19 復讐
周囲を囲む何人かに二階に上がるように促され、私は奥にある扉を開いた。
「……クイン? え?」
私はクインを見て、驚いた。だって、私は誘拐されたのだから、見るのも可哀想なくらいのクインの姿を想像していたし、手足を縛られて猿轡を噛まされて、早く助けてあげなきゃなんて想像していた。
けれど、私の見たものは、まるでそれとは正反対で……。
「あっ……姉上? 来たんだ」
そこに居たクインは縛られてなんか、なかった。
むしろ、この子が大好きなお菓子が、机の上には大量に積み上げられていて……ケーキを頬張り、口の周りに白いクリームをつけているクインは可愛い。
我が弟ながら、美術館の絵に描かれていてもおかしくないくらいに可愛い。
お父様似の美形の男の子が、可愛らしいお菓子と一緒にあるなんて、本当に絵になる。
「……え? どういうことなの?」
一瞬、今の状況を忘れそうになったけど、どう考えても、クインは誘拐されているようになんて見えない。
むしろ、歓迎されている……誰かに。
「え? 王妃様の使いから姉上が会いたがっているからと、ここへ来るようにと言われたんだ。何度も邸でも見かけた人だったし……姉上、なんでそんなに驚いてるの?」
そういえば、私はまだクインにはこれまでの詳しい経緯は伝えていなかった。
彼にはもうすぐ会う予定があったし、直接話そうと思っていた。手紙で伝えるには、あまりにもショッキングな内容だったから。
「ローレン。久しぶりね」
私はクインの反対側に居た人を見て、やはり彼女だったと思った。
だって、動機はいざ知らず、こんなことが可能なのは、彼女しか居ないから。
「……王妃アニータ……様。お願いします。クインだけは……助けてあげてください」
彼女の射るような眼差しに、私は圧倒されてしまった。何故、彼女の瞳の中にあるものに、これまでに気が付かなかったんだろう。
こんなにもわかりやすく、そこにあったのに。
「……クインのことは心配しなくて良いわ。聞いてはいたけど、本当に可愛らしくて……幼い頃のフィリップにそっくりね。私がこれから、すべての面倒を見るから心配しなくて良いわ」
「え! なんのこと? ……姉上!」
驚いたクインは慌てて立ち上がり、私のそばに駆け寄ろうとしたけれど、近くの女性に捕えられた。ああ。あの特徴のない顔をしたあの人だ。
ここに着いて居なくなったと思ったら、ここに居たのね。
「連れて行ってちょうだい。あまり、良い話でもないから」
王妃アニータは軽く片手を振って、暴れて騒ぐクインは連れて行かれてしまった。
「あの、待ってください……父を知っているんですか?」
扉がパタンとしまった音を合図に私が質問をすれば、美しい弧を描く片眉を上げて彼女は面白そうに笑った。
「ええ。とっても良く知っているわ。私とフィリップは元々、婚約者だったの。貴女の母親に取られてしまったけどね。私たちは一時期は……愛し合っていたのよ」
「……そんな」
その時、私は妖艶な彼女の緑色の瞳の中に孕む狂気を知った。それは今まで、自分の身の可愛さに目を逸らし続けて来たものだ。
「とは言え、単に持参金しか貰えない伯爵令嬢が、爵位付きの侯爵令嬢になんて、敵う訳もないわ。だから、仕方ないことなのだと……周囲も言ったし、私だって思っていたわ。けれど、捨てられた嘆きは心の中で、いつも消えなくて……裏切られた痛みを返したくて……今まで、生きてきたの」
貧乏子爵家の次男だったお父様は、社交界では美形で有名だったそうだ。
お母様はデビューした途端にお父様に一目惚れして……お祖父様に「あの人でなければ、結婚しない」と泣いて訴えたのだと聞いていた。
王妃アニータの名前が、両親の口から出て来るはずもない。これなら周囲の大人だって、何を知っていようが口を噤むはずだ。
だって、メートランド侯爵家の幸せは、彼女の不幸の上に築かれているのだから。
「私の嫁ぎ先は、別に誰でもよかったのよ。けれど、絶対に侯爵位以上にはしたかった。陛下は……イエルクは、当時の王妃が一人しか王子を産めなくて、スペアとなる二人目を産んでくれる相手を探していた。愛されないことはわかっていたわ。でも、私の方もフィリップを忘れられなかったからお互い様だと思った……だから、側妃になったの。息子を一人産んだら、近寄りもしなかったわ」
「どうして……私にギャレット王子の婚約者になれと持ち掛けたのですか? 借金地獄で落ちぶれれば、貴女の思うように全員が不幸になっていたはずです……私もそれこそ、売られるようにどこかの後妻におさまるしかなかったでしょう」
そうだ。こんな手間のかかるようなことをしなくても、私はその時にだって、不幸だったはずなのだから。
なぜ、手間暇や大金を使って、こんな面倒なことをしたのかが、到底理解が出来なかった。
「あの人を……不幸にしたかったの。結ばれた女が死んでも、薬を打って賭け事に溺れさせても、何の気も晴れなかった……だから、思ったのよ。きっと、私は母親側の方が許せなかったんだって……けれど、あの女は死んでしまった。だから、そっくりな娘を不幸にしようと思ったの。貴女には、何の責任もないんだけど」
お父様に捨てられて、ただ意地だけで高い身分をと望んだ夫は、彼女を愛さなかった。イエルク様は、ギャレット様のお母様を愛していて……ただ、血筋を守るためだけに、二人目の息子を必要としただけだから。
「理解出来ません……そんなことをしても……」
私は言いかけて、そして口を噤んだ。
無意味なことをしているというのなら、私だって同じことをしようとした。
そんなことをしても何の意味もないことは彼女本人が一番にわかっているのだ。私が何かを言ったところで思い直すようなら、こんなことはしていない。
思い通りに動かない他人に復讐するより、自分の幸せを追いかけた方が良い。それは、理解をしている。
それなのに、そうだとわかっても、どうしても復讐を遂げることを選んだのだ。
「私はね。フィリップに捨てられて、本当に不幸になったから。ねえ。ローレン……貴女は、母親にそっくりね。正しくて、優しくて、誰からも好かれて……妬ましい。貴女は、本当に何も悪くないのよ。けど、両親が私に酷いことをしたの。大好きな人と引き裂かれて、外国に売られるのよ。きっと、ギャレットを忘れられないでしょうね……一生……可哀想」
詠うように言った王妃は、私を見ていたけど……見ていなかった。きっと、似ている母をそこに見ているのだ。彼女から婚約者を奪った……殺したいくらいに憎い女。
ギャレット様と私を両思いにさせるのは、彼女には簡単だったはずだ。
ギャレット様は通常の女の子なら、すぐに好きになってしまうくらいに魅力的な人だし……自分の責任ではなく不幸だった私を、彼は気にしてくれて、そして、思惑通りに好きになってくれた。
すべて、王妃アニータの思い通りに進み、今は最終の仕上げにかかろうとしていた。
ギャレット様は、私を絶対に裏切らない。
だから、私を二度と戻れぬ外国に追いやり、両思いの二人はお互いを忘れられないままで、ずっとずっと不幸になる。
この人に、今何を言えるだろうか。
だって、思い通りに動くはずのない他人の行動を恨み、それを二十年近くも恨み続けるなんて。そんなこと、普通の人間は思わない。
人の不幸を願って生きるよりも、自分の幸せを考える方が良いなんて、勝手な誰かは言うかもしれない。
私だって、そう思う。だって、お父様は彼女ともう一度結婚したいなんて、絶対に思わないはず。
王妃が幸せだった時間やその時に思い描いた未来は、二度と戻らないのに。何の意味もないとわかりつつ、今まで生きて来たのだ。
狂気を孕んだ眼差しを向け、無言のままの私を見て興味なさそうに肩を竦めた。
「ただ、若い頃男に裏切られて、気のおさまらない私のために、ローレンに不幸になって欲しいだけなのよ。恨むなら……私を不幸にした両親を、恨んでちょうだい」
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