4話 過去を振り返ることは未来を殺すことではない
午前の診療が始まったが、サラはすぐに気持ちを切り替えることが出来ずにいた。
当然だろう、いくらそうだと決まったわけではないにしろ、親が処刑されるかもしれないと聞けば、よほどの人間でも無ければ気掛かりにもなる。
「お母さん……お父さん……」
先程から、サラは繰り言のように母と父を弱々しく呼ぶ。
精神的にも弱っている。
「大丈夫だ、サラ。あのおっさんなら、必ずなんとかしてくれる」
ジェラドとしても、バーンズが少なくとも最悪の事態だけは防いでくれるはずだと信用しているが、結果が出るまではどうしても不安なものは不安だ。
「先生……バーンズさんは、どうやって死刑が決まった人を連れ出してくるんですか……?名前しか知らない、顔もわからないのに?」
「そこは分からん。おっさんが荒事に慣れているのは知っているが、具体的にどうなのかは見たことがないからな」
ただ、とジェラドは補足する。
「おっさんはただ冒険者として強いだけじゃない。駆け引きや詐欺紛いな交渉も出来るし、大陸中にコネや伝手を持っている。……まぁ、十中八九ロクな手段じゃ無いだろうけどな」
少しでもサラの気を楽にしようと、呆れたような手振りを見せるジェラド。
「でも、そんなロクでもないおっさんに助けられ、命を救われた人は何人もいる。もちろん、俺も含めてな」
「……先生は、本当にバーンズさんのことを信じているんですね」
少しだけ、サラの表情に生気が戻った。
「先生とバーンズさんは、いつからお知り合いになったんですか?」
「おっさんと知り合いになった時か?……ちと、長くなるから、昼休みの時にでもいいか?」
一瞬、話すべきか迷うような間を置いてから、昼休みに話すかとジェラドは決める。
「長くなると言うなら……話してる途中に患者さんが来ても困りますし」
午前中に来院する患者の平均人数は十人ほどで、特別容態の悪い患者も滅多には訪れない。
午前の診察終了を迎え、昼食を共にしつつ、ジェラドは自分の過去について思い出しながら話す。
「おっさんと初めて出会った時か。俺が今25だから……もう五年になるな」
――俺がバーンズのおっさんと知り合ったのは、俺が20歳の時だった。
当時19歳だったその頃の俺はまだ医学生で、王都の教育機関で座学や研修を受けている最中。医者の卵ってやつだな。
そんな矢先に、グランエスト王国と、隣国の『エルバート王国』とが/の間で戦争になった。
王国軍だけでなく、冒険者も戦力として数えられるんだ。おっさんも、前線に出て戦っていたと言っていた。
戦争が始まって一年、戦況は泥沼の膠着状態。
兵隊はともかく、現場の軍医は人手不足、俺のような医学生までサポートスタッフとして前線に送り込まれるような状況だった。
あれは、この世の地獄みたいな場所だった。
負傷兵がとにかく押し寄せてくるし、手当だけ受けたらすぐにまた前線に赴くような奴らばかりだった。
その時の指揮官に、俺はなんて命令されていたと思う?
「こいつらを"使える"状態にしろ」ってな。
治せ、じゃなくて、使えるようにしろ、だ。
兵士を駒として扱うことそのものを否定するつもりはない、それが軍隊ってものだからな。
でも、駒と言っても人間だ。
斬られて撃たれりゃ傷付くし、傷付けば死ぬ。
俺も同僚の奴らも、必死に手を尽くして、それでも助けられなかった兵士も多かった。
兵士の方も兵士の方で、「そんな死にかけの奴よりこっちを優先しろ」とか言い出す奴もいたよ。
軽傷重傷を問わず、人命が最優先ってことすら蔑ろにされるような状況、それで心が参ってしまった医学生も続々、友人も、当時付き合っていた恋人も自殺した。
元々の人手不足に拍車がかかり、もう限界。
バーンズのおっさんと出会ったのは、そんな渦中だった。
救護テントに入ってくるなり「仲間を助けてくれ」、って土下座で頼まれた。
いきなり土下座されたから困ったもんだよ。
それでどうしたんだと聞けば、重篤状態の負傷者がいるからってことで、いつもと同じように……っても、手探りでどうにかこうにかで、おっさんの仲間の一命を取りとめられた。
その時、初めて言われたんだ。
「ありがとう」って。
兵士の連中は手当を受けたら何も言わずに出ていくのに、おっさんと、その仲間達だけは頭を下げて感謝してくれた。
……今になって思えば、あそこでおっさんに感謝してもらえなかったら、俺も心が死んでいたかもしれないな。
戦争も末期になって、エルバート王国の兵士らも形振り構わずで、非戦闘員や市民にすら虐殺と略奪を働くようになった。
……俺の家族も、それに巻きこまれて殺されちまった。
まだ前線にいた俺も殺されそうになったところを、おっさんらに助けられて、前線から撤退することが出来た、
そうして、ようやく両国の終戦協定が迎えたけど、俺には何も残ってなかった。
同僚も恋人も家族も、帰るべき故郷も無くて、生きる理由も何も無かった俺を、おっさんはウェストエンデに送ってくれた。
そのおっさんの伝手で、ウェストエンデで診療所を開業することが出来たし、町の人達も、余所者の俺のことも受け入れてくれて、どうにか立ち直れた。
「……で、ウェストエンデでのんびり医者として過ごして数年、ある日おっさんがサラを拾ってきて、今に至る、ってな」
何でもないことのように語ったジェラドだったが、聞いていた側であるサラからすれば、壮絶な数年間だった。
「先生は……辛くなかったんですか?家族も友達も……恋人も失ったのに」
「辛かったに決まってるだろ?でも、そんな泣き言を現場は聞いちゃくれない。次の瞬間には患者が死んでるかもしれないような状況なら、尚更だ」
「……」
サラには、ジェラドは辛くて泣きたい気持ちだって全て押し込んでまで、今の生活を無理矢理謳歌しているようにしか見えなかった。
「まぁともかく、俺はおっさんに返しきれないくらいの借りを作ってるし、そんなおっさんだから、今回のことも信用出来るってことだ」
俺の昔話はこれでおしまい、とジェラドは締め括り、冷める前に昼食を掻っ込んだ。
午後の診療時間と、その後の夕食を終えたところで、診療所のドアがノックされる。
「っと、診療時間は過ぎてるんだがな……おっさんか?」
ジェラドは洗い物の手を一度止めて、玄関口へ向かい、サラも続く。
時間など無関係にこうして来院してくるのは、バーンズぐらいのものだが、今晩の来客は少し違った。
「やぁジェラド先生、こんばんは」
誰であろう、シグレであった。
「シグレか。こんな時間にどうした?」
用件は何かと訊ねるジェラドだが、シグレはそれよりも先にサラに話しかける。
「サラちゃん、悪いけど少しの間ジェラド先生を借りさせてもらうよ」
「は、はい?」
ジェラドを借りるとはどういうことだろうと困惑しているサラ。
「俺に何か用があるってことか?」
「そゆこと。留守番くらいさせてもいいだろう?」
「分かった……サラ、留守番を頼む」
「わ、分かりました」
サラに留守番を任せてから、シグレはジェラドを連れて診療所を出て、
そのまま集会所に連れられた。
それどころか、受付カウンターの中へ通されて、シグレの執務室にまで。
あれよあれよの内にジェラドを席に着け、シグレはお湯を沸かしていた薬缶を手に取る。
「コーヒーでいいかい?」
「あぁ」
二人分のコーヒーがカップに注がれ、珈琲豆の香りが執務室に漂う。
香りを楽しみ、一口啜る。
「先生、サラちゃんの様子はどうだろうか?」
不意に、シグレは本題を切り出してきた。
「……やはりショックを受けているな、今日一日はずっと上の空だった」
サラの様子はどうかと訪ねられたジェラドは、自分の目で見たままを伝える。
「だろうね……自分のせいで家族が殺されるかもしれないと言われれば、普通はそうもなるか」
シグレもコーヒーを啜り、次にジェラドが何を訊いてくるかを読み取って言葉を選ぶ。
「バーンズなら、今日の昼過ぎに発った。刑の執行日には間に合うはずだ」
「そうか。……いつもながら思うんだが、おっさんはあれでも一応は引退してるんだよな?」
「厳密にはまだ引退ではないよ。ちゃんと冒険者ギルドを通して依頼をこなしているからね」
「そうじゃなくてな……冒険者としてはトップクラスの実力に、頭だって冴えていて、さらに言えば面倒見も良い。普通なら、王国軍の将軍とか提督辺りのポストに就いていてもおかしくない。なのに、なんであくまでも一冒険者なんだろうなってな。歳が理由って本人は言ってるが……」
それだけ有能なのにどうして、とジェラドはぼやく。
「歳なのは嘘じゃないさ。バーンズももう五十路、冒険者の寿命はあと五年もない。それに、彼が冒険者であろうとするのは、単に本人の気質だよ。「兵隊なんてのはオレの柄じゃねぇし」ってね」
「そんなもんかねぇ」
今ひとつ納得いかないながらも、ジェラドはコーヒーをもう一口啜る。
「ジェラド先生が、『正式に軍医として招聘されたのを蹴った』のと同じ理由だよ」
「…………それを言うなよ」
そう。
ジェラドは、先程にサラに話していないことがもうひとつあり、終戦の後に、彼はグランエスト王国お抱えの軍医として招聘されていた。
当時、何もかもに無気力になっていたジェラドは、これを無視しようと考えていた。
しかし、これは国の命令なので、渋々と軍医として招聘されたのだが、そこでもバーンズの口利きによって、『きちんと除隊届を提出した上で』王都を去ったのだ。
そのバーンズ曰く、「ちゃんと書類を通せば軍も文句は言わねぇから」とのこと。
除隊ついでにウェストエンデ行きのキャラバンに同行させてもらい、シグレと通じていたバーンズがこれまた根回ししてくれていたおかげもあって、すんなりと受け入れてもらえたのだ。
「頭が上がらねぇし、足を向けても寝られねぇけど……改めて思うと、ほんとに何者なんだ?あのおっさんは」
普段見ているおっさん冒険者が実は影武者で、本当のバーンズ・ガラルドは今もどこかで暗躍してるんじゃないのか、あのおっさんならさもありなん、と半ば本気で勘繰るジェラド。
「そうそう、話が逸れちゃったけど……サラちゃんの精神状態は今、不安定なことになっている、と見ていいんだね?」
不意に、シグレはサラについての話題を戻してきた。
「ん、あぁ、そうだな。果報を寝て待つしかないって言うのは、本人にとっては辛いと思うが……」
「そこでなんだけど、僕にひとつ提案がある」
「提案?」
それはなんのことかと訊き返すジェラド。
「ほら、今フレッドさんところのトウモロコシ畑が、収穫時だろう?サラちゃんにも手伝ってもらおうと思うんだ」
「身体を動かして気を紛らわせるか。まぁ確かに、診療所で大人しくしてるだけよりは、外に出たほうが健康的ではあるか」
屋内に留まっているよりは、外に出て日光を浴びて、ついでに町人の仕事も手伝ってもらう。
サラの両親の職業が何かは分からないが、もし農業でなければいい経験にもなるだろう。
「そうそう。もしサラちゃんが嫌だって言うなら強制はしないし、今夜か明日の朝にでも訊いてみてよ」
「分かった。……用件は以上か?」
以上なら帰らせてもらう、とコーヒーを飲み干そうとするジェラドだが、シグレは「ちょっと待った、もうひとつ」と呼び止める。
「冒険者ギルドの中で又聞きしただけなんだが……最近、"奇妙な噂"を聞くようになっていてね」
「奇妙な噂?」
不意に神妙になるシグレの様子に、ジェラドは耳を傾ける。
「あくまでも噂の又聞きだから、尾鰭が付いているのかもしれないけど……王都の方で、頻繁に人が行方不明になっているらしい」
「……あまり聞きたくねぇ話だな?」
人がある日突然行方不明になるなど、大問題だ。
それも頻繁にとなれば、さすがにおかしいと気付くだろう。
「有権者達からは、「これは神隠しに違いない」なんて言われているよ」
「はぁ?バカじゃねぇのか?誤魔化すにしたって、子供騙しじゃねぇんだぞ」
「あっはっはっはっ、ジェラド先生も言うねぇ。まぁ子供騙しかどうかはともかく……」
愉快そうに笑うシグレだが、次の瞬間はその笑い顔を訝しげに顰める。
「……実際、人が姿を消しているのは間違いないんだ。「王都に住んでいる友人との連絡が取れなくなった」って声も聞こえている」
「なんだ、きな臭いな……おっさんは無事だといいんだが」
「とまぁ、先生にはあまり関係無い噂話。忘れてくれていいよ」
「……コーヒー、ごちそうさん。さっきの件、サラに話してくる」
「はいはい、頼むよ」
コーヒーカップをシグレに返すと、ジェラドは執務室を後にする。
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