02 こうするしかない
長い足で逃げるように去って行ったギャレット様の背中は、あっという間に見えなくなった。
我に返って恥ずかしくなったのかもしれない……普段なら、あんなことを口にするような人ではないもの。
私が好きだと言いつつ好きではないような素っ気ない態度を取っているから、彼だって何故なんだと混乱してしまうんだろう。
純粋な人には素直な気持ちを返してくれる女の子が似合うと思う。言えないことが多すぎる私なんかでは……絶対なくて。
いけない。彼を騙すこと、それが私の役目なのだから、仕方ない。
自分の役割を果たさなければと、知らずため息をついてしまった私が、妃教育の続きを受けるためいつもの部屋に戻ろうと歩き出した。
すると、鋭い目つきでこちらを睨むご令嬢と出くわした。二度目のため息を飲み込んで、私は彼女に向け無言でカーテシーをした。
今のところ王太子の婚約者の私の前に、堂々と立ちはだかった彼女こそ、ギャレット様の本来の婚約者であるペルセフォネ・バイロン伯爵令嬢だ。バイロン家は現王妃の実家で、彼女は姪にあたる。
細身に緑色のドレスを纏った彼女は真っ直ぐな黒髪に緑色の目を持っていて、儚げで美しい外見とは裏腹に、とても気が強い。ええ。本当に……嫌になるくらい。
きっと、彼女に先程のギャレット様とのやりとりを、見られてしまったのだ。必要以上に彼に近づくなと厳命されているというのに……これは、面倒なことになってしまった。
とはいえ、ここで彼女に向けて「そういう態度を取っていたつもりはないですが、ギャレット様に予想外に気に入られてしまって、本当に申し訳ございません」としおらしく謝罪したところで、余計に怒り出すだけだろう。これが、ただの事実なのだけど。
どんなに不条理な言い分だとしても、向こうからすれば任務を遂行出来ていない私がすべて悪い。こんなに弱い立場では、何を言ってもやぶ蛇になりかねない。
どうにかして、上手く言い訳をしなければ。
何故、王妃の姪に当たり王族との婚姻も結べる彼女がすぐに婚約者として認められないかと言うと、このミスヴェア王国では、男女共に十六の年齢にならないと婚約は出来ないという決まりがあるからだ。
まだ無事に成長するかもわからない幼い年齢に婚約を交わすことは、あまり良くないという医療技術の発達していなかった頃の古い考えが残っていて、貴族たちの婚約は社交界デビュー後に解禁される。
とは言え、それは形だけで親同士の口約束などで、内々には決まっているようなものだけど。
私付きのメイドや護衛騎士には、目で合図をして下がってもらった。
ペルセフォネ嬢は、まだ十五歳。まだ年若く王妃の姪なので、彼女のこうした無礼や多少の我が儘は城の中で許されている。
彼らは年の近い同性の友人と話したいのだろうと、微笑ましくそう思っているはずだ。それは大きな勘違いで、私たち二人の関係は主人と使用人に近いのだけど。
「ちょっと……貧乏人のおばさん。ギャレット様にくっつき過ぎではない? 自分の立場を、本当にわかっているの?」
自分より低位しかも年下のご令嬢に侮辱されても、家族を守るために誇りなどすべて投げ捨てた弱い立場に居る私は黙って頭を下げて耐えるしかない。
……本来ならこんなことなんて、したくないのに。
「ペルセフォネ様。本当に申し訳ありません」
「残されているのは古い歴史と侯爵位だけの、貧乏貴族が……ちゃんと、自分の身の程をわきまえなさいよね! あんたは、ただの私の代役。私こそが、ギャレット殿下と結婚するんだからね!」
必死で声は抑えているもののペルセフォネ嬢には、どうしてもここで私を罵倒せねばならないくらいには、先ほどギャレット様の行動を我慢出来なかったようだ。
「かしこまりました……申し訳ございません。このようなことは、今後決してないようにいたします」
どんなに理不尽だと思っても、頭を下げて大人しく謝るしかない。だって、私が不満も辛さも何もかも飲み込めば、皆が幸せになれる。
だから、こうするしかないんだわ。
「ふんっ! 少し目を掛けられたからって、良い気にならないで」
周囲にはおかしく思われてはいけないと、私は黙ったままで無表情を保ち去るしかないのだけど、ペルセフォネはより苛立った表情になっていた。
時折こうして私に釘を刺していく彼女はこうした企みが、怒りを我慢できぬ自分の軽率な行動により、明るみに出ても良いのかしら?
……私は嫌だ。
あんなに優しくて真っ直ぐな人に嘘をつくことにしたのだから、本当は私自身が苦しんでいたことなんて、何も知られたくない。
ペルセフォネ嬢が晴れて社交界デビューを果たし私は婚約者を辞退し……そして、裕福な大富豪の手を取った嫌な女として可哀想なギャレット様の前から去って行きたい。