マンドラゴラはデザート枠
「ルーレナ、時間ですよ」
ドアが開く音とともに、変声期前の甘くとろけるような少年の声が私を微睡みからすくいあげる。
次に窓を塞いでいた板が外れ、強い光が差し込んだ。
「うぅ……」
シーツに顔を埋めた私を追いかけるように枕元が軽く沈み、爽やかなレモンの香りが抱き込む。
「僕としては、このまま襲ってもいいのですが?」
髪から覗く耳をかすめる吐息に、誘うように鼓膜を揺らす声。年齢に合わない色香が私に迫る。
「だから! 中身が成人越えのショタは、解釈違いなの!」
ガバリと体を起こすと、逆光を背にして微笑む小さな影が呆れたように肩をすくめた。
「まったく。毎日、毎日、寝るなんて無防備で無駄な行為をよくしますね」
「睡眠なしで平気なあなたたちとは違って、私は寝ないと死ぬ体なんで」
「まぁ、そういうところも可愛いんですけど」
白魚のような指が私の顎に触れ、小さな顔が近づく。
太陽を弾くサラサラな金髪に、大きくも利発そうな紺碧の瞳と、高すぎない鼻。花弁のように可憐な唇は、隙あらば蜂蜜より甘い言葉を囁く。
完璧すぎるパーツが、完璧な位置に収まった小さな顔。しかも、肌は象牙のように滑らかで。
その国宝級の顔を支える細い首に、細い手足。年齢にすれば十歳ぐらいで、成長途中のあどけなさを残した姿は庇護欲をそそる……のだが。
「なんで、こんな空前絶後の超絶美少年なのに、中身が私より年上なのよ!?」
苦悩する私にクスリと含み笑いが落ちる。
「この世界では外見と実年齢は伴いませんからね」
「最初に合法ショタって喜んだ私のバカ!」
「遊びはそれぐらいにして、リビングに来てください。食事が片付きませんから」
ニコリと目を細める少年。でも、その紺碧の瞳には光がなく闇が宿る。
「顔を洗ったら行くわ」
小さな体の隣を抜けて洗面所へ。
鏡の前にある大きな水晶のボウル。その中に手を入れると、勝手に水が溢れてきた。少し冷たい水を両手ですくって顔を濡らす。
「ふぅ」
少し冷静になった頭とともに顔をあげる。
正面には長い銀髪と紫の瞳をした、控え目に言って絶世の美少女。
「やっぱり、慣れないわ」
黒髪、黒目で平凡な顔だった日本人の記憶を持つ私に、この漫画のような顔立ちは違和感の方が強い。天文物理学を専攻して、研究一筋だったのに。
「……どこで、間違えたんだろう」
いらない記憶を消すように手を振る。それだけで濡れていた顔が渇き、服もパジャマから淡い水色のワンピースへ。
「そういえば、高度に発展した科学技術は魔法と区別がつかないって聞いたことがあるけど、高度に発展した魔法の場合は、どうなるのかしら?」
答えのない問いを呟きながらリビングに入ると、超絶美少年が笑顔で私を迎えた。こことは違う世界で処刑されかけていた私を、この世界に召喚した張本人。
名前はラディ。外見は十歳ほどの超絶美形のショタだが、中身は私より年上だという。
日本人だった私は気が付いたら、こことは違う世界に生まれ変わっていた。
この世界ほど魔法は発展していなかったけど、魔法があって、王様がいて、ギルドがあって、魔獣がいて……漫画とかに出てくる異世界だった。
ルーレナ・ラノス・アステロエイス男爵令嬢。
私の本名であり、『星読みの令嬢』とも呼ばれていた。
この外見と前世の知識を利用した私は社交界でもてはやされた。その結果、調子にのっていた私はある予言をした。
そして、それは的中して――――――魔女として処刑されることに。
「どうして!? 私は事実を言っただけなのに!」
「うるさい! 黙れ!」
少しでも言葉を口にすれば殴られた。何も言わなくても、目が気に入らないと蹴られた。食事はなく、泥水をすするだけ。
体は痣だらけになり、滑らかだった銀髪はボサボサに乱れ、白い肌は土で汚れ、ドレスで飾っていた体はボロ布一枚に。
こうして後ろ手に縛られたまま、引きずられるように処刑台へ連行された。
観衆から見えやすくするため高い台に設置された断頭台。
幾人もの血を吸ってどす黒くなった半円のくぼみがある木の台。その上には太陽の光を鈍く弾く刃。
その光景に全身が震えて動けなくなる。
「いや……どうして、私が……」
助けを求めて視線を下げれば、侮蔑、蔑み、畏怖、嘲り、鬱憤、嘲笑……様々な感情が混じった醜悪な目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目――――――――――――
前世の時と同じ侮蔑を含んだ目の数々。嫌でも思い出す、地獄のような日々。私は何も悪くないのに、一方的に光を奪われ、すべてを壊された。
惨めで、悲惨で、憐れで、二度と思い出しなくない。
あの時は酒に逃げて、そのまま意識を失い…………やっと解放されたと思ったのに。
「どうして……また……」
呆然としたまま呟くと、乱暴に殴られて地面に叩きつけられた。
「黙れ! 太陽を蝕んだ魔女が!」
荒々しく髪を掴まれ、無理やり断頭台に首を入れられる。顔をあげる前にガシャンと無機質な音が響き、首の上に重い木が蓋をする。
そこで私をここまで連れてきた男が離れた。
ヒタヒタと近づく死の足音。
夢でも幻でもない。
「……いや」
恐怖で全身が小刻みに震える。
「……こんなところで、死にたくない」
向けられた目は冷めていて、助けるどころか心配する人さえいない。
「……お願い、助けて」
涙で視界が歪む。
「誰か……」
力を入れて暴れるが、首を固定している台は無情で。
「誰か、助けて!」
渾身の叫びと同時に頭上の刃が滑り落ち……
私はこの世界に召喚されていた。
命の危機は去ったけど、処刑されかけた恐怖は簡単には拭えない。ロクに動けず、話もできない状態。少しの物音でも体が跳ねて、神経が過敏になっていた。
違う世界だと分かっていても人の気配が怖くて、気が付けば体が震えていて。
そんな私を召喚したラディは淡々と世話をしてくれた。
何があったのか聞かず、普通に、時に軽口混りに、平然と接してくれる態度に安堵して。
気持ちに余裕ができた頃、ラディに私を召喚した理由を何度か訊ねた。でも、先程のような甘い言葉でノラリクラリと躱されて。
(私は、このままでいいのだろうか……)
悩む私を甘い声が現実に戻す。
「今回は、この前より新鮮な雲ですよ。口にあえばいいのですが」
テーブルに視線を落とせば、皿の上でピチピチと跳ねる白い雲。前に食べた時より色が白く、活きがいいようにも見える。
その隣には付け合わせの橙色のスライムと、赤土の塊。こんな見た目で味は良いという複雑な気持ちにさせる料理。
この光景にも慣れてきた私は椅子に座り、フォークに雲を突き刺して口に入れた。
しっとりコッテリとした触感でありながら、後味はスッキリさっぱり。でも、前世の食べ物で例えることができないほど独特な風味。
「……これが霞を食べて生きるってこと?」
正面では小さな口でパクパクと白い雲を食べるショタ。上品に食べる様相に、これで中身が年齢相応なら……と惜しみながらメインを食べ終えると、器がふわふわと飛んできた。
「……これは」
思いっきり見覚えがある、土から抜く時の悲鳴を聞いたら絶命するという植物。
逆三角形のグラスに飾られた茶色の根っこ。氷菓子に浸かり、頭には生クリームの帽子と真っ赤な実、悲鳴をあげた表情のまま、虚ろな目で私を見上げる。
可愛らしく装飾された、マンドラゴラのパフェ。
「まさかの、デザート枠……」
呆気にとられている私の前で、小さな手がマンドラゴラに容赦なくスプーンを刺す。可愛らしい外見で無慈悲な所業。しかも、そのスプーンを笑顔で私にむけてきて。
「どうぞ」
あーん、という副音声まで聞こえてきそうな状況に、私の体が硬直する。
中身が成人しているとはいえ、ショタからのそれは破壊力抜群で。このまま食べたら、鼻血を吹き出す自信しかない。
「……大丈夫デス。自分で食べマス」
私は鼻を押さえたまま、空いている手で美少年を制した。
「そうですか」
残念、とばかりに小さな体が離れる。
ホッとしながら視線を落とせば、まっすぐ見つめてくる虚ろな目。心の弱い部分をチクチクと刺されながらも、覚悟を決めてスプーンですくう。
そのまま、目を閉じて一気に口に入れ……
「……卑怯な!」
私は思わず叫んだ。
「この見た目で、この味はズルい!」
程よい甘さに、ふわふわとした触感。それでいて、ツルンとしたのど越し。今まで食べた、どのデザートより美味しく、クセになる。
あっという間に食べ終えた私にラディが声をかけた。
「体調がいいなら、書籍館へ行きましょうか?」
「書籍館?」
「本がたくさんある場所です。前に行きたいと言っていましたよね? 体力もついてきましたし、そろそろ行けるかと思ったのですが」
私の常識が一切通じないこの世界は知りたいことが多すぎる。そのため、本で調べたいと思っていた。
そのため、前にその話が出た時はすぐに行きたいと言ったが……
前の世界なら、家から出るなんて怖くてできなかった。いつ殴られ、暴言にさらされ、殺されるか分からない恐怖。
でも、ここは違う世界。私を知っている人はいない。
私は握りこぶしを作って自分を奮い立たせた。
「行くわ!」
こうして私は久しぶりに外へ出ることに。
今日は昼と夜も投稿します