幼女の襲来
太陽が月に蝕まれ、金環となる。
薄暗い室内は見上げてくる紺碧の瞳だけが輝いていて。
そこに聞いたことがない獣のような唸り声が響いた。
「なに?」
「危ない!」
黒髪の青年が私を引っ張る。
ガシャーン!
大きな窓が割れ、何かが飛び込んできた。
降り注ぐ破片から私を守るように大きな体が被さる。視界が黒一色に染まり、ミントの香りが強くなった。
広い胸にすっぽりと収まった状態の私。
「え? え?」
戸惑っていると、大きな手が私の目を塞いだ。
「ちょっと、待ってね」
澄んだ低い声の後、ギャッという短い呻き声が響いた。
「もう大丈夫だよ」
手を外されて視界が戻る。薄暗い中に砕けたガラスが星のように輝く。
飛び込んできた何かは跡形もない。
呆然と周囲を見回していて、割れた窓の外の空に視線を奪われた。
皆既日食の最中なら、明るい星や惑星なら肉眼でも見えることがある。
「もしかしたら、星が見えるかも!」
太陽に囲まれた夜がない世界では、星の観測なんてできない。これは貴重はチャンス。
急いで外に出ようとした私を大きな手が止めた。
「今は外に出ない方がいいよ」
「どうして?」
振り返った私の耳に唸り声が聞こえた。しかも、一匹や二匹ではない。壁越しに感じる圧迫するような気配。鋭い殺気、草をかき分ける重い足音。
ここに来るまでに獣の姿はなかったのに。
私の疑問に気づいたのか青年が頭をさげる。
「ごめん、僕のせいなんだ」
「え?」
「僕がいるから、みんなの不安な気持ちが集まって……」
しゅんと沈む青年。体は大きいし、声も低いが、その様相は幼い子どもに見えてしまう。
「外にいる生き物が、襲ってくるの?」
黒い髪がしっかりと頷く。それから顔をあげて、満面の笑みになった。
「でも、君のことは僕が守るよ。君は僕のお姫様だから」
裏表のない、純粋な言葉と表情に、顔が熱くなる。
これをショタ外見のラディで言われていたら、鼻血を噴き出していたかもしれない。
思わず鼻を抑え、喝采したい気持ちをこらえていると、太陽が顔を出してきた。世界が再び光を取り戻し、明るくなっていく。
「……クッ」
青年が床に膝をつき、胸を押さえて体を丸める。
「どうしたの!?」
空が明るくなるのに比例して青年の体が小さくなっていく。長く伸びていた髪が短くなり、黒が金へと色を変えていく。
そんな中、眉間にシワを寄せた顔が私を見上げた。
「早く、僕を殺して、ね」
笑顔だけど、必死に訴えるその姿は痛々しく、胸を締め付けられて。
「どうして……」
答えを聞く前に青年は少年の姿に戻った。
圧迫するような獣の気配は消えて、いつもの穏やかな空気が流れる。
「…………ラディ?」
金髪がサラリと揺れ、何事もなかったように立ち上がった。ミントの香りはなく、爽やかなレモンの匂いが広がる。
「失礼いたしました」
「今のは……?」
紺碧の瞳が私をすり抜けてドアの先を睨んだ。
「すみません。今ので居場所がバレてしまいまして、説明をしている時間がありません」
「え?」
「見つけけましたよぉぉぉぉお!」
どこか舌足らずな幼い声。
バン! と開かれたドアには太陽の光を背にした小さな影。
「ラディウシュ! あんたが召喚に介入していたなんてね!」
スタスタと入ってきた小さな体にラディが肩を落とした。
「人の名前ぐらい正確に口にしてもらえませんか?」
「う、うるさい!」
そう叫んだのは大きな帽子を被った四、五歳ぐらいの幼女だった。
動きに合わせて揺れる、肩で切りそろえた真っ白な髪。意思が強そうに吊り上がった眉の下にあるのは、まん丸のピンク色の瞳。つい触れたくなる、ぷにぷにと柔らかそうな頬に、ちょんと摘まんだような鼻と、プックリと膨らんだ唇。
そこに丸みをおびた幼児体型の幼女。
すべてがプニプニまるまるで……
「きゃわいいぃぃ!」
ロリのつもりはなかったけど、これは可愛らしい! 愛でたくなる!
「ルーレナ……」
呆れたような紺碧の瞳が言葉ととも刺さり、我に返った。
「え、いや、だって可愛いんだから、しょうがないじゃない!」
開き直った私にラディがため息を一つ落として私に話す。
「この世界は外見と中身の年齢が一致しない人がいる、ということを忘れないでください」
「え? じゃあ、この外見で実は私より年上!?」
ショックを受けている私に幼女が腰に手を当てて怒る。
「失礼ですね! 私はこれでも六歳ですよ!」
「あ、そこはほとんど外見通り……って、六歳!? 六歳が一人で何をしているの!? 保護者は!?」
ホッとしたのも束の間、降って湧いてきた別の問題。
けど、幼女は気に食わなかったみたいで。
「六歳は立派なレディです! レディに保護者は必要ありません!」
高い声とともに幼女の足元から風が巻き起こる。
穏便とは反対の気配。
「私の後ろに下がってください。決して離れないように」
ラディが左手で私を庇いながら右手を振る。すると、紫の宝石で飾られた私の背より少し低い杖が現れた。
「星読みの聖女を渡しなさい!」
「断ります、と言ったら?」
そう言って美少年が綺麗な口の端を持ち上げる。だが、紺碧の瞳は真剣で。
「力づくです!」
丸い体には似合わない素早さで幼女が飛び上がる。
「えぇ!?」
見た目は幼女だけど、中身も幼女だけど、そのピンクの瞳は本気で私を狙っていて。
どうしよう、と慌てていると、ラディが杖を振り上げた。
「書籍館使用条約、第五条!」
ビクリと白い髪が反応する。
「館内ではいかなる理由があろうとも争いを禁ずる!」
「卑怯ですよ!」
私たちの足元に魔法陣が浮かび上がった。
ラディが空いている手で私の手を握り、体を引き寄せる。
「離れないように」
「え? え?」
状況を理解する前に床から水が噴き出した。その勢いに負けて、私の手から小さな手がすり抜ける。
「しまっ!?」
ラディの焦った声が遠くに消えた。
「ブハッ!? なに!? 何が起きたの!?」
次に目を開けた時、私は木々に囲まれた湖の中にいた。かろうじて足がつく深さの場所で、どうにか立っている。
「ここは?」
周囲を見回しても人どころか生き物の気配もない。
「そういえば、水は通路って言ってたから……知らない場所に移動した?」
私の質問に答えるのは、風に揺れる葉音のみ。水の冷たさに体が震える。
「とりあえず、ここから出よう」
近い岸へと泳ぐが、水を含んだワンピースが体にまとわりついて難しい。
それでも、なんとか進み、しっかりと底に足がつく場所まで移動した。それからは、バシャバシャと荒い水しぶきをあげながら歩く。
「お風呂には入りたいと思っていたけど、まさか先に水に浸かることになるなんて」
振り返れば、底が透き通って見えるほど綺麗な湖。泥沼じゃなかったから良かったけど……
「ふぇっくしゅっ!」
濡れた服がどんどん体温を奪っていく。
「早く乾かさないと」
私は完全に湖から出ると右手で軽く全身を払った。それだけで水分が飛び、服が乾く。
「まだ、ちょっと寒いかも。そもそも、ここ何処?」
見たことのない景色。そもそも、ラディの家から出たのも初めてだったし、家の周囲の景色もまともに見たことがなかった。
「…………誰か探そう」
私は道っぽいところを探して歩きだした。