04 共犯者
ここ数年恒例のように続いている通り、王太子ギャレット様が闘技大会で優勝したので、婚約者の私は勝利の女神の代理として彼の頭に瑞々しい葉で造られた葉冠を被せた。
広い広い闘技場はギャレット様への声援で溢れ、自国の王太子への喝采を贈っていた。
半年前にギャレット様の婚約者となって、私は初めて闘技大会を観戦したのだけど、これは彼の持つ地位彼の父親などの忖度などは全く関係なく、単に実力通りの結果だった。
まずギャレット様が持つ『雷の子』という二つ名が何を意味しているかと言うと、恐らく落雷の如き動きの速度と何か魔力を纏った剣が振り下ろされる音が、闘技場に鳴り響き尋常な威力ではなかった。まさしく、豪雨に鳴り響く落雷のような。
……ギャレット様は、ずるい。
正統派美形でありつつ、戦闘には天賦の才を持ち、政務の勉強はサボることもなく真面目で、女性相手の恋愛には少々不器用で可愛らしい一面も持つ。
そんな彼の評判を知れば、うら若い未婚女性は誰しもギャレット様のお嫁さんになりたいと夢見るだろうし、自身も持つものに自信のある女性ならなんとかして手に入れたいと思うのも道理だろう。
私はほど近くにある貴賓席に座る女性の姿を見つけ、やはり今日も来ていたのかと小さくため息をついた。
当然よね。彼女は前々からギャレット様に好意があることを、全く隠そうともしないもの。
一際目立つ豪華なドレスを纏い派手な髪型をしている彼女は、とある大国のお姫様。あんなにも目を引く格好をしているけど、表向きはお忍びでミスヴェア王国へやって来ている。
世界でも有名な彼女ほどの人が公式に国に出入りすれば、こちらの国もあちらの国もそのために多くの人員を割くことになるだろう。だから、一応はお忍び。けれど、非公式だとしても主張の強い姫君であることは隠せない。
つまり、半年前ほどにかの高貴な女性はギャレット様のことを気に入り、無理にでも彼との婚約の交渉を押し進めようとしたらしい。
予定外の事態に焦った王妃様は、自分の姪が成人するまでの短期間ギャレット様の婚約者の席を埋めるだけの人材を慌てて探した。
それが、私。
元々側妃だった彼女は、実家の政治力を高めるために自分の姪ペルセフォネ嬢を、前王妃の息子ギャレット様と結婚させるおつもりだった。
既に正式な婚約者さえ居るのなら、大国のお姫様を正妃としてではなく、側妃として迎えられる訳もない。許されない状況に、彼女はギャレット様を諦めるしかなかった。
とは言え、こうして客席で見ているだけでも良いと思っているのなら、彼女の恋心は本物なのかもしれない。
そんな彼女が居たからこそ、家は多額の借金にまみれ彼女の言いなりになるしかない私が、期間限定で婚約者の座を埋めなければならなかった。
世界的にモテてしまう王子様ギャレット様のお陰で、我がメートランド侯爵家は間接的に救われることになったのだから、彼に感謝すべきなのだわ。
私もクインも……そして、他でもないお父様も。
「……ローレン」
不意に背後から聞こえて来た低い声に、私は驚いた。こんな人目のある場所で、この人が私に声を掛けるなんて思わなかったからだ。
そんな驚きをどうにか押し隠して、私は何食わぬ顔でにっこりと微笑んだ。
「イーサン。ここは王族の関係者の観覧席よ……何故、貴方がこんな所に?」
彼との関係が親しいものではないと示すように手に持っていた扇を広げた私は口元を隠し、周囲に変な目で見られないかを警戒しつつ彼に問うた。
前髪を後ろに撫で付けた黒髪に、鋭い狼のような金色の目。冷たくも見えるほどに整った顔の口元には、皮肉げな笑みを浮かべていた。
高級そうな生地で作られた体に沿った服を身にまとい隙のない出で立ちは、彼一人たった一代で大きな商会を育て上げた百戦錬磨の商人のイーサンらしい。
「そんな、距離のある他人行儀な対応をするなよ……俺たちは、将来的に結婚する仲だろ?」
余裕な態度と人を試すような笑み、こんな所で何を言うつもりだと私は立ち上がった。
「っ! もう、良いわ……早く、こちらへ」
小声で言った私はイーサンの答えを待つことなく、彼に背を向けて歩き出した。
イーサンは世界を股に掛ける、大富豪の商人。私と同じように……王妃に雇われ彼女には頭が上がらない。同じ到達点を目的とする仕事を任され、逃しがたい報酬を約束された立派な共犯者だ。
人目を避け客席の裏側の廊下へと行き振り向けば、イーサンは予想通り私の後を追って来た。
「……イーサン。良い加減にして。私たち、まだ他人のはずだけど?」
私は王太子ギャレット殿下の婚約者……そして、爵位を叙爵されたばかりの目の前のイーサンに恋をして、涙ながらに彼を捨てるはずの女。
けれど、それはまだ未来の話のはずだ。
今こんな場所で会っているのが知られてしまうと、良くない。
「ああ。まだ他人だ。だが、未来の妻の体に傷が付いてしまうのは、とても見ていられなくてね」
イーサンは無遠慮に私に近づき、首に掛けてあるネックレスを持ち上げた。
私自身には見えないけれど金に反応して、肌が炎症を起こし赤くなっていると思う。いつもは化粧室でおしろいをはたいて誤魔化すのだけど、めざとい彼には見つかってしまったようだ。
「これは、いけない。こうなれば無理もないが、体調も悪いだろう。隠そうとしていたようだが、気分も悪そうにしていたな……金が肌に合わないのであれば、俺が何か同じようなものを贈ろうか?」
「いいえ……結構よ。仕事の報酬としてのお金なら、頂くわ。けれど、貴方から施しを受け取るなど、私はしたくないわ」
イーサンは大富豪で私が今付けているような高価なネックレスも、同じようなものだって、何個でも望み通り贈ってくれることだろう。
けれどそれは、彼の恋人でも妻でも愛人でもないのなら、むやみやたらと高価な物を貰うべきではない。
借りはいつか、返さなければならないのだから。返せなくなって首が回らなくなるのは、借金だけでもうこりごりよ。
彼のような金勘定にうるさい男においては、特にそう思う。今まさにお金に困っている私であっても、無料より怖いものはないって思うもの。
イーサンはこのまま予定通り私と恋に落ちる演技をし結婚すれば、王妃から報酬に男爵位を賜り、落ちぶれていると言えど侯爵令嬢を妻に出来る。
唸るほどにお金を稼ぎ、貴族としての爵位が喉が出るほど欲しがっていた商人の彼だって、悪くない取引だと踏んだのだろう。
未来の王の怒りを一時的に買ったところで、彼とて次の相手が出来ればすぐに冷めてしまうだろうと。
「何故……そうなるとわかっていて、そのネックレスを身に付ける? 体を痛めつけたいのか? 美しい白い肌なのに、跡が残ってしまうだろう……」
「何故ですって? イーサンだって、良く知っているのではないかしら。私の肌に合わないからと、婚約者の証として貰ったネックレスの作り直しをお願い出来る身分ではないことを」
何もかもをすべて知る共犯者のくせに何を今更と私が眉を寄せれば、イーサンはわざとらしいくらい眉を下げ悲しそうな顔をして言った。
「それでもだ。自分の婚約者の情報だって、良く調べないとは……ローレンが我慢を重ねていることは、君を良く見ていればわかることだろうに」
そういった鈍いところのあるギャレット様のおかげで、私の下手な演技だってバレていない。それは、私たちのような後ろぐらい立場にあるのならば、喜ぶべきことのはずなのに。
喜べるはずもない。
面白がっているイーサンの言いようが癇に障った私は、彼から距離を取って睨んだ。
「ギャレット様は何も悪くありません。私が何も言わないのだから……これも何もかも、私の事情よ」
「おいっ……そこのお前、俺の婚約者に何をしている」
イーサンの向こう側からギャレット様の声が、聞こえて。
私とイーサンの二人は目を合わせ、すぐに離れると他人を見るような表情へと戻った。いけない。ここで下手を踏めば今までの苦労、何もかもが無駄になってしまう。