異世界で初めてのひとりぼっち
歩いても歩いても、緑、みどり、ミドリ……
生き物の気配はするけど、姿は見えず。何も見えない状態で聞こえる音は不気味さが増す。
ビクビクと体が跳ねさせながら、道なき道を進んでいく。
「そういえば、こうして一人で歩くの久しぶりかも……」
前世では人間不信になってからは一人で歩くどころか、アパートから出ることさえもできなくて。生まれ変わり、社交界で『星読みの令嬢』と呼ばれてチヤホヤされるようになってからは、常に侍女かメイドが控えていた。
そして、この世界に召喚されてからは、ずっとラディが一緒だった。
サラサラな金髪に大きな紺碧の瞳をした絶世の美少年。前世の私だったら間違いなく、理想のショタ! と叫んで写真を撮りまくっていただろう。
けど、中身は成人していて、口から出る言葉は甘いのに、どこか裏を含んでいるようで。
「いろんなことがあって、人を信じられないから、そう見えちゃうのかな」
だから、つい疑ってしまう。
大人は姑息で、ずる賢い。自分の利益のためなら簡単に人を騙す。
「……それは私も、なんだけどね」
ラディは外見が子どもで、中身が成人しているからこそ、余計に警戒してしまうのかも。
けど、この世界に来てから、怯えてばかりで会話もロクにできなかった私をここまで介抱してくれたのは、ラディで。
複雑な気持ちを抱えたまま、私は空を見上げた。どこまでも続く青空に真っ白な雲と、浮かんだ島…………と、優雅に泳ぐ魚たち。
「そういえば、ちゃんとお礼も言ってなかった」
ラディはラディで目的があって私をこの世界に召喚したはず。でも、それを優先させずに私の回復を優先してくれた。
いや、目的を達成するには私が回復していないといけなかったのかもしれないけど。
「それでも……」
私のことを考えてくれたことが嬉しかった。
自覚したとたん、心の柔らかいところがむず痒いような、気恥ずかしいような、そんな気持ちが膨らんでいく。
急に顔が熱くなるのを感じた私は盛大に頭を振った。
「あー、もう! ここでウダウダ悩んでも分からないし、早く合流しよう」
そして、今度こそちゃんと私を召喚した理由を聞こう。
(あと、日食の時の姿……あれは何だったんだろう)
ラディが成長した姿だけど、中身は明らかに違っていて。
「別人ってこと? 二重人格? うーん、これも聞いてみないと分からないか」
私の常識が通用しない世界。というか、考えても意味がない世界。いつも想像を超えてくるし、何があっても不思議ではない。
ある意味で達観の境地に至っていると、視界の先にキラリと何かが光った。
「何かある?」
草木以外の、できれば人を求めて走り出す。舗装された道ではないため、足をくじきそうになる。
どうにか木々を抜け、視界が開けた。
「やっと出た!」
という喜びも束の間。そこは大きな湖で。しかも、ばっちり見覚えがあり……
「……って、最初の湖!」
私は膝から崩れ落ちた。視線の先には私が湖から上がった時の足跡。
「まっすぐ歩いていたつもりだったのに……私は方向音痴だったの?」
一気に疲れが出てきてその場に座り込む。
「はぁ……こんなに動いたのは、久しぶりかも」
書籍館で本を追いかけて走りまわったため体はクタクタ。
空に浮かんでいた一つの太陽が地平線に沈みかけているが、それより大きな太陽が顔を出しており、周囲を明るく照らす。
「時間軸の太陽が沈みそう。いつもなら夕食の準備をする時間なのに」
つい夕食と言ってしまったが、この世界は夜どころか、朝昼夜という概念がない。食事は一日四回。だいたい決まった時間に食べるのだが、その基準になっているのが『時間軸の太陽』と呼ばれる太陽。
この世界の五つある太陽のうち、四つは出現時間が不規則で、地平線近くを這うこともあれば、数時間だけ顔を出して沈むことも。
けど、常に同じ時間に昇り、沈む太陽が一つある。そのため、昔から時間軸として使われており、その太陽が真上に昇った時に日付が変わる決まりになっているとか。
なので、私はこの時間軸の太陽を基準にして生活することにした。つまり、時間軸の太陽が昇ったら起きて、沈んだら寝るという風に。
「本当、不思議な世界よね。時間軸になる太陽があるだけ分かりやすいけど……って、書籍館で太陽の軌道をまとめたメモ! もしかして、水でダメになった!? あー、あのメモを持って帰りたかったのに! そもそも、本ばっかりのところで水を使うって、どうなのよ!? 本が痛むじゃない!」
一人で後悔や憤慨していると、可愛らしい声が降ってきた。
「やっーと、見つけたですよ!」
聞き覚えがある舌足らずな言葉。上を見れば大きな帽子を手で押さえた小さな体が落下してくる。
「ちょっ!? あぶない!?」
私は幼女の体を受け止めるべく両手を広げてワタワタした。
ぽすん! どすん!
両手で受け止めたけど、その衝撃に耐えきれず尻もちをついた私。
「いてて……」
「捕まえたです!」
お尻の痛みをこらえている私に小さな体が抱き着いてくる。大きな帽子の下にある白い髪が揺れ、丸いピンクの瞳が上目遣いで睨む……のだけど、その表情はどうやっても可愛い方が勝つ。
幼女は本気だし、真剣なんだけど、その光景が癒しにしかならなくて。
「捕まっちゃたぁ」
思わず頬が緩む。
「むー! バカにしてますね!?」
「してない! してない!」
慌てて首を横に振る私の背後から足音が響いた。
「エカリス、離れなさい。『星読みの聖女』に失礼でしょう」
「やー! 離れたら、また逃げられちゃうかもしれないもん!」
そう言って私の体を抱きしめる小さな手。この素直さと、舌足らずな話し方は……ロリではなかったけど、新たな扉が開きそう……
心の中で格闘しながら私は顔だけ振り返った。
そこにいたのはフードを被った青年だった。
フードの下から、幼女と同じように肩で切り揃えられた白髪が覗き、水色の瞳が私を見つめる。整った顔立ちとスラリと伸びた手足はバランスが良く、人形のようで。
「えっと……この子のお兄さん?」
私の質問に青年ではなく幼女が答える。
「シーニスは私のお婿さん!」
「え、ロリコン!?」
青年と幼女を交互に見る私に対して、フードの下から冷えた水色の瞳が刺さる。
「……ロリコンの意味は知りませんが、なんとなく不快になりました」
「だって、こんな年下の幼女と結婚……あ、この世界は外見と中身の年齢が合わないんだった」
「私の外見は中身とほぼ同じです」
ホッとすると同時に断定する。
「やっぱり、ロリコン……」
「違います。そもそも結婚という前提が間違っています」
食い入り気味に否定と訂正をされた。しかし、私に抱きついている幼女は不満らしく。
「そんなことないもん! わたちは、シーニスと結婚するの!」
その必死に訴える愛らしさに胸がキュンキュンして、思わず幼女を抱きしめた。
「可愛い! こんなに必死なのに、それをぶった斬るなんて、とんでもない冷血漢だわ」
睨む私に呆れたような視線が返る。
「遊びはそれぐらいにして、本題に入りましょう」
「本題?」
そういえば、この幼女は私を渡せとラディに言っていたような。
「はい。とりあえず移動しましょう」
「え? ちょっと、待って。どこに移動するの? それに、あなたたちは何者なの?」
「その話をするために移動します」
決定事項のような言い方。どうやら私に拒否権はないらしい。
(逃げた方がいいのかな? でも、逃げられない気がするし、あまり危険な感じはしないんだよね)
前世と前の世界で向けられた悪意に比べたら、二人は穏やかで自分を害する感じがしない。それに、私はこの世界について知らないことが多すぎる。
話を聞くぐらいならいいかなと考えていると、地面に魔法陣が浮かんだ。
そこで、嫌な予感が私の脳裏を過ぎる。
私が経験しているこの世界での移動方法は、花駆けか、水か、徒歩……
「あの、もう濡れたくないのですが……」
ダメ元で声をかければ、意外そうな顔をした青年から答えが。
「水での移動はどこに出るか分かりませんから使いませんよ」
「それなら、よかっ……キャー!」
ホッとした瞬間、私の体は大空から自由落下していた。