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82.反作用

 研究室に、しんとした沈黙が満ちる。


 顎に手を当てて考え込んでいたミランダさんが、ゆっくりと喋りだした。


「あなたの仮説が正しいとするならば……黒花が、ユキコを襲わないのは……」


「排除対象──すなわち黒花にとって有害なのは、あくまでこの世界の人間だけだからだ」


「でもっ!」


 思わず会話に割り込んでしまう。

 二人は続きをうながすように私を見たが、特に考えがあって口を挟んだわけではない。しどろもどろになりながら、言葉を探す。


「でも……だったらどうして、私が触ると黒花の種が聖輝石に戻るんですか?」


 私の問いに、教授は得たりとばかりに大きく頷いた。得意気な顔で笑う。


「戻る──そう、戻るのだ! おそらくだが、ユキコが聖輝石に勝る浄化の力を持っておるとか、選ばれし人間だとか、そのような大層な話ではないのだ。異世界人ということさえ除けば、ユキコ自身は実に平々凡々な、特筆すべき長所もない、有象無象のただの人間に過ぎぬ」


「…………」


 ちょっぴり殴りたくなってきた。


「これは、あくまでわたしの予想だが。人間なのに排除すべき人間とは違う、ユキコという異分子に触れられた時──種に反作用が起こるのではなかろうか」


「反作用……。やはり、それこそが浄化と呼べるのではないのですか?」


 私の代わりに抗議してくれるミランダさんに、教授はきっぱりと首を振る。


「浄化とは違う。そうだな、例えて言うならば……ルアル花茶を飲んだ事はあるか」


 唐突な言葉に、私はぱちくりと目を瞬かせる。

 花茶なんてしゃれたもの、今まで一度も飲んだ事がない。


 だが、隣のミランダさんは大きく頷いた。


「あります。あの、青色が綺麗な花茶ですね?」


「そう、それだ。あの茶にレモンの果汁をかけると、一瞬にして桃色に変わる。知っておったか?」


 へえぇ、何それ面白そう。小学生の頃にやった理科の実験みたいだ。


 目を輝かせて聞いていると、ミランダさんが首をひねる。


「……いえ、それは……」


「ならば、試してみると良い。──桃色に変じてしまったルアル花茶を、再び青色に戻す法がある。掃除する際に使う磨き粉を、花茶に入れるだけで構わん」


「……磨き粉ぉ!?」


 私とミランダさんのすっとんきょうな声が、見事にハモった。

 教授は至極楽しそうに頷く。


「そう、水に溶かせば洗剤として使う事もできる、あの磨き粉だ。レモンの果汁とは真逆の性質を持っておるから、反作用によって花茶の色を戻す事ができるわけだ」


 ……つまり、酸性とアルカリ性みたいな?


 考え込んでいると、ミランダさんが手を打って興奮したように私を見た。


「そうか、わかったぞ! つまり君は、黒花にとっての磨き粉なのだな!?」


 教授も満面の笑みでテーブルを叩いた。


「そう、そうなのだ! ユキコは磨き粉女なのだ!!」


「…………」


 別に、浄化の力を持った奇跡の人間、なんて呼ばれたいわけじゃないけれど。


 さすがに「磨き粉女」ってひどくない?


 憮然としていると、ミランダさんが私の背中をバンバン叩いた。


「何をぶうたれている!? 素晴らしいではないか! もっと誇っていいのだぞ!?」


 己が磨き粉女だということを!!


 力強く言い聞かされ、さすがに我慢の限界を迎えた。


「だぁれが磨き粉女よっ!? 例えるならもっとマシなものに例えろおおおおおっ!!」


 ──魂の絶叫は、きっと役所中にこだましたに違いない。



 ◇



「──あっ、本当だ! 青に戻ったわよ!」


「おおっ凄いな! さすがはユキコだ!」


「それは私じゃなくて磨き粉だからっ!!」


 力いっぱい突っ込んだ。


 夜になり、再び迎賓館へと戻ってからの事である。

 マイカちゃん達と合流し、ミランダさんが急ぎルアル花茶を仕入れてきた。夕食の後、全員で花茶の色実験を開始したのである。


「すげぇな。これと同じ事が、黒花の種でも起こったわけだ」


「……ルークさん。ルークさんだけは私の事、『磨き粉女』って呼ばないでくださいね?」


 感心しきりのルークさんに膨れっ面で訴えると、さもおかしそうに苦笑された。


「別に、みんな親しみを込めて言ってるだけだと思うけど? ユキコちゃんが可愛いから」


 おだてられたって、そんな親しみの込められ方は嫌である。

 ディーンが帰って来たら、ルアル花茶の例えは絶対に持ち出さない事にしよう。


 心に決めていると、マイカちゃんもくすくす笑いながら私を見た。


「まあ、良かったんじゃない? 特別な力がある訳じゃなくて、あくまで存在が磨き粉なだけだった、と。──あとは、白い種に聖輝石と同じ力があるかどうかよね」


 存在が磨き粉……。


 もの凄く微妙な気持ちになりながら、むすっとマイカちゃんとルークさんを見比べる。教授の講義は、あれから黒花の種についても及んだのだ。その事も二人に説明しなければならない。


「今、その実験の第一段階を始めたところなんだって。街道から外れた場所に、白い種を埋めたらしいの」


「……埋めたぁ!?」


 驚きの声を上げる二人に、重々しく頷き返した。ピッと人差し指を立てて解説する。


 以前、ディーンに黒花の種について教えてもらった時。


 ディーンは、種から再び黒花が生えてくる事は無いと言っていた。便宜上「種」と呼ばれているだけなのだと。


 それは、半分正解で半分間違っていた。


「黒花の種を地面に放置すると、数日で溶けたみたいに無くなっちゃうんだって。土にさえ当てなければ、種が消える事はないらしいんだけどね」


 聖輝石と黒花が同じものである、と考えた教授は、さらに推測を進めた。

 地面に溶けてしまった種は、また別の場所で黒花として出現するのではないか。かつて、穢れた聖輝石が溶けた時と同じように。


「黒花を狩ったら狩りっぱなしにするのではなく、種を回収するべきだ。十年ぐらい前に、他でもないコール教授が国に提言したらしい」


 ミランダさんが私の説明を引き継いでくれる。


「それで駆除師なんて職業が誕生したわけだな。種を放置されたら困るから、国が買い取るしかなかったのさ」


 種の回収を始めてから数年後、徐々に結果が出てきたらしい。

 それまで同じペースで出現していた黒花が、明らかに数を減らしてきたという。


「──だから、白い種が消えない事を確認するのが実験の第一段階。第二段階では、実際に白い種を聖輝石の代わりに使ってみるんだって」


 実験はもちろん街の外で行わなければならない。実験場として選ばれたのは、王都の北東にある古戦場だそうだ。


「古戦場? そんなのあるの?」


「ああ、中世で激しい衝突が起こった戦場だそうだ。今では草がぼうぼうの、ただの野っ原らしいがな」


 ミランダさんの言葉に、マイカちゃんが難しい顔で腕を組む。隣のルークさんも暗い顔をした。


「実験、実験かぁ……。──本当に、長い時間がかかるかもしれないな」


「…………」


 新たな事実を知って、興奮していた気持ちがしぼんでいく。

 うつむく私に気が付いたのか、ルークさんが慌てたように明るい声を出した。


「でっ、でも! ディーンが戻って来たら、すぐにでも軍に復帰できるわけだし! 少なくとも、二人が離れ離れになる事は絶対にないから」


 マイカちゃんも大きく頷く。


「早めに連絡を寄こせって、軍本部に伝言を残しておいたわ。借金の件も教えてあげないといけないしね。早晩合流してくるでしょうから安心なさいな」


 二人の気遣いが嬉しくて、やっと笑顔になる。


 ディーンに会ったら話したい事が多すぎて、帰ってくるのが待ちきれない。思わずにやけていると、「ただねぇ……」とマイカちゃんがため息をついた。


「父親と和解できるかが問題よね。借金の事だって、素直に喜ぶかどうか」


 ……確かに。


 白い種より、よっぽどそちらの方が難関だったりして。

 引きつった顔を見合わせる私たちであった。

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