10話 思考を止めたその瞬間、人は獣以下に成り下がる
相談を終えたジェラドが、執務室を後にしてから。
「……で、いつからそこにいたんだい?」
カップの中のコーヒーに視線を向けたまま、そう口にする。
「んー?ジェラドが「そこまでやる必要あるのか?」って言ってた辺りからだ」
すると、棚の陰からぬっと『バーンズが現れた』。
どうやら気配を殺していたようだが、シグレは最初から気付いていた。ちなみにジェラドは全く気づいていなかった。
それでだ、とバーンズは気配を元に戻しながらシグレの席に近付くと、懐から一枚の手紙を取り出した。
「お前が言ってた通りだったよ。昔の仲間に調べてもらったら、ビンゴだ」
バーンズが手紙を差し出すと、シグレは「どうも」と頷きながら手に取り、折り畳まれた文面を目に通す。
「………………」
無言が続くこと十数秒。
「いやはやいやはや……真の聖女様は、楽しそうで何よりだねぇ」
ケラケラとシグレは笑う。
「あぁ、これから王都では死人がバンバン出てくるだろうなァ」
バーンズはニヤリと凄味の効いた笑みを浮かべる。
「不謹慎だよ、バーンズ。まぁ、自業自得だけどね」
コーヒーを飲み干して、シグレはバーンズに向き直る。
「それじゃぁまずは、『病気が悪化した時は、病院よりも聖女様を頼れ』と言う"正しい情報"を広めようか」
「ついでに『病気の悪化は、王都の病院の不手際だった』って"噂"も流してやるか」
「いいね。いやぁ、何でも治せる心優しき聖女様は、みんなの人気者で大変だね」
はっはっはっ、とシグレとバーンズは愉快そうに笑う。
傍から聞く分には、聖女を褒め称える世間話にしか聞こえないだろう。
――その実、真の聖女を追い詰めるための謀略を張り巡らせて。
セリスティアの祈りが放つ光が、何十人もの民衆に降り注ぐ。
痛みや苦しみから解放された民衆は聖女の名を称え――すぐにまた何十人が押し寄せる。
夜が明けて間もない早朝から、この光景が何度も繰り返され、もう正午を過ぎようとしている。
朝から今まで法術を酷使するセリスティアは、民衆に向かって慈母のような微笑みを浮かべているが、その法衣の下に流れる脂汗は止まらず、意識を保つのもままならない。
一度の法術で癒やしの力を与えられるのは、限られた空間の中にいる数十人だけ。
聖女の間の前には、何百人もの民衆が溢れ返っている。
「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」
狂ったように聖女セリスティアを求める民衆。
兵や騎士達も懸命に並んで待つように呼び掛けているものの、誰一人としてそんな声は聞かず、我先にと聖女の間に押し掛けようとする。
「(クソが……一体どうなっている!?)」
セリスティアは内心で悪態をつきながら、目の前の地獄絵図のような光景を見やる。
曰く、怪我や病気が治らない。
曰く、病院の不手際が原因らしい。
曰く、そんなものより聖女様の魔法に頼れ。
そんな風潮が王都に流れ、怪我や病気に苦しむ民衆は連日連夜王都に押し掛けようとして、騎士団や兵隊に押し返される日々も、もう三日三晩繰り返されていた。
その中には、以前にもセリスティアの法術を受けた者も多人数含まれており、治ったはずの怪我や病気がまた再発したと言う。
「(どいつもこいつも人に頼るばかりで……少しは自分でどうにかする努力ぐらいしてみろこの愚民どもが!!)」
なんてことを真の聖女たる自分の口から言うわけにもいかず、セリスティアは微笑を見せながら法術でまた何十人を癒やしていく。
「セリスよ、無理はしておらぬか?」
側でふんぞり返っているだけのラウダは、セリスティアの身を案じるように声をかける。
「いいえ、私の力が少しでも役に立つのなら……(あぁそうだよ無理してんだよ少しは察しろこのゴミが!いつもみたいに唾飛ばしながら怒鳴り散らして、愚民どもをさっさと追い返せ!お前はそれしか利用価値が無いんだからさぁ!)」
自分はあくまでも民衆に尽くす側の者ですとアピールしつつも、その裏腹でラウダを口汚くを罵るセリスティア。
「辛いと思ったのなら、すぐにでも言うのだぞ」
「はい。やっぱり、ラウダ様はお優しい……(んなわけねぇだろ!?私は疲れてますって言わなきゃ分からんのかカスが!これだから世間も苦労も知らねぇ坊っちゃんは!)」
広場にはまだまだ何百人も聖女を待っている。
そうである以上、セリスティアは期待に応え続けるしかない。
「(なんで真の聖女に転生した私がこんな割を食わなきゃならない!?被害者ヅラした偽聖女をざまぁして、悠々自適の溺愛ハッピーエンドはどこいった!?脚本仕事しろよ!)」
民衆はただ、聖女を盲信する。
何もせず、何も考えず、ただ聖女が正しいと信じて疑わないその有様は、セリスティアが言うところの「愚民」そのものだった。
「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」
「うむ、暇だな」
「暇ですねぇ」
昼下りの午後の診療時間。
降りしきる雨を窓の内から眺めながら、ジェラドとサラは口を揃えた。
午後になってからと言うもの、患者が全く来ないのである。
とはいえウェストエンデも年がら年中病人や怪我人に溢れているわけではない。
例え半日患者が来なかったからと言うだけで今すぐ生活苦にはならないし、世間的にはむしろ無病息災で喜ばしいところ、何なら「医者が暇な時代ほど平和なもんはないな」とジェラド自身がぼやいているくらいだ。
一言に「暇」と言ってもやることが全く無いわけでもない。
ジェラドは時間を見つけてはカルテを整理したり、ペンを片手に医療論文を書き纏めているし、サラは待合室を再掃除したり、診察を受ける小さな子どもに対する"ご褒美"と言う折り紙をあげるために、色紙を折ったりしている。
「先生、コーヒー淹れましょうか?」
「あぁ、頼む」
「はーい」
背伸びをしてから、サラは緩やかな足取りで一度居住区に上がろうとして、
ゴンゴンゴンッ、というやや乱暴なノックが玄関から届く。
「あ、わたしが出ます」
コーヒーはこのあとで、とサラは早歩きで玄関に向かい、ドアを開ける。
「はい、どうされま……」
「すいません、急患なんです!」
玄関の前にいたのは、礼装――グランエスト王国の騎士のものだ――を着こなした青年。
その青年は、人を背負っている。
急患、と聞いてジェラドも駆け寄ってくる。
「急患だな?」
「お願いします!どうかこいつを、こいつを助けてやってくれませんか!」
よほど余裕が無いのか、青年は必死に頼み込んでくる。
――その姿に、かつて「仲間を助けてくれ」と土下座してきたバーンズが重なって見えた。
「分かった。まずは診察台に運ぶ。入って来てくれ」
久し振りの鉄火場だ、とジェラドは気を引き締める。
患者を診察台に寝かせ、運んできた青年に服を脱がせてもらい、患者衣に着替えさせたところで、ジェラドは冷静に診察を開始する。
「意識なし。発熱が酷いな、脈も安定していない……ウイルス性かもしれないな。まずは事情と経緯を教えてくれるか」
「は、はい。自分は、ゲイル・ストラス。王都の方で、騎士団の副隊長をやってる者です」
それで、とゲイルは荒い呼吸を繰り返す患者に目を向ける。
「こいつは俺の部下の『ヴァン』と言いまして……三日くらい前に風邪をひいてたんです」
だが、ただの風邪でここまで酷くなるなど極稀だ、よほど無理を祟らせなければこうはならない。
「ひき始めだったんで、聖女様の魔法で治してもらって、「元気になった」って言ってましたけど、今朝になったらこの有様でして……」
「ちょっと待ってくれ。今、「聖女の魔法で治した」、と言ったか?」
気になる言葉を聞いて、ジェラドは待ったをかける。
「は、はい、そうです」
「……まさかと思うが、念を押して病院で診てもらってもいないのか?」
「はい、聖女様なら何でも治せると……」
それを聞いてジェラドは「なんてバカなことを」と怒鳴りかけて、喉に迫りかけた怒りを押し込める。
「フーーーーー……王都の聖女様のお力がどのようなものかはわからないが、それでも一度くらいはちゃんと医療機関で診てもらうべきだぞ」
「でも、こいつは確かに元気になったんですよ?」
「元気になって、すぐにまた体調が悪化したんだろう?」
「そ、それは……」
ゲイルは言い澱む。ジェラドの言葉に返せるものが無いからだ。
「つまり、風邪のひき始めを甘く見て、ぶり返したというわけか」
風邪と言えど、体内を侵すウイルスに変わりはない。
少なくとも、聖女に治してもらったとしても、きちんと一日休んでいれば結果は違ったかもしれない。
「騎士……ということは、王都からここまで病人を運んできたのか?」
「はい。緊急を要するってことで特例措置をいただいて、俺がこいつを担いで、馬をすっ飛ばしてきました」
こんな雨の中を馬で飛ばして来たという。
「聖女様はご多忙につき、ヴァンの治癒が間に合いそうに無かったので、知り合いから「ウェストエンデに腕利きの医者がいる」と聞いて、ここまで」
「腕利きの医者、のつもりではないんだが。まぁともかく事情と経緯はわかった」
ジェラドは、一歩後ろで控えているサラに指示を出す。
「サラ。患者に点滴と採血を行う。左腕の肘関節を消毒してくれ」
「分かりました」
サラはすぐに棚からアルコール除菌シートを取り出し、診察台にいるヴァンの左腕を消毒していく。
「サラ?……いや、空似か」
ふと、ゲイルの口からそんな呟きがこぼれた。
「ん、彼女がなにか?」
「いえ、顔見知りと似たような顔と名前だったので。……ヴァンは、今晩はここで?」
「意識が回復し次第、本人の意見を聞くつもりだが、意識が無いままなら、今日はここで休んでもらう」
「分かりました。なら、俺もどこかの宿で一泊して、明日に迎えに来ます。……どうか、部下をお願いします」
ゲイルは深々と頭を下げると、「これ、前金です」と紙幣の束をデスクに置いてから、診察室を後にした。
「……さて、やるか」
その金額に一瞬思考が止まりかけたジェラドだが、準備を終えたサラのことを思い出して、すぐに施術に取り掛かった。
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