霧崎ジャックの殺人簿 其の零
12月31日の、午後11時30分。世間の人々が1年の終わりを惜しみ、あるいは懐かしみながらも、新年への思いを馳せる大晦日という日に、彼ら2人は集った――それは山奥の、とっくに廃れた寺院の境内。降り注ぐ月光が辺りを照らしている。
「よう、後輩。なんだかんだで初めましてだな」
凍てつくほどに熱い眼をした少年は、朽ちかかった賽銭箱に座ったまま、そう言った。
「そうだね、先輩。そんな気は全くしないけど」
焼けるほどに冷たい眼をした少年は、色褪せた本堂を見上げるようにして、そう返した。
まだ20歳も迎えていない彼らの生業は、殺し屋だ。一方は、ここ3年間、《最強》の名を欲しいままにしてきた歴戦の猛者であり――一方は、半年前のとある事件を機に突如として現れ、瞬く間に《最恐》の称号を得た新鋭である。互いが互いの商売敵という、そんな2人が相対したのなら、これから為されることは決まっている。
それは、潰し合いという名の殺し合い。
「でもよお。俺たちってば、半年っつう決して短くねえ時間を同業者として切磋琢磨してきたはずなのに、お互い名前も知らないんだよな。何せ、お互い個人でやってるせいで、同業者の情報なんてほとんど持ってねえんだもん」
本来なら緊迫するべきこの場において、本堂を背にした少年は、あくまでフランクに、数年を共に過ごした友人に接するかのように口を開いた。
「だから何? 僕にとって、君みたいなのに常識を押し付けられることほど不快なことはないんだけど……それに、名前を知りたいなら素直にそう訊け。回りくどいのも不愉快だ」
一方で、鐘楼門を背にした少年は、とにかく無機質に答えた。
「じゃあ、名前教えてくれ」
「他人に名前を訊ねるときは自分から名乗れ。常識だ」
「……この業界じゃ一応、霧崎朔で通ってるよ」
少年の返答に、朔は不服そうな顔を浮かべつつ、そう名乗る。しかし少年の方は、一貫して無機質に、心底つまらなさそうな様子で、「答えてくれてどうもありがとう、だからって僕は答えないけどね」と、左目が隠れるほどに伸びた前髪の毛先を触った。
少年の言動に、朔は一瞬表情を歪ませるも、すぐに「かははっ」と笑う。
「そういうつもりなら、まあいいさ。これまで通り、勝手にジャックとでも呼ばせてもらうぜ。そっちのが慣れてるからよ……けど、1つだけ聞かせろ」
「………」
「何故、人を殺す?」
「今日を生きるため。僕自身の命は、他人のもの1億個分よりも重く、尊い」
朔からの問いかけに、少年――ジャックは、それがさも当然のことであるかのように、そう言い切った。だから仕方がないことなのだと、そういった様子で。
その答えに、朔はにやりと笑う。
「やっぱお前は俺と一緒だ。同類だ。嫌悪感も通り越すレベルの同属だぜ。兄弟同然だよ、俺たちは。本当の意味での確信犯で、狂気そのものだ。他人とは根っこから違うのさ」
「……そうかい」
「ああ、そうさ。しかし、だからこそ」
――ここで、殺さなきゃなんねえ。
まさに、刹那だった。
その瞳がぎらりと光ったかと思われた次の瞬間――賽銭箱から飛び降りた朔が、羽織っていたジャンパーを脱ぎ捨てるとほとんど同時に、鋼のナイフが空を裂いた。
「――っ!」
左足の母指球を軸に半身を翻し、ジャックはかろうじて刃を躱す。
鋭い風が吹き抜けた後、右の頬にじんわりと血が滲んだ。零度を下回る冬の空気が少し沁みるが、気にするほど深い傷でもない。
「へえ、さすがにやるじゃん」
言いながら2本目のナイフを取り出す朔に、ジャックもまたナイフ――否、刃渡り20センチほどのハサミの、その半分を腰から抜き取ると、リングに右手の中指、薬指を通し、軽く握り込んだ。
「なんだあ、そりゃ? 今風のオシャレか?」
「個人的な趣味でね」
「片割れはどうした? それじゃあハサミの意味がねえだろうが」
「失くした」
「ハサミの片方を失くす馬鹿がいるかよ」
そんな会話を交わしながらも、研ぎ澄ませた感覚は緩めない。おぼろげな月明かりと聴覚、そして経験からなる第六感を頼りに、お互い距離を測る。そして、コンマ1秒にも満たない判断の遅れが命取りとなる空間で、2人の動きがシンクロする。
地面を蹴る音、服の擦れる音、金属のぶつかる音――騒がしい静寂がおよそ1分間続いた末に、悲鳴にならない悲鳴が闇の中でこだまする。朔の関節技により、ジャックの右肩が外れたのだ。
拍子にハサミも宙を舞い、地を滑り、2メートルほど先で止まった。
左手で肩を押さえて片膝をつき、ジャックは朔の姿を睨み上げる。
そんな姿に、朔は「かははっ」と、笑った。
「……話を聞く限り、もっと冷徹な奴だと思ってた。意外とよく笑うんだね」
ジャックの言葉に、朔はまたも白い歯を見せる。
「……なんでだろうな。なんでか解んねえけど、楽しくてしかたがねえんだ。気分がふわふわして、自然と口角が上がっちまう。初めての体験だが、悪くねえ……今なら、本物の切り裂きジャックだって、いとも容易くぶっ殺せちまいそうだ」
言ってから、ナイフの切っ先をジャックへ向ける。
「強かったよ、お前。この俺と殺し合いで渡り合った奴は、お前が初めてだぜ……しかしまあ、強いだけだ。弱肉強食のこの世界じゃ、勝者以外は全部ゴミなんだ。だから――」
――だから、死ね。
この状況でも、隙はない。反撃を警戒した朔は、瞬時にジャックの背後に回ると、うなじの辺りを目がけてナイフを振りかぶった。
そして。
「――ぎゃああああああああああああああああああああああああああ……ッッ‼︎」
獣よりも獣らしい、身の毛もよだつような金切声が響く。
そうして崩れるようにして地面に伏したのは、ジャックでなく朔の方だった。両の手で強く押さえる右足首――右アキレス腱は、鋭い刃によって抉り取られ、大量の血液を噴き出している。
「お、お前……!」
「……少し素直すぎるよ、君。疑うことを覚えた方がいい。相手が右手で得物を構えたら、そいつは左利きだと思え。相手が痛がる素振りを見せたら、そいつは無傷だと思え。相手がハサミの片方を失くしたと言ったら、そいつは隠し持っていると思え」
立ち上がると、ジャックは落ちていたハサミの片割れを拾い上げ、手に持っていたもう一方の片割れに合わせた。リングに指を通すと、赤のマーブル模様に染まった自身の手へ視線を落とす。肌に刻まれた無数の痛々しい切り傷を見て、白い息を薄く吐き出した。
そんな様子を見て、尋常ではない量の冷や汗を浮かべながらもなお、朔はニヒルに笑う。
「……話を聞く限りじゃ、もっと機械みたいな奴だと思ってたぜ。だけどお前、噂よりずっとかっけえよ。かっけえし、おもしれえよ……まるで、3年前の俺を見てるみたいだ」
3年間、独りで頂上に居続けた朔にとって。
この先、独りで頂上に居続けることになるであろうジャックの姿は、そう映った。
それに対して。
「……強かったよ、君は。僕に死を予感させた人間は、君が初めてだ。だから最大限の敬意と、そして敬愛を表そう」
そう言って、ジャックは朔の喉元に刃を宛てがう。
言葉の真意が果たして伝わったのか、それは判らなかったけれど――片足を失って己の終わりを悟った朔は、一度ジャックの顔に視線をやった後、静かに目を閉じる。そして、どこか満足げな笑みを浮かべた。
遠くに聴こえる除夜の鐘の音に合わせ、ジャックは左手に力を込める。
「さようなら、兄さん」
かははははっ――という甲高い笑い声と共に、そこには季節外れの彼岸花が咲き乱れた。
3年後、歴史的な大規模殺人事件を起こすことになる《最凶》の殺人鬼、霧崎ジャック。
これは、誰も知らない――この先も語られることのない、彼の誕生秘話の一断片。
閲読ありがとうございます、丹羽邦記です。
今回投稿したのは、少し中二色の強めな作品となっています。かっこいいキャラクターとバトルシーンが描きたくて、とにかく好きな要素を詰め込みました。そのため設定自体はあまり作り込んではおらず、『其の零』と銘打ってはいますが、『其の一』以降の予定はありません。とは言え、キャラや世界観は気に入っているので、機会があれば改めて構想を練ってみたいと思っています。