56 メタモルファルに包まれて
メタモルファルの長い尻尾と力に助けられ、エルオリーセは三吾の身体を岸に運んだ。
サルファーの姿は無い。
エルオリーセが脱ぎ捨てたショールも無くなっていたので、それに身を包んで自力で立ち去っていったのだと解る。
けれど、そんな事に構っている場合ではない。
水は殆ど飲んではいないようだが、呼吸は止まっている。けれど鼓動は微かながら何とか続いていた。
アルバは気を引き締めるように居住まいを正し、前脚をそっと三吾の胸に当てる。
その間に、エルオリーセは辺りを見回していた。
(あのボート小屋に運ぼう)
息を吹き返した彼の冷たい身体を、彼女はメタモルファルの力を借りて何とか小屋に運び込んだ。
粗末な小屋ではあったが、時折誰かが管理に来ているのだろう。暖炉の傍には薪が積んであり、箱の中には火打金と火口が入っていた。
「アルバ、暖炉の火をお願い」
頼まれたメタモルファルは、前脚を変身させて指を長くすると、器用に暖炉に火を入れる。
その間に、エルオリーセは彼の衣服を脱がせて体を拭いた。
パチパチと燃え始めた暖炉の前に、彼の濡れた服を絞って広げる。
既にアルバは、身体を広く伸ばし三吾の身体を包んで暖め始めていた。
(絶対に助けるから・・・)
このまま彼を失ってしまったら、と考える事さえ怖い。
(出来ることは、全部するから)
エルオリーセはキュッと唇を噛んで、素早く自分の服を脱ぎ始めた。
「アルバ、私も入る」
下着も全て脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿でアルバの毛皮の下に潜り込む。
必死に動いていたせいか、不思議と寒さを感じないエルオリーセは、自分も温もりになるつもりだった。
彼の肩を抱き込むように、胸と胸をピッタリと合わせる。
自分の体温の全てが、彼に与えられるようにと、ただひたすら祈っていた。
いつの間にか陽は沈み、ボート小屋は夜の帳に包まれていた。日没と共に降り出した雪が、音も無く積もってゆく。
どのくらい時間が経ったのだろう。
温もりに満たされて心地よく暖まった身体で、三吾はふと目を覚ました。
(・・・ここはどこだ?助かったのか)
うすい靄が晴れて行くように、周囲の状況が解り始めた。
(・・・・えっ!リーセ!)
身体をピッタリと密着させ、三吾を抱くように寄り添うエルオリーセは眠っていた。
間近にあるその顔には、涙の痕がある。
(泣きながら暖めてくれていたのか・・・)
胸の奥が、ジンと熱くなった。
そして気づいた、密着した肌。
胸も腹も、絡ませた足も。触れられる部分は全て触れて、体温を与えるための姿。
ドキン、と三吾の心臓が跳ね上がる。
思わず強張った彼の身体に気づいたのか、エルオリーセはハッと目を覚ました。
「あ!三吾、目が覚めたのね」
泣きながら寝てしまった後の腫れぼったい瞼の下で、彼女の碧の瞳が再び潤んだ。
「良かった・・・良かった・・・」
「リーセ、助けてくれてありがとう。心配させて・・・」
三吾が言葉を紡ぎながら、彼女の瞼にキスをしようと顔を近づけた瞬間。
「・・・ぅひゃぁ~~」
エルオリーセは珍妙な声を上げて、メタモルファルの毛皮の中から転がり出た。
「えっ!」
驚いて手を伸ばそうとした三吾の目の前に、アルバの尻尾が現れる。
シュルシュルと伸びてきた尻尾が、彼の目隠しになった。
床に散らばった自分の衣服を拾い上げ、エルオリーセが身繕いをする間、三吾の視界は閉ざされていた。
やがて尻尾目隠しが外されたので見ると、彼女は床に座って背を向けている。
「リ、リーセ・・・その・・・見てないから。恥ずかしい思いをさせて、ごめん」
愛する人の命を助けるためとはいえ、おそらく男性経験が無い彼女にとって、裸で身体を密着させるという行為は恥ずかしいものに違いない。
謝る三吾に、彼女は背を向けたまま少し怒ったような口調で答えた。
「恥ずかしい・・・って言うのもあるけど・・・」
エルオリーセは、暖炉の前に広げられている彼の衣服を集めた。
「乾いたみたい・・・はい」
俯いたまま彼女は乾いた服を差し出す。起き上がって受け取る三吾に、顔を伏せたまま言葉を続けた。
「私が・・・脱がせて、体を拭いたの。ごめんなさい」
羞恥に顔を真っ赤にしているらしいエルオリーセを見て、そういう事かと三吾は思った。
「いや、謝らなくていいよ。救命措置だろう?」
「そうだけど・・・でも意識がない時に、そういう事をされるのって・・・三吾の方が恥ずかしいんじゃないかと思って」
「そりゃ、まぁ、少しは・・・でもそのお陰で助かったわけだから。寧ろ君の方が、恥ずかしかったんじゃないか?」
緊急事態に恥ずかしがっている場合じゃないが、男性の下半身など見たことが無いだろうエルオリーセを気遣う三吾だ。
けれど彼女は、軽く頭を振って答えた。
「それは大丈夫。体を拭いたりしたときに、見慣れてるし」
「えっ!」
誰の身体を拭いて、どこを見慣れているというのか。
「馬の世話はよくやるから、交配の手伝いをしたこともあるし」
(なんだ、馬か・・・って、馬と人じゃ違い過ぎると思うんだが)
そこまで考えて、ふと三吾は嫌な考えが頭に浮かぶ。
(馬のアレと、比べたりしてないよな・・・敵うわけがない)
いつの間にか落ち着いたらしいエルオリーセは、キョトンとした顔で三吾を見ている。
そんな2人を、アルバはやれやれと言うように大きな欠伸をした。
三吾の身繕いが終わると、アルバは急に耳をピクッとそばだてて窓辺に寄り、外を覗く。
小屋の外に、沢山の人の気配があった。
散歩に出ていった筈の大切なゲストが、夕食時になっても戻らない事に、ホテルは大騒ぎになった。オーナーであるマークに連絡し、従業員を駆り出してホテルの周辺の捜索が始まる。
降り出した雪もあり、どこかで動けなくなっていたりしたら命に係わる。人々は松明を掲げて、あちこちを探し回った。
池の畔まで来た時、捜索隊は岸に落ちているコートと割れている池の氷を見つけた。
「池に落ちたんじゃないか!」
真っ青になり、ボートを出そうかと辺りを見回した時、ボート小屋から漏れる灯りに気づいたのだった。
そして2人は、無事にホテルに帰ることが出来た。
翌朝、ヴィラにいる三吾とエルオリーセの元に、安堵した様子のマークがやって来た。
「いやぁ、肝が冷えたよ。でも無事でよかった。1日くらいは安静にしていろって医者に言われたんだろう?」
「ああ、心配させて悪かった。もう大丈夫なんだが、起きるとリーセに怒られるんでね」
三吾は惚気としか聞こえないような言葉を、頭を掻きながら嬉しそうに告げる。
そこにエルオリーセが来て、マークに問いかけた。
「マークさん、今日お時間ありますか?ちょっと出かけてきたいので、三吾を見張っていて欲しいんですけど」
「オッケー、今日は暇だし、丁度コイツと話もしたかったんで、ありがたく引き受けるよ」
御礼を言って出かける支度をするエルオリーセに、三吾が心配そうに声を掛ける。
「どこへ行くの?」
「ショールを探しに。あのショールとブローチは、お気に入りだから見つけないと。アルバも一緒だから、心配しないで」
出来るだけ早く帰ってくるから、と言い残してエルオリーセはヴィラを出た。
三吾を岸に運んだ時には、サルファーの姿もショールも無かった。
たまたまそこに落ちていたショールを、ずぶ濡れのサルファーが羽織って行ったのは間違いないだろう。
そして彼女を追っていた、刃物を持った女性。遠目ではあったが、金褐色のこの地方では珍しい髪の色に、エルオリーセは見覚えがあった。
屋台街で彫刻家が襲われた時、集まって来た野次馬の中にその女性がいたのだ。
(あそこに行って、誰かに聞けば解ると思うわ)
オキシロ家の別荘に行く前に、事情を知っておいた方が良いだろう。
エルオリーセはアルバを伴って、先ずは屋台街に足を向けた。




