9話 例え偽善でもその意志は理解してやる必要がある
サラがジェラドの診療所の居候になって、一ヶ月が経った。
基本は診療所でジェラドの診察補助を行い、休診日にはその彼と町に出掛けたり、人手が足りない場所の手伝いに回ったりと、忙しなくも穏やかな日々を過ごしている。
そんな日々の中、ブラウニー診療所のポストに何かが投函される音が届く。
サラがポストを開くと、そこには一通の便箋が。
差出人名を見て、それが両親の名前であるのを確かめてから、サラは嬉しそうに駆け戻る。
「ん?親御さんからの手紙か?」
自分もポストに向かおうとしていたジェラドだったが、サラがその手紙を片手にしているのを見て、何が投函されたのかを読み取る。
「はい。昼休みにでも返信を書こうと」
最近のサラは、両親――オルティガとレモネが、南東に点在するイステアの町で療養している間は、こうして一週間に一度ほど、文通でのやり取りをしている。
顔を合わせたやり取りでは余計なことを言われてしまいそうなら、文通ではどうかと、シグレが提案してくれたのだ。
最初にサラの方から手紙を送り、その後の向こうからの返信文に、彼女を批難するようなことは書かれていなかった。
それを始めとして、サラは自分がどのような暮らしをしているかを積極的に書いてはイステアへ送り、両親の方も自分達の容態や町の様子などを返してくれる。
「そうだな……なら、そろそろ両親と一度会ってもいいかもしれないな」
元々、サラの両親のほとぼりを冷ますために距離を置いていたのだ。
文通越しとは言え落ち着いたやり取りが出来るなら、見舞いも兼ねてイステアの町に行くのもいいと、ジェラドは言う。
「ほ、本当ですか!?」
「あぁ。もちろん、親御さんと同意した上でな。次の返信で、会っていいかをちゃんと訊くんだぞ」
「分かりました!」
サラは喜び勇む足で自室に駆け戻り、そろそろ診察開始の時間なので、後で読もうと引き出しにしまっておく。
今日は良い日になりそうだと、淡い期待を寄せて。
その日の最初の患者は、診療所全体に響くような泣き声と共にやって来た。
「今朝からずっとこの調子でして……便も下痢の時のように水っぽくなっています」
生後一年くらいの幼児を宥めながら、その子の母親は困り果てたように、対面するジェラドに病状を伝える。
「ふむ、一度お腹を触ってみますかね。まずは胸の音を聞いておこう」
ジェラドは触診器を幼児の胸に当てようとするが、幼児はさらに泣き喚いてイヤイヤをするように身体を暴れさせる。
「こら、先生を困らせないの」
お腹が痛くて苦しいのに、その上から冷たいものまで当てられて、我慢ならないのだろう。
大人しくなるまでは様子見か、とジェラドは苦笑する。
とはいえ、幼児はなかなか泣き止んでくれない。
「あの、先生」
ふと、ジェラドの一歩後ろに控えていたサラが小さく挙手する。
「どうしたサラ?」
「ちょっと、試してみたいことがありまして……」
「試したいこと?」
それは何かとジェラドが問う前に、サラは前に出て、赤子の前で手を組んで目を閉じる。
――サラのカーキ色に染められた髪の内側から、優しい輝きを放つ。
その輝きに驚く母親とジェラドは意に介さず、サラはそっと幼児のお腹に手を当てる。
すると、泣き暴れていた幼児はピタリと止まり、じーっとサラの顔を見るようになる。
「……ふぅ、良かった。まだ使えた」
輝きを消失させ、サラは一息つく。
「先生、今のうちに」
「あ、あぁ……ちょいと失礼」
戸惑いながらもジェラドは触診器を幼児の胸に当てて、嫌がられることもなく、背中にも当てる。
その後で診察台に幼児を寝かせ、お腹に指を押し当てて胃腸の様子を触診していく。
腹部の圧迫に幼児がむずがるが、また泣いてしまうこともなく、されるがままになってくれている。
「サラ、今のは一体?」
幼児を母親の元に返すと、ジェラドは今のサラの行動について問う。
「決して、病気を治したわけじゃないんです。ただ、ほんの少しだけお腹が早く治るようにしてあげただけです」
サラは、対面する母親に向き直る。
「今起きたことは、決して言い触らしたりしないでくださいね?」
「は、はい」
サラ自身が、聖女と思われることを嫌ったために髪を染めたりしたのだが、彼女の中にまだ残っていた、聖女のそれと思しき力で幼児を泣き止ませた。
これが噂になれば、ブラウニー診療所はよろしくない意味で有名になってしまう。
故に、口止めをしておくのだろう。
午前の診察時間が終了、昼休みになって、ジェラドとサラは食卓を共にする。
今日は、サラが養鶏場の手伝いに行っていた時に貰ってきた、鶏卵を用いたオムライスだ。
「サラ。さっきの……聖女の力だったか?あれ、出来ればあまり使わないでくれるか?」
「噂になるから、ですよね?」
「それもあるが……悪いんだが、あれは患者に対しては"余計なこと"なんだ」
「余計なこと?」
どういうことかとサラは小首を傾げる。
「さっきの子は、お腹が痛いから、泣いて訴えていたんだ。でも、サラが聖女の力で痛みを止めさせてしまっただろう?そうしてしまったら、元々はどうなっていたのかが、わかりにくくなってしまう」
実際、触診した時に判別に困った、とジェラドは小さく溜息をついてみせる。
「え、えぇと、でも、赤ちゃんが泣いていたら触診が出来ないと思って……」
「泣き止ませて触診をスムーズにさせようとしたって善意は分かる。だが、言葉が喋れない幼児の泣くっていうのは、大事な判断材料なんだ。一步間違ったら、何も分からないまま帰してしまうところだった」
「えっ……ご、ごめんなさい……」
良かれと思って使ってみせた聖女の力が、却ってジェラドの邪魔になってしまったことに、サラは謝る。
「まぁ、あの子のお腹の症状は軽度のものだって判別が出来たから良かった。だから、いくら診察のためとはいえ聖女の力は使わないでほしいってことだ」
「わ、わかりました」
おいそれと聖女の力を使えば噂になりかねないどころか、逆に診察の邪魔になる、と理解するサラ。
「ん、分かればよろしい。さて、食べるか」
いただきます。
その日の晩、ジェラドは「シグレに相談がある」と言ってサラに留守番を任せて、集会所へ向かった。
受付嬢に話を通してもらい、シグレの執務室へ赴く。
ドアの前でノックして反応を待つ。
「はいはい、どなた?」
「ジェラド・ブラウニーだ。シグレ、今時間は大丈夫か?」
「ジェラド先生かい?っと、今開けよう」
程無くして執務室のドアが開けられ、シグレが顔を出す。
「夜分遅くにすまん。だが、シグレには伝えておかなけりゃならんことが出来たんでな」
「伝えておくこと?あぁ、とりあえずコーヒーでいいかい?」
「お構いなく……」
ジェラドか言いつつも、シグレはすぐに湯を沸かしてコーヒーを淹れる準備をしていく。
二人分のコーヒーが机に並んでから、ジェラドは"相談"を始める。
「一応、他言無用でお願いしたいんだが」
「先生の方からお願いとは珍しい……明日は季節外れの雪でも降るのかな?」
「茶化すな。……今日、診察中にサラが自分の聖女の力を使ったんだよ」
ぴくり、とシグレの形の良い眉が微動する。
「………………それで、どうしたんだい?」
間を置いて、平静さを保つ。
「噂になるからって言うのと、診察の妨げになりかねないから、今後は使わないでくれって釘を刺しておいた。もちろん、患者の保護者にも他言無用にしてくれと言い含めている」
患者本人は幼児だから、何が起きたか分からないだろう、とも補足しておくジェラド。
「賢明かつ正しい判断だよ、先生。現在、王都以外で聖女がいるとしたら、『追放されて野垂れ死んだはずのサラ・ハーウェルが生きていた』ってことだからね。もしそれが噂になって王族の耳に入れば、連中は確実に証拠隠滅を図りに来るだろう。……最悪、先生も一括りにされてしまう可能性もある」
「……そこまでやる必要があるのか?不完全な偽聖女のことなんか、ほっときゃいいものを」
仮にサラが「わたしは王族達に偽聖女扱いされて追放されました」と周囲に言い触らしたところで、彼女が偽聖女である事実に変わりはないし、濡れ衣を着せられたこともしょせんは偽聖女の言うことだ、"聖女万能説"を盲信する民衆がそれを聞くとは思えない。
民衆にとって事実か無実かどうかはどうでもよく、真の聖女の言うことがとにかく正しいのだから。――例え真の聖女が嘘をついていたとしても。
「やる必要性自体は感じられないね。痛くもない腹を「どこも怪しくありませんよ」って言い訳がましく主張するようなものだし」
ただ……とシグレはコーヒーを啜って言葉を選ぶ。
「僕が気になるのは、『何故同じ時期に聖女が二人も誕生したのか』だよ」
シグレが言うには、神々の加護を受けた上で産まれてくる聖女が、同じ時期に二人も現れることがそもそも前代未聞だと言う。
「そして、二人同時に生まれただろう聖女の内、サラちゃんだけが不完全なのはどうしてか。確かに、セリスティア・メイレスは真の聖女を自称して、王族や民衆の信用を得ているが……実はセリスティアも不完全なのではないかと、僕は思う」
「サラの言うことが正しいなら、仮に不完全だったとしても、セリスティア・メイレスとやらの方が聖女として優れた素質を持っていた、からじゃないのか?」
だからサラは偽聖女の烙印を押され、彼女を体良く放り出すために真の聖女の暗殺未遂の濡れ衣を着せられたはずだと、ジェラドはそう言ってコーヒーを啜る。
「そこまではなんとも……ともかく、情報ありがとう。王都の方も、最近なんだかまたきな臭いようだし、先生も気をつけるんだよ」
「おぅ、夜分にすまなかったな。今日もコーヒーごちそうさん」
くいっとカップを傾けて、ジェラドはコーヒーを飲み干してから、執務室、集会所を後にして、診療所へ戻っていった。
夜も更けてきた深夜帯、後宮には人が押し寄せていた。
「どうか私の妻をお助けください!」
「お願いします!このままでは息子が!」
「聖女様を呼んでくれ!お願いだ!」
「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」
人々は皆口を揃えて聖女を呼びながら迫り、夜勤の衛兵達らは互いの槍を交差させて進入を拒もうとするが、数人に対して何十人だ、衛兵は押し退けられつつある。
「お、応援を呼べ!このままでは押し切られてしまう!」
「くそっ、一体どうなってるんだ!?」
衛兵達も思わず悪態をつく中、寝間着姿のラウダが、シルフィーネを連れて現れる。
「全く、何を騷いでいるのだ!セリスの安眠を妨げるつもりか!」
「ラウダ王子!どうか聖女様を呼んでください!」
「聖女様しかいないんです!病に苦しむ我らに、どうかお慈悲を!」
ラウダが現れたことで、人々は我先にと彼に縋ろうとする。
「えぇぃ黙れ黙れ!貴様らがそうやって騒げば、セリスが怯える!また日を改めてから出直せ!」
「そんな!今夜を越えられるかどうかも分からないのに!?」
「聖女様の魔法で、ちゃちゃっと治してやってくださいよ!」
「何でもいい!とにかく聖女様をお願いします!」
出直せと言う王子の声すらも無視して、後宮に押し入ろうとする人々。
「貴様らはセリスを何だと思っているのだ!セリスとて人だ!貴様らの身勝手がセリスを苦しめるのだと何故分からん!」
そのセリスティアの身勝手を聞き入れて、意気揚々と処刑を実行させようとした男の言葉がこれである。
ようやく衛兵の増援が現れ、人々は押し返されていく。
ラウダの一歩後ろでその様子を見ているシルフィーネは、押し寄せていた人々の顔触れをなんとなく覚えていた。
「(妙だな……あの者らは先週辺りに、聖女様によって治されたはずだ。治癒を受けたのなら、怪我や病状が悪化するはずがない)」
なのに何故、怪我人や病人が増え、しかも重篤患者もその数を増しているのか。
「聖女様!聖女様ぁ!」
「聖女様!どうか救いの手を!」
「聖女様を私物化するな!」
「聖女様を返せ!」
「返せ!」「返せ!」「返せ!」「返せ!」「返せ!」
しまいには反感を買う始末だ。
「(あの山賊達は、こうなることを予見していたのか?)」
今の王家に仕える価値があるのか。
自らが聖女万能説を宣っておきながら、いざ聖女を頼ろうとすれば「聖女とて人だ」ともっともらしいことを返すなど、どの口が言っているのやら。
思考停止で聖女を盲信させるからこうなるのだと、シルフィーネは不機嫌そうに立ち去っていくラウダの背中を、冷ややかに見ていた。
騒ぎも一段落したところで、シルフィーネは騎士団の宿舎に戻り、礼装のままベッドに転がった。
普段ならこんなことをしない程度にはシルフィーネも自分に生真面目ではあるが、憂鬱事が続いたのではこうもなる。
先程も、もうとっくにオフの時間帯だったと言うのに、民衆が聖女を求めて騒ぎを起こしていたから、誰に言われるまでもなく即座に部屋着から礼装に着替えて飛出してきたのだ。
「ハァー…………」
深く、溜息。
昨今のラウダのやること為すことと言えば、セリスティアのご機嫌取りと、不都合に対して怒鳴り散らすだけ。
偽聖女サラ・ハーウェルが……否、真の聖女セリスティア・メイレスが後宮に招かれてから、ラウダは悪い意味で変わってしまった。
今は多少落ち着きがなかろうと、民心に寄り添おうとするその人格は紛れもなく名君になれる器……それが、セリスティアが来てからはこのザマだ。
「(あるいは……これが凋落の始まりか)」
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