16話 戦いとは戦う前から既に勝負が決まっているのが理想的である
偽聖女サラ・ハーウェルの討伐騎馬隊が出撃して、一日半が経った頃、王都の外から騎士が一人、帰還してきた。
馬から降りたその足で後宮へと向かい、セリスティアを侍らせたラウダの前に跪くと、報告を行う。
「ゲイル副隊長より伝令、「ウェストエンデにて偽聖女サラ・ハーウェルを発見。現在、逃走した偽聖女を追跡中」とのことです」
偽聖女サラ・ハーウェルはやはりウェストエンデに流れ着いて生き延びていた。
騎士達がその存在を発見し、逃走を図ったサラを追跡、追い詰めていると、伝令の騎士は報告した。
それを聞いたラウダは嗜虐的な笑みを浮かべた。
「ふん、偽聖女め。逃げても無駄だろうに。ご苦労、下がって良い」
「はっ」
一礼してから、伝令役は足早に退室していく。
それを見送ってから、ラウダは余裕に満ちた微笑をセリスティアに向ける。
「心配するなセリス、間もなく偽聖女は討ち取られる」
「はい……」
不安げにラウダに寄り添うセリスティア。殺害予告を自作自演してサラにさらなる濡れ衣を押し付けた者とは思えない演技ぶりだ。
「(偽聖女が死ぬことはもう確定事項として……問題はこれから先のことだ。病院はとっくに医療崩壊、愚民どもは相変わらず聖女依存症。このラウダが弾圧したおかげで過労は無くなったが、代わりに愚民どもの不満が高まっている……チッ、やっぱり奴らは聖女を奴隷かなにかとしか思っちゃいない。マジ使えんわー)」
偽聖女も、王族も、民衆も、実に愚かしい。
シルフィーネは女騎士のくせに"くっころ"要素のひとつも無いただの堅物女で、ゲイルはヘラヘラしてて何を考えているか読み取れなくて厄介な奴。
他の騎士も民衆と同じで、唯一まともなのは侍女のセインだけ。
「(さっさとこのクズと形だけでも婚約して、王位継承権をよこしてもらわないと。次期女王……いや、"聖女王"は暇じゃないんだよ)」
自分以外の存在全てを、見下すセリスティア。
マウントを取って上から他人を見下すことに余念がない女は、己の能力と立場に対する過信を疑いもしない。
ついでに、先程の伝令役が『偽情報』を報告したことも読めるはずもなく。
玉座だと思っていたそこが、溶け始めた薄氷の上だと自覚のないセリスティアは、すぐ足元に破滅が口を開いて待ちかまえていることに終ぞ気が付かなかった。
時は一日前に遡る。
シルフィーネが単独で先駆けてウェストエンデに到着した、その日の午後。
ウェストエンデに複数の蹄が地を蹴立ててくる。
それを聞き付けたジェラドは窓の外に目を向ける。
「なんだ?まさか王国軍がサラを……」
捕らえに来たのかと言いかけたところで、シルフィーネが口を挟む。
「ご心配なく。あれは私の部下達です」
失礼、とシルフィーネは診療所の席から立つと、表へ出て部下達を迎えにいく。
彼女の想定通り、ゲイルら騎馬一個中隊は町の出入り口付近で整列していた。
率いてきたゲイルは、シルフィーネが町の中からやって来たの見て馬を降りて、"副隊長"としての顔をしながらシルフィーネに敬礼する。
「シルフィーネ隊長。ゲイル・ストラス以下11名、只今到着しました」
その背後では、部下達がどういうことかと顔を見合わせている。
昨夜の深夜、『何故か行方不明になっていた』シルフィーネがいつの間にかウェストエンデで待ってくれていて、しかもゲイル副隊長はその事を知っていたかのような様子。
「ご苦労だった、ゲイル」
そしてシルフィーネもよどみなく頷くと、ゲイルの背後に控えている部下達を見やる。
「皆、聞いてくれ。討伐対象のサラ・ハーウェルは、この町にいる。私が直接見て確かめた。だが、これは討伐してはならない」
シルフィーネの言葉に、部下達はやはり困惑する。
ラウダの命令通りに動くならば、既にシルフィーネがサラの首級を挙げているのではないのかと。
彼女とて家柄や伊達で王国騎士隊長を名乗っているわけではない、武芸、教養、人格、気風、振舞、あらゆる点で優れていてこそ、騎士を率いる立場を預かることを許されるのだ。
当然、不完全な力しか持たない偽聖女を相手に遅れを取ることなどないのだが……
しかも、討伐してはならないとはどういうことか。
次のシルフィーネの宣言に、部下達は動揺することになる。
「そして……私はこれより、王家に"反乱"を起こすつもりだ」
部下達はざわめいた。
騎士団の隊長自らがそう口にしたのだ、一体どういうことかと戸惑う。
「ま、我らが隊長の気質を考えれば、反乱起こそうってのは当然だよな。もちろん、俺も反乱に加担するぜ」
そこへゲイルも頷いてみせる。
隊長と副隊長が同時に反乱を起こすと企てているのだ、まさかシルフィーネが行方不明になっていたのはこのためかと。
混乱が生じかけるその前に、シルフィーネは毅然と告げる。
「お前達に問う。今の王家に、忠節を誓って仕える価値や意味はあるか?」
シン……と静まり返る。
騎士としては声を大にして「ある」と即答すべきなのだろう。
けれどそれをしない、出来ないのは、『今の王家に最低でも忠節を誓えるとは言えない』と誰もが心を陰らせているからだ。
「今すぐここで答えろとは言わん。のんびりとはいかないが、落ち着いて考え直す時間ぐらいはある。……ただ、『愚直に従うばかりが騎士の忠節ではない』ことは、心に留め置いておけ」
それを言い終えた後、シルフィーネはゲイルに目を向ける。
「シグレマスターから許可は降りている、郊外地で野営の準備だ。必要なら物資の買付も許可する。あとは任せるぞ」
「了解です。……よーし聞いたな!野営の準備だ!今日のところはゆっくり飯を食って、みんなでじっくり考えようぜ!」
パンパンと手を鳴らして、ゲイルは部下達に野営の準備をさせる。
ブラウニー診療所の居住区から、冒険者ギルドの集会所――正確には、シグレの執務室に場所を移した彼らは、今後について詳しく話し合おうと集まっていた。
最初に、シグレが口を開いた。
「各ギルドに連絡を送り、冒険者達を王都への反乱に加担させる。その間に、シルフィーネ君の部下の一人に王国へ偽の伝令をしてもらえると助かる。そうだねぇ……「ウェストエンデにて偽聖女サラ・ハーウェルを発見。現在、逃走した偽聖女を追跡中」とでも報告すれば、もう二日くらいは時間を稼げるはずだ」
馬を飛ばして半日で到着するウェストエンデで、町に潜んでいる偽聖女を捜索するにしても、一日以上もかかるのは不自然だ。
けれどその存在を発見し、逃走されたとしたら、追撃せねばならないだろう。
そんな嘘の報告をしてもらおうとシグレは、シルフィーネに頼む。
「了解しました。明日の朝一番に一名、伝令を向かわせましょう」
頷くシルフィーネ。
「王都の昔の仲間には、もう連絡してあるぜ。ついでに、一部の騎士や兵士も、こっち側についてくれるそうだ」
バーンズは既に自分の手の届く範囲を引き込んでいるようだ。相変わらず仕事の早いおっさんである。
「……なぁシグレ」
ふと、ジェラドが気まずそうに声をかける。その隣りにいるのはサラ。
「ん、なんだい先生?」
「俺とサラ、ここにいる意味無くないか?」
「わ、わたしもそう思ってました……」
シグレ、バーンズ、シルフィーネは分かる。
けれど、反乱に直接加担するわけでもないジェラドやサラは、この作戦会議に参加する意味はないのではないように思えるが。
「なに言ってんだジェラド。お前さんはこれから忙しくなるんだぞ?」
バーンズがその理由を答えてくれた。
「ジェラドはこの後、オレと王都の病院に行ってもらうぞ。もちろん、この間に見せてくれた資料と一緒にな」
「俺も王都に行くのか?資料だけなら誰かに届けてもらうだけでいいんじゃないのか?」
それこそさっきの偽伝令ついでにでもいいだろ、とジェラドは言うが、そこへシグレが割って入る。
「先生。今、王都の病院は本当に大変な事態になっている。一人でも多くの腕利きの医者が必要なんだ。それに、先生の手で直接資料を届けた方が、信憑性は高まるだろう?」
尤も、その"大変な事態"を遠回しかつ間接的に引き起こしたのはシグレであることは、ジェラドも知るところにあるのだが……
「腕利きかどうかは知らんが……まぁ、分かった。俺もある意味共犯者だからな、こうなりゃどうにでもなれ、だ」
半ば諦めたように、王都行きを了承するジェラド。
「あの、それじゃぁわたしは……?」
ジェラドはこれから王都に"出張"に出掛けるということらしい。
それでは自分はどうなのかとサラが小さく挙手をすると。
「あぁ、もちろんサラちゃんにも重大任務があるよ」
ニッコリと笑みを浮かべるシグレにサラは「じゅっ、じゅうだいにんむ、ですか」と片言になりながら背筋を伸ばす。
シグレからの重大任務、それは。
「サラちゃんは、騎士達に逮捕されてもらうよ」
「…………………………え?」
サラには、シグレが何を言ったのか理解できなかった。
執務室での会議を終えた後、ジェラドは一度診療所に戻るなり、まずはドアに『誠に勝手ながらしばらく休診します』と言う張り紙を貼り付ける。当然だが、これから数日間診療所を空けることになるのだ。
その後はすぐに旅支度。
数日分の着替えと、白衣、必要最低限の医療器具や、生活雑貨、そして自身が書き連ねて整えた書類資料も忘れずに。
急ぎも急ぎで支度を整えたところで、町の出入り口付近で馬を従えたバーンズが待ってくれていた。
「忘れ物はないな?まぁ大抵のものなら向こうで揃うけどな」
「あぁ、例の書類資料もちゃんとある」
「よぅし、んじゃ二人きりでデートと洒落込むとするか」
「気色悪いこと言うな、俺にソッチの気はない」
バーンズが馬の鐙に跨がるのを見て、ジェラドもそれに倣う。
「ジェラド、基本はノンストップで王都まで行くが、気分が悪くなったらすぐに言えよ」
「分かってる」
「うむ。行くぞ……ハァッ!」
バーンズは馬に手綱を打ち、勢いよく走らせる。
ウェストエンデを発ってしばらく経った頃、ジェラドはバーンズの背中に話しかける。
「おっさんやシグレを信用してないわけじゃないんだが……本当にアレで良かったのか?」
「んー?サラちゃんのことか?」
「他に誰がいるんだよ」
するとバーンズは豪快に笑った。
「ハッハッハッ、ジェラドは心配症だな!そんなにサラちゃんが心配か?」
「当たり前だ、もし彼女に何かあったら親御さんに顔向けが出来ん」
「あ、そっちか」
「そっち?どっちだ?」
何の話をしているのかとジェラドは訝しむ。
「いやぁ、てっきりお前さん、サラちゃんに惚れてるのかと思ってな」
「はぁ?んなわけあるか。まぁ確かに素直で優しいし、顔立ちもいいから、嫁の貰い手は多そうだが……俺からすれば、ちょっと歳の離れた妹みたいなもんだと思ってはいる」
「……そういや言ってたな、歳の離れた妹がいるって」
バーンズは五年前――戦時中だった頃を思い返していた。
身も心も壊れかけていた二十歳頃のジェラドと、救護テントの中で語り合っていたことを。
故郷で家族が待っているから、こんなところで死に腐ってなんかいられないんだと、ジェラドは言っていた。
けれどその待っていたはずの家族は、戦火に巻き込まれて死に別れ、ジェラドは生きる意味全てを失った。
そんな彼を見たバーンズは、せめて心静かに暮らせるようにと、除隊届を書かせ、シグレに根回ししてもらった上でウェストエンデへ送り出したのだ。
「生きてれば、今のサラと同じぐらいの年齢にはなっていたはずだ。……あぁ、無意識にサラを、死んだ妹に被せていたんだろうな」
「そうか」
ジェラドの独白に何を言うでもなく、バーンズはただ頷く。
バーンズの顔と口利きによって、「ウェストエンデから腕のいい医者を連れてきた」と紹介されたジェラドは、修羅場鉄火場の渦中にある病院に連れてこられた。
「オレに出来んのはここまでだ」
「あぁ。あとは自力でなんとかやるさ。おっさんはおっさんで、『これから忙しくなる』んだろう?」
「まぁな。そんじゃ、この件が全部終わったら、ジェラドんちで宴でもやるか」
「だからウチは軽食喫茶でも無けりゃ酒場でもねぇって言ってんだろうが」
最後にそう軽口を叩き合ってから、バーンズは病院を後にして、ジェラドは年配の院長と向き合う。
「それで、ブラウニー君。この資料のことなのだが……本当なのかね?」
「はい。実例はまだ二人しか確認出来ていませんが、その可能性は高いかと……」
ここは戦場だ。
五年ぶりにその空気を味わったジェラドは、持ってきた資料に関する説明を行う。
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