創作と感想に対しての愚考というか雑感
創作物というのは余程才能に溢れた者で無い限りは本人の一部が表出したものだと私は考えています。
人間には必ず表裏があり、それはその人なりの味を持って創作世界の中で人格を得ます。
優しい話でも暗い話でも後味の悪い話でも、それは当人がこれまでに得た正否含めた人生が刻まれた魂があります。
その魂から出たものが読み手が放つ光に応じてその影を落とす訳です。
感想とは読み手の影に他なりません。
創作とは世界を作る事です。
そこに住む人々はその世界には確かに存在するのです。
なるほど、近年はなろう系と言われる様にある種のテンプレートが存在します。
しかしそこに息を吹き込めるのは作り手だけです。
悪役もヒーローもヒロインもモブキャラも。
彼らはみな作者の分身です。
但し、初めに書いたように己の中に無くても書ける人もいます。
そうした人が書くものはやはり才能が見えてくるものです。
これは感想にも言える事ですが、こちらは創作物と明確な差があります。
それは創作物が無ければ存在しないものだということです。
真に才ある人なら己の言葉で己の中に無い世界について書けるでしょう。
本意と違うところを汲み取っているつもりの感想も世の中には沢山見受けられます。
こんなのは端的に言えば野球場で野次ってる人と本質的に何も変わりません。
むしろ、野次ってる人の方がまだしもマシでしょう。
彼らはお金を取ってプレーを観に行った結果について騒いでいるのです。
それが良いわけはありませんし、近年なら出禁になる行いですが、それでも。
無償で提供されたものに野次を飛ばす如き行いとは比べるべくもありません。
実に愚劣と言えましょう。
創作にはその人が現れます。
しかし感想とは所詮は野次に過ぎません。
精々が雑感、つまりはこの駄文という訳です。
胸に手を当て、己を自覚したいものです。
才ある人へのそれを見て感じた事を記す。
令和5年6月23日