日食と黒髪の青年
苦戦して捕まえた本は予想通り、この世界の太陽の軌道の記録だった。
「これよ、これ! これが読みたかったのよ!」
どんどん読み進めていたけど、徐々に唸り声が増えてきて。
「ラディ、紙とペンはない?」
私の問いに対して、反対側でお茶を飲んでいたラディが小さな指で空中に円を描いた。
「どうぞ」
言葉とともに私の斜め前に紙とペンとインク壺が現れる。
「すごい……んだけど、ペン先にインクを浸けるタイプのペン? 他のはないの?」
「ペンと言えば、それしかありませんけど」
「いや、ペンじゃなくて、鉛筆とか他の字を書く道具は?」
「鉛筆とは、どのような物ですか? 字を書く道具はペンと、筆ぐらいしかありませんけど」
まさかの状況に絶句する。
「これだけ魔法が進んでいるのに、書く道具がペンだけなんて……」
「そもそも書くということをしませんから」
「手紙とかはないの? メモをする時とかは?」
「連絡をするなら、わざわざ紙に書かなくても声を飛ばせばいいですし、メモも声で残しておけばいいですから」
「……そう」
いろいろ諦めた私はおとなしくペンを手にした。前の世界でペンを使っていたので、使い方は問題ない。
ペン先にインクをつけて紙に滑らせる。紙とインクが混り、べっ甲飴のような甘い香りが鼻をくすぐる。
「前の世界のインクの匂いは苦手だったけど、これなら問題ないわね」
私は本を読みながら紙に要点を書きだした。
知らないことを解き明かしていく、ウキウキわくわく感と、解き明かした時の快感をすっかり忘れていた。
前世の私は星が好きで、一晩中でも眺めていた。
それが高じて天文物理学者に。ひたすら夜空を見つめ、銀河や天体を観測して、恒星やその間にあるガスやチリと向き合う日々。
新しいことを知ることが楽しくて、初めてのことを見つけることが嬉しくて、研究に没頭していた。
気が付けばアラフォー手前だったけど、そんなことは関係なくて。
私は寝る間も惜しんで一つの研究レポートをまとめあげ、意見を求めて尊敬する教授に提出した。
それから、またいつものように研究の日々。教授からは特に声がかからず、いまいちなレポートだったのかと諦めていた頃。
私の研究結果が教授の名で学会に発表された。
この事態に私はすぐ教授へ問い質した。すると、平然とした顔……いや、こちらを見下した、いや侮蔑の中に嫉妬を交えた目で、堂々と言った。
「君の名より私の名で発表したほうが注目されるだろ? むしろ、私に感謝するべきじゃないのか? 君が発表していたら、あそこまで評価されることはなかったぞ」
「なっ!?」
悪びれるどころか恩を売ってくる始末。
しかも……
「そもそも、勝手に研究をするなど、どういうつもりだ?」
「どういうって、ちゃんと事前に計画書は提出しましたし、教授からの許可も……」
「知らんな」
私の研究申請書類はすべて消されていた。
それからは、延々と、自分より格下で、無名の若造が調子に乗るな、と暗に含んだ言葉の数々で罵倒されて。
悔しすぎて、涙も出ない。奥歯を噛みしめ、叫びたい感情を抑えて教授の部屋を飛び出す。
ドロリとした嫌な感情から逃げるように、助けを求めるように、他の研究員たちのところへ。
だが、返ってきた言葉は――――
「あなたは教授の指示で手伝っていただけでしょ?」
「夜遅くまでやってたのは知ってるけど、結局は教授の手伝いだろ」
「教授を妬むのは筋違いだぞ」
と、私は教授の指示で動いていたことにされており。
「違うの! あれは私が一人で!」
どれだけ訴えても信じてもらえず。
教授が発表した研究が評価されればされるほど、私は教授の研究結果を横取りしようとした、と周囲から侮蔑、蔑み、畏怖、嘲り、鬱憤、嘲笑……様々な感情が混じった醜悪な目を向けられるようになり。
人間不信になった私は自分のアパートに引きこもった。
「どうして……どうして、私が…………」
現実から逃げるように酒に溺れる日々。
ニュースでは、私の研究が世界的な賞にノミネートされて教授がレポートの内容を雄弁に語る姿が流れ、私はますます荒れた。
本来であれば私が受けるべきであった称賛、栄誉、名声、礼賛の数々。それがすべて奪われ、虚言者と呼ばれ、酒の量が増え、現実逃避に拍車がかかり……
ショタ沼にハマッた。
あの純真無垢な笑顔。裏表のない言動。何事にも一生懸命で、純粋で、見ているだけで癒される。酔っぱらったままショタ漫画や、アニメを観賞しまくる日々。
けど、その記憶も途中で唐突に途切れている。
たぶんアルコール中毒か何かで死んだのだろう。
気が付いた時には子どもになっていた。
異世界の男爵令嬢に生まれた私。しかも、社交界では最近発明された望遠鏡を使った天文学の話題で盛り上がっており。
私はチャンスだと思った。
この世界の天文学を学び、前世の知識も活用して社交界で持論を披露した。すると、美少女という外見の効果もあり、瞬く間に注目され『星読みの令嬢』と脚光を浴びるように。
思い返せば、この頃の私は有頂天になっていた。
前世で受けるべきだった賛辞を、称賛を、奪われたすべてを取り戻すかのように私は得意げに天文学を語り、社交界を渡り歩いた。
その中で私は日食が起きる日を口にした。
太陽と月の軌道を計算すれば導き出される事象。ただ、その世界では日食は数百年に一度の珍しい現象で、日食の存在さえ知られていなかった。
最初はおとぎ話だと笑われたが、実際に日食が起きた日。私のすべてが変わった。
『太陽を蝕んだ魔女』
『悪魔と契約をした魔女』
『死神から知識を得た魔女』
私の訴えは一切、聞いてもらえず浴びせられる罵詈雑言。
『星読みの令嬢』が一転、『蝕みの魔女』となり、親から捨てられ、世間から批判され、処刑台送りに。
――――――ポトリ。
ペン先から落ちたインクが紙に滲んでいく。じわりと侵食していく黒いシミが私の心のようで……
「……大丈夫。もう、終わったこと」
自分に言い聞かすように呟く。
顔をあげれば太陽が窓から覗いている。普通ならかなり眩しいはずだが、ガラスに遮光機能があり光が和らいでいた。
「私には、これしかないから」
再び紙に視線を戻して計算の続きを始める。
「……あれ? これ、もしかして……いや、でも情報が足りない」
私はペンを置いて考えた。
「まだ、仮説だけど、もしかして六つ目の太陽の正体は……」
ふと窓から入っていた光が暗くなる。
見上げると、一つしかない太陽が欠けていた。
「まさか、日食!?」
月が太陽を蝕む現象。そして、私を処刑に追い込んだ……
体が硬直して、汗が噴き出す。全身から血の気が引き、足先まで冷えていく。
あの時の恐怖を体が思いだす。頭では大丈夫だと理解していても、本能が命の危機を覚えている。震えそうになる体を両手で抱きしめ、必死に言い聞かす。
「ここは、あの世界とは違う。大丈夫。大丈夫、だから……」
怯える体を無理やり奮い立たせて空を睨む。
六つ目の太陽。それは、太陽に囲まれたこの世界では隠されていた月。
そこで、正面から苦悶の声が漏れた。
「クッ!」
反対側に座っていたラディが胸を押さえて椅子から崩れ落ちる。
「どうしたの!?」
「来、る……な」
駆け寄ろうとした私を苦しげな声が拒絶する。
俯いたまま顔を隠した金髪が光を失い、黒より深い闇の色となって伸びていく。白を基調とした服が黒へと変わり、丸まった小さな体が少しずつ大きくなる。
唖然としている私の前で、黒い体がゆっくりと動いた。
長い黒髪の隙間から現れたのは、ラディが成長したような、私より年上の美しい青年。紺碧の瞳に涼やかな目元。通った鼻筋に薄い唇。
眉目秀麗な顔に、太い首と広い肩。適度な筋肉がついた逞しい体躯はショタの面影が一切ない。
戸惑いに揺れた紺碧の瞳が私を映し、爽やかなミントの香りが包む。
「……銀色の髪」
まるで私を始めて見たかのような声。それから目元が柔らかくなり、無邪気な笑顔に。穢れを知らない子どものような表情に惹きつけられる。
けど、それも次の一言で崩れた。
「君が、僕を殺すために召喚された、星読みの聖女?」
まるで殺されることを待ち望んでいたような言動に背筋が凍る。
ここは、髪の色が管理しているモノを表す世界。
なら、黒は? 金は?
そして、銀は――――――
明日からは一日一話、完結まで毎日投稿していきます