13話 他人のための嘘は美徳だが、我欲のための嘘は悪徳である
過労で倒れた、真の聖女セリスティア。
自室で眠っていて、ふと目が覚めてぼんやりしていた彼女だったが、
「(何なんだよ……何なんだよ、この、ブラック企業は!!)」
声に出さないように、憤りは拳に乗せてベッドのシーツを殴る。
「(朝から翌朝まで!どいつもこいつもナメ腐りやがって!私を誰だと思ってやがる!真の聖女、セリスティア様だぞ!あァ!?)」
最悪。控えめに言って最悪だ。
偽聖女を追放してざまぁ・もう遅いをしたのだから、待っているのはイケメン王子と結ばれて、溺愛ハッピーエンドというのがスタンダードルールというか、書籍化、アニメ化の基本では無かったのか。
尤も、溺愛ハッピーエンドのあとは失脚させてその権威を自分の元に転がり寄せる算段なのだが。
だが、夢に夢を見た異世界転生をしてみたら、この有様だ。
誰も何もしない、何も考えない、ただ聖女を盲信して、施しを受けようとするだけ。
こんなもの、前世で社員を使い潰して私腹を肥やすしか能のないゴミクズ以下の連中と、どう違うのか。
いいや、まるで変わらない。
せっかく異世界転生したのに、何故またブラック企業に使い潰されなければならないのか。
これでは聖女ではなく、まるで、
「(完全に奴隷のそれじゃねぇか!チヤホヤしてやれば許してもらえるとでも思ってんのかよ!)」
そもそも、一度は法術を施した者の怪我や病気が治っておらず、また法術を受けようと押し寄せるのは何故なのか。
確かに痛くなくなり、辛くなくなる、と民衆は言う。
無償で法術を受けられると分かって、必要もなくすり寄って来ているとても言うのか。
「(チッ……またあのクズ王子に泣き付いて、無理矢理にでもこの状況を変えないと、身体が保たない)」
辛くて可哀想な風を見せてやれば、あの暗愚は即座に鼻息を荒くして民衆を弾圧するだろう。
むしろ弾圧されてしかるべきだ、何故なら真の聖女が過労で倒れてしまうほどの迷惑をかけているのだから。
ふと、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
セリスティアは瞬時に聖女としての顔を取り繕い、具合が悪いように見せかけながら、「はい、どなたでしょう」と聖女ボイスで応える。
「セリスティア様、失礼致します。『セイン・トローズ』です」
「セインさんですね、どうぞお入りください」
専属侍女の声と名前を聞いて、セリスティアは入室を許可する。
静かにドアが開けられ、小柄なメイドが気遣わしげに声をかけてくる。
「お加減はいかがでしょうか?」
「(ほんと、こいつくらいのものだよ。純粋に私を気にかけてくれるのは)少しまだ、辛いでしょうか」
ラウダのように露骨なご機嫌取りに走ったりせず、適切な距離感を保ち、その上で聖女のことを第一に案じる、よく出来たメイドである。
「私には、セリスティア様がどれほどの力を行使されているかは、測りかねます。ですが、どうかご無理はなさらないでください」
そう言って、セインは紅茶を淹れて、セリスティアへ差し出す。
「ありがとうございます。苦しむ皆様のためにも、早く体調を戻さなくてはなりませんね(あの暗愚どもを失脚させたら、こいつは相応の地位に就かせてやらないと)」
紅茶の香りを楽しみつつ、セリスティアはセインを重用して裏切らせないようにさらなる姦計を企てる。
先日に、シルフィーネとの組み手を強いられて30回ほどぶっ飛ばされたゲイル。
あちこちに傷を作り、全身が筋肉痛を訴えていたが、それでも体調が悪いわけでもないので、今日も任務をこなす。
そんな折に。
「あ、ゲイル副隊長!おはようございます!」
ちょうど向かいから、その先日に風邪をこじらせて生死の境を彷徨いかけていた、ヴァンが元気よく声をかけて挨拶してきた。
「ようヴァン、身体はもういいのか?」
「はい!副隊長がブラウニー先生のとこに送ってくれたおかげで、この通りピンピンです!今朝の朝飯もガッツリいただきました!」
「病み上がりなのに、朝からよく食う奴だなぁ。ま、飯が旨く感じられるのは健康の証ってことか」
「ご迷惑おかけしてすいませんでした。でも、今度こそ元気になりましたから、しっかり働いてみせますよ!」
どうやら、もうヴァンは元通りの身体になってくれたようだ。
この分なら風邪をぶり返すことは無いだろうなと、ゲイルは安心していたが、
「にしても驚きましたよ、まさか追放された偽聖女が生きてウェストエンデにいたなんて……」
「なっ、バッカおまッ……!」
慌ててヴァンの口を手で塞いで黙らせて、ばっと周囲を見回す。
幸い、周囲に誰もいないようだ。
「ふー、危ねえ危ねえ……」
安堵に息をついてから、ゲイルはヴァンの口から手を離した。
一体どうしたのかと、ヴァンは不思議そうに見ている。
「あの、副隊長。俺、何か……?」
ゲイルはヴァンに手招きすると、耳打ちする。
「……ヴァン、偽聖女の件に関しては絶対に誰にも話すなよ。いいな、肝に命じておけ」
「は、はい」
「よし」
再三に渡ってヴァンに言い聞かせると、ゲイルはヴァンの耳から離れる。
「そうそう、あとでシルフィーネ隊長にも挨拶しとけよ。お前のために特例措置まで出してくれたんだからな」
「はい、了解です!」
足取り軽く歩いていくヴァンの後ろ姿を見送って、ゲイルは朝から肝を冷やしたとため息をつく。
「(偽聖女が生きていた、なんてラウダ王子が知ったら、とんでもないことになるだろうしなぁ……)」
「………………偽聖女が、生きていた?」
その曲がり角の向こう側に、セインがいたことには終ぞ気付くことは無かった。
ゲイルがヴァンを連れて急患に駆け込んできてから数日。
今日はブラウニー診療所の休診日だ。
サラはいつものナース服ではなく、ドルチェ服飾店で買い揃えた私服を着こなしてめかしこんでいた。
今日はピスカと遊びに行く予定だと、ジェラドも聞いている。
「ピスカの方から迎えに来るって言ってたな?」
「はい。もうそろそろ来る頃だと思います」
「そうか。俺はのんびりしてるから、ゆっくり羽を伸ばしに行ってくれ」
「先生も来てくれたら、ピスカさんも喜ぶと思うんですけど……」
「俺がいたら、二人とも気を遣うだろう。俺のことは気にしなくていいからな」
ふと、コンコンと診療所のドアがノックされる。
「あ、ピスカさんです。それじゃぁ先生、行ってきます」
「おぅ、行ってらっしゃい」
ジェラドに見送られて、サラは玄関を出て、ドアを開けたすぐそこにピスカが待ってくれていた。
「サラちゃんおはよー!」
「おはようございます、ピスカさん」
「もー、さん付けも敬語もいらないのに」
「え、でもこれがわたしにとっての普通ですけど……」
「んー、まぁ、無理に言い変えさせる必要もないか。それじゃ行こっか!まだ見ぬスイーツが、あたし達を待っているぞー!」
「お、おぉー!」
今日のメインの予定は、商業区でスイーツの食べ歩きだ。
ピスカに連れられていくサラを見送ってから、ジェラドは居住区の方で紅茶を淹れつつ、ペンを片手に書類を書き進めていた。
その内容は、先日に診たヴァンの血液情報から得られた、その結果。
ヴァンを退院させた後、時間を見つけて彼の血液サンプルを調べていたジェラドだったが、やはり不自然な結果が出た。
聖女の法術によって一度は菌が取り除かれたのだとしても、白血球の動きが通常よりも鈍く、何より混在している菌がかなり強い。
少なくとも普段から健康体――人間の抵抗・回復力が正常な状態――であれば、ここまでになることは滅多なものではない。
聖女の法術が、一時的な解熱剤のようなものだと仮定しても、ゲイルの言う経緯通りなら、ヴァンは最低でもその日は十分な食事と睡眠を取っており、より悪化するような状態にはならないはず。
だと、しても。
「そもそも王都の病院よりも、どうしてウチに訪ねてくるんだ?」
ジェラドは思わずそう呟いた。
確かに多少はぼったくられるかもしれないが、少なくともこの診療所よりは設備も薬品も揃っているし、何より人手がある。
王都の病院が行列必至で、その順番待ちすら待てないようなレベルだったのか。
それでも、馬を飛ばしても半日近くはかかる距離と時間を惜しむほどのことではないはずだ。
そこまでになるほど、今の王都は何に逼迫しているのか。
「(なーんか、きな臭いな……)」
何か、王都で大変なことが起きている。
確証はないが、確信はある。多分に勘のそれだが、軍医として戦線の一歩手前で一年も生きていたジェラドの勘は、決して的はずれなものばかりでも無かった。
ふと、コンコンッとやや強めのノックが診療所の戸を叩いた。
「なんだ、サラが忘れ物でもしたか?」
ジェラドはのっそりと席を立って、玄関に赴く。
「はいはい、どうし……」
「お願いですっ、どうか娘を助けてください!」
ドアの向こうに待っていたのは、あまり見ない顔の女性で、その背中には明らかに具合の悪そうな、五歳くらいの女の子を抱えている。
今日は休診日なんだけどなぁ、と思いはしても急患であればそうはいかない。
「っとと、まずは落ち着いてくれ。今、診察室を開ける」
ジェラドは休日から急患時のそれに意識を切り替えて、すぐに白衣を羽織って診察室の受け入れ態勢を整える。
「ひとまず、安定状態には持ち込んだ。まだ予断を許さない状況だが、今以上に悪化することはないはずだ」
施術を終えたジェラドは、女性にそう告げる。
「良かった……ありがとうございます」
安定状態と聞いて、女性は安堵に胸を撫で下ろす。
安心させたところで、ジェラドは話を持ち出す。
「実はつい先日にも、王国騎士が一人、急患で駆け込んできたことがあって……知っているなら教えてほしい。今、王都では何が起きているんだ?」
事情と経緯を聞けば、女性とその娘は王都から馬車でやって来たらしい。
怪我や病気を治してくれる聖女は過労で倒れ、王都の病院は完全にパンク、医療崩壊が起きている事態。
娘の容態も見るからに悪化する一方で、王都の病院もいつ席が空くか分からない状態。
王都の外の医療機関に頼る他ない事態で、出来るだけ隔離させた状態でキャラバンに同乗させてもらい、王都から一番近いウェストエンデまで運んでもらったとのこと。
「噂によりますと、王都の病院の不手際で病状が悪化した人が多く、それよりも聖女様を頼りにする方がアテになると聞いたのですが……」
「病院がアテにならない、けれどその聖女様が過労で倒れたと。なら患者たちは多少のリスクは覚悟してでも病院に頼るしかなく、それが一斉に押し寄せている。それでも間に合わないケースも多発していると?……王都の医療機関は一体何をやってるんだか」
ジェラドは嘆息をついた。
王都の病院も、まさかそこまでになるとは想定していなかったのだろう。
「まぁ、王都の事情がどうとは知らないが、ウチを頼りに来てくれた以上は、最善は尽くす。娘さんは一晩ここに入院させたほうが回復するだろうが、どうする?」
「それなら、私も一晩はこの町の宿で過ごします。娘の容態が良くなりつつあるなら、あとは連れ帰って家で養生させようと」
「それが最善だろうな。なら、娘さんは責任を持ってお預かりしよう」
「お願いします、先生」
診察室を後にする女性を見送ってから、ジェラドは一息つく。
患者の女の子は、既に入院患者用の寝室に移動させている。
「(さて、サラが帰ってきたら事情を説明しないとな)」
今頃、ピスカに連れられてお菓子を食べ歩きしているだろうサラの様子を想像しつつ、ジェラドは冷めてしまった紅茶を飲み干し、書類の書き込みを再開する。
再開はしたものの、そのペンを走らせる手は芳しくなかった。
先程に自分が見立てていた、ヴァンの血液情報から読み取れる聖女の法術の効力。
先の女性から聞いた、王都の現状。
さらに、王都では行方不明者が増えているというシグレの噂話。
一つ一つに大した繋がりは見えないが、様々な仮定や憶測を整え、ひとつずつ纏めていくことで、「そうかもしれない」程度の予測は立てられる。
「(真の聖女の法術は不完全で、しかも聖女本人や民衆は、その不完全さに気付いていない、と見るべきだな)」
そうだとすれば、恐らくは王都からの急患が殖えてくる可能性がある。
二人や三人なら診療所で対応出来るが、多人数が同時来るとそれも難しくなるだろう。
最悪、集会所を臨時の病院として貸し切らせるケースも想定していた方がいいかもしれない。
サラが帰ってきたら留守番を任せて、シグレにこのことを相談すべきだな、と思いつつ、昼食の時間が近付いてきたので、ジェラドは書類とペンをしまって、食事を作ることにした。
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