5話 有限だからこそ惜しむべきではない
「ただいまっと」
集会所から帰ってきたジェラド。
するとすぐに、居住区の方からパタパタと足音が近づいて来る。
「おかえりなさい、先生。早かったですね?」
「コーヒー一杯いただいてきただけだからな」
シグレの執務室にいた時間は、10分にも満たないだろう。
早速、先程の案件を話すことにした。
「サラ。シグレの提案があるんだが、明日はトウモロコシ畑の手伝いをする気はないか?」
「トウモロコシ畑、ですか?」
「この町のトウモロコシがそろそろ収穫時のようなんでな。人手が欲しいから、気分転換も兼ねてサラに手伝ってもらうのはどうだって話してたんだよ」
実際は、もう少し深いところまで話していたのだが、サラを不安がらせるようなことは避けるべきだとジェラドも理解している。
「それで、どうする?嫌なら嫌でいいが……」
「分かりました」
即答であった。
「軽っ。ま、まぁ、収穫の手伝いっていっても、そんなに大変なことをさせられるわけじゃないから、気楽にな、気楽に」
ともかく、明日はサラにトウモロコシ畑の収穫を手伝ってもらうことが決定した。
翌朝。
午前の診察時間よりも早い、早朝とも言える時間帯からジェラドはサラを連れて、トウモロコシ畑へと向かっていた。
畑には既に壮年の男性――『フレッド』が、ジェラドとサラを待ってくれていた。
「おぉ、ジェラド先生。おはよう」
色褪せた作業着に身を包むその姿はどう見てもただの農夫だが、その着衣の下にある筋肉や傷痕の数々は、どこか古強者を思わせる。
「話はシグレさんから聞いてるぞ。今日はそっちのお嬢ちゃんが、ウチの収穫を手伝ってくれるんだってな」
フレッドの視線が、サラに向けられる。
「俺はフレッド。このトウモロコシ畑を任せてもらっている」
「サラ・ハーウェルです。今日一日、よろしくお願いします」
視線を向けられ、サラは深々と頭を下げる。
「シグレの思い付きとはいえ、昨夜いきなりで悪いな」
ジェラドも会釈するように小さく頭を下げる。
昨夜にジェラドが集会所から帰ったあと、シグレはすぐにフレッドの家に向かい、今回のことを話したのだ。
フレッドの方も、人手は多いほうがいいと喜んで快諾。
「はっはっはっ、気にするな。こっちも、お嬢ちゃんが真面目にやってくれるなら文句はない」
「あくまで体験も兼ねた手伝いだから、あまり厳しくしないでやってくれよ?……それじゃ、俺は診療所に戻るから、頼んだぞ」
「おぅ」
ジェラドが診療所のある方向へ帰っていくのを見送ると、フレッドはサラに向き直る。
「よし、早速やっていくか」
「はい」
サラはフレッドの自宅に案内されて、作業着に着替えて、手袋を着用する。
麻籠を抱え、トウモロコシ畑の中でも、今が特に収穫頃だと言う目星をつけた辺りに近付く。
「ここら一帯は、今日明日にでも収穫しようと思っていたものばかりでな。手当たり次第でもいい、頑張って取ってみろ」
まずは自分が手本を見せるべく、フレッドはトウモロコシの葉を掴むと、豪快にもぎ取ってみせる。
サラもそれに倣うように葉を掴んで引っ張るものの、フレッドほどスムーズにはいかず、なんとかかんとか葉を引きちぎる。
フレッドが五、六本のトウモロコシを籠に詰め込んでいく時間で、サラは一本もぎ取るのが精一杯。
うんうん唸りながらも、少しずつ籠にの中に、鮮やかな緑色に包まれた、輝かしい黄金色が詰め込まれていく。
「ふぅ……」
汗を作業着の袖で拭いながら、サラは一息つく。
診療所の居住区での家事手伝いとは違う、筋肉を使う肉体労働。
疲れこそするが、心地良さすらある。
「調子はどうだ?」
ふと、サラの背後からフレッドが声を掛けてきた。
「あ、えぇと……まだ少ないですが……」
サラは、近くに置いていた籠を運んでフレッドにそれを見せる。
「うむ、順調順調。その調子でどんどん頼むぞ」
数は少ないものの丁寧にもぎ取られたトウモロコシを見て、フレッドは頷く。
「休憩と水分補給を忘れるなよ、ほれ」
フレッドは、手に持っていたボトルの水筒をサラに差し出す。
「ありがとうございます」
水筒を受け取り、二人でその辺の地べたに座り込む。
サラはボトルの蓋を開けて、ちびちびとそれを口にする。
よく冷えた水が、汗をかいた身体と喉に染み渡り、「はふぅ」と息を吐くサラ。
「そう言えば、お嬢ちゃんはジェラド先生のところの居候なんだってな」
自分も水を飲んでいたフレッドは、サラに話しかける。
サラのことは、シグレからは事前に「訳あってウェストエンデに滞在することになった、ジェラド先生の診療所の居候」として教えられている。
「は、はい」
「……あの戦争からもう五年か。今になって思えば、よく生きてたもんだよ」
フレッドは懐かしむように、どこか遠くを見る。
「なぁお嬢ちゃん。俺は以前、エルバート王国の兵士だったって言ったら信じるかい?」
「エルバート王国……ということは、この国と戦っていたのですか?」
「そうだ。……兵站は伸び切ってまともな補給はもらえねぇわ、周りは国のためだなんだ言って平気で死ぬ奴ばっかりだわ、もう最悪だった」
ジェラドが話していた話とは立場が逆、最終的に"負けた"側の立場だ。
「先生も言っていました、本当にひどい戦争だったと……」
「知ってんのか。まぁ、俺も一兵士として鉄砲玉になって、死にかけの状態で捕虜になった。きっと、拷問されるだけされて殺されるんだろうなって思ってたら、ジェラド先生は自分の国の兵士を後回しにして俺を治療してくれたよ。周りから「裏切り者」とか、「そんな奴殺しちまえ」とか言われながらな……」
――うるせぇ!俺は兵士じゃなくて医者だ!敵を殺すのがてめぇらの仕事だろうが、死人作らねぇのが俺の仕事だ!医者が人の命を救って、何がいけねぇんだ!!――
「意識なんか殆ど無い中で、ジェラド先生はそう怒鳴ってたよ。先生だって、俺らのせいで家族や仲間を殺されてるのにな。そんな先生のおかげで、俺は首の皮一枚繋がって生き延びて、この町に亡命することが出来た。俺にとって、先生は命の恩人なんだよ。……もしかしたら、俺が先生の大事な人達を殺したかもしれねぇのに」
あの人は根っからの医者なんだよ、と苦笑するフレッド。
「しょうもねぇこと、話しちまったな。さて、仕事だ仕事。せっかく先生が繋いでくれた命だ、死ぬまで大事に使わねぇとな」
よっこらしょ、とフレッドは勢い良く立ち上がると、再びトウモロコシ畑に足を踏み入れていく。
「……命を、死ぬまで大事に使う」
フレッドが言い残したその言葉は、サラの胸に響いた。
偽聖女として追放された自分もまた、ジェラドに命を繋いでもらった身だ。
故郷に帰れるか分からないし、故郷に帰ったところで家族の安否すら分からないのでは、意味はない。
例えバーンズの頑張りがどのような結果を齎したとしても、自ら命を絶つことだけしないようにしよう、とサラは思い直す。
フレッドに続くように勢い良く起き上がり、再びトウモロコシの収穫に挑む。
「…………ラウダ様、どうかお考え直しを」
「何度も言わせるなシルフィーネ!」
ラウダ・サブナック王子は、今日で三度目になるだろう、眼の前で跪いている若い女騎士団長――『シルフィーネ・フリューゲル』の諌言を怒鳴り散らすことで跳ね返した。
「あの二人はセリスの暗殺を企て、それを偽聖女に実行させたのだ!このような暴挙、許してはおけぬ!」
「ですが、『オルティガ・ハーウェル』『レモネ・ハーウェル』の両名は、娘にそのようなことを命じた覚えはないと再三再四と訴えております。……やはり、この件はどこかおかしいと愚考致します」
シルフィーネは確かに命令通りに、偽聖女サラ・ハーウェルの両親たる二名を捕縛し、地下牢で拘束させた。
その理由は、『真の聖女セリスティア・メイレスの暗殺をサラ・ハーウェルに命じた反逆罪』とされている。
これは明らかにおかしい。
元々、セリスティアよりも先にサラは聖女としてこの後宮に招聘されたのであって、まだ招かれてもいないセリスティアの暗殺など企てようが無い。
第一、サラが追放刑に課されたのは、『サラがセリスティアの力を妬んだが故の逆恨み』だ。前提からして違う。
シルフィーネの部下達も「なんか今回の任務は変じゃないか?」と疑念を抱いているし、シルフィーネ本人も部下達から談判をされている。
これは本当に国の命令なのか、と。
しかしながら、実際にそのような命令が下された以上はそれに従い、遂行するのが騎士達の役目だ。
「騎士達も今回の任務には些か疑念を覚えているようで……陛下は、本当にそのような命令を下されたのですか?」
「何故父上の辞令を待つ必要がある!セリスが危害を加えられ、怯えているのは紛れもない事実なのだ!何故それが分からん!」
物分かりの悪い奴め、とラウダは目の前の女騎士を罵る。
「(物分かりが悪いのはどっちだ)」
シルフィーネは心の中だけで、この無駄に怒りに燃えている男を悪し様に軽蔑する。
まず、そこからだ。
セリスティアが危害を加えられたというのは、彼女本人の訴えによるもので、それを聞いたラウダが怒りに声を荒らげて周囲に吹聴している。
だが、それだけ。
誰かがサラや、彼女の両親と内通していたという証拠はどこにも無く、当然内通者も発見されていない。事の発端らしい発端は、セリスティアとラウダが騒ぎ立てていることだけだ。
加えて言えば、偽聖女として身柄を拘束されていたサラに、そのような行動が出来るほどの自由など与えられていないし、彼女の両親はそもそもサラが追放刑に課されたことさえ知らないのだ。
オルティガとレモネを拘束するための証拠材料としては、あまりにも不十分で薄弱。
何故そんな根拠らしい根拠も何も無い令状が発行されたのか、疑問に感じている騎士も多い。
「だとしても、未遂である以上は斬首刑に課すまでのことではありません。長期の拘束と、重労働にて……」
「えぇぃ黙れ!誰がなんと言おうと処刑は決定事項!これは命令だ!我らを脅かす逆賊を討つ!それが貴様らの仕事だろうが!」
唾を飛ばしながら指を差すラウダに、シルフィーネは感情を圧し殺して「…………御意」と一礼を返し、退室する。
「(おかしい……明らかに何かおかしい)」
廊下をツカツカと歩くシルフィーネだが、その顔は憂いに満ちていた。
後宮の外に出て、兵士達の練兵場の片隅にて、シルフィーネは座り込んで深くため息をついた。
「お疲れ様です、シルフィーネ隊長」
そこへ飲み物を片手にやって来る、若い男――と言っても彼の方が歳上なのだが――の騎士。
「あぁ、すまない。ありがとう、ゲイル」
シルフィーネは騎士――『ゲイル・ストラス』副隊長から差し出された飲料水のボトルを受け取り、一口飲む。
「またラウダ王子の説得ですか?」
ゲイルは、シルフィーネが先程後宮に入室した理由を訊ねる。
「またしても玉砕だった。ラウダ様は、よほど聖女様がお大事らしい……」
「ラウダ王子は聖女様にべった惚れですからねぇ。その聖女様が危害を加えられた、なんて聞いた日には怒り心頭でしょう」
呆れたように苦笑してみせるゲイル。
けれど、その苦笑もすぐに崩れることになる。
「しっかし、今回の命令はほんとに何なんですかね?道筋も何も無いし、ラウダ王子が「さっさと捕えて来い」って言うからとりあえずは拘束させましたけど……いくらなんでも強引過ぎる」
シルフィーネに談判した部下というのは、ゲイルのことだ。
「あの夫婦二人も、聖女様の暗殺を企んでいた割には必死だし、「娘を返せ」って何回も何回も……まるで、俺らが悪人になったみたいな気分ですよ」
その言葉に、シルフィーネは一瞬口ごもる。
彼女が、否、任務に従事した騎士の多くがそんな疑念や不満を心の奥に押し込んでいる。
だが考えれば考えていく内に、それは徐々に大きく膨れあがってきていた。
目の前のゲイルだけではない、恐らく兵士達の中にもこの一件に対して疑問を抱き始めた者が多く出てきていることだろう。
冷静さも何もなく、ただヒステリックに喚き散らすラウダの存在が、それを加速させているという部分もある。
気持ちは分かるがしかし、それでも自分達は王国騎士だ。
「それにあの二人の娘って、追放した偽聖女のこと……」
「ゲイル」
シルフィーネは名前を強く呼んでその先を遮る。
「今のは聞かなかったことにしておく。我らの使命は、この国を脅かす者共から、民を守ることだ。……例えそれが、濡れ衣を着せられただけの無垢な民を殺すことになってもな」
「…………失礼しました。過言をお許しください」
ゲイルはわざわざ形式張った一礼でシルフィーネに謝罪した。
つまりそれはゲイルの本意ではなく、ただ隊長の言葉に従っただけのことだと、暗に示すように。
シルフィーネも、それ以上は何も言わなかった。
しかし心の底に貯まる鉛のような感覚は、晴れてくれなかった。
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