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12/21

12 笑顔

 自分の彼へ裏切りが明かされるその瞬間を、懸命に思い出そうとしても私は自分が何をしていたか覚えていない。


 脳が記憶を残すことを、拒否していたのかもしれない。だって、抱えたまま生きるには、あまりにも悲し過ぎる出来事だから。


 隣に居るイーサンを好きになって結婚することにしたから貴方とは結婚出来ない、王太子の婚約者の立場の重圧になんてとても耐えられないからここで辞退したいと、イーサンの腕を取って私は言ったはずだ。


 それは、間違いないと思う。


 共犯者と何度も打ち合わせを重ね、そうしようとしていた訳だから、それをする練習だってしていてすらすらとよどみなく言えたと思う。後は嘘の上手いイーサンに任せた。


 ただ覚えているのは、ギャレット様のあの儚げな笑みだ。彼が以前に本当は王にはなりたくないと言った時と同じ笑みだった。


 私は彼がこれほどまでに大事にしているのに、自分を捨てると宣言した婚約者を、なじって罵倒すると思っていた。


 これまでに散々期待をさせておいて、それなのに何故と。


 けれど、ギャレット様は穏やかに『無理をさせて困らせて、悪かった』とだけ言い残し、去って行った。


 いとも簡単に呆気なく、私は彼の婚約者ではなくなり……ほんの少しの荷物を纏めて王都にあるイーサンの邸へと、移り住むことになった。


 王妃アニータ様は、私と交わした約束をきっちりと守ってくれた。


 とは言え、約束を破り私から彼女のしたことを明かされれば、彼女の立場だって悪くなるだろうから、それは当たり前のことなのかも知れない。


 今や元婚約者となった私の名前は、誠実な王太子の心を弄んだ悪女として、国民に知られることになった。


 面白おかしく妙な噂は立てられて、やってもいないことを、さも悪い真実のように語られる。お前が悪いのだから、見知らぬ誰かに悪く言われるのも仕方ないのだと言われれば、確かに納得も出来る。悪いのは私だから。


 その方が良い。


 もし、大富豪イーサンと逃げたことが美化されても、悲劇のヒロインを演じることなんて出来ない。とてもではないけど、良心の呵責に耐えきれなくなりそう。


 晴れて父が作ったメートランド侯爵家にあった巨額の借金はなくなり、領地からの定期収入は、これからはすべて私が管理し、父には使わせない。


 酒浸りになり無気力になってしまった父は、城から戻ってきた娘にそう宣言されても何も言わなかった。あの人も一応は、娘を犠牲にしたという罪悪感を持っているのかもしれない。


 城から離れた私は、多分一週間ほどは普通の顔を保って生活をしていた。


 食事を共にするイーサンは話し上手な商人らしく、興味を引くような面白い話をいくつも知っているので、私はそれを聞いて楽しそうに笑っていたと思う。


 自分の心の痛みにようやく気がついたのは、城を辞し十日ばかり過ぎた深夜のベッドの中だった。


 ふと聞こえたような気がした彼の声をきっかけに頭の中がギャレット様との思い出が回り、胸が苦しくて呼吸も上手く出来ない。目からは涙が次から次に流れて止まらない。体を丸くして自分の体を抱きしめても、まるで追い詰められるような強い不安を感じて居ても立ってもいられない。


 その時に、私はようやく気がついたのだ。


 私はあれだけまっすぐに愛を伝えてくれていたギャレット様を失ったというあまりにも大きな悲しみを、心をただ麻痺させて感じなくして、気が付かないふりをしていただけなんだと。


 それに気がついたところで、時はもう遅かった。


 今ではもう、王妃様がペルセフォネ様を婚約者にと推薦し、デビュタントを済ませていないとしても彼女の年齢は足りている訳だから、何の問題もなく内定した婚約者として受け入れられているだろう。


 ギャレット様は私との婚約に関しても、何も言わずに受け入れたと聞く。


 生まれながらの王族である彼にしてみたら、両親がこうしろと言われればそうするだろうから。だから、彼にとってみれば私もペルセフォネ様も、同じなのだと思う。


 新しく婚約者となったペルセフォネ様にも私にしたように、優しく接するだろうし、彼の好意を隠さず伝えてくれるだろう。


 全部全部、納得していたはずだった。一年間だけ彼の婚約者を演じ、そして時が満ちれば辞退する。


 ギャレット様が予想外にも私を気に入ってくれたことは唯一の誤算だったけど、私は……やっぱり、何ひとつ納得出来ていないのかもしれない。


 だって、お母様が亡くならずお父様がしっかりしてくれて居れば、私は普通の令嬢のように夜会に出て求婚者を募り、それで何の問題もなく結婚していたはずだもの。


 せめて弟のクインが既に成人していれば、酒浸りのお父様を当主にしたままの不安定な状況を打破し、融資してくれる良心的な貴族だって居たはずだ。


 いいえ。私自身に何か、大金を稼ぐ能力があるのならば……何も悪くない、婚約者となった令嬢を気に入ってくれただけのギャレット様を傷つけずに済んだ。


 もう、わからなくなってしまった。


 自分と家族が今後の何不自由のない生活をするだけではまだ足りないくらいに、彼から向けられる愛の中は心地よかったせいだ。


 どうしようもない事情を抱えた、家族のせいにすれば満足なのだろうか。自分が不幸だと嘆き悲しんでも、もう状況は変わらないのに。


「……姉上」


 弟クインの遠慮がちな声が聞こえて、私は頭から被っていた上掛けを外した。


「え……クイン? どうして、ここに居るの?」


 クインは私を見て悲しそうな表情をした後、言いづらそうに口にした。


「そんなに泣いて……姉上。それは、こっちの台詞だよ。ベッドフォードから僕に連絡があったんだ。いきなり様子がおかしくなって、笑わなくなったと思ったら、ここ二日ほど一日中泣いていて、とても見ていられないんだと」


 クインの言っている言葉が理解出来なくて、私はぼんやりとした頭で考えた。何度か用を足した記憶はあるけれど、それ以外は確かにベッドに丸まって泣いていた。


 けれど、自分ではそんなにも長い時間は経っていると思えなかった。


 強い感情を感じたあの夜の中にまだ居て、ただ少しだけ……自分は泣いているだけなんだと。


「……ごめんなさい。心配して来てくれたのね。クイン」


 泣き過ぎて痛む頭を片手で触った私は幼いクインに心配をかけてしまったのかと謝れば、クインは苛立った声で言った。


「姉上。僕は何度も、言ったはずだよ。姉上と僕で、あの侯爵家を出ようと……姉上は姉のことを犠牲にして、自分だけは幸せになれと言われた弟の気持ちがわかる?」


 クインは悔しげに唇を噛んで、涙を流していた。そうだ。私はこの子を赤ん坊のまま、いつまでも幼いと勘違いしていたけど、そんな訳……絶対、なくて。


「クイン……私」


「僕は要らないって言ったはずだよ。侯爵位なんて、要らないんだって。母上が亡くなってあの男が、おかしくなり……たった一人しか居ない姉上をこんなにまで悲しませて、欲しい物なんて僕にあるはずもないよ。姉上は僕を何もわかっていない子ども扱いするけど……わかってないのは、姉上だよ。人の話を聞かずに、自分が一番正しいと決めつけて、自分さえ不幸になればそれで良いと思っている」


 両手をギュッと握りしめて、泣きながらクインは私に怒っていた。


 彼の話をこうして聞けば、そうなるのも当たり前だ。お前は何も言わずにただこれを受け取れと、自分自身を犠牲にしたものを望んでもいないのにそう言われた。


 その重さにただ絶望して、こうして泣いている。


「ごめんなさい。クイン」


「謝らないでよ……姉上。僕がすぐに、侯爵になれたら良かったんだ。もっと早くに生まれていれば、こんなことにならずに済んだんだ。僕がもし、成人だったら」


 私はクインが涙ながらに口にした言葉に、私はこれまでに考えていたことを思い出した。もし、クインが侯爵にすぐなれればと私は思ったはず。


 それを、彼自身がわかっていないはずなんて、ないのに。


「貴方のせいではないわ……クイン。ごめんなさい」


 私はベッドの近くに居る彼の小さな体を抱きしめると、泣いているクインは抱き返しながら言った。


「姉上のせいでもないよ……全部が全部、この悪い状況の何もかもが、自分のせいだなんて、絶対に思わないでよ」


 何もかもその手に持ち幸せに見えるギャレット様なら、少しなら傷つけても良いと思ったのは確かだ。自分の責任ではなく不幸せな私たちには、きっとその権利があるはずだと。


 けれど、これから一国の王という重責背負うことになる王太子の彼の気持ちを、国民のだれかは考えたことはあるのだろうか。


 愛する相手も自分で選ぶことも出来ず、公には常に冷静な立場を崩せない。


 そうだ。誰もが彼の本音なんて、望んでない。だって、一生国民のために見世物のようにして過ごす人の気持ちなんて、聞きたくない。


 ただその血筋に生まれたというだけで、国の平和のために犠牲になる人のことなんて、何も知りたくない。


 私は以前、イーサンに偉そうに言ったはずだ。どんなに人に羨まれるような立場に居たとしても、その人なりの悩みや苦しみは絶えないのだと。


 あの……儚げな笑顔。


 あれを初めて見たその時から、ギャレット様が彼を見て誰もが思うような完璧な王子様でないことを、私は知っていたはずなのに。


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