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エッセイ

普通のひとはいいひとだ 綺麗事は必要だ

作者: シサマ


 若い頃の私は、人目を気にする事もなく、自分のやりたい事を悔いなくやり通しました。


 成人式は出席せず、大学の入学式や卒業式もただひとり私服で参加。

 氷河期世代だったとはいえ、就活の苦しさにすぐ音を上げると、新卒正規職員への道を自らあっさりと諦め、好きだった音楽活動に没頭してフリーターへと一直線。

 

 堅気の仕事に歯を喰いしばりながら結婚や子育てに悩む、そんな昔の仲間達とはやがて疎遠になり、30代の半ばまでアマチュアミュージシャンとフリーター生活に明け暮れる日々。

 そして年齢的な限界に突き当たると、親に呼び戻される様に地元に帰り、正規職員への最短距離だった介護の仕事を目指す事になるのです。


 

 そんな私でしたから、納得の行かない事に対してはすぐに感情が態度に出ました。

 ほんの少しの我慢が出来ず、フリーター時代からアルバイトが3日も続かないなんて事が何度もありました。


 幸いだったのは、フリーター時代は親元を離れていたので、アルバイトをクビになってもニート生活を送る事が出来ず、次のアルバイトを探さざるを得なかったという点だけですね。

 この妙な使命感があったから、ガチでうつ病を患った時も半年で社会復帰出来たんです。


 

 とは言うものの、私が世間で所謂「問題児」だった事は一度もありません。

 

 学校は小学から大学までサボらずに通い、大学は最前列で講義を受け、成績も高校時代以外は上位でした。

 教師や両親に反抗した事もないですし、余り多くはない友達を無下に扱ったりもしていないはずです。


 ただ、理不尽な扱いを強要する人間や、何の落ち度もないのに立場が弱い人だけを選んで攻撃する様な人間に対しては、容赦なくぶつかりました。

 

 そういう人間は普段から家族にも迷惑をかけ、私の言葉に反論出来ない時は、私の学歴や見た目を馬鹿にしてきたので、私自身も頭に血が上り、そういう人間を打ち負かす事ばかり考える人間になってしまっていたのです。



 そんなドツボにはまっていた当時の私を変えたのは、今の職場の施設長の言葉でした。


 「そんなひとと戦うよりも、それ以外のひとに感謝する様にしなさい。そんなひとに比べたら、特に自分に優しくなくても、自分に気を利かせてくれなくても、楽しい雰囲気を作ってくれる訳じゃなくても、普通のひとが皆いいひとに思えてきます。そこに楽しいエネルギーを使いなさい」


 この言葉を初めて聞いた時の正直な感想は、「うるせえよ!」です。

 

 そんな言葉は単なる綺麗事だと思っていましたし、そんな言葉で傷付けられた人の気持ちが晴れる訳がない。

 そして何より、罰せられるべき人間が罰を受けなくて済むという選択肢が、当時の私には許せなかったのですね。


 暫くして、全てに白けてしまった私は退職を決意しました。

 かつて体調不良で休職した事もありましたし、職場に迷惑をかけたという2回の事実の合わせ技で、すんなり退職させて貰えると考えていたからです。

 

 ところが施設長の決断は、グループ企業の違う施設に異動させてまで、私を雇用し続けてくれるというものでした。

 

 そして驚いた事に、私と顔を合わせる事がなくなった問題の当人は、理不尽な言動や立場の弱い人への攻撃をしなくなったのです。


 恐らく私が施設長の言葉を聞いて、最初は白けてしまった様に、問題の当人も私の意見に白けていたのでしょう。

 私のこれまでの人生から滲み出る怠惰が、自分ではまっとうに思っている意見の説得力を失わせていたのでしょう。


 今の私は、施設長の言葉に感謝し、普通の人の何気ない言動を大切にする事を意識しながら毎日を生きています。

 施設の閉鎖や、施設から解雇されない限り、転職する事もないと思います。


 そして、この世には綺麗事が必要であると認識しました。


 綺麗事の重要性は、実はどんなひねくれた人でも理解しています。

 綺麗事は、自分自身の堕落を防ぐ為に、そして、偽善者になるくらいなら偽悪者になるという、実は卑屈で楽な生き様に何とか歯止めをかける為に必要なのです。

 

 ただ、綺麗事はタイミングを間違えると、周囲を白けさせるだけ。

 それぞれの人生に譲れない哲学があるから……そこを理解しないといけないですよね。



 さて、私はこの「小説家になろう」サイトで様々な作品を投稿していますが、エッセイでも小説でも詩でも、これまで余り尖った主張はしていないと思っています。

 そして、世間一般の常識から極端に外れてしまう事のないよう、言葉は慎重に選んでいるつもりです。


 しかしこれは同時に、例えその作品が評価されていたとしても、現実には読者の頭に「何となく評価しないといけない」流れを呼んでいるだけで、特に感想が書かれるまでもなく、実は綺麗事のタイミングが悪く、読者を白けさせているだけかも知れない……という意識も持っておかないといけません。


 

 私は自分の作品が評価されると、悪気は無くてもその満足感で、他のユーザーにマウントを取っている様な気分になってしまいます。

 同時に、自分が余り好きではない他のユーザーの作品が評価されると、悪意は無くてもそのユーザーにマウントを取られている様な気分になってしまいます。


 評価や称賛の背後に潜んでいる、自他を問わない白けた空気を察知してしまった時は、敢えて自分を道化にする事を楽しんでみたり、自分に正直な作品に集中する事で、自分の道を進む自信が持てる様になりますよ。


 何故ならば、その過程で普通の人が既にいい人に見えるからです。

 自分に優しくなくても、自分に気を利かせてくれなくても、楽しい雰囲気を作ってくれる訳じゃなくても、悪意がなければ殆どのユーザーが既にいい人に見えるからです。


 読まれない、評価されない事を嘆く権利はありますが、読んでくれた人、評価してくれた人の本音は、実は数字では分かりません。

 仕事と同様、この創作施設が閉鎖されたり、この創作施設から解雇(笑)されるまで活動を続け、その極意を掴める様になりたいものですね。



 

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― 新着の感想 ―
[一言] 体験に基づいた、説得力のあるお話でした。
[一言] シサマさん、よくわかります。本当によくわかりますよ、その気持ち。とってもストレートに伝わりました! それにしても、施設長さんは素敵な大人ですよね。
[良い点] 本当にそうですね。このエッセイで気持ちが楽になる人たくさんいると思います〜! 普通の人は主張もしませんし、反応もしませんけれど、ちゃんと読んでくれているのです〜。あ、そんなこと言ったら、感…
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