69 夫婦であり理解者であり
コトンコトン・・・カリカリ・・・
玄関ドアから慎ましく聞こえた音で、アルバが帰って来た事を知った三吾は鍵を開けに行く。
『笑うブチハイエナ亭』から戻って来たアルバは、重そうなバスケットを咥えていた。
「ええと・・・薬と・・・これは、牛乳とオートミールか」
バスケットから次々と取り出し、最後にメモを見つけた。
『ポリッジの作り方・・・・』
ルビーが書いてくれた病人用のレシピだろう。オートミール粥であるポリッジは、昔三吾も食べたことがあった。
「よし、取り敢えず作って置くか。アルバ、エルオリーセの方を頼むな」
三吾はエプロンを着けると、早速レシピ通りに調理を始めた。
夜半過ぎ、エルオリーセは僅かに身じろぎをして瞼を上げた。
目の前には三吾の優しい顔があったが、まだぼんやりとしているようだ。
「リーセ、まだ熱があるから、薬を飲もうか。少しは楽になると思うよ」
子供のように微かに肯いた彼女の肩を抱き起し、三吾は薬を飲ませた。ルビーが届けてくれたのは、解熱剤らしい。水も飲ませて、彼女の頭を枕に戻す。
「話は、後でもできるから。もう少し眠りなさい・・・でも、これだけは覚えておいて。僕がリーセを、愛しているってことだけは」
エルオリーセの唇が、ハイと言うように僅かに動く。
そして、夜は静かに更けていった。
翌朝、今度はしっかりと目を覚ましたエルオリーセに、三吾は穏やかに話しかけた。
「お腹が空いていると、ろくなことを考えないからね。食欲が無いかもしれないけど、少しでも食べなさい」
三吾がベッドに運んできた物は、2種類のポリッジだった。
「こっちは蜂蜜で味をつけて苺を乗せてみたんだ。こっちは塩味で卵を入れてみた」
味が違えば少しは食欲も増すのではないか、と考えた結果だ。
いつもの様に、何事も無かったかのように振舞う彼の様子に、暖かい気遣いを感じた。
「・・・美味しい」
エルオリーセは2種類のポリッジをそれぞれ少しずつ食べ、表情こそまだ少し硬いながらも、大分落ち着いてきているようだ。熱も下がって、体調も問題無さそうに見える。
三吾は後片付けを済ませると、ベッドサイドに腰かけた。アルバはベッドの上にいたが、エルオリーセの足元に伏せている。
彼女はもう、全てを話す覚悟を決めているようだ。
「三吾・・・ごめんなさい」
エルオリーセは、頭を下げて謝った。
「何故、謝るの?」
「だって・・・知らなかったとは言え、私は人じゃなかったわけだし・・・」
三吾は彼女の両肩に手を当てて、真っすぐに見る。
「もう一度、はっきり言う。僕はリーセを愛してる。君が人でなくても、メタモルファルでも、それは変わらない」
結婚前にそれを知ったとしても、迷うことなく結ばれたいと思っただろう。
リーセはリーセなのだから。
「リーセは、違うの?僕を愛していると言ったのは、間違いだった?」
エルオリーセは、漸く顔を上げた。
「そんなこと無い・・・でも、朝になって気づいたの。とんでもないことを、してしまったって」
「え?」
三吾は首を傾げた。それは、初夜の事を言っているのだろうか。
「だって・・・メタモルファルは変身獣で・・・獣なんだから。三吾に獣姦させちゃったことになると思って・・・」
『獣姦』って・・・
「そんな言葉、知ってるんだ・・・」
三吾は思わず呟いてしまった。
「ジーンに教わったの。南方の未開の原住民のところへ調査旅行に行った時、その罪で磔になってる人を見たことがあって・・・」
ジーンの説明で知ったそれは、衝撃的な光景で知識だった。
「昨日の朝、目が覚めたら・・・」
エルオリーセは、静かに語り始めた。
最初に胸の中にストンと落ちてきた物は、自分はメタモルファルだという自覚だった。
身体全体が、どこか自分の物では無いような感覚がした。
言葉にしづらいそれは、不快なものでは無かったが、心と身体が擦れ合うような感覚を覚えた。
容易に受け入れられない事実に、頭の中が真っ白になった。
「三吾に合わせる顔が無いって、騙したんだって・・・それだけが頭に浮かんだの。三吾だけじゃなくて、誰にも自分を見られたくなかった。本当はメタモルファルの自分を、隠したくなって・・・」
それで、家を飛び出した。
後のことなど、何も考えられなかった。
「今になれば、三吾やゲンさんやルビー姐さんにも、沢山迷惑かけたと思う。でも最初に、三吾にちゃんと謝るのが先だって・・・」
「ちょっと待って」
三吾はエルオリーセの言葉を遮った。
「順番に行こう。最初に・・・その・・・獣姦の事だけど・・・」
初夜の件は、それには当たらないだろう。鶴や狐、魚が恩返しに女房になったという昔話もあるくらいだ。
「妻の正体が何だったとしても、人の形になっていれば良いんじゃないかな。子供にも聞かせるような昔話なんだから」
「・・・はぁ・・・そういうものですか?」
エルオリーセは怪訝な顔になるが、少し安堵したようだ。
「だから僕たちが夫婦であることには、何も問題はないんだ。それに、まさかこうなるとは思ってもいない事だったし、混乱するのも仕方がないだろう?」
三吾は椅子から立ち上がり、彼女の横に腰かけて肩を抱いた。
「確かに心配はしたけどね。ゲンたちもひと安心してるだろうけど、そのうち事情を説明しに行かないとな」
「・・・・そうですね。何時かは、全てを話さないといけないとは思うけど・・・」
自分とアルバがメタモルファルであるという事は、今はまだ明かしたくはない。
「全てを話す必要はないさ。大丈夫だよ。深い事情を詮索するような夫婦じゃないから」
三吾はエルオリーセの顔をそっとこちらへ向けると、とびきりの優しさでキスをした。
何も心配は要らない。
これからもずっと、愛し合って行こう。
そんな誓いのような口づけだった。
一方『笑うブチハイエナ亭』では、ゲンとルビーが差し向かいでワインを飲みながら話をしていた。
「取り敢えず、ひと安心ってコトでイイんだよな」
「多分、大丈夫でしょ」
「それにしても、初夜の翌朝に花嫁が逃げ出すって・・・アイツは一体何をしたんだよ、全く」
「一応、ちゃんと指南はしたんでしょ?」
「ああ、きっちり釘は差しておいたんだが・・・」
『最初が肝心』と口を酸っぱくして言ったが。
「まさか・・・実行したのは最初だけで、2回目3回目って回数を重ねたわけじゃ無いだろうな」
「タガが外れたみたいに?・・・有り得るかも・・・むっつりスケベかもしれない。そういう素質がありそうだわ」
「だろ?研究一筋でやって来て、『筆おろし』も遅かったからな。その後も、エルオリーセ以外は眼中に無かったから・・・溜まってたのが一気に・・・」
幼馴染の初夜事情を、下世話な物言いで盛り上がる夫婦。
これでもこの2人は、三吾とエルオリーセを肉親のように大切に思ってはいるのだが。
あれやこれやと、初夜の花嫁に行った行為のあれこれを推測する。
そして結局
『三吾は絶倫で、翌朝エルオリーセが逃げ出すくらいとんでもないことをやった』
という結論に達した。
「今後、大丈夫かしら?エルちゃん、身体を壊さないかしら」
「取り敢えずは、様子見だな。お前は、彼女に体力がつくような物を食べさせるしかないだろ」
それでもこのオシドリ夫婦は、彼らを暖かく見守ることにしたのだった。
そしてその頃、三吾は盛大なくしゃみをする。
「大丈夫?三吾も、風邪を引いた?雨に濡れたでしょう?」
「いや・・・そうじゃなくて・・・」
どこかで悪い噂をされているような気がする。
でも、まぁ、特に気する必要は無いだろう。
「大丈夫だから。それより、リーセの身体の方が大丈夫なら、明日は街の外に出てみないか?あまり遠くない場所で、ランチでも持って行って」
自然の中でのんびりと、彼女ともっと話をしたい。
メタモルファルであると自覚した彼女の事を、もっと知りたい。
自分は彼女の理解者であり続けると誓ったのだから。
にっこりと笑ったエルオリーセを強く抱きしめて、三吾は新たに決意を抱く。
アルバは、漸く治まった状況に安堵したのか、大きな欠伸をすると寝る体勢に入った。




