2話 賢い人間とは状況を正しく理解している者を指す
偽聖女を自称する黄金色の髪の少女、サラがブラウニー診療所に運び込まれて、一晩が経った。
ジェラドの今朝は早い。
午前の診療時間が始まる前に朝食や洗濯を済ませ、湯浴みの準備も整えておく。
患者を招き入れる診察室や待合室を清掃し、特に患者の手が触れる箇所のアルコール消毒は念入りに。
それらを終えて、いつもなら少し時間に余裕が出来るものの、今日はそうではない。
病室で休ませているサラのこともある。
昨日の様子を見る限りは、食事を摂るには問題無さそうで、歩けそうなら湯浴みをさせて身体を清潔にしてもらう。
朝の身支度を終えて、ジェラドはサラのいる病室のドアをノックする。
「はい」
起きていたらしく、サラの返事が聞こえる。
「ジェラドだ、入るぞ」
「どうぞ」
一拍を置いてから、ジェラドは病室へ入室する。
「おはよう。調子はどうだ?」
「おはようございます。もう身体はだいぶ楽になりました」
サラの顔色も血色が戻って来たか、昨日のような病的なまでな色白ではない。
「なら良かった。少しだけ脈を測る、腕を出してくれ」
触診をすると言うジェラドに、サラは素直に左手を差し出す。
手首に指を置き、脈の動きを確かめる。
「……ん、脈も安定しているな。歩けそうか?」
そっと手を離す。
「あ、はい」
サラはゆっくりとベッドから足を下ろし、感覚を確かめるように立ち、ベッドの周りを歩いてみる。
「大丈夫そうです」
「よし。湯浴みの準備をしているから、じっくり身体を洗ってくれ。それが済んだら食事だ」
「分かりました」
ゆっくりと歩くサラに付き添いながら、脱衣所と繋がった浴室に連れて行く。
「タオルと着替えは、長期入院患者用のものを用意しておく。一応、サイズは揃えているから、合うものを開封してくれ」
恐らくはそこまで大きいサイズではないかもしれないが、それを直接聞くのはセクハラになりねない。
サラを脱衣所に残して、ジェラドは自室のキッチンへ戻り、彼女の分の食事を温め直す。
「(さて、問題はこのあとか)」
火加減を確かめながら、ジェラドは今日の予定を考える。
サラの住所は、南方の辺境地の町であるサウスラント。
ウェストエンデから馬車でも一週間はかかる距離で、しかもサラは身一つしか持っていない。
そのことをどうするかを、このウェストエンデの町のギルドマスターに相談するため、午前の診療時間が始まる前にサラを冒険者ギルドの出張機関を兼ねた集会所へ連れて行く必要がある。
バーンズが依頼完了の報告をする際に、少女を一人拾ってブラウニー診療所に送ったと伝えているだろうから、多少は事情を理解してくれているはずだ。
ちゃんと無事に故郷へ帰してあげないとな、とジェラドはカタカタと鳴り始めた鍋の蓋を取る。
「何から何まですみません、先生」
湯浴みから上がり、朝食を前にしたサラは、申し訳なさそうにジェラドに頭を下げる。
湯浴み上がりで丁寧に梳かれた彼女の金髪は美しく輝いており、まさに聖女と呼ばれるに相応しい。本人にそれを言うと嫌がりそうので言わないが。
「謝ることはない、これが俺の仕事だからな」
さて、とジェラドは前置きを置く。
「歩いても大丈夫そうなら、これから少し出掛ける。この町のギルドマスターに、君のことを相談しなけりゃならんからな」
「いえ、その、ギルドマスターさんがいる場所さえ教えてくれれば、一人で行きますから……」
「病み上がりの患者を放り出すような真似なんか出来るか」
それに、とジェラドの視線がサラの金髪に向けられる。
「その髪だと目立つだろうし、説明できる人間が同行した方がいい」
「そ、そう、ですね……えぇと、帽子とかがあれば」
「それと、ヘアゴムがいるな。あとで用意しよう」
ジェラドが自分の帽子と、ヘアゴムを用意すると、サラは手慣れた手付きで髪を結い、一纏めにしてそれを隠すように帽子を冠る。
まだ朝早い時間ながら、ウェストエンデは活気づいており、既に多くの住民が行き交う。
道すがら住民から声を掛けられれば、ジェラドが簡単に事情を説明し、これから集会所へ向かうと答える。
ジェラドが診療所の医師である関係から、高齢者からよく声をかけられ、サラのことを簡単に説明すれば、「ちゃんと故郷に帰れるといいねぇ」と暖かく頷いてくれる。
初対面ながら気遣ってくれることに、サラも少し安心しているようだ。
ブラウニー診療所から徒歩十分ほどの距離に、ギルドの集会所がある。
戸を潜り、冒険者達の喧騒の中を歩いて、受付カウンターに向かう。
「あら、ジェラド先生?おはようございます」
受付嬢は、ジェラドの顔を見て営業スマイルを浮かべる。
「おはよう。早速ですまないが、シグレを呼んでくれないか?こちらの彼女について相談がある」
「先生の恋人さんでしょうか?」
受付嬢が間違った反応を示したせいか、サラは「こっ……!?」と頬を赤くしている。
「違う違う。そんなこと言ったら、故郷で待っている彼氏に失礼だろうが」
「あ、あの、先生。わたしに彼氏とかいませんから……」
「そ、そうか。ってそれより、早くシグレを呼んでくれ。もうすぐ診察時間だから急いでいるんだ」
恋人がいないことを少し意外に思いつつ、急いでギルドマスターを読んでほしいと頼むジェラド。
「僕のことを呼ばれた気がした」
すると、カウンターの奥から、着流しを着た若い男がやって来る。
若い男とはいうものの、その耳は長く尖っており、長寿種たる"竜人族"だ。
「おはよう、ジェラド先生。何かご用かな?」
彼はギルドマスター――『シグレ・アズマ』。
元々は遠い東方の出身の竜人族の男性で、どのような経緯があったのか、このウェストエンデのギルドマスターを務めている。
「おはようさんシグレ。バーンズのおっさんから話は聞いていると思うが……」
「あぁ、聞いているよ。そちらのお嬢さんかな?」
シグレからお嬢さんと呼ばれ、サラは緊張に背筋を伸ばす。
「大丈夫だ、この人は信用出来る。悪いようにはされないさ」
トン、と優しくサラの肩に手を乗せるジェラド。
一度深呼吸をしてから、サラは自己紹介する。
「初めまして、ギルドマスターさん。サラ・ハーウェルと申します」
「このウェストエンデのギルドマスター、シグレ・アズマだよ。……ジェラド先生、彼女は……」
聖女なんだろう、と言いかけたシグレだが、その寸前にジェラドは遮るように手で制する。
「サウスラントの出身だそうだ。近い内にサウスラント行きのキャラバンが来る予定はないか?」
それに便乗させてほしい、とジェラドは言う。
「サウスラントか。キャラバンがここに立ち寄るのは今日から三日後の予定と聞いているけど、サウスラントに向かうかどうかは、向こうのギルドマスターに訊いてみないと分からないな」
顎に指先を添えながら、考え込むシグレ。
「これから伝書を飛ばしても返信には時間がかかるし、サラちゃんのご家族についても訊いてみよう。ご両親やご兄弟の名前は分かるかい?」
「あ、はい」
サラは、自身の家族構成と、その名前をシグレに教える。
「あい分かった、早速サウスラントに伝書を送るとしよう。ご用件は以上かな?」
「あぁ、それともうひとつ。彼女をどこに住ませるか、なんだが……」
ウェストエンデにサラの住所はない。
仮にキャラバンがサウスラントに向かう予定があったとしても、三日はかかる。
それまでの間はどこに住まわせるかだ。
「それなんだけどね。先生の診療所で預かってもらえないだろうか?」
「は?俺の元でか?」
何故そうなる、とジェラドは目を丸くするが、シグレが「ちょいちょい」と手招きしてくる。
耳打ちをするようなので、ジェラドはシグレに耳を近付けると、
「彼女は聖女だろう?空き家に一人で住ませていては、良からぬことを考える者がいないとも限らない。その点、先生の所なら安心してサラちゃんを預けられる」
診療所にちょっかいを出そうものならバーンズが黙ってないだろうしね、と補足するシグレ。
いくらウェストエンデが小さな町で治安もいいとはいえ、よその人間の出入りもあるし、聖女がいると知ればその力を利用しようと考える輩がいるかもしれない。最悪、誘拐なども有り得る。
「……そう言うことなら構わないが、サラがどう言うのかはまた別だぞ?」
ジェラドは一度シグレから離れて、サラに向き直る。
「サラ。これからしばらくどこで住むかという話なんだが、俺が預かる方がいいとギルドマスターは言っている。君はどうだ?」
あくまでも意思決定はサラに任せる。
「え、えぇと……もし迷惑でなければ、先生の所でご厄介になってもいいでしょうか?」
サラにとっては見ず知らずの町、患者としてとはいえ一度寝泊まりしたブラウニー診療所なら安心出来るのだろう。
「分かった。シグレ、彼女は俺が責任を持って預かろう。伝書の方を頼む」
「はいはい。サウスラントからの返信が来たら、そちらに伺わせてもらうよ」
さーてちょいと忙しいぞ、とシグレはカウンターの奥へ引っ込んでいく。
サラについての相談は、ひとまずこれで終了だ。
「んじゃ、一度診療所に戻るか」
そろそろ診察開始の時間が近付いてきているので、ジェラドとサラは集会所を出て、ブラウニー診療所へ戻っていく。
定時になり、午前の診察が始まった。
と言っても、始まった瞬間患者が並ぶようなことは無く、日にもよるが、今日の今のところ患者はいない。
よって、患者のいないこの時間は、サラがこれからここで過ごすことに関する相談だ。
この診療所の居住区についてだとか、サラの着替えや日用品の買い付けはこの後の昼休みに行くだとか、他には。
「その髪のままじゃ、町で目立つな。染めた方がいいかもしれない」
ジェラドはサラの金髪について、違う色で染める方が良いのでは、と案を挙げる。
町民達から例え口にされずとも、「聖女かもしれない?」と疑問に思われてもサラにとって具合が悪い。
「髪染め……何色で染めたほうがいいですか?」
「黒……だと、地毛が目立つな。カーキ色辺りなら、地毛が見えてきても目立ちにくいはずだ。休診日に、床屋に行くか」
「分かりました」
「よし、それから……」
と、来院を告げるドアベルが鳴ったので、ジェラドはサラに病室に戻るように言ってから、応対に出る。
グランエスト王国 後宮
そのある一室には、輝くような黄金色の髪を持つ見目麗しい美女――聖女『セリスティア・メイレス』と、整った顔立ちの青年――第一王子『ラウダ・サブナック』が、紅茶を片手に談笑していた。
「なに、セリスが案ずることはないよ。今頃あの偽聖女は、魔物どもの餌にされて骨しか残っていないだろう」
ラウダは、つい先日に婚約破棄を言い渡した偽聖女の末路を想像してほくそ笑む。
「それにしても不貞な女だ、真の聖女の力を妬んで暗殺など……」
「ラウダ様、それはある意味仕方のないことだと思います。サラ様も人間、無いものねだりをしてしまうこともあるでしょう」
その感情は理解出来る、とでも言いたげにセリスティアは宣う。偽聖女に暗殺未遂の濡れ衣を着せて犯罪者に仕立て上げた張本人の言葉とは思えない。
「君は優しいな、セリス。全く、あの偽聖女に貴女の優しさの欠片でもあれば、追放刑になどせずに済んだものを……」
正義を執行したと信じて疑わぬラウダには分からない。
『セリスティアにとってラウダなど自分が成り上がるための傀儡に過ぎない』ことを。
不完全な聖女の力しか持たないサラの存在は、むしろありがたいとさえ思っていた。
おかげでどちらが優れているかを明確に示すことが出来たし、民衆も貴族も想像以上に御し易い。
ちょっと自分が被害者であることを声高々に言い触らせば、簡単に信じて同調する。
サラを斬首刑に出来れば最上であったが、さすがに国王の決定に異を唱えるには時期尚早。追放刑で妥協した。
悪の偽聖女は追放され、真の聖女は王子様と幸せに暮らしました、めでたしめでたし。
……の後で、適当な理由をでっちあげて現国王を失脚させ、ラウダを暗殺、そうでなくとも王位継承権を剥奪してしまえば、未来のグランエスト王国の女王の座は自分のものとなる。
「(せいぜい私のために踊ってよね、クズ王子♪)」
何の因果か知らないが、聖女として"異世界転生"を果たした自分にとって、これは転生の女神から与えられた好機。
自分は心優しい聖女様を演じることで民意を味方につけ、権力者を篭絡して利用することで、手を汚さずに邪魔者を始末する。
自分が聖女である限り、何もかもが掌の上。
取らぬ狸のなんとやら、薔薇色の未来を見据えているセリスティアは、『偽聖女が生きていることを知らない』。
片や底なし沼に沈みゆく己を自覚しないまま踊り続け、片や盤石に見えたそれが砂上の楼閣であることに気付かない。
それがどんな結果をもたらすのかなど、いかに優れた聖女であっても知ることは出来なかった。
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