86.一歩進んで
迎賓館の私の部屋には、お通夜のように重苦しい雰囲気が満ちていた。
負のオーラの発生源は、真っ白に燃え尽きている王都一のモテ自慢である。ベッドに腰掛けて、どんよりと手のひらで顔を覆っている。
「……なんということだ。優雅で余裕にあふれ、知的で美しく、いつでも爽やかにニッコリ。王都一のモテ自慢とはそんな設定だったのに……!」
そんな設定だったの?
「あの、あの無神経男のせいで……! クソッ! 少将になんと思われたろう!?」
私とマイカちゃんは苦笑いしながら顔を見合わせた。
ミランダさんとディーンの闘いは、我に返ったミランダさんが攻撃をやめた事で、あっさりと終わってしまった。
ムンクさんのようにぱっかりと口を開けて、ギルバートさんを振り返った彼女の顔が忘れられない。その顔には「やっちまった」と書かれてた。
その後、ディーンとギルバートさんは軍本部へと戻っていった。軍に復帰する手続きを取るためである。嬉しそうなルークさんも付いていった。
今、部屋の中には女三人だけである。
私がミランダさんの側に移動してその背中を撫でていると、ソファに座っているマイカちゃんが意味ありげに微笑んだ。
「結果的には、良かったと言えなくもないかもよ? タラシ少将もハッとした顔をしていたもの」
「……ハッと? どういうことだ?」
ミランダさんがようやく顔を上げる。
すかさず私もマイカちゃんに同意した。
「してた、してた。今までモテ自慢扱いして、悪かったなって反省したんじゃない?」
私の言葉に、マイカちゃんがチチチチと人差し指を振ってみせる。
「残念ながら不正解ね、ユッキー。あれは反省の顔じゃなかったわ。しいて言うなら──……」
『言うなら?』
興味津々な私とミランダさんの声がハモった。
マイカちゃんはにやりと笑う。
「興味深い動物を発見した顔ね。面白がるみたいに目を輝かせていたもの」
「…………」
つまり、好敵手扱いから動物扱いへと変化したわけだ。進歩なのか後退なのか悩ましいところである。
恐る恐るミランダさんの表情を窺うと、予想外にも彼女は顔を赤らめていた。
「動物……そうか、動物……。ふ、ふふ……ふふふふふ」
不気味な笑いと共に、ぽぽぽぽとさらに赤くなる。……なんで嬉しそうなん?
ミランダさんは得意げに髪をかき上げる。
「実は、あのタラシは意外と動物好きなんだ。……フッ。あの男、どうやらこの私に惚れたらしいな。私の思う壺だとも知らず、哀れなタラシだ!!」
アーッハッハッハッハァ!!
立ち上がって小さな胸を大きく張り、盛大に高笑いした。またコレかいっ!
そっとベッドから離れてモテ自慢さんと距離を取る。
ソファの方へ戻ると、マイカちゃんがソファに倒れ込んでいた。激しく体を震わせて、息も絶え絶えで苦しそうに悶えている。
姉さん、しっかりっ!?
◇
「ねねっ。ディーンはいつここに来るんですか?」
翌朝、朝食の席でわくわくとルークさんに問いかける。ルークさんは何とも微妙な顔をした。
「通常なら手続きに数日はかかるみたいだけど、まあアイツの場合はすぐじゃないかな。──でも、ユキコちゃんはそれでいいのか?」
いいって何が?
今日、というか可能なら今すぐにでも、ディーンと合流したいのに。不思議な事を言うルークさんに首を傾げた。
不満そうな私を見て、ルークさんは失笑する。
「ディーンの奴、昨日は怒り心頭って感じだったよ。ユキコちゃんがキャロル中尉にぽうっとなってたって聞いて」
げげっ!?
そういえば、同じ空間で呼吸するなとか言われてたっけ……。
焦ってしまい、思わず彼に八つ当たりする。
「ルークさん、フォローしてくれなかったんですか!?」
「だってオレはちゃんと止めたし? 弁解はユキコちゃん自身で頑張って」
ルークさんにしては珍しく、人の悪そうな顔で笑う。突きつけられた難題に、私は思わず頭を抱えた。
「違うんですー! だって、軍服姿が素敵だったんだもん!! それにミランダさんは女の人だし!!」
「そこは別問題。ユキコちゃんだって妬くだろ? もしもディーンが、女装姿の美男にときめいてたらって想像すると」
「…………」
ルークさんの言葉に絶句する。
激しい目眩を感じてうつむいた。
女装姿の美男、が完全にルカさんで変換されてしまったのだ。
ルカさんにでれでれニヤニヤするディーン……。
浜辺できゃっきゃウフフする二人……。
そんな恐ろしい妄想が爆誕したのだ。
蒼白になる私を見て、ルークさんは慌てふためいた。
「ちょっ……! そこまで顔色が悪くなるほどの話なの!?」
「……いや、悪くなると思うわ。あたしだって思わず想像しちゃったもの……」
マイカちゃんも目元をひきつらせ、そっとフォークを置いた。
食欲のなくなった私たちに、ルークさんはおろおろと気を遣う。
「えっ、ごめ……! お、オレが悪かった……のか?」
『そうだよ!!』
マイカちゃんと私から責められ、ルークさんは目に見えてしょんぼりする。
微妙な空気になったところで、部屋の扉がノックされ盛大に開け放たれた。
「──おはよう、諸君! 爽やかな朝だな!!」
自分の方こそ爽やかに、満面の笑みを浮かべたギルバートさんが登場する。
後ろから続くのは、朝から不機嫌そうなディーン。……やば。一晩たっても駄目だったか。
「おはようございます、ギルバートさん。……ディーンも、おはよっ」
不機嫌に気付かないふりをして挨拶すると、無言でジロリと睨み返された。むかっ。
テーブルから離れて、つかつかとディーンに歩み寄る。腕を組んで男を見上げた。
「……なに怒ってるの」
「別に、怒ってない。約束を破ったのはお互い様だからな」
私の顔から目を逸らし、わざとらしく淡々と返す男にイラッとする。
「私は約束破ってないし?」
こちらもわざと憎々しげに言ってやると、男は眉を吊り上げてやっとこちらを見た。
私はふふんと笑ってみせる。
「私はモテ男とは同じ空間で呼吸してませんから。ミランダさんはれっきとした女の人なんだからね!」
……まあ、ギルバートさんとは同じ空間で呼吸しましたけど。
胸の中でこっそり付け足す。
でも、いいのである。
今回の議題はミランダさんなのだから。
「……だが、ときめいたんだろう。ルークから聞いたぞ」
私の理論武装にもディーンは引かなかった。くぅっ!
さらに言い返そうと口を開きかけたところで、ぐいっと後ろから肩を抱かれた。
「ふふ。私に見惚れるユキコは、それはそれは可愛らしかったぞ? 頬を染めて、まっすぐに私だけを見つめて──。なあ、ユキコ?」
至近距離で私の顔を覗き込みながら、ミランダさんがキラキラと微笑む。その笑顔に反射的に赤くなってしまう。
その残念な本性を知ってはいても、美形はやっぱり美形だった。破壊力半端なし。
ぼーっとミランダさんを見つめ返していると、不意に左腕をつかんで引っ張られた。恐ろしい形相のディーンである。
慌ててミランダさんから離れようとするが、彼女は彼女で抱いた肩を放そうとしない。
ディーンが噛みつくように威嚇する。
「俺への意趣返しに、ユキを使うのはやめてもらおうか」
「嫌だね。それが一番効果的だろ?」
「ち、ちょっと二人とも!」
人の頭越しに喧嘩しないで!?
おろおろと慌てていると、「ねえ、ちょっと」とマイカちゃんの静かな声が割って入った。
「タラシ少将、出勤するからって出て行っちゃったわよ。……馬鹿ねぇ、ミランダ」
あきれたように肩をすくめる。
「ユッキーを口説くあんたを見て、『なぁんだ、やっぱりか』みたいな顔をしてたわ。……またモテ自慢に戻っちゃったわね?」
「…………」
一拍置いて、「しまったあああああっ!!!」というミランダさんの絶叫がこだました。がっくりと膝を突く。
……どうやらミランダさんの恋は、一歩進んでまた一歩下がったらしい。




