最期と唇
「気にしない、気にしない」
私はどこかしょんぼりとなったラディの背中を押して外へ出た。
「あら、いらっしゃい」
一つに結んだ赤い髪を揺らしてフランマが振り返る。服の下に隠れている鱗が傾いた太陽の光を弾いた。
「この周囲には魔法で結界を張ったし、これだけ建物が光っていれば暗獣が現れても消えるとは思うんだけど、不測の事態が起きたらよろしく」
そう声をかけられたラディがため息を吐く。
「それは私ではなく、もう一人の私に言ってください」
闇の管理人であるシアは暗獣の対処もできるらしい。前に日食が起きた時に書籍館に飛び込んできたのも暗獣で、それをシアの能力で消したという。
「……そうね」
フランマが視線を空へと移した。一つしかなかった太陽が地平線へと沈んでいっている。いわゆる夕陽で、すべてを赤く染めていく。
「この世界の夕陽も赤なのね」
懐かしさがある光景に目を細めていると、フランマが声を低くした。
「なんか気持ち悪い光景ね」
「気持ち悪い?」
隣を見ると、フランマの夕陽に照らされた顔が歪み、両手で自分の体を抱きしめるようにしている。
「炎に包まれて、この世の終わりのような光景に見えるわ」
たしかに見慣れていなければ、そう映るかもしれない。だから、余計に夜を恐れるのかも。
「ラディもそう思う?」
反対側に視線を落とすと、紺碧の瞳が大きく開いて揺れていた。
「ど、どうしたの?」
見たことがない表情に焦る。膝を曲げて視線を合わせると、ラディがそのまま私の方をむいた。
「すごく不思議な気持ちです。青い空が真っ赤に染まる光景が見られるなんて。それを光が作り出しているなんて……」
感極まった、という表現がピッタリなのだろう。
(やっぱりラディは光の管理者だから、光が魅せる景色に感動しているのかな)
この世界の人たちにとっては初めての現象。捉え方はそれぞれだろう。そう考えていると、小さな手が私の頬に触れた。
「最期に、この光景をあなたと見れてよかった」
最期?
疑問を口にする前に柔らかなモノで唇を塞がれる。
「!?」
眼前には超絶美形ショタの顔。すぐに離れたけど、感触は残っていて。
「ちょっ!?」
突然のことにパニック状態の私の前で、ラディが地面に膝をつく。そのまま体を丸めてうずくまった。
感情と状況が追い付かないけど、苦しげなラディの姿がすべてを吹き飛ばす。
「どうし……太陽が!?」
伸ばしかけていた手を止めて、地平線を確認した。明るいから油断していたけど、太陽は姿を隠し、空が黒へと色を変えていく。
「クッ……」
サラサラの金髪が漆黒に変わり、長く伸びる。体がグンと大きくなり、線の細い少年から逞しい青年へ。
「……シア?」
私の呼びかけに黒い髪がピクリと動く。それから、ゆっくりと立ち上がった。
「うん」
無邪気な笑顔で私を見下ろす。ラディと同じ紺碧の瞳だけど、どこか違う。ミントの香りがフワリと私を包んだ。
「会いたかった」
大きな体が全身を包み込む。純粋で純真で、下心のない抱擁。だからこそ、さっきとの落差が……
私は首を振ってシアに訊ねた。
「体は大丈夫?」
「もう平気。僕は暗獣が現れたら消したらいいんだよね?」
「そう。できそう?」
「大丈夫だよ」
にっこりと私を見下ろすシア。ラディが成長した顔だけど、何かが違う。
「……あなたが闇の管理者?」
どこか警戒心が混じった声にシアが顔をあげた。
「そうだよ」
「星読みの聖女が言った通り、普通に会話ができるのね」
半信半疑の様子のフランマにシアが悲しげに眉尻をさげる。
「僕のことを何だと思ってたの?」
ラディは絶対にしない拗ねたような声音と表情。その様相にフランマがグッと言葉に詰まる。
「……そのことについては、ごめんなさい。私たちはあまりにも無知だったわ」
「それは仕方ないよね。僕は出てこれなかったから」
あっさりとしながらも達観したようなシアの態度。
(中身はショタだと思っていたのに、意外と成熟している?)
黙って様子を見ている間にも空がどんどん暗くなる。赤かった地平線は白から紺へ。その光景に私は反対側をむいた。
「星が見れるかも!?」
太陽の反対側にあるのは真っ暗な空。その先には……
「星!!!!!!!」
キラキラと瞬く星々。百年ぶりに出会えたかのような感覚。
「フランマ、記録装置ある!? これをこのまま記録する装置!」
ずっと夜が来るタイミングの計算をしていたため、星が現れた時の記録のことをすっかり忘れていた。
興奮する私にフランマが肩をすくめる。
「全部、記録しているわよ」
「ありがとう! あとで見せてね!」
そこに木々の影から唸り声とともに黒いナニかが現れた。人よりも大きいが、その動きは素早い。
「危ない!」
「え?」
私の前にシアが立ち、手を掲げる。それだけで黒いナニかが消えた。
「……あれは?」
「暗獣よ」
よく見れば他の木々の影から出てきている。そのまま建物に近づこうとするが、魔法が反応して焼かれるように消えていく。
その光景にフランマが安堵したように息を吐いた。
「これなら、ここは大丈夫そうね。世界樹のところへ行きましょうか」
「花駆けで行くの?」
「それだと少し時間がかかるから」
懐に手を入れて何かを引きだし……って、懐に入る大きさじゃない!?
「……これ、どこにどう入っていたの?」
腰ぐらいの高さで波打つ畳三畳分の大きさはありそうな絨毯。前世で読んだ絵本に出てきた空飛ぶ絨毯そのもの。
「これぐらい普通でしょ? ほら、乗って、乗って」
どうやら、この世界では畳三畳分ぐらいのモノを懐に入れるのは普通らしい。
私は呆気にとられながらも絨毯に乗ろうとして……
「ふぇ!?」
体が宙に浮いた。正確には抱きかかえられた。
「シ、シア?」
私を横抱きにしたシアが首を捻る。
「こうした方が乗りやすいかな、と思って。ダメだった?」
キョトンと見つめてくる顔は拒めない。
「あ……うん、ありがとう」
「どういたしまして」
嬉しそうに笑うシア。
「グッ!」
私は反射的に鼻を押さえて俯いた。
そんな純粋な笑顔をむけられたら、私のショタ沼が荒波を立ててしまう。
「どうしたの? 僕、なにかいけないことした?」
「ち、違うの。尊すぎて……」
言葉にならず、口ごもる私。ますます心配するシア。
そこに呆れたような声が降る。
「早く乗ってくれない?」
「ご、ごめん!」
私はシアの腕の中から這うように絨毯へ移動した。すぐにシアが飛び乗る。
「じゃあ、行くわよ」
フランマの言葉が終わる前に絨毯が動いた。いや、乗っている私は動いたという感覚はない。ただ、周りの景色が後ろへ流れているから動いているのだと分かる。
「全然、揺れないし、重力を感じないんだけど……」
「揺れたら酔うじゃない」
「……そういう問題? いや、そこも重要だけど」
花駆けよりずっと早い速度なのに、まったく動いている感じがしないし、見えない壁に囲まれているように風もない。ここまで揺れない乗り物は前世でもなかった。
絨毯は沈んだ太陽を追いかけるように進んでおり、空が再び白く明るくなる。しかし、太陽に追いつくことまではできず、その姿は隠れたまま。
その景色を眺めながら、心の底で引っかかっていることを考える。
(ラディは、どうして『最期』って? それに……)
無意識に指が唇に伸びたところで我に返り、顔が熱くなった。
(ダメ! ダメ! 今はこれからのことに集中!)
ブンブンと首を横に振っているとフランマが声をかけた。
「ほら、世界樹が見えてきたわよ」
揺れないようにする技術が凄いはずなんだけど……と思いながら、フランマが指さした先を見る。
「……大きい。え? ここ湖なの?」
気が付けば周囲は水だけ。対岸が見えず、海のように広がって、その中心に映像と同じ大きな樹がある。
「どう見ても湖でしょ?」
「……そう」
私は無理やり納得すると、周囲を見回した。
世界樹を囲むようにランプを載せた無数の小舟と絨毯が浮いている。太陽は沈んだばかりで、空はまだ少し明るい。
「いろんな人がいるんだね」
水色やピンク、オレンジや紫などいろんな色の髪をした人々が集まっている。これだけの人がいるのに、金と黒の髪の人はいない。
そこに自然と視線が集まってくる。それは、主にシアへと……




