一抹の不安
ふわふわとした微睡み。この感覚が気持ちよくて、もう少し寝ていたいと布団に潜り込む。
最近はこうして眠りを楽しむことができるようになった。前は悪夢にうなされて、寝ることが嫌だった。それでも体は限界で、毎回意識を失うように眠っていた。
(ここまで安眠できるようになったのは、ラディのおかげかな)
そうぼんやりと考える。
最初は理想のショタ像で、その外見にばかり目を奪われていた。でも、少しずつラディ本人を見るようになって。
中身は成人越えで、理想のショタから程遠い。それでも、何かを隠していた紺碧の瞳の闇は消えて、真実を口にするように。その姿に、心が揺さぶられることもあって……
(ダメ、ダメ。ショタは愛でるものなの)
ゆっくりと浮上していく意識。真っ暗な世界に微かに滲む光と温もりを堪能していると、ざわざわと葉がこすれる音が耳に触れた。
アッという間に光が強くなり、真夏の日差しの下にいるような感覚に。目の前では枝を広げた大樹と、日差しに照らされた緑の葉が煌めいている。
「……これ、世界樹?」
映像でしか見たことがないけど、なぜかそう思った。
白い世界でふわりと浮かぶ体。その先にある大樹。ぼんやりと眺めていると、枝が囁くように揺れた。
「え?」
脳内に直接触れる誰かの意識。見えないし、聞こえないし、感触もない。けど、わかる。ナニかが、いる。
「もうすぐ、会える……?」
こぼれた声に応えるように微笑まれた気がした――――
「……ん」
頭をゆっくりと撫でられる感覚がする。目を開けると枕とは違う感触が頬に触れ、それから鼻をかすめる爽やかなレモンの香りがした。
「おはようございます」
思わぬ言葉と声で一気に目が覚める。
薄暗い部屋で寝ている私と、それを見下ろすラディ。
「ラ、ラディ!? えっ!? どういう状態!? それに、おはようって……」
いや、状況は分かってる。これは膝枕をされている。でも、頭が理解するのを拒否しているというか、パニックになっているというか。
体を起こそうとしたら、小さな手が頭に触れた。
「『寝る』を終えた時の挨拶だと聞いたのですが、違いましたか?」
「合ってるけど……誰に聞いたの?」
夜がないこの世界にはない挨拶の言葉。なのに、どうして知っているのか。
「アニパルクシアから聞きました」
「シアと話したの? どうやって?」
同じ体を使っているため会話はできないはずなのに。
ラディがクスリと笑みをこぼしながら私の髪を小さな指に絡める。
「はい、少しだけ……話しができました。その時にルーレナが膝枕をしてほしいと言っていたことも聞きました」
「!?」
私は両手で顔を覆った。
ショタの膝枕。確かに、ずっと憧れていたけど、いざ実際にされると恥ずかしさが勝るし、それを本人に知られて膝枕されたなんて、羞恥でしかない。
「どうかしました?」
どこか含みのある声。楽しんでいるというか、からかっているような気配。
「……よりにもよって、どうして今日なのよ」
「よりにもよって、とは?」
見えなくても分かる楽しげな雰囲気。
「夜が来る日に……」
そう。今日は私の計算が正しければ夜が訪れる日。この日のためにフランマたちと入念に準備をしてきた。
だからこそ変に力を入れず、いつものように起きたかったのに。
「嫌でしたか?」
少し沈んだ声が私の心をチクチクと刺す。でも、恥ずかしさでラディの顔は見れない。
「そういうんじゃなくて……その、穏やかに目覚めたかったな、と」
「穏やかではありませんでしたか? もしかして『寝る』の邪魔をしました?」
「邪魔はしてないんだけど……」
「では、どういうことです?」
少し意地の悪さが混じった声音に、私はヤケになって両手を顔から外した。
「そもそも! ラディはどうして、こんなことをしたの? 私がしてほしいって言ったら、なんでもするの!?」
恥ずかしさを誤魔化すように勢いで睨むが、ラディは怯むどころか紺碧の瞳がふわりと柔らかくなって。
「はい。ルーレナが望むのであれば、できるだけのことはしたいですし、甘やかしたいです。あと、こうして私の膝で『寝る』をしているルーレナを見たかったので、とても満足しています」
「ふえっ!?」
恥ずかしい言葉を恥ずかしげもなくツラツラと並べられ、私は固まった。
「ずっと、こうしていたいですね」
穏やかな微笑みとともに、指に絡めた私の銀髪に唇をつける。それはショタの笑みとは違って、大人な雰囲気があって……
「もういいから!」
私は再び両手で顔を隠した。ここで止めなければ永遠に言葉を続けそう。
胸が変にドキドキする。ショタを観賞している時とは違う。キュッとして、全身が痺れて、熱くなって……絶対に顔が赤くなってる。
そこにラディの顔が近づく気配が。
「ルーレナが振った話ですよ?」
「終わりでいいです!」
私の心からの叫びにフッと満足そうな笑みが落ちた。
「では、そろそろ食事にしましょうか? 次の予定もありますし」
「……うぅ、なんか悔しい」
ラディの掌で転がされてるのを感じながら私は体を起こした。
部屋の窓は板で塞がれ、差し込む光は少し開いたドアの隙間からのみ。そこに吸い込まれるように歩いていく小さな体。
たったそれだけの明かりだけど、部屋を薄暗く照らすには十分で。
「本当に、この世界の光は強いよね。そういえば、ラディが管理しているのは、光?」
私の質問にドアを大きく開けたラディの手が止まった。
「……そう、ですね」
歯切れの悪い返事。
それから、サラサラの金髪が光を弾きながら振り返った。
「いきましょう」
可愛らしく端正な顔が私に微笑む。細く長い手足。完璧で美麗な容姿。
でも、紺碧の瞳には消えていたはずの闇が……
「え?」
気づいた時にはラディの姿は消えていた。
いつものように身支度を整えて、食事をして……普段と変わらないように見えるけど、何かが引っかかる。でも、それを聞くタイミングがなくて。
「では、いきましょうか」
私に手を伸ばすラディ。
こうしている間にも夜が来る時間が刻々と迫っている。
(全部、終わってから聞いたらいいかな)
私は無言のまま小さな手に自分の手をのせた。
この時の判断を後悔することになるとは知らずに――――
一瞬の浮遊感。次に目を開けると、見たことがない建物の中にいた。
「えっと、ここは?」
周りを見れば壁が光を放ち、机が光を放ち、椅子が輝き、床が……とにかく、目に入る物すべてが光っている。
「……これ全部、私が教えた光魔法を応用した結果?」
どこまで光らせれば気が済むのか。
呆れ半分の私に鈴を転がすような声が響いた。
「お久しぶりです。教えていただいた魔法のおかげで、みんな落ち着いて夜を迎えられそうですわ」
振り返ると地中管理人のペトラがいた。ひとつ三つ編みの長い茶髪がゆったりと揺れる。弧を描いた糸目に上品な笑みで私たちを迎える。
「この地点から夜が始まるの?」
私の質問にラディが軽く頷く。
「計算ではこの場所が始まりです。そして、最後は世界樹がある湖でした」
「カエルムとマレは先に準備をしておりますわ。あとフランマは外で待機しております」
「人がいるのは、ここだけ?」
私の質問にペトラが同意する。
「はい。ここだけは無人にするわけにはまいりませんでしたので。あと、念のために夜が来る地域に近い場所の建物はすべて光の魔法を練り込んで、人々は夜が来ない地域に避難しております」
「夜が来る場所が判明してからそんなに時間はなかったと思うけど、かなりしっかり対応できたのね」
「これぐらい普通だと思いますが? 星読みの聖女の世界では違いますの?」
不思議そうに首を捻るペトラ。でも、それより気になったのは……
「そういえば、どうして私の名前を聞かないの?」
「名は重要であって、重要ではないからです」
「……とんち?」
正直、意味が分からない。
「名は人を縛るモノであり、個を表現するモノ。名以外で個を表現できるなら、それでも十分ということです」
「つまり、名前じゃなくても呼び名があるなら、そっちを使った方がいいってこと?」
「そういうことです」
ここで私はあることに気づいた。
「もしかして、私に本名を教えなかった理由も関係してる?」
私にはラディウスではなく、ラディと自己紹介した。それにも理由があるなら……
「私をその名で呼ぶのは、あなただけです。だからこそ、その名を口にすれば、どこにいても私はあなたの下へ現れることができます」
想像を超えた効果にいろんな感情が渦巻いたけど、口から出た言葉は……
「ストーカー?」
部屋がシーンとなる。
「言葉の意味はわかりませんが、残念な表現をされた気がします」
ラディが悲しげに眉尻をさげた。




