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08 キス

 イーサンはそれ以来、お茶会や夜会で隙をついては参加者の一人として私に話しかけてくるようになった。


 まだ彼はただの商人であるはずなのに、何故貴族の夜会に参加出来るかというと、きっとやんごとなき高貴な誰かの紹介を受けて潜り込んでいるのだろう。


 今夜、城の大広間で開かれた夜会でも、イーサンはそれとなく挨拶をし五分ほど世間話をしてから颯爽と去って行った。


 話術が優れた彼らしく、今も何人かの紳士と話して盛り上がっているようだ。きっと、自分の商売のチャンスを探しているのよね。何回か生まれ変わっても使い切れないくらいお金を持っているだろうに、その手に触れるものなんでもお金に変えてしまいそうな彼らしい。


「あれは……ベッドフォードか。先ほどローレンも、彼と話していたようだが」


 王族としての彼の立場上、国外からの賓客と踊らざるを得ないギャレット様は私の元にまで戻って来た。そして、面白くなさそうな顔をして隣に居る私の顔を見つめた。


 私は曖昧に笑い、自然に見えるように一歩後ろに下がった。ギャレット様は最近イーサンと話す私を見ては、苛立っているようだ。


 やたらと傍に居たがるし、今まで素通りしていた何の罪もない挨拶に来ただけの紳士たちにも、やたらと威嚇しているような気がする。


 そう。現在のギャレット様は、私への執着心をとても感じるのだ。


 なんだか、この前までちょっとしたことでも恥ずかしそうにして照れていたのに、嫉妬を感じているようなギャレット様には私への好意を隠す気が全く見えない。


 え。これって、もしかして……大きな勘違いでなければ、ギャレット様に対する私の態度、すべてがまるで裏目に出ているような気もするけど……私は依頼主の王妃様からの指示通りにしていて、このまま突き進むしかない。


「ええ……ほんの世間話程度ですが。偶然、名前を知ることになりましたが、彼ももう少しで王太子妃になる私に、顔を覚えて貰いたいのかもしれません」


 ギャレット様のお顔はとても整っている代わりに、真顔になると少々怖い。


 それも、戦う剣士でもあるせいか目力が異常に強いので、間近で彼の視線を受け止める私は体力を削られていくしかない。


 この状況で、私が逃げてしまうのもおかしい。だって、私は彼のことを好きだから婚約者に選ばれているのだから。


 ギャレット様、お願いだから……もう少し、離れてえ……。


「ローレンには、少し隙があるようだな」


「隙ですか? いいえ。私はそのような……」


 珍しく相当苛立っている様子のギャレット様は、眉を寄せて顔を近づけた。


「随分とあいつと親しげに話しているように、俺には見えた……何か個人的な話でもしていたのか?」


「何を……いいえ。それは気のせいですよ。彼と私は、名前を知っている程度の仲ですもの」


 王妃様はきっと、恋愛に全く興味なさそうだったギャレット様が、こんなにも私の行動を気にしていることを知らないのだ。


 以前、ギャレット様に好意を持たれているようだと報告した時も、あの子は美人を見慣れているのだから、各国の美姫にも眉ひとつ動かさなかったのにお前程度で何を勘違いしているのだと一蹴されたし、ペルセフォネ様の指示だって、なんだか逆効果になってるみたいだし……彼の好意が高まったところで、イーサンという恋敵が現れれば、もっと私への執着が深まるかもしれない。


「そうか。だが、ローレン。君は俺の婚約者なんだ。誤解を受けるような行動は慎んでくれ」


「わかりました。そう思わせてしまった私がすべて悪いです。本当に申し訳ございません。お許しください。ギャレット様」


 彼の婚約者を演じる期間が残っている私は、それ以外に何か言い訳するような言葉も浮かばずに、顔を俯かせてそう言った。


 ギャレット様は何度か自分を落ち着かせるように、大きく息をして俯いていた私の顔を覗き込んだ。


「悪かった。俺も君が悪いと考えている訳ではないのだが……ああ。そうだ。嫉妬しているんだと思う。君にあいつが近寄ると思うと、本当に気分が悪い。かと言って、君の立場で話しかけてくる人間を無視することも出来ないだろう。悪いのは俺だ。すまない」


 その時、ギャレット様の青い目を見て私は後悔した。本当にまっすぐで素直で、私の言葉に裏があることなんて、何も疑いもしてなくて……本当に美しくて。


 胸が高鳴り、動悸が速まった。


 こんなにも純粋な人を騙すなんて、私はなんという罪を犯しているのかしら。


「っ……申し訳ありません。今夜はこれで下がらせて頂きます」


 私は耐えきれなくて、ギャレット様に背を向けて歩き出した。名前を呼ばれた気もするけど、ドレスの裾を両手で持ち上げて立ち止まらずに早足で進んだ。


 彼に対する罪悪感なんて、捨てたはずだった。家族を守るために、私に出来ることならなんでもすると誓ったのに。


 騙す人が良い人過ぎて……罪の意識を感じて辛くなるなんて。いつまでも、世間知らずのご令嬢のままだ。


 私は急ぎ自分の宮にまで辿り着き、侍女より弟のクインから手紙が届いていると聞いて、またお父様が借金でもしたのかと慌てて封を開き白い便せんを読んだ。


 悪いことというものは、重なるものだったことを忘れていた。


 私はクインからの手紙を持ったままで、ふらふらと庭園へと向かった。


 私付きの侍女も一声掛けたのだけど、彼女も何か悪い知らせが届いたようだと察したのか、そのまま一人にしてくれた。


 この庭園は王族専用と言えど、王太子とその妃に用意されたものだ。誰も来ない。泣いているところは見られたくないし、出来るだけ今は一人で居たかった。


 自分が……本当に情けない。人を騙してまでも、手に入れたはずの報酬の前金だって、騙し取られてしまうなんて。


 クインの手紙は簡潔だった。領地での事業の話は嘘で、領地を代理で治める代官が調べたところ、すべて偽装されていたものだったと。


 人を騙したら、いつか誰かに騙されるのかもしれない。私はそれが早かっただけ? 本当に笑えない。


「別にっ……それですべてが上手く行くと、期待していたわけじゃないわ……でも……っ」


 自分が情けなくて、涙が止まらなくなった。


 もしかしたら、あの人をもう騙さなくても良くなると思ったのに……いいえ。王妃様にも、前金だって貰っているのに……こんなことを考えているなんて、いけない。


 池のほとりに辿り着き、いつものように蹲ろうとした時、後ろから抱きしめられて突然驚いた。


 反射的に悲鳴をあげようとした時、彼が口に手を当てて焦ったように耳元で私の名前を呼んだ。


「ローレン。俺だ」


「え……? ギャレット様……どうして」


 薄暗い中に居る彼は夜会が開かれている、城の大広間に居るはずだ。


 だって、王族主催の夜会だもの。彼は父たる王がその場を辞するまで居なければいけないはず。


「……こんなところで、一人で泣かなくても良い。何があったか教えてくれ。俺にも助けられることがあるだろう」


「なんでもありません……私はっ……もうっ、一人で大丈夫なので、もう行ってください」


 そんな訳はないということは、それを口にしている私だってわかっていた。


「こんな君を放って行ける訳がないだろう。俺が、あの商人と話していることを詰ったからか? すまない……俺の婚約者なのにと思ったら、どうしても我慢が出来なくて……」


「……え?」


 あ。ギャレット様は誤解しているんだ……違うんですっ……弟からの手紙が、手紙に……。


 泣いていて興奮していたり、思わぬ彼の登場や誤解、それに抱きしめられているこの状況に驚き過ぎて良くわからなかったりで、私は何も言えずはくはくと口を動かすだけになってしまったんだけど、ギャレット様からは強い悲しみに感情が昂ぶっているように見えたかもしれない。


「ごめん」


 唇に熱くて柔らかいものが押し当てられたと感じ、やけに冷静な頭の中の私は「これはもしペルセフォネ嬢に知られれば、ただでは済まされない」と思っていたりした。


 何度か角度を変えて唇は重ねられ、時間の感覚がわからなくなった。彼とキスをしていたのは五秒だったかもしれないし、五分だったかもしれない。


 けれど、離れた瞬間もキスをしている自分を信じられない私は、ずっと目を開けたままで居た。


「……ごめん」


 それって、何の謝罪です? イーサンに嫉妬したこと? それとも、何も言わずに私にキスをしたこと?


「あのっ……これは、好きな人とするべきことなのでは」


「……俺も君が好きなので、何の問題もないだろう」


 ギャレット様からの好意は隠しきれないものではあった。けれど、こんな風に好きだと言ってくれたのは、これが初めてだった。


「えっ……? そうです。そうですね。私もギャレット様が好きだから……その通りです」


 両想いの婚約者同士のキスを阻める者は?


 ……居ないと思う。親だってキスくらいならと思うだろし。ミスヴェア王国で、男女のキスは禁止する法律はないもの。


「どうしたら、笑ってくれるんだ? ローレンの気持ちは、俺にはわからない。何か喜ばせようとしても、君は困った顔をするばかりだ」


「よっ……喜んでいますよっ……だって、私、ギャレット様のことが好きなのでっ……んっ」


 口は災いの元とは、良く言ったもの。


 けれど、私はその後長い間、口を塞がれることになったので、良かったのかもしれない。


 これ以上、余計なことを何も言わずに済んで。

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