7.涙の理由
ふらつきながらも男を店内に招き入れた。
「……トールには、いつ着いたの……?」
「昨夜遅くだ。宿に泊まって、顔を出してみれば……窓が割れているから、何事かと心配したぞ。何があった?」
ひどい顔色だ、と私の顔を覗き込む。
答えようと口を開きかけたが、唇が震えるばかりで言葉にならない。
ぶわり、とお湯みたいに熱い涙があふれた。慌ててぐいぐい乱暴にこすって止めようとすると、ディーンが私の腕をつかんだ。
「こら、こするな。もしや、店主殿が……?」
驚いて男を見上げた。
どうして、という声にならない私の疑問を感じ取ったのだろう、男はつらそうに説明する。
「このあいだは、店主の部屋に泊めてもらっただろう。そのとき体調のことを打ち明けられて──トールの街に来たときは、ぜひ立ち寄ってほしいと頼まれたのだ。タナカにしては珍しく、気を許しているように見えたから、と」
無理やり引っぱって店舗に連れてきたり、足を踏んづけたり、やりたい放題だったからな……と男は遠い目をする。
くすりと笑いそうになって、その拍子にまたぽろっと涙がこぼれ落ちた。首を振り、なんとか涙を止めようと唇を噛む。
「泣きたいのなら、思いきり泣けばいい。なぜ我慢しようとする?」
「……泣きたくないの!!」
自分でもびっくりするぐらい大きな声が出た。
「泣きたくないっ……私には、泣く資格なんてない……っ! ダガルさんの体調にも気付けないで、それどころか、私に出ていってほしいんじゃないか、なんて疑って……!」
考える間もなく次から次へと言葉があふれ出す。
「こうして涙が出るのだって、本当にダガルさんのためなのかわからない! 今の生活を失って、これからどうやって暮らしていけばいいのかわからなくて、そんな自分を哀れんでるだけなのかもしれないっ……。そんな涙なら、流したくないの……!」
ダガルさんは、あんなにも私のことを気にかけてくれたのに。
私は違う。自分のことしか考えられない、救いようのない自分勝手な人間なのだ。優しくしてもらう資格なんてこれっぽっちもない。
荒く息を吐く私の手を、両手で包みこむようにディーンがそっと握りしめた。
「──それは違う。違うぞ、タナカ」
力強く言い切る。
「涙の理由を、無理に理屈で分ける必要はない。これからの自分の暮らしが不安なのも本当なら、店主殿ともう二度と会えないつらさや寂しさも本当だろう? 何かできたのではないかという後悔も、何もかもひっくるめて悲しみとして受け入れなければ……乗り越えて、前に進むことなどできないぞ」
だから、今は思いきり泣けばいい。
そう諭され、ぎりぎりでせき止めていた感情が決壊した。
うわあ、と大きな声が出る。
一度泣き出すと止まらなかった。黙って私を抱き締め、背中を撫でてくれるディーンにすがり、わあわあと幼い子どものように泣き続けた。
◇
気が付くと、自分の部屋の寝台の上だった。
いつの間にか眠ってしまったらしい。窓の外はもう暗くなっていた。
たくさん泣いたせいで目が腫れぼったいが、気分はすっきりしていた。
大きく伸びをすると、ぐうう、と盛大にお腹が鳴る。……そういえば、もう何日も食べていない。
(ていうか、何かいいにおいがする……)
わあわあ泣いて、そのまま寝入って寝台まで運ばれて。恥ずかしくて顔を合わせるのも気まずいが、目が覚めたのにずっと部屋に閉じこもっているわけにもいかない。
部屋から出て階段を降りると、ちょうどディーンが登ってこようとするところだった。
「ああ、起きたか。悪いが勝手に台所を借りたぞ」
食べられるか、と問う男に素直に頷く。
ダイニングに入ると、すぐに深めの皿に麦のおかゆをよそってくれた。ほかほかと湯気を立てていて、ものすごく久しぶりに空腹を感じた。男の優しさが胸にしみて、また泣きそうになる。
「……いただきます」
手を合わせてからスプーンを取り、息を吹きかけて冷ましてから口に入れる。
「……げほっ!?」
めっちゃむせた。
不味い。不味すぎる……!
今度は別の意味で涙が出てきた。
「まずっ……!」と思わず言ってしまった私に、「そんなことはないだろう」と心外そうに言いながら、男も自分の皿からひとくち食べた。
「……ぐぇほっ!?」
やっぱりめっちゃむせた。
よかった、どうやら味覚障害ではないらしい。っていうか味見してないんかい。
『…………』
無言で顔を見合わせる私たち。
ややあって、恐る恐るといったふうに男が口を開く。
「……実は隠し味に、ロッカの葉を入れてみたのだが」
いや、隠れてないから!
むしろ存在感に満ちあふれてるよ!
ロッカの葉は一枚で充分なのに、いったいどれだけ入れたんだ……。
男はわざとらしく咳払いする。
「お前はしばらくまともに食べていないのだろう? 俺の分も食べていいぞ」
すすっと自分の分の皿をこっちに押し付けてきた。
いや、いらないよ!?
「知っているか?『空腹は最大のスパイス』という有名な言葉があってだな」
「最大のスパイスにだって限界はあるから! どんだけ過信してるのよ!?」
空腹も忘れて、ぎゃあぎゃあ言い争う私たちであった。