05 嘘
とんでもない事態の原因となったイーサンも一応は自分が悪いと思っているのか、必死で目配せをしてくるけど、お願いだから不自然だし止めて欲しい……。
「……ギャレット様。いいえ。何でもありません。彼とは、少し挨拶をしていただけですわ」
ギャレット様はゆっくりとこちらへと近づき、直立不動になっているイーサンを睨んだ。
「ローレン。君が誰かに対し怒っているなんて、ただ事ではないだろう……おい。お前。名前を名乗れ。何もなく済むとは、思っていないよな?」
先程まで戦闘していたから気が立っている様子のギャレット様は、当然のように自分の婚約者が他の男性と密会しているような現場を見つけて、大変ご立腹の様子だ。
もう。嘘でしょう。
こんな客席の裏側にまで本日の優勝者、ギャレット様が来るなんて。
イーサン。貴方が妙な余裕を見せてこんなことになったのだから、ここは上手くやってよ!
「ギャレット殿下。私は一商人のイーサン・ベッドフォードです。どうぞお見知りおきを……どうか、誤解しないでください! ただ、私はこちらのご令嬢が気分が優れなさそうだったので、ただお声がけしていただけなのです」
「なんだと……気分が? ローレン、そうだったのか? 大丈夫か?」
剣呑な空気だったギャレット様は私が体調不良ではないかと知ると、急に顔色を変えて心配してくれた。先ほどの怒りなども忘れ婚約者の体調を最優先にする、とても優しい人なのだ。
こんなにも優しい人に、私は笑顔で嘘をつく。
「ええ。体調を悪くして日陰で休もうと思っていたところに、こちらの男性から声をかけて頂いたのですわ。ですが、体が不調でつい機嫌が悪くなり、怒った声を出してしまいました……ベッドフォード様、ごめんなさい。本当にお恥ずかしいですわ」
ギャレット様がもし、今までの二人の会話の内容を知っていれば、イーサンが言った言葉に「それは嘘だろう。俺は話を聞いていたんだ」と、噛みついていたはずだ。
だから、この答えで間違えていないと思う。
「……そうか。俺が早とちりをして、妙な誤解をしてしまったようだ。ベッドフォード、悪かった。ローレンが世話になった……手を。俺が君の部屋へと連れていこう」
ギャレット様は何をするつもりなのかと戸惑う私をふわりと抱き上げ、なんなく横抱きにすると迷いなく廊下を歩き出した。
「わっ……重くないですか?」
「羽根のように軽い。ローレンは、本当に食べ物を食べているのか」
私は角を曲がる直前に置いてけぼりになってしまったイーサンを見れば、彼は肩をすくめて苦笑いしていた。
ヒヤッとしたけど、上手く切り抜けられた。
ギャレット様が居る場所で、イーサンは何をするつもりなのかしら。世界でも有数の商人と呼ばれるまでにのし上がり、巨万の富を手に入れた彼だって、本来なら手に入らないはずの爵位は手にしたいはずだ。
いいえ。こういった危ういスリルを楽しんでいるのかもしれない。ギャンブル好きな噂だってある。嫌な男だもの。
気まぐれには、私を巻き込まないで欲しい。
「……ええ。人並みには」
戦闘着より着替えていたギャレット様は先ほど戦って体を動かしていたので、少しだけ汗の匂いがした。
「そうか。こんなにも軽いから、もしかしたらローレンの正体は、妖精なのかと思った」
「……そんな訳……ありません」
私はいつものように歩み寄る彼を突き放すように、冷たく答えようとした。けれど、出来なかった。
彼の青い目が近過ぎて……そこに灯る光が、甘すぎて。
「ははは。悪かった……しかし、気分が悪いなど……何かあったのか?」
「いいえ。今日は日差しが強かったのに、日傘を忘れました。そのせいなのかもしれません」
秋口に入り強い日差しも緩んでいたけれど、ギャレット様は私の言葉を疑うことはなかった。
「そうか……念のために、医師に診て貰おう。丁度よく俺が怪我をした時用に、待機しているはずだ」
それって……王族のみ治療が受けられる高名な御典医なのでは……? いいえ。ここでかたくなに遠慮しても変に思われてしまう。
「まあ! 申し訳ありません。ありがとうございます……けれど、ギャレット様は優勝者として表彰式に出られるのでは?」
優勝者は一度着替えて、まだ観客の残る客席に挨拶する流れだったはず。やけに豪華な服を着ているギャレット様だって、そのつもりだったのだろう。
「闘技大会の表彰式は、毎年あるからな。そう貴重なものでもない。俺には、ローレンの体調の方が大事だ」
毎年優勝するのだから、今年くらいどうってことはない……ということだろうか。自分の実力に対し自信に満ちあふれていて、羨ましい。
私は来年には、貴方の婚約者ではないけれど……。
「……ありがとうございます」
お礼を言ったギャレット様は照れた様子で嬉しそうに微笑み、風のような速さで走り出した。まるで、重さを苦にしていない。私のドレスだって、軽くはないはずなのに……。
嘘に嘘を塗り重ね、それでも家族のためにと誤魔化すしかないなんて……もう、私はもしかしたら、正しい者を愛するという神様に嫌われてしまっているのかもしれない。