8.わたしの願い
結局、おかゆはふたりとも根性で完食した。
ディーンは捨てようと提案したが、私が断固として拒否した。日本の両親から「お残しは許しまへんで」方針で育てられた私には、食べずに捨てるなんてもったいないことはできない。
「俺はもう駄目だ……」「あとちょっとじゃない……一緒に頑張ろうよ……!」と、さながら難所に挑む最中の登山隊のように、お互い励まし合いながら頑張った。登山したことないから知らんけど。
口直しに食後のお茶を飲みながら、改まったようにディーンが口を開く。
「さて。それでは、タナカ……」
「あ、ちょっと待って」
即座に話のコシをぽっきり折る。
「私の名前は田中有希子っていって、田中は苗字なの。だから、これから私のことは名前で、『有希子』って呼んでもらって構わない?」
初めてダガルさんに名乗ったのは、言葉がまだ全然通じないころで。田中の方が名前だと勘違いされたのだ。言葉を覚えたころにはもう田中で定着していたので、あえて呼び名を変えたりはしなかった。
それに、私は自分の名前が好きではなかったし。
今どき「子」が付く古風な名前は、クラスの女子で私ひとりだけだった。
小学生のころは男子から「雪女~」とあだ名で馬鹿にされた。漢字が全然違うんですけどね?
それはそれとして。
「タナカ」呼びは、なんというか……ダガルさんのために取っておきたい。「カ」にアクセントを置く呼び方を、彼の声でずっと覚えておきたいのだ。
「そうだったのか。ならば、ユキコォ」
「惜しい。ユ・キ・コ」
「ユキコゥ?」
コでピシャッと止めんかい。
「……ええと。なら、ユキ、でどう?」
折衷案を提案する。
「そうか。それでは、ユキ。お前はこれからどうしたい?」
問いかけられて、言葉に詰まる。どう、と言われても……。
考え考え、口を開く。
「もうこの家にはいられないし……どこかで仕事を探すしかないと思ってる。どんな仕事でも構わないから、容姿だけで差別されない場所で……平和に暮らしたい、かな」
そんな平凡な願いすら、今の私には過ぎた望みなのかもしれないけれど。
「……そうか。ならば、俺と一緒に来るか?」
問われた意味がわからず、ぽかんとする。
「俺は旅の駆除師だ。俺と一緒に旅をして、いろいろな街を見て──お前が住みたいと思う場所を探せばいい」
もちろん危険がないとは言えない、と男は言う。
「黒花の駆除に付き合わせたりはしないが、街道には盗賊が出ることもあるし、害獣と行き合うことだってあるかもしれん。それでも、俺の全力でお前を守ると約束する。今すぐ決めろとは言わんから、よく考えてみて……」
「行く」
男の言葉が終わらないうちに、口から勝手に言葉が飛び出した。自分で自分の言葉に驚きながらも、じわじわ強い決意が生まれてくる。
そうだ。平和で平凡な生活を手に入れたいのなら、自分で探せばいい。
きっと動かなければ、何も始まらない……!
きっぱりと顔を上げ、ディーンとしっかり目線を合わせた。
「私は旅なんてしたことないし、足手まといになるかもしれない。それでも、私にできることを精一杯がんばるって約束する。……だからお願い、私を、一緒に連れて行って!」
決意を伝えると、ディーンはふわりと微笑んだ。
「……わかった。それでは、これからよろしくな。ユキ」
◇
翌日、トール街支部にて。
話を聞き終えると、ヴァンダール少佐は深々とため息をついた。
「わたしは賛成できない」
大体、と声を荒げて私の隣に座る男をギロリと睨む。
「その男は信用できるのか? 駆除師というのは報酬のためなら己の命すら顧みない、危険な連中なんだぞ。君のような世間知らずの娘など、どうとでも扱えるだろう」
私は軽く目を見開く。私のような厄介者を引き止めてくれるとは思わなかったのだ。
ダガルさんが言っていた通り、優しい人なのだろう。……気さくかどうかはともかくとして。
「……心配してくださってありがとうございます。でも、もう決めたんです。私はダガルさんに甘えるばっかりで、今まで何の行動も起こそうとしませんでした」
街の人々の視線が怖いから出歩かない。
噂されるのが嫌だから交流を持たない。
今になってやっと、過去の自分が恥ずかしくなってきた。っていうかこれって完全にニートじゃない? 仕事は家事手伝いみたいなものだったし。
「だから、これから変わりたいんです」
揺るぎない決意が伝わるように、視線を逸らさず少佐さんをじっと見つめる。顔が怖いけど。めっちゃ怖いけど。
「……ユキ。今のは、俺のことを信頼できる男だと、少佐殿に主張すべき場面じゃなかったか?」
横からディーンが不満そうに言う。
あ、危険な男呼ばわりされて怒ってる。
「ええと、ディーンのことはよく知らないので、信頼できる人かと聞かれると、正直よくわかんないんですけど……」
「おい」
突っ込みは華麗にスルー。
「でも、ダガルさんとの……赤の他人との約束を律儀に守って、わざわざ私の様子を見に来てくれました。元気付けてくれたし、ごはんを作ってくれました……とんでもない味だったけど。……優しい人、だと、思います……」
最後の言葉は口に出して言ってみると恥ずかしくて、尻すぼみになってしまった。顔が赤くなってるのが自分でもわかる。
「ん? 今なんて言った? 全然聞こえなかったぞ」
わざとらしく惚ける男の足を思いきり蹴飛ばした。
「いっ……! だから、どうしてお前はそんなに手が早いんだ!」
「今のは手じゃなくて足よ!」
目の前で口論を始める私たちを、あきれたように少佐さんが見やった。
アホですみません……。