16 お願い
ギャレット様は私が改めて気がつくまでもなく、素敵な人だった。
久しぶりに時間が空いたからと遠出をする予定で私が迎えに行くことになっていたんだけど、城内で話し合っている様子の彼を見た。彼は何人かの臣下に囲まれ、和気藹々と楽しげに話しているようだ。
こういう開けた場所で話しているくらいだから、別に重大な何かを会議している訳でもないだろうけど、やはり自分の婚約者が臣下から慕われているのをこうして見掛けられると嬉しくなってしまうものだ。
父王イエルク様は仕事には厳格で厳しいらしいけれど、私事は温厚でお茶目なところがある人だった。ギャレット様もああして見えて、仕事は仕事として切り分ける人なのかもしれない。
彼の護衛騎士、体の大きなガレスが通路で立ち止まっている私を見て、談笑していたギャレット様に耳打ちしたようだ。
「……ローレン! すまない。もうそんな時間だったか」
「お邪魔でしたか? ギャレット様。もし……お忙しいのなら、出直して来ます」
「いいや、仕事の話は既に終わり、少し世間話をしていただけなんだ。悪い。それでは俺は、可愛い婚約者とこれから出かけてくるよ」
ギャレット様の周囲に集っていた面々は、次々に私に挨拶をして去って行った。
ここで私が安心したのは、いかにもギャレット様の側近の彼らは私を悪く思っていなさそうだと思えたこと……ギャレット様本人の前で、そういう態度が出せなかった臆病者ばかりなのかもしれないけど。
「……ローレン。ローレンが恐れているより、君の状況は悪いものではないと思う」
私の思っていたことを見透かしたように、彼はそう言った。
「どっ……どうして、そう思うんですか……私……誰かに指示されたのだとしても、ギャレット様のことを裏切ったことは、変わりません」
どうしても欲しいと望んでいた報酬を約束されていたとしても、彼という人を裏切ったことに変わりはない。それは、私自身が一番良くわかっていた。
誰かに何故そんなことをしたんだと責められたとしても、何も言えないだろう。
「ローレンが俺のことを好きだというのは、皆が知っていた。やたらと対応が冷たいのも、どうせ恥ずかしがっているだけなんだろうと予想していたようだ。だから、死にそうな青白い顔をして男の腕を持ち俺に別れを告げた時も……その場に居た全員が、これは何か事情があるんだろうと察していたぞ」
ギャレット様は何を当たり前のことを言っているんだと言いたげだけど、私には信じがたいことだった。
「まっ……ままま! 待ってください! 私が……ギャレット様のことを好きだと、皆が知っていたって……本当なんですか!?」
嘘でしょう。私たちのやりとりが周囲から微笑ましいと思われているのは、なんとなく察していたけれど、そんなにまで私の気持ちがダダ漏れだったなんて。
ギャレット様は不思議そうな表情で頷いて、微笑んだ。
「知っているよ。だから、俺だってなんで好きなのに心を開いてくれないんだろうと思い、自分に出来る限り君に好意を伝えたはずだ。そうしたら、いつか別れなければならないから、冷たく見えるように演技していたことを知ったんだ」
「え。嫌です! はっ……恥ずかしい……」
嘘でしょう。ギャレット様、それは当然のことのようにそう言ったけど、私は本当に必死だったのに!
「嫌ですって……まあ、もう良いだろう? 俺たちはもう名実ともに婚約者で、誰にもそれを阻まれることはない。結婚式を済ませれば、君にも公務を手伝ってもらうことになるだろうが、心配しなくて良い。祖父と父のおかげで、我が国は平和で当分安泰だ」
ギャレット様は安心させるように笑ったけど、やっぱり私はあの人の存在が心配だった。
王妃アニータ様は私がとある人物に脅されて婚約者を辞退するしかなかったという話を聞いていた時も、鷹揚に頷きそんな人物がいたのかと白々しく心配する振りもしていた。
きっと演技の上手い彼女は夫であるイエルク様にも、ギャレット様にも自分が何をしたかを知られていることを知っている。家族間だというのに、腹の内を探り合っているのだ。
悪事を知られていると知りつつ、何事もなかったかのように振る舞えることに、私は恐ろしさを感じていた。
「そう……そうですね。私も、早く王妃様の件も、片付いたらと……思います」
「ああ……ローレンは何も心配しなくて良い。行こうか」
◇◆◇
心地良いゆっくりとした揺れの中、私は目を覚ました。
ギャレット様の愛馬の上で、寝てしまっていたらしい。ギャレット様はどこに行ったのだろうと顔を上げれば、彼は手綱を持って馬の隣を歩いていた。
「遠出をして疲れただろう。まだ、寝ていて良いよ」
ミズヴェア王国の城の裏手にある山は、本来なら禁山とされていて、猟が許されるのは、年に一回だけだ。
ここに自由に出入り出来るのは王族のみとされていて、何度か誘われていたけれど、なるべくギャレット様の傍に居ないようにしていた時は、行きたいけれど断っていた。
けれど、こうして心を通わせてから二人で来ることが出来て、本当に嬉しい。
「……ごめんなさい。シェフの用意してくれたお弁当が、美味しかったせいです。ついつい、食べ過ぎてしまいました」
どうやら満腹になった満足感もあり、馬に乗り散歩をしていた間に心地よい振動を感じ、眠ってしまったらしい。
「良いんだ。今までローレンは一人で家族を守らねばと気を張り、大変だったと思う。これからは、隣に俺が居る。何も心配せずとも良い」
「ありがとうございます……あ。ギャレット様。見てください。初雪ですね」
ちらちらと森の景色に混じっていた白は、今年初めての雪だった。
ちょうど一年前のこの季節、私は王妃様より話を持ちかけられ、こう思ったはずだ。自分と家族を守るためなら、なんでもすると。
私が予想していたはずの未来とは、大きく変わってしまった。騙すはずだったギャレット様は、もうすぐ私の家族になるだろう。
「そうか。寒いと思った。ローレンが風邪をひいてもいけない。そろそろ、帰ろうか……」
ギャレット様は容易く高い位置にある馬の背に飛び乗り、私を後ろから抱きしめるように馬の手綱を持った。彼が軽く馬の腹を蹴ると、馬は速度を速めて走り始めた。
私が眠ってしまっていたから、起こしたくなくて自然に起きるのを待っていてくれたのかもしれない。
本当に優しい人。
「ギャレット様。私、そういえば言わなければならないことがあって……」
この前イーサンから「願い事」を聞いた私は、彼に伝えておかねばと口を開いた。
「うん。何? ローレン。俺に言わなければ、ならないこと?」
「はい。イーサンとデートして来て良いですか?」
「……え? ローレン。それはどういうことだ?」
軽く聞いた私に対し、深刻に答えたギャレット様は馬の手綱を引いて、その場に停まった。
……しまった。これでは、言葉が足りなかったかもしれない。
「あのっ……イーサンにこの前、ギャレット様が危ないって教えてくれたお礼になんでもお願い事を聞くと約束をしまして……」
「なんでも!? 駄目だ。なんだそれは。絶対に止めてくれ。なんで、そんなことになった? いや、俺があいつと話を付けるから、大丈夫だ。ローレンはもう何も心配しなくて良い」
真剣な顔をしたギャレット様。嘘でしょう。駄目。このままだとあらぬ誤解で、ただ良いことしただけの大富豪イーサン殺されちゃう……。
「あ。あの!ギャレット様。きっと、何か誤解をしています! 私がお礼をしたいから、何か言ってくれと言ったら、イーサンはただ王都をデートでもするかって言っただけです。彼がどうしてもと言った訳ではないので……」
必死でそれは違うのだと説明すると、ギャレット様はほっと息をついた。
「え? ああ。悪い。誤解をしていたようだ。しかし、デートをするだけか? 俺が一緒に行っても良いのか?」
眉を寄せて聞いたギャレットに、私は何を言い出すのだと驚いた。
「駄目ですよ。何言ってるんですか。王太子様なんですよ……イーサンは意外と紳士なので、心配しなくて大丈夫ですから」
彼が助けてくれなかったら、二人ともこうして笑っていられなかったはずだと説明すれば、ギャレット様は渋々頷いてくれた。