の言葉を聞いて、三吾は渋面になった。
野生児だと自分で言うだけあって、エルオリーセは虫なども平気で素手で触る。
三吾としては、さっきから彼女と手を繋ぎたいと思っているのだが、何となく躊躇してしまっていた。
(何を触っても、リーセの手が汚いと思うわけじゃ無いんだが・・・)
そんな彼の様子に、エルオリーセは気づいてしまった。
「無理しないでイイわ。誰にだって、生理的に嫌いなモノってあるんだから。帰ったら、ちゃんと石鹸で手を洗うから」
クスクスと笑いながら言う彼女に、三吾は赤くなる。
「いや、ごめん・・・潔癖症というわけじゃ無いんだが、さっきの幼虫が夢に出てきそうなくらいグロテスクでね。子供の頃は平気だったんだが、いつの間にかダメになってた。ちょっと情けないな」
「気にしないで。もしまた、あんな虫が出たら、私が追っ払うからね」
(・・・普通は、それって男女逆の光景だろうなぁ)
三吾はこっそりと溜息をついた。
「それにしても、流石だね。町で話を聞いた時から、原因が解ってたのかい?」
「ええ、実は山から下りて来た時に、町の露店で見たものがあったの」
植物の蔓を編んで作った、大小様々な籠や笊を並べている店があった。その材料が、南方の蔓植物だと気付いたのだ。露店を出している女性と話をして、材料だけ輸入して作っているのだと知った。
「南の方から植物を輸入してるなら、それに虫やその卵がくっ付いてくる事は多いでしょ。だから、もしかしたらヨトウモスかな、って」
大陸のあちこちを飛び回って仕事をしてきたエルオリーセだから、解ったことなのだろう。
三吾は、素直に感心した。
「あ、朝陽が昇るわ・・・」
町を見下ろす坂道の上で、エルオリーセが呟いた。
「ああ、風も気持ちいいな」
2人はどちらともなく、道の傍らの岩に腰を下ろした。
さわさわと草原を渡って来る朝の風が心地よい。
エルオリーセは提げていたバッグの中から、小さな楽器を取り出し口元に当てる。
「それって・・・オカリナかい?」
軽く肯いた彼女は、息を吹き込んだ。
ヒュ、ヒョロ、ロロ~~ロ~~・・・
素朴で穏やかな旋律が、暫しの間、草原を流れた。
「・・・いい音色だし、素敵な音楽だ。君が演奏できるなんて、初めて知ったよ」
三吾は微かな驚きを含んだ声音で、楽しそうに言う。けれど今の気持ちは、こんな陳腐な言葉では表現しきれない。
「子供の頃、祖母に少しだけ教わったの。祖母はオカリナがとても上手で沢山の曲を知ってたけど、私は聞くばっかりで・・・」
「でも、僕はとても気に入ったよ」
「ありがとう、もっとちゃんと覚えて置けば良かったわ。このオカリナも町の露店で見つけて、懐かしくなって買っちゃったの。そこは山岳少数民族の人のお店だったわ」
どこか懐かしそうな顔になるエルオリーセに、三吾は提案する。
「それじゃ、今日はゆっくり休んで、明日からテーブル山脈の方に入ってみようか。行かれそうな山岳少数民族の集落を調べてみよう。リーセが5歳ごろまで居たっていう・・・ええと、リバモリ族だっけ?そこに行かれるなら、そこまで足を延ばしても良いんじゃないかな」
夏休みは長い。
のんびりと、テーブル山脈周遊の旅というのも悪くない。
「素敵ね。そしたら、あちこちでオカリナを教わることも出来そうだし」
エルオリーセはニッコリ笑って立ち上がった。
「ありがとう、三吾」
チュッと音を立てて彼の頬にキスをし、そのまま坂を駆け下りてゆく。
そんなエルオリーセの長い髪には、あのバレッタが輝いている。
アルバは彼女を追って走り出すが、一度だけ振り返って吠えた。
(置いていくよ~~)
と、言いたげに。




