60 馬牧場での日々
三吾とエルオリーセは、オガネ温泉を発って彼が所有する牧場に向かった。
オガネを出ると道はテーブル湖の北側を回って、峡谷に入る。切り立った断崖を見ながら、谷川に沿って走る馬車はガタガタと揺れながらも御者の腕で安定した走行を続けた。
やがて馬車は上り路に入り、崖の中腹まで来ると、谷川に掛かった橋を渡る。そこで一度休憩を取ると、景色を眺めに馬車から出て来た2人に、御者が話しかけた。
「ここは地元じゃ『巨人の椅子』って呼ばれてるんでさぁ。ここが椅子の座面に当たるんだが、もうしばらく行くと、また橋を渡るんだよ」
成程、と三吾は周囲を眺めた。
雲突くような巨人がここに座るとしたら、背もたれは少し遠くに見える断崖だろう。両足は谷川に浸るようになって、腰かける場所は広い森だ。
「橋を渡ると急な上り坂だけど、上に上がっちまえばカーボ村までは直ぐでさぁ」
御者の言葉に促され、2人は馬車の中に戻った。
旧勾配を上がる馬車の中は傾き、三吾はしっかりとエルオリーセの身体を抱いた。けれど馬も御者も慣れているようで、不安を覚えるようなことは無い。
三吾は腕の中の彼女の前髪に手を触れ、そっと搔き上げた。近頃エルオリーセは、2人きりだと寝る時以外にも顔の覆い布を外している。
「随分、目立たなくなったんじゃないか?」
酷い火傷痕は一生残ると言われていたが、半年以上の時を経て少しずつだが治ってきているように見える。表面は多少凸凹しているが、色は他の部分の肌と変わらない。真っ白になっていた眼球も、少しだが本来の瞳の色である碧が透けて見えるような気がする。
彼が顔を寄せて瞼にキスを落とすと、エルオリーセはくすぐったそうに笑った。
「三吾のキスと、アルバの力のお陰かしら」
「だと、いいな。視力の方は、どう?」
火傷直後は失明したと言われていたが、今はどうなのだろうか。
「最初は真っ暗だったんだけど、近頃は視界が白いの。明るいか暗いかぐらいは、解るようになってる」
もしかしたら、眼球の表面以外は治ってきていて、このまま白濁した角膜が修復されていけば、見えるようになるかもしれない。まだ時間は掛かるかもしれないが、彼女の顔の右半面が元通りになる可能性は大きそうだ。
「メタモルファルの力っていうのは凄いな。僕も頑張れば、少しでも助けになれるだろうか」
三吾はそう言って、もう一度彼女の瞼に唇を寄せた。
カーボ村は、酪農地帯の中にある田舎の集落だった。牛・馬・羊などを主に飼育する牧場が多い。都であるエレまでは、馬車でも1日掛かるため、乳製品は日持ちのするチーズ類に加工している。
牧歌的な村の宿屋に着いた三吾とエルオリーセは、部屋に荷物を置くと、早速三吾が所有する牧場へと出かけた。
『モスコ牧場』と書かれた木の看板は、素朴だが品の良い飾り付けがなされていた。2人が入ってゆくと、直ぐに中年の夫婦が出てきて挨拶を始める。
「ようこそ、お出で下さいました。モスコです。こっちは家内で、息子と娘も後から来ます」
働き盛りらしい夫婦は、仲良く揃ってお辞儀をした。
「いや、急に連絡を入れて申し訳ない。どうか気を遣わずにいてください」
オキシロ家の三男とはいえ、牧場のオーナーである三吾だが、自分自身では一介の科学者だと思っている。いきなり訪問してきた知り合いが謝るように、気さくに返事をする彼に夫婦はホッとしたようだ。
「そちらが婚約者様ですか?」
モスコが笑顔で尋ねると、エルオリーセは丁寧に頭を下げる。
「はい、よろしくお願いいたします」
そこに、息子と娘であろう若者が2人、駆け寄って来た。
「息子のビスと娘のスージーです」
父親によく似た頑丈そうな体つきの若者と、細身だが健康そうな娘は、揃って明るい笑顔を浮かべた。
家族経営の小規模な牧場だが、仲良く力を合わせて働いているのだろうと解る暖かい雰囲気だった。
「ええと、それでは牧場を視察なさいますか?馬の方は息子が、羊を娘が担当していますが」
「羊も手掛けているんですか。知りませんでした」
オーナーらしくない態度と言葉遣いに、牧場の面々は戸惑うが、いかにも彼らしいとエルオリーセは何だか嬉しくなる。
「いや、羊の方は娘が趣味みたいにやってるだけで、まだ頭数も20頭くらいなんです。利益が出るようになったら、ご報告するつもりで・・・」
弁解するように説明する父親の言葉に、娘が口を挟んだ。
「22頭よ。今年からは毛刈り出来るのが15頭になるわ」
エルオリーセよりも明るい色合いの髪と、小麦色の肌にそばかすだらけの顔。美人では無いが明るい表情と、青く大きな眼が可愛らしい。
「最初は友達から貰った子羊を育ていて、少しずつ増やしていったんです。ちゃんと交配も考えて、10頭を超えてからは牧羊犬も育てて、一緒に働いています」
スージーは、三吾に向かってはきはきと説明した。
(何だか、リーセに少し似ているな)
自分らしく生きている、好感が持てる娘だと思いながら聞いていた三吾に、エルオリーセが軽く袖を引いて尋ねた。
「私、視察というより色々教えていただきたいです」
「え?」
「視察と言うと設備とかを見るのでしょう?トウモロコシや小麦を見るのとは違って馬や羊だと、見られて警戒されるかもしれないですから近寄るのは避けたいです。それで、もし良ければお手伝いさせていただいて、馬や羊の事を教えて貰えれば嬉しいです」
そういう事か、と三吾は納得した。上っ面の視察ではなく、彼女は動物たちと直に触れあいたいのだ。
「僕は構わないけど・・・」
するとエルオリーセはパァッと顔を輝かせ、モスコ達に頭を下げる。
「着替えてきますので、よろしくお願いします。お仕事の邪魔にならないよう、頑張りますので」
呆気に取られる牧場スタッフたちをその場に残し、エルオリーセは馬車に置いてきた荷物を取りに戻った。どうやら、働けるようにいつもの採集服を用意してきたらしかった。
その日は、馬たちは運動場に出ているというので、スージーの羊たちや牧羊犬と一緒に過ごしたエルオリーセだ。羊の牧舎の掃除をしながら、色々な事を教えてもらい、似たような雰囲気を持つ2人は直ぐに打ち解けてしまった。
「アルバって、ボーダーコリーにしては大きいわよね。でも賢そう」
「うん、かなり大きいわ。牧羊犬の訓練は受けてないけど、何だか興味があるみたい」
スージーの牧羊犬は、オスのラフ・コリーで優秀だった。ネオという名の彼は、アルバを認めたようで、一緒に羊たちを追う事を許してくれた。
掃除を終えた娘2人は、羊の群れを統率して牧舎に戻す2匹の犬を眺めながら、昔からの友達のように笑い合った。
それから数日間、エルオリーセはモスコ牧場に通った。勿論三吾もついてゆくが、彼はモスコの奥さんが用意してくれるハーブティーとクッキーを味わいながら、楽しそうに身体を動かす彼女を眺めて過ごす。馬の世話や話を聞くために、彼女が息子のビスの傍にいる時は、流石に少し嫉妬も覚えて傍にいたのではあるが。
羊よりも馬の方が馴染みがあるエルオリーセとアルバは、裸馬に乗せて貰ったり馬の背に立ってみたりと、曲芸まがいのような事まで教えて貰っていた。
そんなある日、滅多に無い凄い雨量の大嵐が、カーボ村一帯を襲った。
嵐の前後、エルオリーセと三吾は、モスコ牧場で少しでも役に立てるように働く。牧場の皆は、恐縮することしきりだったが、それでもありがたく受け入れてくれた。
嵐が去って、そろそろ牧場に暇乞いしてレーエフに帰ろうかと2人が話し合っていた時、村の宿屋の前で立派な馬車に乗って来た1人の男性と出くわした。
それは、オキシロ家の現当主で、三吾の長兄であるイットリュウその人だった。




