26 節約生活が一転する
夜が明けると同時に、エルオリーセは荷車を引いて城壁の外に出た。
借りている荷車を返す前に、寝藁の代わりになるような干し草を集めるつもりだった。
アルバが傍にいてくれるようになったお陰で、干し草の材料となる枯れた植物は短時間で集まった。ついでに食用可の木の実や種子などを口の中に放り込み、1人と1匹の朝食の代わりにした。
アルバの食べ物は、飼い犬と同じで人間が食べるものは何でも喜んで食べる。生野菜でも果物でも大丈夫なので、雑食に近いのだろう。肉や魚も好物だが、食材として流通している物しか口にしないのはメタモルファルの特性だからなのだろうか。
自分で狩りをして獲物を食うということは、生まれてから一度もしたことは無かった。
そしてその日から3日間、エルオリーセは家の修復作業を行った。必要最低限な補修道具や材料を購入し、不足していた生活用品を整えると、蓄えはずいぶん減って懐は具合は相当に厳しくなった。
「やり繰りって、本当に大変ねぇ・・・」
主婦の愚痴そのものの台詞が、つい口から零れる。
アルバは困ったような顔になるしかないが、それはまるで稼ぎの無い亭主のような表情だった。
三吾の方は、学院の研究室に泊まり込んで行っていた復帰準備もそろそろ目途が付いてきたところだった。これなら今日の夕方には『笑うブチハイエナ亭』に行って、エルオリーセに久しぶりに会えると思っていたところに、珍しい人物が訪れた。
「やあ、久しぶり。今、いいかな?」
磊落に笑って部屋に入ってきたのは、農学のカリーム・ポタシム教授だった。
以前、万能薬の原料である赤草の栽培で共同研究をした彼は、エルオリーセが紹介してくれた相手だ。共同研究の方は既に三吾の手を離れていて、品質が安定した万能薬を『学院印』として売り出し始めている。
「ポタシム教授、お久しぶりです。はい、大丈夫です」
三吾の返事を聞くと、ポタシムは手に書類の束を持ったまま話し始めた。
「実はこれから、仲間の教授たちと一緒に学院長のところに行くんだ。君はまだ一応休職中の立場だから参加できないが、関係者として事情を説明しておこうと思ってね」
そしてその日の夕方前、三吾は『笑うブチハイエナ亭』に急いでやって来た。ルビーは厨房で準備に忙しいはずだ。彼は貸して貰っている合鍵を使って、外階段から2階に向かった。
ドタドタドタッ・・・
居酒屋の店内に、2階から駆け下りてきた三吾の足音が響いた。
「ルビー、エルオリーセが居ないし荷物も無い!どういうことだ!」
厨房の中に向かって大声を上げた彼に、ルビーは手を拭きながら平然と答えた。
「住むところが見つかったから、そっちに移ったわよ。そうね、3日前だったかしら。三吾が来たら、そう言っておいてって言われてるけど・・・」
「・・・住むところって、どこに見つかったんだ?」
「それが、聞いてないのよね。何だか荷車がどうのって急いでたみたいで。あ、でも落ち着いたら挨拶に来るって言ってたから、そろそろ来るんじゃない?」
「う~~~・・・」
三吾は唸りながら、酒場の椅子にドスンと腰かけた。
最初は、彼女が自分に黙って姿を消したのかと思った。
こんな場合、つまり顔に醜い傷跡が出来てしまった女性が、それを苦にして恋人の前から姿を消すと言うような、メロドラマ的展開があることを三吾は聞きかじりではあったが知っていた。
エルオリーセがそんな風に思っていなくなったのかと思い、大慌てて駆け下りて来たのだ。
(ルビーに言付けて行ったのなら、その心配は無さそうだが・・・)
漸く落ち着いてきた三吾は、とにかくここで彼女を待とうと決めた。
伝えなければならない、大事な事があった。
彼が腰を据えて1時間もたたないうちに、エルオリーセが『笑うブチハイエナ亭』に姿を見せた。
腕に美しい花束を抱え、傍らにいるアルバは木苺がいっぱいに入った籠を咥えている。
「こんにちは・・・あ!三吾もいたんですね。お仕事は片付いたんですか?」
屈託なく微笑むエルオリーセだが、服は薄汚れて少し痩せたように見えた。
「あ、ああ・・・仕事は大丈夫なんだが・・・君は、大丈夫なのか?」
「え?・・・何が?」
心配そうに問いかける三吾の言葉の意味が解らない彼女は、ちょっと待ってとだけ言ってルビーに歩み寄った。
「ルビー姐さん、色々と本当にありがとうございました。ちゃんとしたお礼を用意したかったんですが、思いのほか家の修理にお金がかかってしまって・・・これ、良かったら貰ってください」
エルオリーセは、申し訳なさそうに頭を下げながら、持っていた花束をルビーに差し出した。
アルバも、咥えた籠を差し出すように前に進む。
その花は、野生のグロリオサだった。個性的な形の真っ赤な花弁は明るい黄色で縁取られ、まだこれから咲くだろう蕾が沢山ついている。
それは新鮮そうな木苺と同様に、エルオリーセとアルバが朝から採集してきたものだった。
「あらぁ、素敵!」
ルビーは満面の笑みで花束を受け取り、籠の中から木苺を1つ摘まんで口に放り込む。
「これも、すっごく甘くて瑞々しいわ~~。最高の御礼よ!ありがとう、エルちゃん、アルバ」
どっちもとても気にったらしいルビーは、いそいそと花瓶を用意して厨房に向かいながら言った。
「木苺は沢山あるから、ジャムにしようかしらね。この花は、上の部屋に飾るわ」
旦那様にもよろしく、と声を掛けてエルオリーセは三吾に向き直った。
「待たせちゃって、ごめんなさい。で・・・私は大丈夫ですよ?」
ニコリと微笑むエルオリーセだが、顔の包帯も汚れているのがはっきりと解った。
「いや、何だかちょっと痩せたように見えたんで・・・」
薄汚れている、という言葉は敢えて使わなかった。
「そうですか?・・・家の修理で忙しかったからかな」
「修理?・・・新しい住まいって、どこにあるの?」
エルオリーセは、困ったような表情を浮かべて、それでも正直に説明した。
「そんな訳で、今はちょっと・・・と言うか、かなり余裕が無い状況になっちゃってます。でも明日から、交易センターで出来そうな依頼を受けるつもりなので」
はっきり言って外食する余裕は無いので、このところ食事はレーエフ周辺で採集出来たものを食べている状態だった。
けれど依頼を引き受ければ、最低でも1回分の携帯食料は無料で支給される。大した稼ぎにはならなくても、1日に数回依頼をこなせば自分とアルバが飢えることは無いだろう。
彼女の蓄えは、実はもう少しあったのだが、荷車を返した時に難癖をつけられて修理費用を要求されたり、街中の雑踏で引っ手繰りにあうという災難もあって、一文無しに近くなっていたのだ。
ルビーに渡した花束と木苺も、それしか用意できなかったというわけだった。
恥ずかしそうに俯いてしまったエルオリーセだが、それでも今はそんな生活しか出来ないのならやるしか無いと言う静かな決意が漂っている。
そんな彼女に、三吾は優しい口調で告げた。
「今日僕が急いでここに来たのは、学院からの大事な知らせを伝えるためなんだ」
カリーム・ポタシム教授は三吾の研究室を訪れた後、数名の教授たちと一緒に学院長室で談判を行った。
「エルオリーセ・ハイドランジア教授の退職の件ですが、それを撤回していただきたい」
単刀直入に言う教授に対し、学院長は穏やかな態度を崩さずに答える。
「退職は本人の希望なのです。事務局からの連絡では、講義が出来ないからと言うのが理由だと聞いています」
学院の規則上、教授としてここにいるなら講義は義務だと言うのだ。
「それなら、特例を作っていただきたい。理由は、こちらです」
ポタシムは持ってきた書類を、学院長の机上に広げた。
現在『学院印の万能薬』は量産出来る体制が整っていること。それによって見込まれる収益が、経済学の教授が算出した数値となって提出されている。
この万能薬の開発には、エルオリーセ・ハイドランジア教授の提案と助力があったこと。
ポタシムは落ち着いてそれらを説明する。
すると一緒に来ていた他の教授も、順番に意見を述べた。それらは全て、エルオリーセが採集で集めてくれた素材があったから自分たちの研究が出来た、というものだった。希少な植物やレア鉱物、鳥の羽から動物の体毛や化石まで、入手困難な代物を彼女が用意してくれたのだ。
そして最後に経済学者が、一枚の紙を差し出す。
「もしそれらの貴重な素材を、交易センターに依頼を出して採集して貰った場合にかかる費用の総額がこちらです」
そこには、詳しく計算されたとんでもない数字が並んでいた。
「エルオリーセ・ハイドランジア教授は、これに対する報酬は一切受け取っていません」
これがどういう事か、学院長ははっきりと理解した。眉を寄せて考え出した彼に、ポタシムは更に言葉を続けた。
「彼女は退職されたジーン・ボロン博士の、中断されている研究を引き継いでいることはご存じですか?それらの研究は、ユニバース学院で続けてゆくと公表されていますよね。もしエルオリーセ・ハイドランジア教授の退職を認めれば、その研究を引き継ぐ人材を確保しなければならなくなります。さて何人の教授が必要になるのでしょう。でもボロン博士から直接教えを受けている彼女なら、1人でそれが出来るのではないですかな?」
学院長は、深く肯いた。
三吾は真っすぐに彼女を見つめて、重々しく告げた。
「ユニバース学院からの、正式な要請だ」
『エルオリーセ・ハイドランジアを学院専任の探索者として任命したい』




