69.軍本部
目覚めは爽快だった。
前回のように飲み過ぎてはいなかったようで、朝までぐっすりと眠ることができた。
「おはよう、ユッキー」
隣のベッドから、マイカちゃんも起き上がる。
「おはよ、マイカちゃん。……私、昨日途中で寝ちゃってた?」
居酒屋で、ディーンが迎えに来たところまでは記憶があるんだけど。
首を傾げる私に、マイカちゃんがあっさりと頷く。
「ええ。あんたのおとーさんが、抱っこして連れ帰ったのよ」
……喧嘩中に抱っこって……。
締まりがないにも程がある。
若干落ち込んだが、とりあえず身支度を整えることにした。
部屋の片隅に旅の荷物が置いてあるのに気づき、思わず歓声を上げる。懐かしの装いをうきうきと取り出すと、マイカちゃんが眉をひそめた。
「駄目よ、子ども服なんて着たら。あの執事からもらった服があるでしょう? 普段着とはいえそれなりの物でしょうから、そっちにしておきなさい」
ええー?
長いスカートって動きにくいんですけど……。
嫌な顔をする私に、マイカちゃんはきっぱりと首を振った。
「王都で用事を済ませるまでは、きちんとした格好をしておかないと駄目。下手に舐められたら面倒臭いことになるわよ」
「……はぁい」
渋々頷いて、セバスチャンからもらった服に着替えた。やっとスカートから解放されると思ったのに……。
◇
「王都はこの街から南東の方角よ。馬車なら一週間もあれば到着するわ」
支部が用意してくれた馬車に揺られながら、マイカちゃんが説明してくれる。街に到着したら、またそこの支部が次の街まで馬車を用立ててくれるらしい。
ディーンは御者台で黒花を警戒するそうで、中に座っているのは、マイカちゃんとルークさんと私の三人だけだった。
朝食の席でもディーンとは会話がなかった。
迎えに来てくれたお礼ぐらい言うべきだったかもしれないが、そっぽを向かれていて気まずかったのだ。
思わずため息をつきそうになっていると、ルークさんに先を越された。くああ、と深いため息をつく。
「……頭いてぇ。ディーンにヤケ酒付き合わされてよ……」
顔をしかめて額を揉むルークさんを、きょとんと見返した。
「ディーンって、お酒飲めないんじゃないんですか?」
確か、エイダさんから蜂蜜酒を貰った時にそう言っていたような。
不審げに問う私に、ルークさんは苦笑する。
「いや、あいつはザル。昔っから酒に強いんだけど、目標を果たすまでは禁酒してたはずなんだけどな。……よっぽど昨日のことがショックだったんだろ」
目標……って何?
昨日のことがショック、というのもわからない。私との喧嘩が原因とするなら、傷ついたのはこっちだと言いたい。
むくれていると、マイカちゃんがおかしそうに笑う。
「それって、良い傾向なんじゃない? 馬鹿みたいに自分を追い込んだって、所詮は自己満足に過ぎないもの」
「そうなんだよなぁ。ちっとは前向きになったのかね」
二人でうんうんと頷き合っている。
私だけ訳がわからず面白くない。口を尖らせている私に気付いたのか、マイカちゃんがぴんと私の額を弾いた。
「あの男が話す気になるまで、もう少しだけ待ってあげなさいな。本人だって、ユッキーには話すべきだってわかってるはずよ」
「そそ。そんで、できたらお父さん扱いは二度とやめてやって。八つ当たりされるオレが可哀想だから」
口々に言われ、仕方なく頷く。
話してくれるつもりがあるなら、私だっていくらでも待てるのだ。
後で、二人になれたらそう伝えてみよう。それにやっぱり、昨日宿に連れ帰ってくれたお礼も言わないと。
心に決めて、通り過ぎていく景色に目を移した。
◇
一週間後、無事に王都に到着した。
あれからディーンとは仲直りできていない。
移動中はずっと御者台にいるし、食事は皆が一緒だし、宿の部屋割りは男女で分けているし。二人きりになるチャンスが全くなかったのだ。
馬車から降りると、大きく伸びをした。長い移動で体は疲れ切っている。
目の前にそびえ立つ立派な建物に気付き、手を伸ばしたままぽかんと見上げる。
「こちら、軍本部でございます~」
おちゃらけたようにルークさんが建物を示した。
さすが本部なだけあって、かなり大きな建物である。感心しつつ、ぞろぞろと立派な正門をくぐった。
ルークさんがちらりとディーンを振り返る。
「……お前は外で待っててもいいんだぞ? ユキコちゃんの事はオレらに任せて」
「いや、俺も行く。こいつの巻き込まれ体質を甘く見るな」
きっぱりと答える男を思わず睨みつけた。
……誰が巻き込まれ体質だと?
「はいはい、喧嘩なら後にしてね。とりあえず本部長官に挨拶するわよ。カラスにとっては直属の上司でもあるの」
パンパンと手を叩くマイカちゃんにしぶしぶ従い、最上階の四階へと上がる。
重厚な扉をノックして、長官室の中に入った。
「おう、お帰りマイカ。ついでにルークも」
植木鉢に水をあげていた軍服の男が、野太い声でニコニコと私たちを振り返る。長官と聞いて緊張していたが、なかなか気さくそうなおじさんである。
「なんでオレはいつもついでなんですか?」
ルークさんがムッとした調子で尋ねると、長官さんは腕を組んでふんぞり返った。
「女性優先だからに決まってんだろ。……ってうわ! ディーン!?」
ディーンは硬い顔で長官さんを見返すと、軽く会釈する。
「……どうも、お久しぶりで──」
「おいっルーク! 今すぐギルを呼んでこい!」
「いや、呼ばなくていいです!!」
珍しく焦ったようにディーンが長官さんを止めるが、ルークさんの方が素早かった。ぱっと部屋から出て行ってしまう。
「久しぶりだなぁ。もしや、復帰する気になったのか?」
「いいえ全く。単にこいつの付き添いです」
嬉しそうな長官さんを一刀両断すると、ディーンは私を前にうながした。
一歩出て、ぎこちなくエイダさん仕込みのお辞儀をする。
「……初めまして、ユキコです。その、私……」
「ああ、例の! 用があるのはこちらなのに、呼び付けて申し訳なかった。本部長官のガードナーといいます」
大きな手で握手を求められ、慌てて握り返す。
マイカちゃんのアドバイスとエイダさんの礼儀作法のお陰で、なんとか子ども扱いされずに済んだようだ。
「早速だが、実際に種に触れてもらいたい」
執務机の上に、引き出しから取り出した真っ黒な種を置く。
ごくりとディーンを見上げると、小さく頷いたので恐る恐る手に取った。
「……っ!」
触れた指のあたりから、あっという間に乳白色へと色が変わる。この場にいる全員が息を呑んだ。
ディーンは茫然としている私の前に回り込み、大きな手で私の手を包み込む。
ぱっと手を開いて、真っ黒な種を掲げてみせた。……はれ?
「特に変化はありませんね。真っ黒なままだ」
「そうね。白くなんてなってないわ」
満面の笑みで黒い種を見せるディーンに、マイカちゃんも重々しく同意した。
ディーンはそのまま私の肩を抱くと、流れるように扉までいざなう。
「──では、俺たちはこれで」
「いや、待て待て待て! 単にすり替えただけだろっ!? そんなんで騙されるかぁっ!!」
長官さんに一喝され、ディーンもマイカちゃんもチッと舌打ちした。
私ひとり目が点になる。……いつの間にすり替えたし。




